第13話 氷の世界から脱出せよ!

 突如現れた強大な魔力に、狂気に染まりきっていた戦場が静まり返る。


 魔人、魔族、人間。誰も彼もが戦いの手を止めて、発信源である魔神の住まう居城に目を向けた。


「なん……だ? これは……」


 そのつぶやきを放ったのは一人ではない。血と怒号が飛び交い、興奮と熱気によって支配されていた戦場を、心を凍らさせるほど冷たい魔力によって一瞬で正気に戻されるほどだ。


 実際、凍ったのは心だけではない。彼らの眼前、魔神の居城を見れば、その全体を覆うように氷壁で覆われていた。


 あまりに一瞬の出来事に、何が起きたのかを理解できた者はほとんどいない。ただわかるのは、強大な力を持った何者かが現れたという、ただそれだけだった。






「ちっ、やられたな」


 トールは魔神の居城の中から外を見る。強大な魔力によって編みこまれた氷の壁により外界とは完全に遮断され、まるで巨大な氷の牢屋に閉じ込められてようにも感じた。


 魔力を探知してみると、既に周囲に隙間なく埋め尽くされた氷壁によって脱出できる場所はないようだ。試しに壊してみようと魔力をぶつけるも、一瞬凹みが出来るもののすぐに修復されてしまう。


 トールの一撃で吹き飛ばせない氷壁。込められて魔力は尋常ではではない。さらにこれだけの広範囲に展開ななど、並の者では数秒保たせるどころか、発動すら出来ないレベルだ。


「こんな大規模な魔術、いつまでも維持できるはずがねぇ……って言いたいところだが」


 残念なことに、この氷壁に込められている魔力の質は、トールにとって馴染みの深いものだった。


 もう何年も前、この魔力の主を倒すために様々な計画を立てた。調べれば調べるほど、その力の大きさに絶望し、それでも一人の少女を救うために諦めずに戦った。


 そしてようやく突破口を見つけ、ついには滅ぼすところまでいったのだ。だがそれは、どうやら幻だったらしい。


 愛しい少女に憑りついた神は滅ぼした。だがどうやってか、件の神は生きていたようだ。しかも、ミストに憑りついた時よりもさらに強大な力を持って、再び自分たちの前へと現れた。


「生きてやがったのか……邪神!」


 トールが魔術を何もない空間へと放つ。瞬間、その空間が歪み、魔術がかき消された。そしてそこから現れたのは、かつてトール達が戦った男、魔王クロノだ。


「くかか、久しいではないか、裏切者のトールよ」

「……」


 もっとも、姿が魔王クロノであっても、その醜悪なまでに濁った昏い魔力は魔族のものではない。


「テメェ……魔神なんて名乗ってるのも、そういうことか」

「ほう、驚かないのだな」

「聖剣の勇者だって生きてたんだ。なら、あの時魔王が生きてても可笑しくねえだろ」

「くひひ、相変わらず優秀な男だ」


 嗤う邪神をトールは睨むが、実際には現時点で勝算などなかった。何せ相手はセイヤすら圧倒したほど。


 基本、戦闘力のないミストに憑りついていた時でさえ、人知を超えた力を見せた化物だ。それが生来生まれ持った力がすでに化物だった魔王を依代に顕現している。その力はミストの時の比ではないだろう。


「で、俺を閉じ込めてどうしようってんだ?」

「取引をしようではないか」

「あん?」


 邪神の提案に訝しげな顔をしてしまう。しかしそれも当然だろう。なにせ邪神は現時点ですでに世界を滅ぼせるだけの力を秘めている。


 過去のミストの時とは違い、すでに顕現も済ませた後だ。となれば、今更トールの力など必要ないだろう。


「貴様が協力するというのであれば、前の依代とあの不敬な信徒どもを殺すのは、最後に回してやる。どうだ? 悪い話ではないだろう?」

「どうだもクソもあるか。何を企んでやがる?」


 少なくともこの対面しているだけで感じるプレッシャーは尋常ではない。例えトールが全力を出しても、時間稼ぎがせいぜいだろう。


 それだからこそ、余計に不審に思う。この時点で邪神は圧倒的に優位な立場にあるのだ。それが取引? 怪しい予感しかしなかった。


「我は貴様を評価しているのだ、トールよ。勇者でもない、ただの脆弱な人の身でありながらそこまで上り詰めたその執念。もはや人にしておくには惜しい」

「随分と高評価じゃねえか」

「くかか。我は昔から貴様を評価していたさ」


 魔王クロノらしからぬ軽快な笑いを見せる邪神。だがそれも一瞬。真剣な表情に戻ると、トールをじっと見つめてくる。


「今の貴様に我の力を注げば、神殺しすら可能になるだろう。そして、これから世界を滅ぼした後は、天界の神々達と戦争になる。我とて戦力は欲しいのだ。少なくとも、あの忌々しい神々を滅ぼせるのであれば、人の世をほんの少し長く生き長らえさせることも吝かではない、と思う程度にはな」

「……」

「改めて言うぞトールよ、我が眷属となれ。そうすれば貴様の身内だけは殺さずに生かしておいてやろう」


 邪神はどこからともなく取り出した紅い液体の入ったグラスを差し出してくる。


 トールはそのグラスを手に取り、そして――


「断る!」


 そのまま地面へと叩きつけた。


 紅い液体が白く凍った地面に染み込み、まるで血塗られた大地のようになる。


「俺はミストのためにだけ生きてきた。それはこれからも一生変わらねえぇ! 世界を壊し、ミストが望まない世界を作ろうとしてるテメェには、従えないんだよ!」

「そうか、残念だな。では貴様はこのまま、この氷の世界で凍えて死ぬがいい」


 邪神はそう言うと、その場から姿を消した。


 残されたトールは、何とかこの世界から脱出する手段をと思うが、魔力差もあり力づくでどうになるものでもなく、今のところ見当もつかなかった。


 また、邪神がいなくなったことで外の戦況が不安にもなる。


「焦るな。大丈夫だ。見た限り邪神も力を完全に扱えてるわけじゃねえ。ウチの奴らなら、十分時間を稼げる」


 魔人に対しては魔族が率先してぶつかっているため、主力であるミストちゃんファンクラブの面々は、この戦争においてほとんど戦力を減らしていない。


「この氷の魔術を使ってるやつだって、これ以上は何も出来ないはずだ」


 トールは自他ともに認める世界最強の魔術師である。故に、自分を抑えられるほどの者が仮にいたとしても、それは全力を出し続ける必要があるだろうと推測した。


「最悪、我慢比べになるか? いや、それじゃあ外のやつらがやられちまう。クソ!」


 自分の手の届かないところで自分の大切な者が危険に晒される。それがトールを焦らせる要因になっていた。


「こんにちわ」

「っ――!」


 不意に、トールの背後から声がかけられる。慌てて振り向けば、そこには魔人軍の将、キキョウが柔らかい黒髪を靡かせて立っていた。


 普段ならここまで近づかれて気付かないトールではない。だが度重なるイレギュラーに焦りが出てしまい、こうして敵の接近を許してしまった。


 しまったと思うももう遅い。一刀のもとに斬り伏せられる未来を覚悟をし――


「少し、お話をしませんか?」


 そう言ってキキョウは、まるで母が子供を見つめるかのような瞳で、優しく微笑むのであった。

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