第21話 LOVEなカードを手前に並べて(3)

 季節は3月下旬。


 今日はよく晴れ、カラリとした乾いた空気に満ちた日曜日。


 美希みき頼朝よりと美琴ミコトの3人を新築の家に招待した俺は、結婚式での式場選びなどに参加してくれたお礼もねて、俺達の家でホームパーティーをすることにした。


 メイドのようなフリフリエプロンドレスを着た由美香ゆみかが台所周りの掃除を済ませて、こちらの居間にくる間に、俺も掃除機で部屋中を掃除する。


 それからフローリングの床を丁寧にモップがけすると体が映るほどにピカピカになり、それを見た由美香が感嘆かんたんの声をあげる。


竜太りゅうた凄いわね。これは隠れた才能よ」

「そうかな、いつも由美香から手伝わされているからだぜ」

「いいえ、違うよ」


 由美香が床を指でなぞり、俺の前に指を見せつける。


「ほら見てよ、チリが一つも付いてない。私がしたらここまで綺麗にはできないよ。竜太は凄いよ」

「そんなに誉めるようなことか?」

「うん、お姉ちゃんが保証する……あっ」


 由美香が一瞬黙りこむ。


「ごめん、またお姉ちゃんって言っちゃったよ。いつもの癖で……私達もう夫婦なのにね」

「なあに、俺は構わないぜ。もう慣れてるから。それに言いやすい方がいいだろ」

「……ごめんね」

「そんなに暗い顔をするなよ。折角せっかくの美人が台無しだ……ほら、早くしないと客が来るまでに間に合わないぜ。掃除の続きをするぜ」


「……うん、ありがとう……」

「……んっ? 何か言ったか?」

「いいえ、何でもなーい♪」


 さっきとはうってかわり、今度は万年の笑みで窓ガラスを拭き始める。


 次々と感情が変化する姿を見ながら、乙女心はよく分からないと俺は感じていた。


****


「ちわーす♪

蜜柑屋みかんやでーす。丸々とした木の樽に詰めこんだ醤油樽しょうゆだるを持ってきやしたっ!」


 お昼前の11時に玄関のチャイムが鳴り、備えつけのインターホンから威勢の良い男性の声が話しかけてくる。


 この悪ふざけな話し方は頼朝の声に間違いない。


「はいはい、今開けるぜ」


 俺は玄関の鍵を外す。


「──竜太君、こんにちは♪」 

「おう、美希。お疲れさん」

 

 扉を開けてお互いに挨拶を交わし、清楚な白いワンピースにピンクのカーディガンを羽織った美希を出迎える。


「……で、お前はそこで何やっているのさ?」


 俺は、扉に両生類のように引っついているロングTシャツに茶色のボトム姿で醤油瓶を持った頼朝にも声をかける。


「……お前、服が汚れるのもお構い無しか?」

「ふっ、気にするな。今の俺はヤモリの気分だ!」

「そうか、なら由美香が揚げた豚カツやドーナツは要らないな。俺がペロリと食べとってやるぜ」


 その言葉にシュルシュルと身を屈めて地面にスライディングしながら土下座をするヤモリ。


「ちょ、ちょっとタンマ。分かった、今のは無しだから!」

「なら、もうこんな悪ふざけは止せよ。俺たちはもういい大人だろ……」

「ははっ、悪かったです。お代官だいかんさま♪」

「誰がお代官だよっ! さあ、いいからさっさと部屋の中に入れよ!」

「ははっ、まさに慈悲深じひぶかきお言葉……」

「だからそれはもういいってさ」

 

「──何、あの二人、ひそひそ……」

 

 さすがにこれ以上玄関先で話をしていると、周りから怪しげな二人に思われる。


 俺は良くても日頃からご近所付き合いがある専業主婦の由美香を困らせたくはない。

 

 俺は近所の人々の痛々しい話し声を耳にしながら、半端はんぱ強引に頼朝をズルズルと家の中へ引きずりこんだ。


「ところで美希、ミコトはどこだ?」

「彼女なら、もうご飯食べてますわよ」

「はやっ、いつのまに?」


 ミコトはちゃっかりと食卓に着席していて、早々にご飯をおかわりしていたのだった……。


****


「じゃあ、ご飯も食べましたし、どこかに遊びに出掛けようか」


 皿洗いを終えて、全てを食器乾燥機にしまい、ふきんで手を拭いた由美香が1つの提案を出す。


「賛成、近所の公園で桜でも見ましょう。全員ならえ!」


 美希が浮かれ顔でみんなを見渡して、号令をかける。

 いつから俺達は彼女に従う兵隊になったのやら。

 

 しかも、少しお酒が入っているせいか、みんなノリノリだな。

 ちなみにミコトとすぐ酔っ払う俺はレモンの炭酸ジュースだった。


****


 俺達は徒歩で公園へと向かう。

 

 歩いて数分先にある上田公園はたくさんの花見客でワイワイと賑わっていた。


 桜の花びらは満開に咲き乱れ、近くを流れる川に花片かへんが散っては流されていく。


「今年は少し遅れたけどいつ見ても綺麗ですわね」

「美希ちゃんは桜が好きだもんね」

「ちょっとそれは心外ですわ。私は桜餅が好きなのですわよ」


 美希がじゅるりとヨダレを垂らしそうになり、慌ててハンカチで拭う。


「でたー、妖怪食いしん坊魔女」

「頼朝、それは聞き捨てならないですわ!」


 彼女に悪態をつき、とっとこ逃げ回る頼朝を追いかけ回している美希。

 

 でも、二人ともその顔は喜びに満ちあふれていた。


「何かいいよね。こんななごやかな雰囲気も」

「だな、あのさあ、俺達の子供ができたら仲良く見たいぜ」

「あの……そのことなんだけど──きゃっ!?」


 そこへ走ってきた10歳くらいの学生服を着た男の子からタックルされて、軽く体をよろめかす由美香。

 

「大丈夫か、由美香──あのガキンチョめが……」

「私は平気だよ──あっ!?」

「どうかしたか?」


「……さっ、財布がないよ!」

「何だって、あのガキがスッたか!」


 俺は、由美香を木陰に休ませ、さっきのぶつかってきた暴れ牛のような男の子を追った。


 幸い男の子の後を追うのは簡単だった。

 

 ただ、体の作りが違うだけ。


 10歳くらいの成長期の子供が本気を出した大人に勝てるはずがない。


「わわっ!?」


 俺は公園の公衆トイレの裏に行こうとした男の子の首根っこをようやくの思いで掴む。


「はあ、はあ……。手こずらせやがって。もう逃げられないぜ……さあ、財布を返せ!」

「ううっ……」


 すると、男の子は涙目になり、その場で『うわーん』と泣き出したのだった……。


****


「うわーん。お姉ちゃん……このオジサンがいじめるよー!」

「違う、誤解だ! それに俺はオジサンじゃないぜ!」


「……騒がしいわね、一体何の騒ぎよ?」


 俺たちの前にボロボロのベージュのコートを着た高校生くらいの女の子が公衆トイレの影から出てくる。


「なっ、しげるどうしたのよ」

弥生やよい姉ちゃん、このオジサン怖いよ……」

「もう、男の子が何泣いてるのよ──あっ、また人様の財布を盗んで!」

「だって姉ちゃんにごちそう食べさせたくて……」

「だからと言って盗みは良くないわよ。楽をせず、真面目に働いてお金を貰うのが蒼井あおい家のしきたりよ。分かった?」

「うん」

「なら、その財布をお兄さんに今すぐ返しなさい──すみません、弟が失礼なことをいたしまして……あれ?」


 俺は固まっていた。

 まさかこのような奇跡が起こるとは。


「お兄さん? どうしました、もしもーし?」

「はっ、すまない。少し考えごとをしていたぜ……財布ありがとうな。あと、これは俺の気持ちだ。これで何か買いなよ」

 

 恐らく生活が苦しいうえにやった行為なのだろう。

 感傷的になった俺は五千円札を一枚、女の子に手渡す。


「あ、ありがとうございます。誠にすみません。

──ほら、繁もこっちにきて謝るのよ」

「うん」

「──オジサン、お財布盗んでごめんなさい」


 男の子が女の子につられて、頭をペコリと下げていたが、俺は最後まで上の空だった……。


****


「──ただの同姓同名だったみたいね」


 いつの間にか俺の隣には事の発端ほったんを起こした例の少女がいた。


 過去に弥生と繁との繋がりがあった少女は二人と同じ呼び名の子供が視界から消えるまで優しく見守っていた。


「……ミコトか。あんな不思議な偶然もあるんだな」

「まあ、それが世の中ってやつよ。でも終わったことはもういいのよ。これからは未来を築いていけばいいんだから。

それより、みんなが雨が降りそうだから帰るってさ」

 

 ふと、空が曇ってくる気配を感じる。

 どうやら一雨の夕立がきそうだ。


「ああ、そうだな……」


 俺は桜の花びらの地面へと足を踏み込みながら、由美香達がいる場所まで戻ることにした。

 

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