第8話『アテーナイ』

 ギガント・マキアー作戦が開始されて1ヶ月。作戦開始直後に中央海連合軍は、約5万人の将兵たちを、その後に控える15万人の陸軍将兵と6万人の民間人の先駆けとして、ウェヌス・ビーチと名付けられた未踏域南南東の砂浜に上陸させ、小型の敵対的な動物たちを駆除して制圧した。そして作戦開始から3日ほどで、上陸してきた民間人と共に大規模な土木工事が始められ、およそ3週間ほどで飛行場と駐屯地、民間企業の入るビルや民間人への娯楽施設や居住施設を併設した広大な基地が建設された。


 それから、航空機などのアルゴーとスキーズブラズニルに残っていた部隊の一部がこの基地へと移った。


 そして中央海暦802年8月16日、リュークと843飛行隊の面々は『アテーナイ』と名付けられた、一つの都市ほどもある広大な基地の出来立ての滑走路へと降り立った。新しい滑走路は真っ平らなアスファルトが敷かれており、予め排水のために彫られた縦に走るグルービング以外に凹凸一つなく、主輪が設置した瞬間の衝撃が柔らかかった。


 843飛行隊はそれぞれの機体を割り当てられた格納庫へと納めると、一つの格納庫の前に集まっていた。


 その格納庫の前に止まったシーセイバーMk.1から、居心地の悪そうな顔をしながら頭をかくリュークが出てきた。


 その瞬間、843飛行隊の面々はリュークの前に並び、一斉に跪く。


「サー・リューク!ご苦労様です!」

「ささ、飛行帽をこちらに」

「おい、お前ら!騎馬を組むぞ!」


 843飛行隊の野郎どもは、なんともノリが良い集団である。リュークが大ガルガンドーラ帝国勲章を受賞してナイト・コマンダーに叙任されたその日から、仰々しく鬱陶しい態度で接するようになった。もちろん、全て悪ノリである。


 リュークはそんな迷惑で、鬱陶しくて、しつこく、とにかく目立って肩身が狭くなる悪ノリを無視して馴染みの整備士の元へと歩いて行った。


「よお、相変わらず陽気な連中だな。アンタのところのウィングの連中は」

「リンダ……あれはただ俺をからかって、日々の鬱憤を晴らしたいだけなんだ。気にしないでくれ」


 リンダ・レキシントン。ガルガンドーラ王立空軍の航空軍曹で整備士の女性である。彼女とリュークが初めて出会ったのはこのアテーナイの格納庫であった。リンダがリュークのシーセイバーの担当だった。王立海軍から派遣された人員は王立空軍と比べると圧倒的に少数で、さらにシーセイバーとセイバーの差異はほとんど無かったため、空軍の整備士たちがリンダのように海軍機の整備に当たることが多かった。


 初めてアテーナイに降り立った時、格納庫でシーセイバーからリュークが降りた時にリンダの方から話しかけてきたのが最初の出会いだった。


 彼女は勝気な性格で、男所帯の空軍の、それもメカニックなどという油臭い職場でも不思議と似合っていた。それでいて喧嘩っ早く、男のパイロットより背の低い彼女と初めて出会うパイロットが彼女を侮ると、彼女はその場でそのパイロットの鼻面をへし折って行った。いつのまにかついたあだ名が、『バイオレンス・クイーン』だった。暴力女王、それは彼女を端的に表していて、短的な評価だった。


 リュークが降り立ったその日、彼女は格納庫で出会ったリュークにこう話しかけてきた。


『あんたがそのシーセイバーのパイロットかい? 下で聞いてたよ。一機だけいい音がしていた。整備士の腕だけじゃない、エンジンの声を聞いて最高の性能を引き出していなきゃ出ない音だ。そしてそのパイロットがアンタか』


 彼女は航空機を愛している。だが、自ら飛ぶことはしないらしい。その哲学は謎だが、とにかく彼女の腕前は一流で、とても細やかだった。お陰でリュークのシーセイバーは一際軽快で、不具合一つ無かった。


「まあいいさ。アタシもああいう陽気な連中は嫌いじゃない。特に、今を生きようとする連中はな。飛行屋連中なんか特に、さ」


 リンダは朗らかに笑いながら、リュークのシーセイバーの下に潜り込み、点検を始めた。


「アンタもああいうノリに慣れておいた方がいい。アタシらみたいな地上の人間にとってみれば仲間は一蓮托生みたいなもんだけど、空の上のアンタらは違う。大戦じゃ一月で部隊の全員が新兵と交換だったと言うじゃないか。空じゃ生きる奴とそうじゃない奴に分かれるのさ。そしてアンタは間違いなく生きる奴だ」

「そんなことは無い。俺だって、墜ちるときは墜ちるさ」


 この後の予定はほとんどない。だから、リュークは側にあった一斗缶の上に座り、傾きかけた陽が差し込む格納庫の中で油にまみれながら作業をするリンダを眺めることにした。


「いいや、アンタは墜ちないね。アンタは空に魅入られている。あの遥か青い天井に飛ぶことを運命付けられているのさ」

「詩的だな」

「空を見上げていれば大方はそうなるもんさ。とにかく、アンタが墜ちることはないさ。腕は確かだし、機体も万全だ。これ以上に何を望む?」


 面と向かって褒められて、リュークはどこか面映ゆい気持ちがした。元々、リュークは名誉や勲章といった類のものに対する欲が少なく、ただただ空を飛ぶことだけを思い続けてきた人間である。自尊心よりかは謙遜の方が縁の多かった。


「知ってるか?アンタが模擬空戦をしている時に地上からアンタを見上げている他の飛行隊の連中の顔を。皆して悔しいって顔していやがる。まあ、あんな飛び方を見せつけられたらそうなるもんさ。飛行屋ほど飛ぶことが好きな連中はいない。連中は空を狂ったほど愛してやがる。その連中の頭上を、自由自在に飛び回っているんだ。罪作りな男だよ、アンタは」

「そうなのか……知らなかった」


 普段、他の国の飛行隊など気に留めたこともないリュークにとっては意外だった。アルゴー着艦の時の一件で他の飛行隊からの視線は冷たいものとばかり思い込んでいたため、あえて目をそらしていた。


「ま、アンタが勝つほどにアタシの評価も上がる。そうすりゃアタシの給料も上がるのさ」


 こういう、あっけからんとした性格なのも、彼女の魅力だった。


「そうだ、連絡官がアンタらの飛行隊を呼んでいたよ。ようやくの実戦じゃないのか?」


 リンダがリュークのシーセイバーの主脚周りを見ながら言った。


「早く行った方がいいいんじゃないかい?」

「そういうことは早くに言ってくれ!」


 リュークは慌てて立ち上がり、元々空だった一斗缶を蹴飛ばすように格納庫から飛び出していった。




 ギガント・マキアー作戦の合同司令部はアルゴーの艦内に設置されている。そして更に北海を隔てた向こうに各国軍の司令部と参謀本部がある。今回の作戦に派遣された部隊の最高指揮権を持つ将官はアルゴーに会している。彼らは部隊の戦術的運用に関しては独裁が認められているが、戦略目標の選定、部隊の編成などといったことについては本国の参謀本部に一切が委ねられている。


 今回の作戦に際して、連合軍全体の動きについては各国首脳と外相、軍政の長で構成された環中央海連盟会議という議会で決められる。そこで連合軍共通の目標、そしてそれを達成するための各国軍の役割分担が決められる。


 そこから参謀本部で具体的な短期戦略が練られ、決定したものがアルゴー艦内の合同司令部の中の各国派遣軍司令部へと届けられ、戦術目標と隷下の団単位の作戦が決められる。そこから、アルゴーの通信設備、または連絡機で各基地にいる各国軍の連絡官へと下達され、初めて実戦を行う部隊へと命令が届くというわけだ。


 そして今、リュークの目の前にいる連絡官は元々、海軍の艦上観測機乗りだった男であった。筋骨隆々で腕っ節が強く、度胸十分。砲火激しい敵艦へと肉薄し、味方艦隊の艦砲射撃の着弾を観測するにはうってつけの人材だった。だが、至近で炸裂した対空砲火を浴び、後席にいた観測員の男を亡くし、自身も右手の中指から外を無くして、翼を畳んだのだという。


 その武勇らしい壮絶な過去を持つ連絡官の中尉の男は、過去に負けず、朗らかな豪傑であった。


「ようし、揃ったか。じゃあ開けるぞ」


 連絡官の男の左手に握られているのは茶色い大きな封筒だった。男は右手の人差し指で口を開けると、中身を人差し指と親指で引っ張り出した。


「うむ……なるほど」


 一しきり書類に目を通すと、連絡官の男は書類をデスクに置いてニヤリと笑って843飛行隊の面々に顔を向けた。


「喜べ。お前らの最初の任務は前進する王立陸軍将兵を頭上から睥睨し、奴らの鼻先で雄叫びをあげる巨人ギガントどもを駆逐することだ」


 大仰な口ぶりで、連絡官の男は言った。機関砲や爆弾を用いて、前進中の歩兵と車両の混成部隊の前方にいる巨人などの神の子達を撃破し、地上部隊の前進をサポートするのが今回の任務だった。


「へぇ、こりゃまた随分と楽なビジネスで」


 リュークの編隊僚機のパイロットのメイナードが呟いた。


「今のところはこれがお前らに与えてやれる最大の死地だ。今のところは、な」


 連絡官の中尉が含みをもたせた言い方をする。


「大移動を待てってことですか?」


 リュークが聞く。


「その時が来ればお前らの出番だ」


「おいおい、クリスマスには家で恋人とケーキを囲んでいられるんじゃなかったのか?」


 龍が未踏域にいない今、この作戦において空からの脅威は存在しない。そのため、各国の空軍の戦闘飛行隊や海軍の艦隊航空隊は手持ち無沙汰となっている。地上ではところどころ激戦となっているようだが、空は今、完全に人間の掌中にある。地上の連中は犠牲を出しながら前進しているようだが、一方で空といえば何者にも妨げられることなく上から巨人どもをいたぶるだけでいい。


 そもそもが次の大移動の前に終わらせることが前提の作戦であり、戦闘飛行隊が大量に配備されているのは、足りない攻撃機と爆撃機を補完して広大で長大な前線をカバーするように近接航空支援を行うためであり、また作戦終了後に未踏域にとどまって大移動してくる龍からの占領域の防空任務を負うためである。


 だが、それでも残留する部隊は空軍の中の一握りの部隊であり、843飛行隊のような海軍の航空隊は作戦が終われば本国へと戻ることになる。


 血気盛んな連中の不満は、この場合最もなことだった。


「出立は14時間後だ。それまでに準備を整えておけ。支援を行う部隊はアテーナイから機載無線機の通信距離の外を毎時20キロメートルほどで北北西に向けて前進している。詳しい方角は命令書で確認してくれ。航法について……は問題ないな。ならば解散! 各自出撃に備えろ!」


 連絡官は司令官がいない時、司令官の代理を務める。843飛行隊の面々はそれまでヘラヘラしていた連中を含めて顔をキッと締め、連絡官に敬礼を返して退室した。

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