第4話 異世界の温泉旅館を堪能せよ! 後編
トールの計画では旅館の案内が終わった後、スムーズにミストを温泉へと誘えていたはずなのだ。しかしである、一緒にお風呂へ行こうというこの言葉、実は中々ハードルが高い。
よく考えて欲しい。
『一緒にお風呂に入ろう』
もしトールがこのパワーワードをさらっと言えるなら、それはきっとチャラ男とかパリピとか、そんな風に呼ばれる人種だったに違いない。
何せ『一緒にお風呂に入ろう』である。
つまり、お互い裸になって全てを曝け出しましょうと言っているようなものなのだ。例え夫婦であっても、恥ずかしいものは恥ずかしい。残念ながら、それなりに器用に生きてきたトールであるが、チャラ男やパリピのような人種とはかけ離れた性格をしていた。
なら普段ベットの中ではどうしているか? と聞かれれば大抵の場合理性などぶっ飛んでいるのでこんな風に考えずにそのままダイブ、と答えが返って来る。
「どうした旦那様? ずいぶんと挙動不審だぞ?」
「い、いや何でもない!」
自分達は夫婦だ。決して付き合いたてのカップルでもなければ、友人関係でもない。すでにお互いの全てを曝け出し、愛し合っている。だからただ一言、言えばいいのだ。
トールは覚悟を決めた。男らしく、しっかりと愛する妻を見つめて口を開いた。
「この後なんだが……お――」
「ん?」
「――っきなカニが出て来るらしいから楽しみだな!」
だが言えない! 例え魔王だろうが邪神だろうが敵対する者に対して臆することなく戦い続けたトールだが、愛しい女性を混浴に誘う事はとてつもない気恥ずかしさを覚えてしまう。
愛する嫁を混浴に誘うだけのはずなのに、まるで初恋をした中学生が意中の相手の連絡先を聞くくらいの勇気が必要だった。
もごもごする男らしくないトールを不審に思ったのか、ジト目でミストは見つめて来る。
「旦那様、何か隠してないか?」
「ななな! 何にも隠してないぞ!」
「そうは思えない不審っぷりだが……まあいいか。というか、確かにカニは美味いと思うが別に王城でだっていつでも食べられるではないか。それよりあれだ、私は温泉というのに興味があるんだが――」
「お、温泉!? 温泉な! あれは良い! 凄くいいもんだ!」
「お、おう……そうなのか?」
「ああ! 暖かい源泉から湧き出る湯は身体と心の疲れを吹き飛ばしてくれるしな! だから一緒に温泉に入ろう! ……あ」
『一緒に入ろう』こればかり考えていたせいで、つい脈絡なくぽろっと心の声が零れてしまう。
「あの、これは……」
言い訳をしようとするトールだが、顔を真っ赤にして視線をそわそわさせるミストを見て思わず口を紡ぐ。
「……だ、旦那様は時々、急に男らしいな。ま、まあせっかくの異世界文化だ。温泉の楽しみ方というやつを現地の人間に教えてもらいながら、というのも悪くない……決して私も一緒に入りたいとか、そんなつもりはないからな! 勘違いするなよ!」
口を紡ぐ代わりに、必死に言い訳をする嫁が可愛すぎたのでとりあえず抱き付く事にした。
貸し切りの混浴露天風呂、と言っても流石に脱衣所は男女別々だ。着替えながら早々に元気になっている己の下半身に若干呆れながら、先に温泉に入ったトールはミストを待っていた。
「てか旅館といい、この温泉といい、マジでこの再現度凄いな……」
岩で囲まれた露天風呂は、空を見上げれば明るい星々が照らしている。周囲にはしっかり葉を付けた木々が柔らかい自然の様相を映し出し、心を落ち着かせてくれる――はずだった。
「ヤベェ……マジで心臓破裂しそう……」
そんな自然の中で、何時も以上に丁寧に身体を洗ったトールは湯に浸る。源泉から引いている温泉は普段王宮で使用している風呂とは違った心地良さを与えてくれるのだが、それに反してトールの心は温泉に集中できないでいた。
湯に浸かってから少しして、カラカラカラっと脱衣所からスライドされる木扉の音が聞こえてくる。
「っ!」
思わず振り返りそうになるが、それでは盛りの付いた獣と同じだと心を抑えつける。ビークール、ビークール、と謎の言葉を呟きつつ、耳は全力で背後の音を拾おうと集中する。
柔らかい足音がゆっくりと、躊躇いがちに近づいて来るのがわかった。そしてその足音は、トールの背中すぐ近くで止まる。
「このまま、入っていんだよな?」
姿は見えずとも、聞き慣れた銀の鈴音のような美しい声から、彼女も緊張しているのが良く分かる。トールはその言葉に頷くだけで、何も言わなかった。その仕草を見たミストは、ゆっくりとトールの横に足を入れる。
顔は動かさず視線だけをチラっと向けると、故郷の雪を思い出す美しい足が水面に波紋を揺らしながら入っていく。
それは足だけでなく、太腿、腰、身体、胸、そして肩を沈めてようやく全身を温泉に浸らせる。
「ほぅ……」
常日頃の威風堂々とした姿からは考えられない、あまりに緩んだ頬。湯が気持ちいいのだろう、目を閉じて顔は空に向け、ふぅ、と小さな息を何度も繰り返す。
隣に自分がいるというのに、とてもリラックスした表情だ。それだけ信頼されていると言う事を思うと、嬉しくなった。
だが逆に、トールはリラックスなど出来るはずがなかった。
長い黄金の髪は濡れないようにするためか、小さなタオルで巻いており、普段見ることの出来ないミストの姿に心臓が跳ね上がりっぱなしだ。ミストが小さく息を吐くだけで、こちらの心臓が飛び出そうな程の色気を持っている。
「なるほど……これが温泉か……なかなかいいものだなぁ……」
囁くようにミストが言う。
そうして初めて、トールはしっかりとミストの方を見る。事前に説明した通り、タオルは置いてきたようだ。ミストはその身に何一つ纏うことなく、美しい肢体を惜しみなく晒していた。
星空の下で見た彼女の体は、まるで幻想的でどこか別世界に迷いこんだような錯覚さえ覚える。
温泉の気持ち良さに蕩けそうな顔をしていたミストだが、トールの視線に気付いたのだろう。恥ずかしそうに身体を手で軽く隠す。そんな仕草が余計にエロいのだとは気付かずに。
「……旦那様よ。あまりじっと見られると、流石に恥ずかしいのだが」
「大丈夫……いつもと同じ、いやそれ以上に綺麗だから」
「……馬鹿者め」
ほんの少しだけ、ミストは距離を縮めてくれる。丁度手が肩に回せる距離だ。
甘えベタな彼女はたまにこうして、して欲しい事を行動で表現する。もう何年も傍に居続け、彼女の意を汲んできたトールにとって、こうした仕草一つでミストが何を求めているのかすぐにわかった。
「ん……」
肩に手を回して身体を寄せる。小さな体だ。この世界に来て必死に鍛え上げたトールからすれば、こんな小さな身体が大陸の全てを握っているとは今でも信じられなかった。
「はぁ……気持ちいい」
ミストが恍惚とした声でそう呟く。何が? とは聞かない。もちろん温泉に決まっているからだ。だがそうと分かっていても男は本能的に立つものだ。
我慢など……出来る筈がなかった。
「ミスト……」
「ん?」
声をかけると、可愛らしく見上げてくる。その紅い唇は瑞々しく水滴を纏っていた。それをふき取るように、そっと舌で舐めてやる。
「ぁ……」
ミストは驚いたように小さく呟くが、嫌ではなかったのか顔は下げないまま見上げてくる。今度は唇を舐めるのではなく、ゆっくりと顔を落としてキスをする。
「ん……ぁ……んぁ」
ぴちゃ、ぴちゃ、と身動ぎのせいで温泉が波紋を生み出されていく。最初は小鳥が啄むようなキスだったが、段々と水音を含み、音は激しく互いを求めあうように舌を絡ませ合った
「はあ……はぁ……ぁぁ」
求めあうのは唇だけではない。ミストは体勢を向かい合う様に変え、その手と足をトールの背中に回し、正面から抱き合う様にしながらキスを止める事はしない。
そんな彼女が動きやすいようにサポートしながら、トールは肩に回していた腕を太腿の後ろと背中に変え、抱き抱えるように密着させる。
男とは違う控えめながらも柔らかい肌。それを全身に感じていると、幸せな気持ちになる。特に色々な部分が擦れて、とても気持ちいい。
「だ、だんなさまは……はぁ、ぁ……えろいなぁ……ん」
ミストはそんな事を言いながら、背中、首筋、耳裏と掌で撫でる位置を変え、しかし顔だけは離さずにずっと唇を合わせ続ける。
そんな一生懸命な彼女が愛らしく、そして少しだけ悪戯心が沸いてきて、絡み合っていた唇を離す。すると寂しそうな顔で睨んでくるから面白い。
トールは唇の代わりに、自分の指をそっと近づける。するとミストはその指をチロチロと赤い舌で何度か舐め、そのまま口へと含んでくれた。
ちゅっちゅと水気のある音を鳴らしながら、吸い付く姿はとても艶めかしい。
普段とは違う、星空の下での行為にミストも興奮しているのだろうか。いつも以上に積極的な愛情行為だ。
ミストが自分の指をトールの唇に当ててきた。舐めろ、という事だろう。トールはミストと同じように、優しく、丁寧に、だけど積極的になめ合う。
上下に顔を揺らしながら一生懸命自分の指を舐めてくれる愛しい人を見て、興奮しない男はいないだろう。
トールは舐めていた指から唇を離すと、ミストの口から指を引き抜く。そうして空いた唇をもう一度重ね合わせた。
ミストの頭に巻いていたタオルが水面に落ち、長い髪がサラリと舞うが、二人は気にしない。ただひたすら互いを激しく求めあう。
それをしばらく繰り返し、互いの唾液が絡まり糸を引きながら、恍惚とした表情のミストを見つめる。
「ミスト……」
「……ぁぁ」
お互いが何を求めているのか、言わずともわかった。そうして月と星が照らす、誰もいない世界で二人は重なり合った。
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