第9話 最後の戦いを覚悟せよ!
聖剣の勇者とはそもそも、どういった存在か――それは勇者本人であるセイヤも知らない事柄だ。何せ彼が説明された内容といえば、当時すでに大陸に名を馳せていた侵略者である魔王を討伐する者ということだけなのだから。
だがしかし、冷静に考えればそれはおかしい。魔王クロノはとてつもない力を秘めた魔王であったが、少なくとも世界における異分子ではないのだ。
同じ世界に生きる一生命。それを討つために、世界を超えて勇者を呼び出すなどルール違反ではないだろうか?
それが許されるという事は――勇者の役割とは魔王を討つことではない。
「聖剣の勇者とは、邪を討つべき者です」
濡羽色の髪を腰まで伸ばした女性は、両腕を鎖で繋がれ牢屋に入れられたイリーナを憐みの瞳で見下ろす。
対するイリーナは淡々としたものだ。
「そう、それを私に言ってどうして欲しいのかしら?」
「特に意味はありませんよ。ただ、貴方には知っておいて欲しかった。それだけですから」
女性はイリーナの事を知っているらしいが、イリーナ自身は彼女の事を知らない。少なくともこれほど深い黒の髪は魔界にはいないし、そもそも彼女は魔界のどの種族とも見えないのだ。
彼女の容姿はそれこそ、セイヤと同じ人間という存在にしか見えなかった。
「それと、貴方の父は偉大な魔族でした」
「……さっきから脈絡がなさすぎるわね。この状況が見えないのかしら? アナタが勇者と魔王について詳しいのはわかったけど、それを聞いたところで何も出来ないのだけれど」
「さっきと同じですよ。ただ、言いたかっただけです」
それだけ言うと、黒髪の女性は牢屋に背を向けて去っていく。
「一体……何のつもりだったのかしら?」
いきなりやってきて、好きなことを言うだけ言って去っていく女性に困惑を隠せなかった。
あの女性を見たことはない。だが彼女は自分の事を知っているらしい。一方的に知られているというのはあまりいい気分ではないが、イリーナの立場的には十分あり得る話だ。
だがしかし、あの女性は王女である自分ではなく、一個人として知っている。そんな口ぶりだった。
そしてイリーナも、あの女性を見たときに何か違和感があった。絶対に見覚えのない顔。だが知っているような、そんな違和感。彼女を一目見たとき、一種の感情を覚えたのだ。
「懐かしい……? いやでも……そんなはずは……」
知っているようで、知らない女性。頭に靄がかかったようで気持ち悪く、何とか思い出そうとしても思い出せない。
イリーナは一人、暗い牢屋に残されたまま深い思考の渦に飲み込まれるのであった。
「万を超える兵隊が接近中! キキョウ将軍、至急指示をお願いします!
「全く、因果の巡りというのは恐ろしいものですね。いえ、この場合は呪いとでも言うべきでしょうか?」
イリーナの捉えられた牢屋から出た女性――キキョウは兵士の言葉に頷きながら廊下を歩く。
窓の外を見ると、すでに視認できる距離まで敵軍が迫ってきているのが分かった。
「邪神に魅入られた少女」
その戦闘に立つ黄金の太陽は、隠そうとしても隠れられるものではない。圧倒的な存在感を持って進軍する様は、正に天上の覇王足る風格をもっていた。
「邪神を倒すために未来を託された青年」
黄金の覇王の横に立つ青年を見てつい微笑んでしまう。こうして彼の顔をきちんと見るのは初めてだが、大きくなったものだと感慨深くなる。
「そして、邪神を滅ぼすために神に選ばれた勇者」
自分は聖剣の勇者を知らないが、あのイリーナが選んだ男だ。魔神によって敗れはしたものの、あの程度で諦めるような男ではないだろう。
完膚なきまでに敗れ、それでも立ち上がって刃向うのであれば、彼を正式に勇者と認めてやってもいいかもしれない。
「何にしても、ここが最終決戦の場になることは間違いないでしょうね」
キキョウは兵士達に簡単な指示を出した後、そのまま魔神がいる部屋へと入る。
窓一つない部屋は、蝋燭の小さな明りのみで照らされていた。そんな暗い部屋を、イリーナは慣れた足取りでまっすぐ進む。
その先に居るのは、フードを被ったまま玉座に座り込む魔神。
「さあ、敵が来ましたよ? どうしますか?」
「…………」
キキョウの言葉に魔神は答えない。それどころか、ピクリとも体を動かさなかった。まるで、座ったまま死んでいるかのようだ。
それがわかっていたのか、魔神の対応をキキョウは特に気にしない。ゆっくり玉座に近づくと、まるで愛しい者を触るかのようにやさしい手つきでその頬に触れる。
「そうですよね。貴方は今も、戦っているのですよね」
そっと、動かない魔神のフードを外す。すると女性のように長い白銀の髪が一気に表で出てきた。
「相変わらず、女である私が嫉妬してしまうほど美しい髪」
魔神は瞳を閉じたまま反応しない。キキョウはそんな魔神の髪を丁寧に整える。
あまりに美しい容貌に、太陽を反射するほど光沢の持った神。そしてイリーナと同じく伸びた耳。これが、魔神として魔界全土を恐怖に陥れた男の風貌。
そして、その男は――
「ねえクロノ。負けてはダメですよ? 貴方が負けたら、世界は今度こそ滅んじゃうんですから」
魔王クロノ。かつて魔界を統一し、そして地上へ出て太陽を手に入れようとした、魔界最強の男の姿がそこにはあった。
「可愛い娘も待っています。未来を託した息子だっています。それに、そのお嫁さんにお婿さんまで。これを見ないで死ぬなんて、絶対にダメですよね」
動かないクロノの首に両手を回し、枝垂れかかるようにギュッと抱きしめる。
「ダメですからね、邪神なんかに負けたら、絶対にダメなんですから」
千年前から続く因果の呪いは、魔界という地において収束することになる。
――かつて邪神を倒し封印した者。
――封印された邪神に魅入られた者。
――邪神を滅ぼす未来を託された者。
――邪神を滅ぼすことを義務付けられた者。
邪神に関わる全ての者達の絡み合った因果の糸が、この血に濡れた大地に集まるのだ。
「今度こそ、全てを終わらせましょう。例えその結末が――」
そっとキキョウはクロノにフードを被せ直す。
「さあ、それでは始めましょうか。千年の呪縛を打ち砕く、最後の戦いを」
キキョウは覚悟を決めた瞳で歩き出す。
その堂々とした足取りは、まるで古代の勇者のようであった。
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