第4話
高くとも5階建てのマンションしかない住宅街を抜けて、横道と春子の乗るSUVは広い道路を走っていた。
正面には西第3ゲートの高い壁と門が見える。それはコンクリート製で、高さが10メートルほどもあり、横へは万里の長城のごとく延々と続いていた。
もうしばらく行くと、検問前の広い駐車場に差し掛かる。運転をしていたアールビーはゆっくりと徐行すると、近場に止めた。
「それじゃあ、長井親子とやらと会うかい。どんな人物なのさ」
「資料と写真は貰ったよ。最近は父親と娘で特別介護士をやってるらしい。父親は10年以上続けているベテランらしいけど、娘の方はまだまだ新米らしいな」
「経験が浅くともしっかり動けるなら問題ないよ。やっかいなのは強気なくせに前線で足を止めるような奴さ。そういう奴は真っ先に死んでいくからねえ」
横道と春子はそんな話をしながら、長井親子を探す。駐車場にはかなりの数の、しかも同業者らしい、横道たちと同じ車種が駐車しているので捜索(そうさく)は困難かと思われた。
だが横道たちには頼もしい仲間がいる。それはアールビーだ。
「顔写真情報入手。該当者を監視カメラより検索……検索……。検索終了。対象は10時方向30メートル先にいます」
「やるねえ。うちのポンコツは」
「70歳以上のばあさんにポンコツとは、これは辛らつですね。と返します」
「……ちょっとジョークレベルを高くしすぎたかねえ。後で頭を開いてやろうかい?」
「ただいま自己診断プログラムを開始します。……終了。当該機に異常はありません。ご心配なく」
そんな風に横道たちがアールビーのガイド通りに進んで行くと、写真と同じ顔の親子を見つけた。彼らが長井親子だ。
「初めまして、俺が長井城だ。アンタがあの有名な轟院春子だろ。俺の事はジョーと呼んでくれ」
見つけたのはこちらだが、先に挨拶をしてきたのは長井親子の父親の方だった。
ジョーと名乗った男は春子に握手を求め、春子はそれに同意して握り返した。
「私の事は春子と気軽に呼びな。こちらは霊界堂横道、呼び捨てでいいよ」
「よろしく。横道」
横道もジョーと握手し、ぎこちない笑顔で愛層を振りまいた。
ジョーは短い茶色い髪をした男性で、顎には髭を生やしていた。おそらく50歳以上の年齢で、歳のわりにガタイはよい。かなり動けそうだ。
服は軽そうな防弾ジャケットとサバイバルに適した分厚い服で、まるで傭兵のような出立(いでだ)ちだった。
「おい、アオザ。お前も挨拶をしろ。これから背中を預ける仲間になる相手だぞ」
ジョーはアオザと呼ぶ自分の娘に呼び掛けるも、反応はいまいちだ。聞こえてはいるようだが準備体操をしたままで、父親に逆らっているかのようだった。
「アオザちゃんは反抗期かい?」
「あー……、まあそんなところだ。先に簡単な打ち合わせをしてもいいか?」
「構わないよ。概要についてはお役人から大まかに聞いているからね」
ジョーは横道たちの前で地図を開いた。それは数十年以上前、普通に市販されていた詳細な地図だ。
また、地図にはいくつか書き込みがしてある。それは壁の場所だったり、通行不可能な場所であったり、逆に通行可能な場所なのだろう。
「俺は何度かこちらのレッドゾーンを行き来したことがある。大体の現状は書き込んである通りだ。後で写しておいてくれ」
「事前情報があるのはありがたいねえ。アールビー、記憶しておいておくれ」
春子の頼みをアールビーは「了解しました」と言って、一眼レフカメラの目で地図をじっくりと見た。
「ヘプタボットか。良いのを持っているな。うちにも1台欲しい所だよ」
「元々介護用だったのを軍の払い下げ品で改造したものでね。性能はうちのエンジニアが仕立てた一級品だよ。金さえあれば紹介するけどね」
「金、金か。俺はホスピタル勤めじゃないからお上のサポートがなくてな。領収書で払うのも難しい自営業者だ。その話はまた今度な」
ジョーは気を取り直して遠征の作戦について語りだした。
「俺たちは4人と1機のグループで行動する。他にも9つのグループがあって、中央部隊の偵察、及びサポートをする形で進む。具体的にはこう、中央部隊を取り巻く円陣だな」
「なるほどねえ。これなら中央部隊は無駄に損耗(そんもう)しなくていいわけだ。おそらく外側の10グループは全員外注だろうね」
「ああ、そうだろうな。とは言っても俺たちは金で雇われたプロだ。やれることをやろう。それに中央部隊も外側のグループが損害を被(こうむ)ったら補給や穴埋めくらいはしてくれるそうだ。悲観することはないさ」
「だといいけどねえ……」
春子が自治政府について不信感を露(あら)わにしたところで、声がかかった。
「誰かミット打ちに付き合って欲しいです」
それは長井アオザのものだった。
「ああ、そうだな。春子か横道、どちらかアオザに付き合ってくれないか?」
「何だい? 親子同士でやればいいじゃないかい」
「あー……、それはちょっとな。頼むよ」
「何だい。じゃあ、横道に頼むとしようか」
春子がビッ、と横道を指さす。横道はそんな急な指名に驚いた。
「俺がか? まあ、断る理由はないけどよ」
「そうだよ。アタシなんかがやったらどこを骨折するか分かったものじゃない。若い者同士、頼むよ」
春子はまるでさっき痛めたかのように腰を押さえた。けれどそれが嘘八百なのは、横道も分かっていた。
横道はジョーのSUVの脇にあった胴体の太さほどもある長方形のミットを手に取ると、アオザに近づいた。
「これでいいのか?」
横道はミットを持ち上げて、アオザの前に立った。
アオザの年齢は横道よりも幼く見えた。茶色の短髪でくりくりの大きな碧眼(へきがん)が印象的な女性だった。
身長は低いものの、栄養が全てそこに行ってしまったように胸の方は豊満(ほうまん)だ。それでもただのぽっちゃり系ではなく、肩や腕や足は太く、とても筋肉質に思えた。
またそんな身体を包み隠す服装はラフで、ジョーのお古を着せたようなシャツとズボンだ。トレーニングの最中なので、そもそもスカートは似合わないのかもしれない。
「もう少し上……そうそこでお願いです。軽くから始めるですけど、力は抜かないようにお願いです」
「分かったよ。さっさと始めようぜ」
横道はアオザに言われても、どことなく自然体で立っていた。いくら相手が腕に覚えがあるとはいえ、女性だ。
つまり何のことはない。横道はアオザのことを見くびっていたのだ。
「いくです」
アオザが構えを取った次の瞬間、横道の前から消えた。
横道からはアオザがミット越しに下へ落ちていくのが見えたので、てっきり足を滑らせたかと思ったほどだった。
だがそれは勘違いだ。気づけば、横道は下から突き上げる打撃で宙に浮いていた。
「なっ――!?」
何だ。という暇もなく、横道は2メートルほど後方へ突き飛ばされていた。不可視の攻撃で力を抜いていたのもあり、横道の身体は後方へ1回転してうつ伏せになってしまったのだ。
「あらあら、まあまあ」
春子が離れた場所で呆れたように呟いていた。
「躰道(たいどう)とは珍しい技を使うものだねえ。誰に教わったんだい?」
「私の妻からだ。元々は空手をやっていたんだが、実戦に使えそうだという理由でな。実際強いぞ」
ジョーは親馬鹿のようにそうアオザを褒めたたえた。
さて、横道と言えばうつ伏せになったまま動かない。これには横道を『蹴った』アオザも心配した。
「だ、大丈夫です? 怪我はないですか?」
アオザが近くに走り寄れば、横道はやっと気が付いたかのようにガバッと上半身を起こした。
「すっっっげえな。お前!」
「は、はい?」
アオザは拍子抜けしたかのような顔で、横道の満面の笑みを見つめていた。
「一体どうやったんだ? 全く見えなかったぞ。ボクシングとか空手とか合気道とか、結構な格闘技は見たつもりだったが。目の前で消える技なんて足払いくらいかと思ったよ。でも違うな。これは突き上げる蹴りだった。でも上段蹴りなら見えるはずだし……」
「え、えーと」
「浴びせ蹴りか? でもそれなら突き上げる蹴りにはならないはずだよな。もしかして蹴りじゃなくてアッパーか? どうだ。あってるか?」
「い、いえ。蹴りですよ。これは躰道(たいどう)における海老(えび)蹴りというものです」
「海老蹴り? プロレスとかのあれか? にしては威力が全然違ったぞ!」
「プロレスとはちょっと違うですね。分かりましたです。ちょっと素振りを見せるですよ」
アオザはそう言うと、横道から距離を取る。そして大きく息を吸って吐いてから、肩に力を抜いた構えをとった。
「では、いくですよ」
アオザの上半身が消えた。横道がそう錯覚するような、それは素早い上体の移動だった。
上半身は目にとまらぬ速さで地面を両手で突き、その形で回し蹴りのような要領で突きあげられた踵(かかと)が天を突いたのだ。
「ど、どうです?」
アオザが蹴りの状態から構えに戻ると、横道は大騒ぎの様相(ようそう)を呈(てい)していた。
「そうか。両手を付いて回し蹴りをするのか。でもその体勢からすぐに戻れるのかよ。カポエラの回し蹴りにも似てるけど、そんなに威力があるなんてな。他にも何かできるのか?」
「え、えーと。じゃあ、卍(まんじ)蹴りとかどうですか?」
「おお、凄い名前だな。頼むよ。見せてくれ」
横道とアオザが楽しそうに話しているのを、春子とジョーは微笑ましく眺めていた。
そんな風に武道の修行に明け暮れていると、時間は間もなく作戦開始の10時を回ろうとしていた。
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