第11話 逃れられない場所
剥き出しの作業用エレベーターがガタゴトとトロッコのように土壁のトンネルを上昇し、その壁を抜け、360度視界が夜空の星空で輝かしい地上へと姿を変える。
日が沈んだせいか、風をきってぐんぐんと動くエレベーターが
「ひゃっほう、ようやく抜けたぜ」
俺は動きが完全に停車したエレベーターから身を乗り出しながら到達地点の屋上の周りを見渡した。
「……あれ、どうなってるのさ?」
だが次の瞬間、我を疑った。
この学校の周りは海に囲まれていたからだ。
さらによく見ていると大量のミリタリー色の物体が海の砂浜にたむろっていた。
それらは、みんなワニだった。
それぞれが口を大きく開けて、鋭い牙をさらけ出し、獲物が来るのを待ち構えているかのように……。
──喜びも束の間とはこのことか。
だけど、どういうことだ。
俺達は陸地に住んでいたはずだし、こんなに大量のワニも校庭とかにはいなかった。
だとすると、この光景は夢か幻なのだろうか……。
「いでで!?」
すると、俺の肩車から飛び降り、隣にいた
「何するのさ?」
「その反応からして夢ではないようですわ」
「だったら自分のほっぺたをつねろよな!」
「嫌ですわ。痛いのはごめんですから」
美希がペロリと小悪魔気味に小さな舌を出し、ゴトンと鈍い振動で停止したエレベーターからピョコンと降りる。
「しかし、凄い数ですわね……
「そう言われてもどうしようもないぜ」
エレベーターから降りた先は学校の屋上で下は
ここは、5階。
地上に向かってロープをたらしたとしても普通に降りられるような高さではない。
だとすれば、この前見せてくれたあの俺の姉の
また、この時間は学生はいないから防犯の目的で鍵の厳重なロックは欠かせない。
それに、頼朝や美希は分からないが、少なくとも俺にはそんな運動神経も器用さもない。
万が一、降りたとしても下には無数のワニが待ち構えている。
自分よりも倍以上の大きな動物さえも捕らえて餌にするワニの力は凄まじく、例え人間が相手でもただでは済まない。
……そんなわけで俺達は他に別の脱出方法はないのかと、周囲の床の角に設置してあるライト型の電球に照らされた広場を探索していると、そこで、さらに事件は起きた。
「ぐっ、ぐうううぅ……」
「頼朝、どうしたのかしら?」
「ぐううう……」
「頼朝、どうしたの?
しっかりして!」
同じく、しゃがみこんで隣で介抱する美希の声も聞こえてないようだ。
「ぐうううぅ……美希、逃げろ……」
頼朝が首を左右に激しくブンブンと振りながら、美希からさっと距離を置いて離れる。
「こ、このままだと、お、お前を殺してしまう……」
「頼朝、何つまらないジョーク言ってるのさ?」
「そうですわ、体調が悪いのでしたら、しばらく横になって……」
「ぐうううぅ、駄目だ、逃げろ!」
頼朝が頭を抱えながら、灰色のコンクリートの地面にガリガリと
「──がああああぁ、ガアアアー!!」
床に血がベッタリと塗られ、物凄い叫び声を合図に頼朝が頭を上げ、体全体がビクビクと
やがて、口から鋭利な物が飛び出していた。
──もう、そこにはもう頼朝という人格はいなかった。
目は血走り、口からは鋭く光る牙が見えている。
そう、彼は人間ではなく、化け物の吸血鬼に
そして、素早くその場を
俺は、美希の前に飛び出して、その彼の行動を止めようとした。
「ごめんなさい」
しかし、美希はそんな俺をフェンス
「な、何考えてる、美希っー!!」
俺は頼朝から離れた形になり、無謀な彼女に思わず暴言を吐く。
「……本当にごめんなさい」
それから美希は吸血鬼に近寄り、彼の体をトンと軽く受け止める。
「頼朝、今までずっと苦しかったんですわね」
美希が頼朝だった者を何も気にせず、そのままぎゅっと優しく抱き締める。
「美希でよければ力になるから、だから、もう苦しまなくていいですわ……」
美希の瞳から同情が
「……だから、私なんかで犠牲になり、みんなを救えるのなら、
好きなだけ美希の血を吸っていいですわ……」
「ギイイイィー!」
「美希、頼朝、止めろ!!」
俺の叫びもいざ知らず、勢いよく迫った吸血鬼は美希の肩を牙を向く。
「そう、それでいいですわ……」
怖さでガクガクと震える美希。
彼女の首筋にズブリと鋭利な牙が刺さっていく。
「ギイイイィ!」
「うっ!?」
痛みでビクビクと体をひくつかせる美希。
「ごほっ、ごほっ、美希たちはどこで……人生を……間違えたのかしら……。
がはっ!?」
そんな
「止めろ、頼朝ー!!」
俺は、すかさずポケットから十字架とニンニクを取り出し、頼朝の体に近づき、これでもかと見せつける。
しかし、吸血鬼からは何も反応はない。
マンテから聞いてはいたが、同じ吸血鬼でもこいつには、これ系統は効かないタイプか……。
「ギイイイィー!?」
いや、効果はあったようだ。
吸血鬼の真っ赤な瞳から赤い血が流れてきたからだ。
心の底から鬼の行為に
「頼朝、お前、まだ意識が……?」
「みき、りゅうた……す、すまない」
吸血鬼は美希の血を極限まで吸いだしたのか、彼女をゴミのように投げる。
美希の温かな顔から血の気が引き、彼女の体がビクリと大きく跳ねて、床へと転がる。
瞳を開けたままの彼女には、もはや生気はなかった。
「……ありがとう。よりと、大好き。だから真っ直ぐに生きて……」
二つの瞳からは涙が流れ出たままだった……。
「──美希、美希、死ぬんじゃないぜ!」
俺は吸血鬼から離れ、すかさず彼女の元へ駆けて、青白い表情の美希を抱えあげる。
「──紅葉君……いや、
「お前な。こんな時に名前で呼ばれても、俺は少しも嬉しくも何ともないんだぜ!」
「うふふ。じゃあ、竜太さんが良かったかしら……」
「そういう問題じゃ!」
「後は頼みますわよ……大好きな竜太さん……」
「えっ?」
「今までごめんなさい。美希は……頼朝と同じくらいあなたのことが大好きでしたわ……。
今までささやかな幸せを、ありがとう……お姉さんによろしくね……。
あと、竜太さんのこと、ずっと忘れませんわ……」
「美希、何言ってんだよ。頼朝と仲良く暮らすんだろ……」
「ええ……。そうですわね……。では……明日は物件を探しに行かないと……」
しばらくして、彼女はその場でビクリと大きく体を震わせ、美希はゆっくりとまぶたを閉じた。
「美希っー!!」
俺は美希だった
彼女はこんな俺を好きでいてくれた。
俺は由美香にそっち抜けで、彼女の答えを出せないままだった。
だが、彼女は最後に勇気を振り絞った。
俺に出来るだろうか。
愛する人を守るために一つだけの命をかける行為が……。
しばらく泣いて落ち着いた俺は、備え付けの木のベンチに美希を横たわらせ、彼女の手を組む。
「今までありがとう、美希」
俺は彼女に最後の挨拶をして、ベンチから立ち去った。
彼女の優しさは無駄にはしない……。
「ギイイイィ!?」
やがて、こちらにくるはずだった吸血鬼も叫び狂いながらその場に倒れる。
その背中には鋭いナイフが突き刺さっていた。
「やれやれ、だから言ったのデスよ。あなた達は無力だと……」
吸血鬼に刺さったナイフをサッと引き抜き、それを床に捨て去り、俺の方へジワジワと歩み寄ってくる。
いつもの黒いローブ姿のマンテだった。
だが、いつものような親しみやすさはそこにはない……。
まるで目の前の生き物を
「……さあ、知ってしまった以上、やるしかないのデスと言いたいところデスが……」
俺の顔をマジマジと見ながら、マンテが攻撃の構えをするりと解く。
「まあ、色々と聞きたいような顔デスから、紅葉君が死ぬ前にできるだけ質問に答えましょうデス」
しばらくして、マンテが屋上の敷地を歩き回り、緑のフェンス前に飾られた花を赤子のように撫でて
今、花を愛する人に悪いやつはいないの常識がひっくり返された……。
「──この作られた景色に納得できましたデスか?
ここは吸血鬼が
「……じゃあ、学校の通学路の景色とかは偽物なのか?」
「はい。ホログラフで出来た
上空から見れば実際には島しかないデス。
──また、この学校の周囲のワニがいる学校側にはワニが学校に入らないよう、見えない透明のアクリル板による分厚い壁で仕切ってあるデス。
──さらに屋上からその壁を抜けても、砂浜はワニがいて、その先には広大な海があるデス……」
マンテが一呼吸ついて、ローブに付いたホコリをはらっている。
「──まさに普段、利用する普通のエレベーターを使い、校内を移動しない限り、あの牢獄からの脱出は自力では不可能に近いデス。
──あと、気になる点はありますデスか?」
「……なら、満月じゃないのに頼朝が吸血鬼になったのは?」
「抗生物質が入った注射器デスよ。満月で吸血鬼になった後は、また再び人間で居られるように、次の日に必ずウイルスを抑えることができるこの抗体を打たない駄目なんデス。月夜の明かりの反動で吸血鬼に戻ってしまうんデスよ」
マンテが黒いローブの裾から、血液の色らしきドロッとした赤黒い液体が入った小型な注射器をチラリと見せる。
「……最後にもうひとつだけいいか?」
「どうぞ、お構い無くデス」
「……やっぱり、俺を
「フフフッ、ここまで企業秘密を知らされて周りにバレないとでも思ってるデスか。邪魔になったから消す。それまでのことデスよ」
マンテがローブに注射器をサッとしまい、緩やかに攻撃の姿勢を固める。
「……いや、消えるのはお前だぜ。マンテ!」
「何でデスか?」
「みき、の、かたき。
ギイイイィー!」
マンテの背後には、ゆらりと倒れたはずの吸血鬼がいた。
俺は、その吸血鬼が立ち上がり、マンテを攻撃するこの機会をずっと待っていたのだ。
それを見計らい、俺は床に落ちていたナイフを拾い、マンテの体に直進して体当たりする形で突っ込んでいた。
「フフフッ。そちらから来るなんて好都合デスね」
すると、マンテの体から二刀の長い日本刀の刀身がギラリとあらわになり、マンテに飛びかかる吸血鬼と、俺のナイフの攻撃を、マンテは素早い居合い抜きで軽々と防いだ。
「何だ……今のは、攻撃されたのか?」
俺は不思議に思い、自身の手のひらで体を触ろうとするが、握った感覚が何か弱い。
そう、俺の手の先の右親指の部分がないのだ。
俺の親指は握っていたナイフと一緒に軽々しく床へと切り捨てられていた。
向こうの吸血鬼に至っては左肩から左腕がない。
「ギイイイィー!?」
「ぐああ、痛いぜー!?」
俺と吸血鬼は痛みでその場に倒れこむ。
「フフフッ。そのくらい
──さて、証拠隠滅に、まずはこの娘さんからデス」
マンテが痛みで転がっている吸血鬼をぼろ雑巾のように横へ蹴りあげると、隣にいる美希に刀を振りかざす。
「止めろー!」
俺が痛みをこらえ、マンテに飛び上がろうとした時、
「黙るデス……」
マンテの振るった刀により、俺はその場に倒れこむ。
目の前には見慣れた手が転がっていた。
ふと、手を見ると片手、右手首がない。
「がああああー!?」
俺は、そのまま体を伏せて、その強烈な痛みのあまり残った体をシタバタさせる。
手首から
俺も、ここで何も出来ないまま生涯が終わるのか?
「ガダガタとうるさい生徒さんデスね。授業中は静かにしなさいと言ったはずデスよ?」
マンテが俺の頭に刃物を振りかざす。
その次の瞬間、目の前が真っ暗になり、俺の意識は闇へと途絶えた……。
──はずだったが……。
『まだ、諦めたら駄目!』
どこからか誰かの若々しい女性の声が聞こえた……。
そうだ、まだだ。
俺には、やるべきことが残っている。
「なっ!?」
俺は体の出血と痛みが止まったせいか、頭が冴え渡り、残った体をフル活用し、体ごとタックルしてマンテの刀を持った体勢をぐらりと崩す。
それからマンテにしがみつき、そのままダッシュして屋上の膝丈くらいの緑のフェンスを飛びこえる。
「なっ、そんなボロボロな体のどこにこんな力があるのデスか!?」
「これが、俺の奇跡の力だぜ」
「そんなの信じられないデスー!!」
「ひゃっほい。さあ、仲良くワニの餌になろうぜ!」
「くそっ、とんでもない馬鹿力デスね。いい加減に放せデス!!」
「いや、死んでも放さないぜ……」
そこで俺はジャンプし、俺とマンテはそのまま屋上からダイブして、ワニの巣窟へと落ちていった。
「くそっ、こんな赤子ごときにやられるとは一生の不覚デス……」
「そう、能ある赤子は爪を隠すのさ!」
「悔しいデス。こんな文法がめちゃくちゃな若者にぃぃー!!」
──その先のことは俺は分からない。
俺の学生生活には
だが、俺は何とかやり遂げた。
この波瀾万丈な人生を生き抜いたのだ……。
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