第5話 魔界の情勢を収集せよ!
聖剣の勇者としてセイヤが魔界に召喚されて一年が経った。
戦力としては強大な彼だが、戦争とは一人で行うものではなく、彼がいくら孤軍奮闘したところで、戦況が良くなる兆しは見られない。
幹部と呼ばれる魔人達を倒しても敵の情報は得られず、制圧された街を救出しても心を折られた魔族達は新たな戦力として機能せず、セイヤ一人では街を守り切る事も出来ないまま再度制圧されてしまう。
対して魔人側の戦力は本当に削れているのかと思うほど、その数の底が見えなかった。ここ数日はだいぶ数も減っているようにも感じるが、それも大侵攻の前触れではないかと疑わずにはいられない。
「……くそ、マジでそろそろ限界か?」
日夜問わず襲い掛かる魔神軍に、イリーナ率いる魔王軍は疲労の限界が近づいていた。常に最前線で戦い続けているセイヤは、日に日に弱っていく仲間達を見て、先の未来に不安を感じてしまう。
「大丈夫よ」
そんなセイヤの不安を吹き飛ばすかのように堂々と、それでいて氷のように冷たい声がセイヤの背後から聞こえてきた。振り向くと、長い白銀の髪を揺らしながらイリーナが隣に来て、そっとセイヤの手を握る。
「大丈夫……私達はまだやれるわ」
「姫さん……」
その言葉に力はあるが、それがやせ我慢であることは一目瞭然だ。なにせ眼の下にはもはや化粧ですら誤魔化せないほど深いクマが出来上がり、疲労を隠しきれていないのだから。
「……休めって言っても、聞かねえよな」
「当然ね。休んでいる暇などないわ」
魔王の娘として魔王軍を率いて戦って来た彼女だが、その戦闘面での負担、未来への重圧、精神的な不安は当然他よりも遥かに重い。だというのに、セイヤは彼女が満足に休んでいるところは見たことがなかった。
抱き締めれば折れてしまいそうなほど細い身体。こんな彼女が、今の状況をいつまでも耐えられる筈がない。
「まったく……羽虫のように沸いて来るわね」
イリーナは冷たい瞳で城壁の外を見下ろすと、襲い掛かる魔獣に向けて軽く手をかざす。
それだけで数十匹纏めて氷漬けにしてしまうのだから、この防衛戦において彼女の存在は不可欠となってしまう。なにせ二度、三度と何度も同じ動作を繰り返すだけで、大地を覆う魔獣の群れを殲滅してしまうのだから。
「ふぅ」
「お疲れさん」
「……貴方は見ているだけだったわね」
「いや、あの氷の魔術の中を突っ込んだら流石の俺でも死んじまうから」
辺り一面氷雪の大地となった魔界を見下ろし、自分がその場にいたとしたらゾッとしてしまう。
イリーナの魔力はかつて戦った魔王クロノすら超え、魔界において彼女に追随する者はいないだろう。世界中を回ったセイヤから見ても、明らかに飛び抜けた才能だ。
こと魔術においては、ある一人の人間を除けば間違いなくトップに位置する。
とはいえ、本音を言えばこれ以上彼女に無理をしては欲しくなかった。
「……まあ、だからといって引っ込まれたら負けちまうんだが」
本来なら魔王として指示を出す立場であるが、最高戦力の一人として最前線で戦わざる得ないほど、状況は切迫しているのだ。いくらセイヤが彼女の事を思おうと、現実はそう簡単にはいかなかった。
「……セイヤ」
「ん、なんだよ姫さん。ジッと見つめて」
無表情で見上げて来るイリーナに、セイヤは首をかしげる。そんな彼を無視して、イリーナは一言――
「褒めなさい」
「……は?」
「私は今回頑張ったわ。貴方が間抜けな顔をして見ている間、敵を殲滅したの。だから――」
「だから?」
「褒めなさい」
「お、おう……」
無表情で見つめて来るイリーナから、凄まじい圧力を感じる。父に甘えた経験のない彼女は、時折こうして無表情で褒めろとアピールをしてくるのだが、今回ほど圧力を感じたことはなかった。
気圧されるようにセイヤが手を伸ばし頭を撫でると、まるで猫のように目を細めて気持ち良さそうな表情をする。妹はいないセイヤだが、なんとなくいたらこんな感じなのかもしれないと思ってしまった。
「報告します!」
「っ!」
だがほんの僅かなほのぼのとした時間は、勢いよく駆けてきた兵士によって打ち切られてしまう。
「ど、どうした?」
セイヤは慌てて手を離し、イリーナは総大将としての威厳を見せた態度に戻る。
兵士は一瞬セイヤを睨んでから、すぐさまイリーナへ向き直った。
「北の斥候から連絡が入りました!」
「……そう。それで?」
約一か月前、包囲されていたセイヤが魔物を殲滅したタイミングを見て、魔王軍は魔界各地に斥候を出していた。これまではセイヤ一人しか大陸を見て回る事が出来なかったため断片的な情報しか得られなかったが、少しでも各地の情報を得る事が出来ればという思いで出した斥候達だ。
もはや魔界において魔族が安全に生きられる場所はない。そんな危険な任務に当たってくれた者達が、無事に帰って来てくれた。それだけでもイリーナにとってはありがたい話だ。
一人の斥候が前に出る。
「――は! 最北の城塞都市フェニクスが陥落しておりました!」
「……待て、フェニクスは俺が見に行った時はもう陥落してたぞ」
かつて召喚された当時、まだ現在ほど魔王軍が押し込まれていなかった時、セイヤは魔界中を渡り歩き魔神軍の幹部達を襲撃していた。
セイヤがその気になれば軍ごと壊滅に追いやる事が出来るのだが、最初の一回でそれが無意味である事に気付いてしまう。
街を解放しても、蹂躙された住民達の心が折れており、次に繋がらないからだ。セイヤが離れれば再度蹂躙される。セイヤの身は一つしかなく、守れる物がわずかばかりでは、何の意味もなかった。
城塞都市フェニクスもそんな街の一つだ。かつて街に潜入したセイヤは、その惨状を見て他の街同様、住民達の心は完全に折れ、立ち向かう気力など残っていないのが一目でわかった。
故に放置した。現在セイヤ達が主戦場としているこの南の城塞都市ゲンブとは距離も離れており、仮に街を解放したところでそれ以降助ける事など出来る筈がなかったからだ。
「……フェニクスは陥落していたのね?」
イリーナが意味深に問いかけると、兵士は再び大きく頷いた。
「いやだからフェニクスは――」
「何者の手によって?」
「……なに?」
イリーナの言葉に、セイヤは己が思い違いをしている事に気付く。そしてその考えを証明するように、兵士は大きな声で叫ぶ。
「城塞都市フェニクスは現在、所属不明の部隊によって解放されました! その部隊は突如現れると、魔神軍に宣誓布告! そしてそのまま戦闘に入り、魔神軍を鎧袖一触! まるで羽虫を薙ぎ払うが如く蹂躙し、わずか一日で城塞都市フェニクスを制圧してしまいました!」
「なっ!」
その言葉にセイヤは驚きを隠せない。魔神軍は決して弱くはない。少なくとも並の魔族が太刀打ちできる相手ではない。特に城塞都市フェニクスは魔界でも五指に入るほど堅牢な都市だ。
それがたった一日で陥落させたと聞き、驚きを隠せない。
「報告します!」
そしてその驚きは新たな斥候の情報によって更に上書きされる。
「北の大地にて魔族達が一斉蜂起! 次々と魔神軍に対する襲撃を開始! 解放した街や村の魔族達を取り込んで、勢力を拡大しています!」
「……マジか?」
セイヤは直接見たから知っている。魔族達がどれだけ痛めつけられ、そして心が折られてきたのかを。だからこそ、この報告が信じられなかった。
「報告します! 北に新勢力あり! すでに北の大地から魔神軍の勢力は駆逐され、魔族軍の勢力は拡大する一方です!」
「報告します! 魔族達を率いて先陣に立つのは見た事もない種族です!」
「報告します! 北の勢力を率いてるのはどうやら女性のようです!」
「報告します! 圧倒的なカリスマを持った一人の女性が、魔族を次々と取り込み今では一大勢力となっております!」
「報告します!」
しかし斥候達は次々と戻って来ては同様の、もしくはそれ以上の情報を報告してくる。その内容は決まって、北の大地は一人の少女によって解放されたという事だ。
集まって来る情報は全てが正確な訳ではない。しかしこれだけ同じ情報が持ち帰られている以上、信憑性は高かった。
「……いったい、何が起きているというの?」
流石にイリーナもこの状況に困惑を隠せていない。もちろんセイヤも同様だ。魔界の住民達がどれほど絶望に陥っているか、彼等は知っている。知っているからこそ、この地以外の魔族達が立ち上がり戦っている事が信じられないのだ。
「まさか……まさか!」
「セイヤ?」
だがイリーナと違い、セイヤにはこれらの現象に一つだけ心当たりがあった。ただそれは、出来れば合って欲しくない現実。本来なら歓迎すべき事象も、たった一人の女性によって引き起こされたとしれば、それは決してセイヤ達に対する追い風にはならない。
むしろ、彼女が出てきたとすれば、魔界が更なる闘争の渦に巻き込まれる事に他ならないのだから!
「おい! 誰か、誰かその先導者の名を知っているやつはいないか!?」
セイヤが叫ぶ。報告者達は一瞬言葉に詰まると、互いを見渡し、そして同時に言った。
――先導者の名は、ミスト。ミスト・フローディア。新たな魔王として崇められる存在である。
その名を聞いた瞬間、セイヤは天を仰ぎ、逃げ出したい気持ちを必死に抑えつけるのであった。
「ふはは……ハーハッハッハ! さあ魔界北部は制圧した! 次は東部! そしてそのまま中央を蹂躙し、南部で引き篭もっている魔王軍、そして西でふんぞり返っている魔神共々蹂躙するぞ!」
『オオオオオ! ミスト・フローディア! 我らが新たな魔王、ミスト・フローディア!』
空を浮かびながら解放した魔族達を見下ろし、ミストは再び高笑いを続ける。その背後ではいつも通りトールが控え、次なる計画を練っていた。
「くくく、魔族達も中々に従順で可愛いではないか! さあ旦那様、まだまだこれからだ! 地上、そしてこの魔界が誰の物か、この大地の生きとし生きる全ての物に知らしめてやる!」
「ああ、任せとけ。勇者だろうが、魔王だろうが、魔神だろうがミストの敵じゃねえことを証明してやるよ」
「いいぞ! それでこそ旦那様だ! すでに魔界での基盤も整った! それでは貴様等、カーニバルの始まりだ!」
『オオオオオ! オオオオオオオオオ!』
ミストを称える魔族と暗黒神官の面々達。彼等の心にはすでに恐怖はない。あるのはミストを信奉し、彼女についていくという決意のみ。
そしてそれさえあれば、種族差など些細な物だった。
魔界の地にて生まれた新たな勢力は、これより魔神軍、そして魔王軍をも巻き込み戦乱を拡大させていくことになる。
「さあ魔神とやら、せいぜい私を愉しませてくれよ」
この盤面が非常に愉快であると、そう言ってミストは不敵に笑う。笑い、戦場に立つのであった。
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