第9話 邪神を消滅せよ!

 篠宮しのみやとおるは邪神と化したミストと対峙しながら、ふと、今でも思う事がある。


 もしあの時勇者の召喚に巻き込まれなければ、自分はどうなっていたのだろうか、と。


「クカカ! 羽虫の如くワラワラと沸いてきおって! そんなに潰して欲しいのなら潰してやろうではないか!」


 これから社会の荒波に揉まれていく、そんなときの召喚だったため実際は分からないが、自他共に認める程度には器用な方だ。まあそれなりに上手くやっていただろうとは思う。


「どうだ見たか! これが世界を破滅に陥れる我が力よ! 貴様等ごときが触れられるほど、甘くはないわ!」


 普通に生きて、普通に出世し、普通に結婚して、普通に死ぬ。器用ではあったが、これといってやりたいと思う事もなかった自分はきっと、そんな人生を歩んでいたのだろう。


「虫けららしく無様な飛び方だな! ほらほら次、貴様も貴様も貴様もだ! 全員この世の恐怖を知ってから死んで行け!」


 それが悪いかと言われれば、別段どうも思わない。それが自分だから。平凡に生きる事に満足していたし、将来に不安もなかった。


「ちっ、流石にこうも数が多いと鬱陶しいな。潰しても潰しても埒が明かん……ん? アイツは……さっき潰したやつではなかったか? ふん、まあいい、何度でも潰してやる!」


 ただ時々思う。自分はなんてつまらない人間なのだろう――と。


「おい、なんなんだ貴様等は……さっきから吹き飛ばす度に顔をニヤケにも似た醜く歪ませよって……というかワザと殴られに来てないか?」


 そんな時だ。まるでゲームや漫画のように召喚されて、まるで世界の主人公のような扱いを受けて、正直言えば心が踊った。


 もちろん許可のない召喚など拉致以外の何物でもない。しかし男なら、いや女であってもあの時のシチュエーションでテンションが上がらない人間はいないだろう。


 もっとも、現実はそう甘いものではなかったが。


「何なんだ貴様等は! 反撃もせず、ただただ攻撃を受けに来て何がしたいのだぁ! 何ぃ!? 我々はご褒美を受けに来ているだけですだとぉ! ふ、ふざけるなぁぁぁぁ!」


 戸籍もなく、常識も生きる術すらない世界に放り込まれた時、自分の器用さなど何の武器にもならない事を知った。


 今だからはっきり言えるが、あれは地獄であった。例えどんなブラック企業に勤めていたとしても、あれ以上の地獄はなかっただろうとはっきり言える。


 誰も助けてくれない。誰も見向きもしてくれない。この世界の住民は日本よりも遥かに生きることで精一杯で、とても他人を助ける余裕などなかったのだろう。


 飢えた。食べ物に飢えた。人の温もりに飢えた。世界で一人ぼっちであることに、心の底から恐怖した。


「わ、私は恐怖に陥った顔が見たいのだ……そのような気色悪い顔など見たくもない! 死ね!死ね! 死ねぇぇぇぇ! だから何で笑顔なのだ貴様等ぁぁぁぁ!」


 ――く、くくく。そうか貴様が王宮で話題になっていた暗黒神官か。面白い。貴様、私の下に付け。


 誰からも手を差し伸べられなかった時、人の尊厳を捨てる以外に生きる術がなかった時、手を差し伸べてくれた存在。


 ――我が名はミスト・フローディア! 天魔を喰らい世界に覇を轟かせるこの世の全てを支配する者だ! 貴様、トールと言ったな? 今日から貴様は我が従者だ。世界の王たる我が身の世話ともなれば並の者では務まらんと思うが……ふっ、まあ精々励むがいい。


 人から畜生へと堕ちかけていた透を救ってくれたのは、まるで地獄の底から差し込んだ太陽の光のような少女だった。


 そんな少女に差し出された手を握った瞬間、透の世界は一変した。


 透は運命の出会いがあるとしたら、間違いなくこの瞬間だったのだろうはっきり言える。人からケダモノに堕ちた瞬間、篠宮透は死に、そしてケダモノから人間に戻った瞬間、彼は暗黒神官トールへと生まれ変わった。


 食べ物の飢えから救い、人の温もりを与えてくれ、人としての尊厳を取り戻してくれた少女。この世の誰よりも傲慢で、この世の誰よりも美しく、この世の誰よりも神に愛された少女。


 トールは一生涯守りたいと思う少女と、出会ったのだ。


「ふざけるな……ふざけるなフザケルナふざけるなぁぁぁぁ! 我は神! 世界を破滅に導く邪神なるぞ! 矮小なるゴミ虫共の分際でいつまでも調子に乗るなぁぁぁ!」


 その少女の名はミスト・フローディア。暗黒神官トールの主人にして、最愛の少女。


「黙れよ」

「……なに? おい貴様、トールよ……今貴様何と言った? 黙れ? 黙れと言ったのか? この我に? 世界を破滅に導く邪神であるこの我に?」

「ああそうだよこのクソ邪神。黙れって言ったんだよ見苦しい」


 まだトールに力がない頃、差し向けられた暗殺者にミストが殺されそうになったときも、彼女は笑っていた。


 ――ふ、何を情けない顔をしているトールよ。殺されるかと思った? まったく……ありえんな。我がこのような所で志半ばに倒れる事など、例え全人類が望もうと神が許さんよ。そもそも、まかり間違って死んでいたら、我は所詮その程度だったということだ。


 堂々と言い切る姿は正に覇王そのもの。この時すでに彼女に戦闘力がない事を知っていたトールは、それでも思ったものだ。彼女こそ、やはり世界最強なのだと。


 少なくとも、この目の前の邪神のように予想外のことがあっても、取り乱した姿を見せる事は絶対になかった。


「ミスト様の身体で、ミスト様の声で、テメェなんて無様な姿見せてやがる。いいかよく聞けクソ邪神! ミスト様はなぁ! どんな時でも不敵に笑い! どんな時でも敵を嘲り! どんな時でも自分こそ最強だと言って絶対動じないんだよ! それがテメェはなんだ! 高々俺ら程度に一々ビビりやがって、ふざけてんのはどっちだアアン!」

「っ!」


 トールが一歩踏み出した。それと同時に、邪神は一歩後退る。それに気付いた邪神は、己の行動に唖然とする。


「ば、ばかな……我が……世界を破滅に導く邪神である我が……高々人間一人に気圧された? 我は神だぞ? そんな……そんな馬鹿な話があるか!」

「馬鹿なも糞もあるか! テメェは今ビビってんだよ! 俺に、俺達に! ミスト様ならぜってぇ退かねえ! むしろ一歩踏み出して足を舐めろくらいは言う! ほらこの時点でもう格付けは済んだんだ! テメェはミスト様を満たせる中身に値しねぇ! さっさと身体を返しやがれ!」


 さらにトールが踏み込む。邪神は前に出ようとして、気が付けば一歩後ろへと踏み出していた。


 信じられない思いだった。このような経験は、勇者と魔王を同時に相手したときでも思わなかった。


 邪神は目の前の男を見る。その背後に集まる千の集団を見る。彼等は皆、邪神を崇拝するために生まれてきた者達の筈だ。この邪神の眷属の筈なのだ。なのに、何故彼等は敵を見る目でこちらを見るのだ!


「き、貴様等は我が眷属だろ! 我の下僕達であろう! なのに何故どいつもこいつも我に歯向かうのだ!」


 そんな邪神の言葉を、トールは鼻で笑う。


「はっ……おいお前ら、教えてやれよ」

「「「ミストちゃんは可愛い! ミストちゃんは格好いい! ミストちゃんマジ女神!」」」


 まるで最初から決まっていたかのように声を揃えて言い放つ神官達。


「つーわけだ。誰もお前の事なんて崇拝してねえんだ。場違いなんだよ、お前はよ」

「ば、ばかな……」

「わかったらさっさと消えやがれ! いつまでも俺達の女神の中に居座ってんじゃねえぞクソが!」

「「「クソが!」」」


 全員一斉に邪神へ中指を立てて罵倒する。


「……おのれ……おのれおのれおのれおのれおのれぇぇぇぇぇ! 貴様等我を、神である我を愚弄したなぁぁぁ! 殺してやる! 殺してやるぞ貴様等ぁぁぁぁ!」


 邪神が飛び上がり、掌を天へと伸ばす。


 瞬間、天が割れ空から超々質量を持った隕石がゆっくりと地上へ向けて堕ちて来る。


 ――終焉魔術『星堕とし』


「ヒヒヒ! どうだ、魔王も勇者も纏めて潰した我が秘奥! 人間如きが調子に乗って、今更後悔してももう遅いからなぁぁぁ!」

「ふん……」


 トールは腕を組みながら、空を睨みつける。堕ちてくるのは巨大な隕石。魔王も勇者も同時に潰した、世界最強の魔術。


 ――だからどうした。


「わかってなぇな邪神様よぉ……一より十、十より百、百より……千! 戦いってのは、数なんだよ!」


 そう言うと同時に、暗黒神官全員が隕石へと視線を向ける。邪神の恩恵を受けた世界最強クラスの魔術師が千人。それが一斉に魔術を向ける。


 それはまさに魔術の嵐。爆発が、雷龍が、闇槍が、重力弾が、閃光が、あらゆる魔術が巨大な隕石を削る。削る。削り続ける。


「そ、そんな馬鹿な……」


 邪神は慄く。『星堕とし』は己が誇る最強の魔術。神々すら恐れさせた、邪神の力そのものと言ってもいい。それが今、たかが人間の手によって打ち破られようとしている。


「やめろ……やめろ……やめろやめろやめろ!」


 神とはすなわち力そのものだ。人々の信仰心があるから存在できる。存在そのものに力があるから存在できる。


 つまり、最強の力そのものが存在の象徴である邪神は、脆弱な人間によって打ち滅ぼされるという『矛盾』が起きた事により、その存在そのものが世界より疑問視されてしまう。


「やめてくれぇぇぇ!」


 ミストの体から、黒い靄のようなものが溢れだす。邪神の力そのものだ。あらゆる存在を破壊する最強の邪神が、人間の集団すら破壊出来ない。


 それはつまり、邪神の存在がこの世から消える事を意味していた。


「あああぁぁ……消える……我が、わがちからがきえていく……あぁぁ、あああああああああ!!!」


 そうして、超々巨大な隕石が粉々になったと同時に、邪神が天へと絶叫しながらミストの体から抜け出て、天へと消えていく。


 トールはそんな邪神を見つめ続ける。


 かつて勇者達が倒したときとは違う、神の完全否定による完全消滅。もう二度と、あの邪神が生まれることはないだろう。それはつまり、もう二度と、ミストが彼の力に悩まされる事はない事を意味していた。


「おっと……」


 邪神がいなくなり、気を失ったミストの身体をそっと支える。


 小さな身体だ。この小さな身体のどこに、あれほどの自信と覇気が隠れているのだろうか。そう思っていると、腕の中のミストが小さく身じろぐ。


「ん……トールか?」

「はい……貴方のトールです」


 力が入らないのか、ミストはまるで生まれたての赤ん坊のように身を任せて来る。無言で身体を支えよと訴えてくるので、その意を汲んで優しく抱き抱えた。


 そうしてしばらく密着していると、不意にミストが小さく呟く。


「……そうか、終わったのか」

「ええ、終わりました」


 己の中に潜んでいた邪神の存在。それは生まれた時から彼女を孤独へと誘って来た存在だ。その力が、生まれた時から身近にあったその力が、完全に無くなっていた。


「そうか……では、もう私は最強ではないということか……」


 ミストにしては弱弱しく、しかしどこか嬉しそうに空を見る。邪神には散々苦しめられてきたが、その存在を身近に感じていたからこそ、ミストは己が最強の存在であることを誇示出来ていた。


「なに言ってんですか?」

「何?」


 その力がなくなったのだ。もはや最強を名乗ることなど出来まい。そう思っていたミストに対し、トールは首を振ってミストを自身の背後に向ける。


「おおおおおお! ミスト様ぁぁぁぁぁ! よかったぁぁぁぁ! おい神官長いつまで抱き付いてんだ調子に乗るな!」

「やっぱり可愛い最高っすぅぅ! 早く離れろ神官長ぶっ殺すっすよ!」

「あの目、あれに俺はやられたんだ! あの全てを見下す目にな! しかし、今のちょっと弱ったミスト様も最高だぁぁぁぁ! 海へ埋めてやろうか神官長!」


 そこには千人を超える神官達が、各々涙を流しながら膝を着き、戻ってきたミストを称えるように声高々と叫んでいた。トールへの悪態を吐きながら。


「き、貴様等……」

「ほら、世界最強の邪神を倒したやつら、ミスト様が戻って来てくれてあんなに喜んでる。知ってます? あれ全部、ミスト様の物なんですよ。つまり、やっぱりミスト様が最強ってことですね」


 邪神を滅ぼした者達を率いているのだ。そんなミストが最強でなくて、誰が最強だというのだ。


 だがミストが気になったのは他に合った。


「……お前もか?」

「うん?」

「お前も私を……その、心配したか?」

「いいえ」


 その返事にミストは思わずトールの顔を見る。心配してくれなかったのかと少しだけショックを受けるが、トールの表情は初めて出会った時のケダモノの顔ではなく、愛しい人を見る、人間の顔であった。


「例え俺が何かをしなくても、ミスト様なら自力で邪神を打ち破るって信じてましたから」


 ――まあ、ちょっとでも早く戻ってもらいたくて出しゃばっちゃいましたけど。


 そう続けながらミストへ微笑む。


 その返事を聞けたミストは、何故か嬉しくなった。


「そうか……そうか!」


 腕の中で何度もそうか、そうかと頷くミスト様可愛いなぁと思いながら、しかしこのままいつまでも抱きしめ続けていたら本気で殺されかねないと思い、そっと腕を放す。


「さあミスト様、魔王は倒しました。勇者も倒しました。そして、長年の宿敵、邪神すら滅ぼしました。そろそろ、お願いします」

「む……そうだな」


 そう言ってトールはミストの右後ろ――いつもの定位置に立つ。


 そしてミストは神官達の前に堂々と立ち、自身に満ち溢れた高笑いを始める。。


「ハーハッハッハ! 神に選ばれた勇者? 世界を闇に覆う魔王? 世界を破滅に導く邪神? 全く笑わせてくれるではないか!」


 ミストが腕を振るう。それに合わせて幻術部隊が巨大な爆発を演出する。


「私だ!」


 その声と共に、天から落雷が落ちる。もちろん別の部下の仕業である。


「世界の中心はこの私――ミスト・フローディアだ!」


 炎の龍が生まれ、天へ向かって雄たけびを上げる。熱血三兄弟が一緒に叫んでいた。


「証明は成された! 私こそが、我が力こそが世界最強であるということをな! よって――計画は次の段階へと突き進む!」

「ん?」


 トールは次の計画があるなど聞いていない。何を言うつもりだろうこのラスボス王女様はと思っていると、すぐに続きが宣言される。


「国堕としだ――我が王国も、南の共和国も、西の傭兵国家も、そして煩わしい北の帝国も全て支配下に置いてやる! 誰が世界の支配者なのか、改めて教えてやる必要があるからな!」


 その言葉に、神官達は一斉に歓声を上げた。


「いい気概だ! それでこそ我が尖兵達よ! ははは、それでは貴様等に天を見せてやる! 我が覇道、最期までその目に焼き付けよ!」


 瞬間、歓声が爆発した。圧倒的なカリスマ。この場の誰よりも小柄な、だが世界の誰よりも巨大な力を持った少女に神官達は崇拝の念を込めながら、大きな歓声を上げるのであった。


 そんな中、日本からやってきたトールは思う。


「勇者と魔王倒して、邪神も滅ぼしたってのにまだ満足しないとか……」


 ――この子、一体どこのラスボスなんだろう、と。


「ハーハッハッハ! ハーッハッハッハッハ! さあお前達、私に付いて来い!」


 ミストが美しい金髪を靡かせて、察そうと歩き出す。それについて行きながら――


「……ミスト様がいつも通り楽しそうにしてるから、まあいいか」


 そんな風に思う、トールであった。

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