第5話 魔王を撃破せよ! 後編

 ミストが放ったように見える『闇の暴風』は魔王城の壁を突き破り、そのまま天へと消えていく。


 闇と風の上級魔術を掛け合わせた超々高難易度の合成術だ。並の魔物はもちろん、四天王クラスですらまともに受ければ塵一つ残らない威力を誇る。当然、魔王とて無傷ではいられない。それが大多数の意見だろう。


 魔術の余波で吹き荒れていた粉塵は時間と共に拡散していき、元の視界に戻り始める。ミストがじっと先を見つめていると、粉塵の奥から黒い影が立っている事に気付いた。


 ザッ、と砂利を踏む音が静かな城内に響く。そうして完全に視界が明けた先には、無傷の魔王が立っていた。


 細く痩せた身体。色の落ちた白髪の髪。彼が魔王と知らなければ、ただの老人にしか見えなかっただろう。しかし、その身に宿る魔力は莫大。その力は世界最強といっても過言ではない。


 己に絶対の自信を持っているミストですら、警戒に値する正真正銘の化物である。


「なるほど……流石は魔王、とでも言っておこうか。あれを受けて無傷とは恐れ入る」

「凄まじい威力だ。これほどのものは千年は受けた記憶がないぞ? 全く、恐ろしい魔術師だな」


 そう言いつつも魔王の身に宿る魔力に陰りは一切見られない。傷が付いているようにも見えず、どうやら完全に防ぎ切ったようだ。とはいえ現実的に考えて、アレを受けて無傷とは考えづらい。


「何か裏があるな?」

「さてな。長生きするとどうも姑息になりがちだが、余が何かしたところで貴様からすれば児戯みたいなものよ」

「ハッ! よくわかっているじゃないか魔王よ! その通り、貴様が何をしようと関係ない……その小細工ごとぶち破る!」


 そうして再び始まる魔術合戦。ミストが大量の爆発魔術を放てば、魔王は一振りの極炎魔術でその全てを破壊する。魔王が光線を放てば、ミストは反射魔術で跳ね返す。


 互いに一進一退の攻防。二人共無限に魔力があるのではないかと思うほど大規模魔術を連発するが、疲労の色を見せることはなく、戦いは永遠に続くのではないかとすら思われる。


 そんな戦いに苛立ちを覚えたミストが舌打ちをする。


「ちっ、これでは埒があかんな」

「この魔力は……」


 これまでとは異なる異質な魔力の流れを感じた魔王クロノは、一気に警戒の度合いを跳ね上げる。かつて感じた邪神の力。その一端がミストの中から溢れだしてきたのだ。


「不味いな。器から漏れ始めたか……」


 出来れば事が起きる前に妨害しておきたい。そう考え一歩踏み出した瞬間、とてつもない魔力の重圧が襲い掛かり、その場に拘束されていまう。


「むぅ……これは……」


 その魔力の出処を辿ると、一人の神官に行きつく。一人一人がとてつもない実力者だが、魔王から見ればその神官は頭一つ以上抜けていた。


 下手をすれば己以上……部屋に入った時からその魔力の強さ、そしてその質を感じ取り歓喜していたが、こうして敵に回ると厄介極まりない存在だ。


「まったく……ままならぬ……」


 この重力魔術を弾くには時間がかかるだろう。そして、この拘束から抜け出す頃にはミストの準備は終わっているに違いない。


 そしてその予想通り、重力魔術を弾き飛ばした魔王の見た先には、身の毛もよだつほど邪悪な魔力がミストの周囲を渦巻いていた。


 長い髪が魔力に当てられて揺らめき、その美しい黄金の瞳と同色の魔力が昏い闇色と同化して妖しく輝いている。忘れたくても忘れられない、世界を滅ぼさんとする邪神の魔力そのものだ。


 それを身に纏う少女は、獰猛な笑みを浮かべて魔王を見下しながら宣言する。


「ハッ! よくぞここまで喰らい付いた! 貴様は確かに魔の王として十分な実力を持っていたぞ! だがしかし相手が悪かったな! 貴様が相手にしているのは天魔無双の大魔術師にして神をも下す絶対の支配者、ミスト・フローディアだ! 我が魔の深淵、今ここで見せてやろうではないか!」


 そうして掌に集まった魔球はどんどん大きくなり、魔王城の天井を砕いてなお広がっていく。その魔力は魔王が全ての力を集結しても太刀打ち出来ないほど。集まった魔力を見上げながら、魔王は一つ溜息は吐く。


「……ここまでか」

「さあ、それでは幕を引こうか。これが我が全力の一撃……『終焉なる世界』」


 そして――世界から色と音が無くなる。







「くそ! おいお前ら! ミスト様を守れ! あとついでに自分も守れ! 城の崩落に巻き込まれたら流石に俺らでも死んじまうぞ!」


 トールは崩壊する魔王城からミストを守りつつ、全力で他の団員に指示を出していた。


 ミストの放った魔術は神官達のものではない。その一撃は神官達の全力を持ってなお出せないほどの威力で、ミスト自ら放ったものだ。そして、そんな魔術に魔王城とはいえ一つの建築物が耐えられるはずがない。


「くくく……はーはっはっは! どうだ我が力は! あの世界を闇に覆う者とすら謳われた魔王すら、この私の手に掛かればこの様だ! さあ貴様等、括目せよ! 喝采せよ! 我が名はミスト・フローディア! 魔王すら滅ぼす、世界の支配者だ!」


 その言葉に神官達はオオオー! といつものように声を上げてミストを称え続ける。


 しかしその瞳はいつもと違い欲に塗れたものではなく、まるで貴き神を相手にしているかのように心酔し切っていた。


 その事に気付きながら、トールはあえて無視して団員達を率いながらミストを城の崩落から守り続ける。しかし完全に崩れ落ちるまで秒読み。もはや手段を選んでいられる暇はない。


「ミスト様! 愉しんでるとこすみませんが失礼します!」

「クハハ! ハーハッハっングゥ!」


 トールは全力で高笑いをしているミストを抱き抱え、闇の暴風で空けた風穴から一気に外へと飛び出た。同時に重力魔術を己にかけ、まるで羽のようにゆっくりと空を落下する。


 ちらりと後ろを見ると、他の団員達も何だかんだで協力しながら飛び出してくるのが見えた。全員が全員、身体能力が高いわけではないが、他の団員のフォローがあれば何とかなるだろう。


 空を落下しながら、トールは腕の中にいる少女の事を考える。


 あの魔王を滅ぼした魔力は、間違いなく彼女自身、もっと言えば彼女の中に潜む邪神のものだ。かつて世界を滅ぼしかけた、あまりにおぞましい存在だと名前すら記録に残せない神。


 ミストの悪感情ストレスを糧に少しずつ力が強まっていた事には気づいていたが、彼女の機嫌さえ損なわなければ何とかなるとこれまでフォローし続けてきた。


 しかしどうやら魔王との戦いの中で、どうやら決壊してしまったらしい。


 何故、という思いがある。トールがこれまで仕えてきた限り、ミストは派手な戦いに機嫌を良くしてきた。今回の魔王戦など、ミストにとっては最高にテンションの上がるものだったはずだ。


 だというのに、傍から見てもわかるほど、戦いが長引けば長引くほどミストの悪感情ストレスは増していったように見える。


 正直言って、ここで邪神の力が目覚めるのは予想外もいいところだ。このまま行けばそう時間が経たず邪神がミストを取り込み、世界を滅ぼしてしまうかもしれない。


 地面に降り立ったトールは、腕の中で蹲ってる小さな少女の綺麗な後頭部を見つめ、暖かいなぁと思いながら問いかける。


「ねえミスト様。ちょっと聞いてもいいですか?」

「…………」

「ミスト様?」

「っ!? なんだ! もう地面か!?」


 バッと勢いよく離れられてしまい、残念だと思いつつ、しっかりミストを見つめる。そのミストだが、やはり戦いの火照りがまだ取れないのか少し頬を赤らめ、目線を下に下げていた。


「……ふん、それでトールよ、聞きたい事とはなんだ?」


 そんな態度に疑問に思いつつ、トールは改めてミストに問いかける。


「最後の魔術、あれ凄かったですね」

「当然だ。私は最強だからな」

「知ってますよ。けどあれ、俺知らない魔術だったんですけど、どこで覚えたんですか?」

「ん? いやなに、出来ると思ったからやっただけだが?」


 普通、魔術は出来ると思っても出来ないものである。


「……あぁ、なるほど。ミスト様最強ですもんね」

「ああそうとも! 私は最強だからな!」


 しかしトールはそんなことおくびにも出さず、ただただミストを称える事だけをする。どうやら先ほどまで濃厚に感じられた邪神の力は一度引っ込んでいるらしく、今はこれまで通り普通に可愛いミストであることがわかったからだ。


 トールは周囲を見る。今トールがミストと話しているため、神官達は少し遠巻きに会話が聞こえない位置で待機していた。


「ところでミスト様、もう一個聞きたい事があるんですけど」

「ふっ、今の私は機嫌がいい。何でも答えてやろう」

「じゃあお言葉に甘えて……何であんなに焦ってたんですか?」

「っ!?」


 その言葉を聞いた瞬間、ミストはまるで怒られるのが嫌な子供のように一瞬背筋をビクっと伸ばした。さらに目線をトールから逸らす。


 これは確定か、とトールはミストを見る。


「ミスト様、あの魔王と戦ってるとき焦ってましたよね。らしくない。いつもなら全力で高笑いをしながら叩き潰していたのに、愉しむどころか早く決着を付けようと必死に見えました。何か理由があったんですか?」


 もしかしたら、自分が思っている以上に邪神の影響が大きくなっているのかもしれない。そしてミストは自分の心がいつまで持つか、不安に思っているのではないか。そんな予想をトールは立てた。


「…………」


 ミストは黙る。そんな彼女を見守る様にトールはじっと答えが出るのを待つ。


「……魔王は強かった」


 そうして、ポツリと一言零す。ト―ルは焦らせない。ただ頷くだけで、次の言葉を待つ。


「戦いながら、これまでとは違う圧力を感じた。もしかしたら、私よりも強いかもしれない。そんな風に思った時、ふと……」


 そしてミストは周囲を見渡し、神官達が遠くにいて聞こえない位置にいるのを確認する。そしてトールをじっと見つめ、口を再び開く。


「これはお前にだから言うのだぞ。わかっているか? 絶対に他の者には言うなよ」

「わかりました。絶対に言いません」

「絶対だからな!」


 自分だけ、という言葉に特別感を覚えてしまい、つい頬が緩んでしまうのは仕方がない事だろう。そんなトールに気付かず、ミストはポツリと普段の彼女からは想像も出来ない弱弱しい口調で続きを放し始める。


「……ふと思ったんだよ。もしかしたら私は負けるかもしれない。そして、私が負けたら、後ろで我が覇道を信じ付いて来ているお前らは皆殺しに合うだろうと。そう思ったら、早く倒さなければと……っこれ以上はいいだろう! つまり、そう言う事だ! まあ結局私が最強で! 意味のない心配だったんだがな!」


 ふん、と腕を組んでミストは背中を向ける。その小さな背中には信じられないほど思い宿命を背負っている彼女だが、今は可愛らしい少女にしか見えなかった。


「そっか。そうでしたかぁ……」

「おい、何をニヤニヤしている。いいかよく聞け。別に貴様等の心配などしていないからな! ただ、我が覇道の行く末を後世に伝える大事な観客共が死んでは目覚めが悪いと、そう思っただけだからな!」

「わかってますって」

「わかってる顔じゃないぞお前……ふん、まあいい。これで魔王は倒した。後は勇者を倒し、そして世界へ宣戦布告を――」


 そう言いかけた言葉を、トールは最後まで聞く事はなかった。


 何故なら、突然襲いかかってきた魔力光からミストを庇い、右腕を切り落されたからだ。


「ぎっぃぃぃぃぃ!」


 あまりの激痛に呻き声を上げるものの、ミストを心配させまいと何とか歯を食いしばる。そうして涙で歪んだ瞳で光が飛んできた先を見ると、そこには一人の男が立っていた。


「トール! おい貴様、大丈夫か!?」

「ぐぅぅ……だい、じょうぶです! ですから、ミスト様は逃げて下さい!」


 彼女の前に立ち、激痛を我慢しながら青年を睨む。見た事のない男だ。だが面影はある。例え見た目が違っても、あれが何者かはすぐにわかった。


「貴様! 何者だ! まさかこの私の部下を傷付けて、無事に済むと思っているのか!」


 後ろでミストが叫ぶ。自分の事で怒りを覚えてくれるのは嬉しいが、彼女が悪感情ストレスを溜めると邪神の力が増してしまうから、出来れば離れていてほしい。


 そう言いたいが、言えるほどの余裕もなくただ痛みに堪える。


「そうか、この姿ではわからんか。つい先ほどまで死闘を繰り広げていた男だというのに……」


 その男は人とは思えないほど、あまりに美しかった。白銀の髪をまるで女性のように長く伸ばし、漆色の軽防具はその銀を更に輝かせる。何より目を引くのは、まるで神話の堕天使のように伸びた片翼の羽根と、この世の全ての光を吸い尽くさんとするほど黒い剣。


 まるで中二病の権化のような姿だとトールは思うも、その身に宿る力はあまりに強大で、決して笑えるものではなかった。


 男はじっとトールを見つめた後、その背後にいるミストを睨みつける。


「余は魔王クロノである。そして邪神の器、ミスト・フローディアよ。先の戦いで余は確信した。今の貴様の力なら、全盛期の余であれば倒せると。制御しきれていない今ならまだ、余の力とこの黒の剣があれば倒し切れると、そう確信したぞ!」


 そうして片翼を広げ、剣を一閃。それだけでこれまで感じた事のないプレッシャーをトールは感じた。


 ヤバイ、あれは本格的にヤバイ! そう本能が警鐘を鳴らす。あれは、命を賭けた最もタチの悪い存在だ。命を賭けて、こちらを滅ぼそうとする化物だ!


「なればこの命、賭してでも滅ぼそう。この世の先の者達のためにな! 例えこの一時のみの力だとしても、命だとしても、ここで貴様を滅ぼし尽せるなら後悔はない!」


 そして、若返り全盛期の力を取り戻した魔王クロノは、かつて邪神を滅ぼした姿でトール達に向かって一歩踏み出した。

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