感染性コウレイ問題

砂鳥 二彦

第1話

 人は歳をとって死にたくはなくなった。


 それは不死や不老への願望ではない。歳をとって死ぬと、人は愛する人を殺す悪霊に変わってしまうようになったからだ。


 推定65歳以上で人が死ぬと、悪霊を生み出す。人々はその悪霊をコウレイと呼んだ。




 波紋のように鼓膜を揺らすサイレンが周囲に野次馬を呼び寄せ、住宅街は騒然とした状態になっていた。


 玄関から出た人々は止まっている救急車を見て、「何なのかしら?」とか「誰か倒れたのかしら?」とか「まさか、亡くなったんじゃないの?」と勝手な噂をしていた。


「霊界堂(れいかいどう)横道(よこみち)さんと轟院(とどろきいん)春子(はるこ)さんですね。どうぞこちらへ来てください!」


 バックドアの開いた救急車の中から、救急救命士が2人の男女を呼んでいた。


「それで状況は?」


 1人は男性で霊界堂横道と呼ばれた若い青年だ。170センチくらいの平均身長と歳相応の体型をしており、長い黒髪を後ろに結っている。顔立ちはまあまあ良く、ジト目とも思える座った眼は貫禄(かんろく)を表しているかのようであった。


「慌てることないよ、横道。いつもの仕事なんだ。気楽にやろうさ」


 もう1人は轟院春子と呼ばれた女性だ。こちらは180センチくらいの高身長で、モデルのようにスリムな体型だ。ただし見た目の年齢は70歳相当と予想された。


 また女性の頭部は、綺麗な銀色の白髪が滝のように流れ、規則正しいウェーブがかかっている。顔を見ると、年輪のように刻まれたシワとオウムのくちばしのように長い鼻、それと繊月(せんげつ)みたいに長い口角が印象的だった。


 魔女、春子の第一印象を語るならその表現がぴったりだった。


 ただ違うのは、女性の背が曲がっていないのと笑顔がキュートであることだ。


「気楽にやれるような仕事じゃないだろ。人が死んでいるんだぞ」


「人間はいつか死ぬさ。問題はどうセクシーに生きたか。それだけさ」


「……。相変わらず独特な死生観だな。ともかく、仕事にとりかかろう」


 横道と春子は救急救命士に促される形で、ストレッチャーに乗っている女性に近づく。


「亡くなってどのくらいだい?」


 春子の問いかけに救急救命士は固い顔で答えた。


「心停止から20分経っています。規定通り心臓マッサージを続けていましたが、反応はありません。現在は心マハーネストで蘇生処置を継続中です。何分私は高齢者の死亡ケースの取り扱いが今回初めてなもので……」


 高齢者の死、寿命による死、それは本来医療の現場にとって珍しくない出来事だ。少なくともほんの数十年前まではそうだった。


 人がめったに寿命で死ななくなったのは、ある現象が原因だ。


「コウレイ化現象まであまり時間がないねえ。心マを続けながら冷凍処置に入るよ。横道、冷凍剤を点滴へ」


 横道は春子に言われた通り、銀色の注射器を取り出して中身の溶剤を点滴に加えた。


「本格的な死後の処置はうちのSUVに移してからにしようかい。手伝いな! ストレッチャーを動かすよ!」


 春子の号令に動かされた救急救命士たちは、ストレッチャーを救急車からおろす。


 そしてそのまま、近くに止めてあった霊柩車(れいきゅうしゃ)のように後部座席が増設された、サイレン付きのSUVへストレッチャーを滑らせた。


「じゃあ、気長に急ごうかい。どうせ慌てたって車のスピードは限界があるからねえ」


 春子はそう嘯(うそぶ)くと、横道と共にSUVに乗り込もうとした。


「あ、あのひとつだけ聞いていいですか?」


 春子がSUVに乗り、ドアを閉めようとした時。救急救命士のひとりが春子に尋ねた。


「何だい?」


「あまりに年上で驚いたのですが、アナタも高齢者ですよね。アナタはその歳での死が、怖くないのですか?」


 春子は少し悩んだように顎をさすり、それから答えを出した。


「そうさねえ。これだけ長生きすれば死自体は怖くないねえ。ただコウレイになって大切な誰かを傷つけるのは怖いさ。だけどねえ」


 春子は救急救命士の鼻先で人差し指を立てた。


「こんな歳になっちまうと、他人(ひと)に対する迷惑なんて構わなくなっちまうんだ。それは特権さ。長生きするのは良いことなんだよ。だから私は、最後までセクシーに生きるのさ」


 春子はそこまで言うと、同乗している横道に急がされてドアを閉めた。


「さて、状況はどうなんだい? アールビー」


 エンジンを吹かせてSUVを発進させたのは、運転席に乗っている人型の機械だ。


 名前はアールビー、ヘプタボットという総称のあるアンドロイドで、多面体の頭部が特徴的だ。


 フレームの色は医療用のように真っ白で、赤いモノアイの頭部カメラが周囲を観察しながら運転をしていた。


「3分の遅れです。想定コウレイ化現象までおよそ9分。ホスピタルにある電気火葬炉まで間に合いません」


「じゃあ、壁の外で処分するしかないねえ。目的地は?」


「西第3ゲートが最寄りです。ルートは検索済みです。現在向かっています」


 SUVの内部は運転席と助手席、それにドア側を背にした電車のような後部座席がある。後部座席の中央にはストレッチャーに乗せられた女性の遺体が配置され、どんな処置も可能になっていた。


「時間的に細胞壊死が始まっている。そっちに保冷材はないか?」


「ほい、あったよ。保冷剤だけじゃ足りないねえ。肺も冷やしておこうかい」


 そう言うと春子は呼吸器のようなものを女性の遺体の口に装着させる。そうして近くの装置のスイッチを押すと、身体の中に冷たい空気が送られた。


「とりあえずの処置はこんなものかい。後はたどり着く時間だねえ」


 春子も横道も一通りの作業を終えると、一息ついた。


「それにしても、この人は春子ばあちゃんよりも若いみたいだな。資料によると72歳だって」


「あらま、私は今月で75歳だからまだまだ全然若いねえ。老衰にはちと早いんじゃないかい?」


「資料によると他殺、らしいぞ」


「他殺? こんなご時世に高齢者の殺害とは自殺行為だねえ。まさか、テロリストの仕業かい?」


「かもしれないな。まだ捜査中らしいから推測の域を出ないけどな」


 2人がそう話していると、急にSUVが止まった。


「どうしたんだい? 目的地には早いようだけど」


 春子がアールビーに尋ねると、アールビーは応えた。


「壁の出入り口で検問です。警備兵より停止命令が出ています」


「こっちは特別介護士の車だよ。何で止めなくちゃならないんだい?」


 特別介護士、もしくは特介。それは横道と春子の職業の事だ。


 コウレイ化現象が始まった近年、死亡した高齢者やコウレイの対策を専門とする非介護的な対策部隊だ。


 壁の外であるレッドゾーン、そこへの出入りも特別介護士ならばある程度優遇されているはずなのである。


「検問所のものだ。そちらの責任者は?」


 運転席側の窓から、髭面の警備兵が顔を出した。警備兵はヘルメットと防弾ジャケットを身に着け、左胸にはペンギン印のワッペンを着けていた。


 そして手には実弾の入った機関銃を持っていた。


「アタシだよ。ペンギン印のおまわりさん。サイレンが見えないのかい? こっちは緊急事態なんだよ」


「こっちも仕事なんだ。最近テロリストの活動が頻発している。例え特介だろうと対象だ。中身を改めさせてもらう」


「へー、そうかい。どのくらいかかるんだい」


「すぐに終わる。ほんの10分だ」


「アホかい!? こっちは1分1秒を急ぐんだよ!」


 春子が警備兵と言い争っていると、横道が女性の遺体の変化に気付いた。


 女性の遺体は淡い青色の放光を纏(まと)い始めたのだ。


「春子ばあちゃん! コウレイ化現象が始まった!!」


「っち。言い争っている暇はないようだね。アールビー、緊急命令だ。コウレイ化対策第1条21項目だよ!」


 アールビーはCPU内で優先順位を書き換え、「了解しました」と言うとアクセルを全開にした。


 アールビーの操るSUVはそのまま他の車両を追い越し、ちょうど外へ出ようとする別の車両に割って入った。


 多少板金を引っ掻きながらも、SUVは検問の突破に成功した。


「できるだけ遠くに行くんだよ。場所は構わない。距離が問題だよ」


「了解しました。言いつけ通りスマートにこなしてみせます」


 アールビーはセッティングされたジョークレベル通りの反応をし、アクセルを全開にしたままSUVを直進させる。


 しばらく行くと、SUV内の女性の遺体の放光が弱まり始めた。


「コウレイ化現象が終わりそうだ。もうすぐコウレイが出るぞ」


「分かってるよ! アールビー、そこの十字路を曲がって止めな」


 アールビーは春子の命令通り、正確に十字路を曲がり、SUVを止める。


 SUVを止めた途端、横道と春子は逃げるように外へ飛び出した。


「装備を出しな!」


 横道は急いで後部座席の下部から幅が薄く、縦と横に長いステンレス製の黒のカバンを2つ取り出す。


 取り出したカバンはアスファルトの上に並べられ、横道と春子によって蓋を開けられた。


 横道が開いたカバンには分割された狙撃銃のパーツが入っており、春子の方は円筒状の銃器が入っていた。


「いつも通りに行くよ。私が前線、横道はバックアップをお願いするよ」


「いいのか? そろそろ歳が足腰に来てないのかよ。たまには交代しようか?」


「ハハッ、冗談! 私は一生現役さね」


 2人が準備を完了させると、同じく円筒形の銃器で武装したアールビーが近づいてきた。


「間もなくコウレイ化現象が終わります。よって遺体の周囲50メートル以内にコウレイが出現します。注意してください」


「ああ、そうだね。いつも通りの忠告ありがとうよ」


 春子がアールビーを乱暴に叩くと、2人と1機は背を合わせて来る時を待った。


 そうしていると、開きっぱなしのSUVの後部座席の女性の遺体から光が消えたのは、ほんのすぐのことだった。


「コウレイ出現! 直上5メートル!」


 真っ先にコウレイを発見したのは、センサー能力の高いアールビーだった。


「散開しな!」


 春子の指示に従い、全員が前方へ走り出した。


 それぞれ距離を取り、後ろを振り返った時には空に不気味な影が浮かんでいた。


 影は肉が剥げた人間のような姿をしていた。青白く半透明なシルエットで、右腕が欠損していて。また一部骨格も透けて見えていた。


 コウレイは幽霊化したゾンビ、そんな言葉がぴったりだろうか。


「行くよ。業務開始!」


 春子の言葉と同時に、各員は手持ちの武器を構え、人外となった敵を見据えた。

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