第5話

 レッドゾーンの廃墟は、相変わらず気味が悪いほど静かだった。


 ひび割れた道路には放置車両が錆びつき。塗装の剥げた無貌(むぼう)のビル群が陳列(ちんれつ)している。


 またアスファルトと言えば力強い植物が下から強引に顔を出しているか、地衣類に覆われて自然へと帰りつつある。


 人の手が入らぬようになって数十年、街は人の支配から離れて独特な地形に変わりつつあった。


 そんな場所を走るSUVが2台、器用に人のいない車の渋滞を避けながら西へと進んでいる。


 それは横道と春子とアールビーが乗るSUVとジョーとアオザの乗るSUVだった。


「こちら春子、今どのくらい進んでいるんだい?」


 助手席に座る春子がSUVの無線を使って、ジョーたちに話しかけていた。


『こちらジョー、ここはだいたい西第3ゲートから10キロくらいだな』


「了解、それにしても危ない場所で先頭を走らして悪いねえ」


『構わない。ここはまだ俺たちがよく知る場所だ。安全に進むには土地勘がある者の方がいいからな』


「ああ、助かるね。それじゃあ、何かあったら連絡を頼むよ。通信終了」


『通信終了』


 春子は通信を終えると、後ろの席に座っている横道に話しかけてきた。


「それで、横道はどう思うんだい?」


「どうって、何がだよ」


 春子の突拍子のない発言に、横道は答えを迷った。


「長井親子の事だよ。信頼に足りるか、もしくは力として頼りになるかさね」


「そんなの俺にも分からないよ。ただジョーは俺よりも長く特介をやってるし、アオザの近接戦闘も大したものだったよ。あれはつい最近始めたような実力じゃなかった」


「手合わせした感じかい? まあ、コウレイやコウレイゾンビとの近接戦闘なんてよっぽどのことがない限りあり得ないからねえ。でもアオザに関しては別のことが気になるんだよ」


「別って何だよ?」


「どうなんだい? その歳で恋の1つや2つ味わってみたらどうさね」


「――っ! あってばかりの女性にそれは早すぎだろ!」


 横道が慌てて否定するのを、春子は悪戯(いたずら)っぽい笑みでもって受け止めた。


「その様子じゃ脈無し。ってわけでもなさそうだね。アタシもそろそろ孫の顔が見たくてねえ。どうだい? 横道からアプローチしてみたら」


「俺もアオザもお互いの事は知らないんだ。そもそも歳は3つくらい離れてる。そんな関係になるには若すぎるだろ」


「アタシから見れば3年なんて瞬(まばた)きするほどの束の間だよ。それに付き合ってからお互いを知るのも悪くないじゃないか。おまけに特介なんて仕事してたら同い年の相手なんてそうそう見つからない。早いうちに相手は見つけておくもんだよ」


「分かった。分かったって。考えておくよ」


 横道は春子にからかわれるのに堪(たま)らず、強引に話題を終了させた。


 そんな時だ。アールビーが急にSUVの速度を落としたのだ。


「どうしたんだい? アールビー」


「ジョーのSUVが停車しました。状況は現在確認中です。無線での通信を推奨します」


 アールビーの言う通りだ。春子は無線を前方のSUVと繋ぎ、ジョーに理由を訊いた。


「こちら春子。こんな場所で止まるのは危なくないかい?」


『いや、鹿がな……』


「鹿だって?」


 春子が助手席の窓から外を伺う。すると確かに、SUVの前を鹿の集団が闊歩(かっぽ)していた。


「結構多いねえ。20頭くらいはいるんじゃないかい?」


『ああ、こんなに繁殖しているものなんだな』


 気づけば、ジョーのSUVの横にも好奇心旺盛な小鹿が近づいている。


 ただし小鹿の迂闊(うかつ)さを注意する別の鹿によって、それは遮(さえぎ)られた。


「親子かねえ。仲睦まじいじゃないか」


『……そうだな。親子が一緒にいるのはいいもんだ』


 ジョーが感慨深そうに呟く。そうしていると、急に無線が女性のものに変わった。


『こちらアオザ。春子さん。ちょっと質問いいですか?』


「何だい? こんな老いぼれが答えられることならいいけどねえ」


「春子さんと横道は、親子なんですか?」


 春子はきょとん、とした顔で横道と目を合わす。無線を変わってまでする質問にしては何気ない日常のような発言だったからだ。


「正確には義理の親子だねえ。血のつながりはないよ」


「……そうですか。それでも、羨(うらや)ましいです」


 アオザはそう言うと、あっさり無線を変わってしまった。


「何なのかね?」


 春子も横道も不思議そうな顔をしたが、緊急の要件でもないので頭の片隅にでも追いやることにした。


『このままじゃあ進めない。方向を変える。いいな』


「了解。抜ける道は任すよ」


 ジョーの乗ったSUVは進路を変更し、大きく左に曲がって別の路地に入ろうとした。


 だが、それはアールビーの報告によって中断された。


「警告、コウレイゾンビを発見しました。対応を求めます」


 コウレイゾンビは横道たちのSUVの右側、ジョーの乗ったSUVの曲がろうとした方向とは反対の路地から突如現れた。


 数は3体。どの個体も人間らしからぬ位置に五体が生えており、一目で人ではないと分かった。


「相手にしてる暇はないよ。さっさと進みな」


『ああ、そうだな』


 春子もジョーもここでの戦闘は無意味と判断し、そのまま左の路地に入ろうとした。


『おい、アオザ。よせっ! 外に出るな』


「!?」


 横道たちが前を見ると、何故か助手席から飛び出すアオザの姿が見えた。


 アオザは迷いなく、真っすぐにコウレイゾンビの方向へ向かっている。


「何してるんだい!? あの子は」


 横道も春子も咄嗟(とっさ)にアオザに続き、ドアを開けて外に飛び出た。


 アオザはと言えば、拳銃で牽制(けんせい)もせずにコウレイゾンビに走り寄っている。これではあまりにも無防備だ。


 コウレイゾンビの方は、まだアオザに関心は向いていない。今は目の前で足がもつれて逃げ損なっている小鹿と傍にいる親鹿に気を取られていた。


「止めなさいです!」


 アオザはコウレイゾンビの前で体勢を変えながら身体を捻(ひね)る。


 そうして浴びせるように繰り出された変則的な蹴りは、コウレイゾンビの身体を強(したた)かに叩いた。


 それは躰道(たいどう)における卍蹴りと呼ばれる技だった。


 アオザは体勢を元に戻すと、小鹿とコウレイゾンビの間に割って入った。


 その手には今、拳銃とナイフが握られている。


「私が相手になるですよ!」


 アオザは果敢にコウレイゾンビに挑むが、1人ではあまりにも無謀だ。


 それでもアオザの技は冴えわたる。最初は腰を落とした状態で空手の突きの要領を使い、ナイフを突き立てた。


 ナイフの目標は心臓、腹部。正確に刺されたコウレイゾンビからは鮮血が噴き出した。


 先頭のコウレイゾンビはそうして力なく倒れ、残りは2体となった、


「アオザ! 海老蹴りで距離を取りな!」


 アオザの元に駆け寄る春子が、アオザにそう命じた。


 アオザは言われると、即座に行動に移す。


 一瞬コウレイゾンビの前からアオザの上半身が消えたかと思うと、直線的で鋭い後ろ蹴りがコウレイゾンビの身体を2体巻き込んで吹き飛ばした。


「横道は左を頼むよ」


 横道も春子も、常備していた拳銃でコウレイゾンビを狙う。


 拳銃では頭部を正確に狙えないので、撃つべき場所は重要な臓器のある胴体だ。


 横道と春子は鉄板を叩くような乾いた音を立てて、拳銃を連射する。すると、たちまちコウレイゾンビは身体に穴を開けて横に倒れた。


 横道と春子は全弾撃ち切ったのを確認し、すぐさま弾倉を変える。


 そして更に近づき、倒れたコウレイゾンビの頭に2発、心臓部分に2発浴びせた。


「大丈夫かい、アオザ」


 コウレイゾンビが動かなくなったのを確かめ、拳銃を仕舞った春子はアオザに話しかけた。


 当のアオザの方は逃げていく親鹿と小鹿の様子を眺め、どこか上の空であった。


「しっかりしな、アオザ! アンタは大事なチームの一員なんだよ! 自分の身を危険に晒すのは止めな!」


 春子の迫力に押され、アオザは目が覚ましたかのように春子の顔を見た。


「ご、ごめんなさいです。でもどうしても、見過ごすことができなかったのです……」


「鹿の事かい? それくらいで動くんじゃないよ。自分の命の方が大事じゃないかい」


「それくらいって、私が何をするかなんて私の勝手じゃないですか!」


「だから、それがチームにとって迷惑なんだよ!」


 春子とアオザが言い争うのを、横道はやれやれと言った様子で眺めていた。


 だがそんな小競り合いは長くは続かない。


 先に異常を察知したのは横道だった。


 ビルの壁面から虚ろ気な両腕が見えたかと思うと、何の余韻もなく幽霊のような女性の上半身が出現した。


 コウレイだ。コウレイが今、話に夢中な春子と横道に触れようと、その冷たい両手を伸ばしている。


「っ! 顕現(けんげん)しろ、ノーヘッド!」


 横道は躊躇(ためら)う時間もなく、自身の持つコウレイを出現させる。


 ノーヘッド、頭蓋のない半透明のガイコツが女性のコウレイの両腕を掴み、春子とアオザに触れる寸前で止めた。


「わっ、と。何だい何だい!」


 自身に近づいてきたコウレイの存在をやっと察知した春子は、意識を失いかけている横道とアオザを掴み、その場を離れる。


 そのまま春子はSUVの傍まで逃げると、横道とアオザを解放した。


 ノーヘッドと女性のコウレイはビルの傍でまだ競り合っている。


 ノーヘッドはむき出しの両顎を食いしばり、必死で抑え込もうとしていた。けれども女性のコウレイは、平然とした顔でノーヘッドの顔をまじまじと見る隙さえ見せていた。


「守護コウレイか。噂で聞いていたが、俺以外に所有者がいるとはな」


 そう発言したのは横道たちではない。遠くの放置車両の上でこちらの様子を伺っていた別の存在が、横道たちに向けて言葉を発したのだ。


「久しぶり、というべきか。俺は地獄の縁(ふち)から帰ってきたぞ。春子さん」


 その男は春子の顔を見て、懐かしそうに名前を呟(つぶや)いたのであった。

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