第5話 無縁仏の空間

「……ねえ、竜太りゅうた起きて……朝だよ」

「その声は由美香ゆみかか? 

おはよう」


 俺は、いつのまにぐっすりと寝入ねいってしまったのだろうか。 

 実の姉の柔らかな膝枕から心地よく目が覚める……。


「うん、おはよ。昨日はよく眠れた?」

「おいおい、小学生の遠足じゃあるまいし、何言ってんだよ?」

「何言ってるのはこっちの台詞よ。どこから見てもじゃない」

「……えっ?」


 俺は、あわてふためき体を触る。

 坊主頭で半袖に半ズボン。

 特に目立っておかしい部分はないが……。

 

 そこへ、由美香から手鏡を床に滑らしてくる。

 受け取った鏡から見てとれるのはの顔をした俺だった。


「よくいるのよね。

現状も分からないままで虚言きょげんな妄想を言う人が……」


 由美香が溶けたアルミのようにグニャグニャと変形し、別の若い女性の姿に変わる。


「改めて初めましてね。私の名前は宇宙人のミコトよ。ここでは弥生やよいというに変身してるんだけどね。

──まあ、あの娘を、この世から消すために精神状態は中々壊せなくて苦労したけどね」


 見慣れない学生服姿の弥生と呼ぶ女性、正しくはが、とんでもないことを言いながら肩まで伸びた茶髪をさらりとかきあげる。


 それに今、想像を絶するほどに体をグニャグニャにしながら、私は宇宙人と断言した。

 最近の世の流れについていけない自分が恥ずかしい……。


 ──周りは白く駄々広い何もない空間。


 空間と地面にはドライアイスを気化させたような白い煙が、もやもやと空から床へとこぼれあふれていた。


「俺はどうしてこんな場所にいるのさ?」

「あなたは今、時空の狭間にいるのよ。それにあなた、本当はすでに死んでいることが分かってる?」


 ミコトの言っているキテレツな言葉の内容がうまく飲み込めない。


 ここは現実世界ではないのか?


「えっ、死んでる?

……はっ、何言ってるんだ。ここはあの世だとも言うのか?」


 俺は呆気あっけにとられ、注意深く周りを確認する。

 どう見ても生前の場所ではないことは判別はできるが……。


「……そんな場所よりも、もっと最悪よ。ここは望まれない自殺者がさまよう悲しみの場所……無縁仏むえんぼとけの空間でもあるのよ」

「何だって、俺が自殺しただと?」

「まあ、そのうちきっかけがあれば思い出すかもね。それよりも、あなたには時間がない」


 なぜ、俺の性格からして、自ら命を断ったのだろう。

 俺はそんな根っからむような人間ではない。


 むしろ、毎日を一生懸命に生きたいと思っている。


 そんな楽観的思考な俺が自ら命を断つ。

 俺に死にいそぐような何があったのだろうか?


 それになぜ小学生の格好なのかも気にかかる……。


「──確かに前回までは夏の展開で世界を進めてきたけど、毎回、同じ救えない結果だった……。

──だから、今回は恋人が寄り添える冬へと季節を変え、姉と恋仲にして二人で乗り越えようと模索もさくしても結果的には一緒の結末だった……」


「──やがてそのうち、また、あなたは血が吸えない吸血鬼の運命さだめとして、数日後にあの獄中ごくちゅうの檻の中で命を落とす。それは目にも見えてる……」


「──あっ、この話はしげるさんには内緒ね。時間をまたぐうちに私はある程度は気持ちは落ち着いたけど、彼は未だにあなたのお父さんを恨んでいるから……。

──それに繁さんには、この運命を変える度に記憶を消して、人の生死まではあやつれないと誤魔化ごまかし続けてるし……」


 ミコトが伊達続けに喋り、俺がまったく知らない人の名前をペロリと出す。

 繁とは、彼女の恋人だろうか?


「──で、俺をどうしたいんだよ?」

「どうこうもしないわ。またあなたに選んでほしいわけ。

──このまま肉体も埋葬して死ぬか、また時間を逆戻しするか……。

……ちなみに弥生は静かな死を選んだわ」


 俺の知らない場所での女性の命運に、ミコトがつとめて冷静に言葉を発する。


「そんなの決まってんだろ!

俺は吸血鬼になってでも這いつくばって、その運命にあらがってやるぜ!」


 俺は、その場から立ち上がり、多少苛立ちながらミコトに感情をぶつける。

 

「ふふっ、毎回そうだけど、今回もいかにもあなたらしい答えね。

まあ良いわ。なら、またチャンスを与えるわ……季節はいつがいい?」

「そうだな。やっぱり夏が好きだぜ」

「分かったわ。季節感を夏に戻すね。

──ちなみに運命を巻き戻してからの記憶の混乱を防ぐために、今回も今までのいただくから。

では、今回も精々頑張ってねー♪」


 すると、俺の体がみるみる大人の体に変化していき、彼女からひたいを触られ、そのまま気を失った……。


****


「……はっ!?」


 俺は冷たい床から目を見開く。

 この感覚は間違いない。


 俺は、生きている。

 体を起こし、様々な箇所を触って確認する。

 どこも怪我などもなく、悪い部分もない。 


 間違いなく、俺は、まだ生きている。

 

 あれっ、生きているって?

 何のことだろう?


 それに、なぜ隣にベッドがあるのに床で寝ていたのか。

 寝相が悪くて床へと転がり落ちたのか?


 さっきから考えがまとまらない……。


 ふと、耳を澄ますと、どこからかカタコトと物音がする。

 

 よく見ると、ここは俺の家だ。

 この音は、まな板で食材を切る音。

 ほんのりと漂う味噌の香り。

 誰かが台所で料理をしているようだ。


「あっ、竜太。おはよう。

もうちょっと待ってね。もうすぐ朝ご飯が出来るからね」


 俺が気になって、台所を覗くと、ピンクのフリフリなエプロン姿の由美香が何やら張りきって、調理をしている。

 今はお玉を手に取り、味噌汁の味を確かめるために、あちちと汁をすくって味見をしていた。


「あっ、そうそう。お父さんとお母さんは、今週の日曜日は朝から友人と潮干狩りに行ってていないから。いわゆるラブラブデートよ」

「えっ?」


 由美香の話がまったく読めない。


「何でだ。確か、俺達の両親は?」

「ふふっ、何か思い詰めてどうかしたの?

さあ、朝ご飯にしようね。

──早く食べないと学校に間に合わないよ」


 ──学校。


 そうだ、俺はだった。

 十分に学生生活を満喫しないといけない。


 それに、頑張ればもうすぐ待望の夏休みだ。

 

 俺はマーガリンをたっぷりと塗ったトーストをかじり、キャベツとトマトの柚子ドレッシングのサラダを食べて、熱々な豆腐の味噌汁をすする。


「いや、待てよ。パンと味噌汁の設定っておかしくないか。和と洋のコラボか?」

「えっ、何、わけの分からないことを言ってるの?

早く食べないと遅刻だよ」


 由美香が味噌汁の豆腐を不器用にまみながら、俺に問いかける。


 そう、学生の性分は将来に向けての勉強なのだと……。


****


 俺は朝食を食べ終えると、そそくさと白の学生鞄をかるって玄関へ向かう。


「竜太、気をつけてね。いってらっしゃい♪」


 背後から、バイバイする姉の声を耳にしながら、俺は学校へと向かおうとする。


 そこへ、

「竜太、待って」


 玄関のドアを開けようとした際に彼女が俺を呼び止める。


「はい、お弁当、忘れてるよ。

……何、どうかした?」

「いや、このタイミングならお出かけのキスかなと思ってさ」

「あはは、さすがにそれはキモイよ。朝から何、冗談言ってるのよ。私達は姉弟きょうだいだよ?」

「まったく、そうだよな~!」


 俺は由美香から黄色い巾着袋きんちゃくぶくろの弁当箱を受け取り、再び歩み出す。


 そうだよ、俺は何を考えているのやら。


 何かが引っ掛かってはいるが、また妄想のたぐいだろう。

 つまらない煩悩ぼんのうは紙に書いて、水に流してしまおう。

 

 俺はキッパリと心の片隅にあった思い出せない何か? を諦め、一目散に学校へと走り出した……。


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