第10話『ワタリガラス』
ギガント・マキアー作戦は、当初の目論見通り地上部隊で多少の損害を出しつつも、連合軍は圧倒的なスピードで未踏の地を進撃し、神々の子らを殲滅して行った。
アテーナイが建設されて一ヶ月、作戦全体が始まって四ヶ月ほどで人類の連合軍は前線に飛行場と基地の建設を始めた。
それまで無補給で進軍を続けていた地上部隊は、まず始めに彼らが造った下草を刈って均ならしただけの簡易な滑走路に降り立った輸送機から補給と建設機材を受け取り、前線基地の建設を始めた。
おおよそ一週間も経たない内に、前線のあちこちで基地と芝生の生えた滑走路が出来上がった。
そして今、その基地とアテーナイを繋げ、輸送機では運べない大型の機材などを運ぶために森が未踏域に降り立った民間人たちによって切り開かれていた。
世界を挙げた公共事業、それがこの未踏域開拓の実態である。
未踏域にいる民間人の多くが、大戦後の不景気で職を失った者たちである。日々の食事と住居と仕事を与えられる代わりに、何もない未踏域でいつ終わるか分からない作戦が終わるまで閉じ込められるという労働契約を飲んできた連中だ。
とは言え、人間の大陸にいても仕事はないし、衣食住を与えられて給料が出るのなら、彼らにとってはまたとない好条件になるのだろう。本国では軍の募集には、軍人としてではなく、開拓者としての応募の方が多いという。
さて、こんな調子のギガント・マキアー作戦であるが、ここまでのことで一つだけ不正確なことがある。
地上部隊は多少の損害を出しつつも進撃したと言ったが、それは必ずしも正しいというわけではない。
少なくとも、アウスリア陸軍特殊派遣軍団第一特殊編成師団第6独立混成旅団第21歩兵連隊223小隊は二名を残して壊滅した。
足場の悪い森を行軍している最中に、小型の肉食獣の群れに襲われたのだった。この未踏域の動物は気性が荒く、すばしっこい。しかし、50名以上いる一個小隊と近代兵器の敵ではない。はずだった。
気づかぬうちに、223小隊は奴らの巣に近づいていたらしい。最初は片手で数えられる程度の群れだったのだが、新月の夜に火を起こして野営をしていた時、奴らは十数匹に数を増やして夜討ちをしかけてきた。奴らは初めは、小隊長の号令直下の統制された射撃に敵かなうことはなかった。しかし、それから奴らは襲撃の頻度と規模を増やしてきた。進めば進むほど増えていく獣たち。やがて撃ち漏らした一匹に一人が喉元を食い破れられたのを皮切りに、小隊は恐怖で満たされた。
そこからは散々だった。これまでのただ獣を駆除して前進するだけの楽な任務が一転して、誰もが死を意識し始めた。そこから小隊の中に緊張感が漂い始めた。小銃を握る手が硬く、冷たかったのを覚えている。誰も、一睡することすらできなかった。
野営をしている時に一人が言い出した。戻ろうと。まだ間に合う、今戻れば全員生き残れる、と。誰もがこの先に進めば死ぬということを否定しなかった。まだ三十半ばの小隊長はしばらく考え込んでから、その提案を飲んだ。
223小隊は来た道を戻ることにした。しかし、そこから悪夢が始まった。戻っているというのに増え続ける獣の襲撃、抜けることのない森。誰もの頭の中に疑念が宿り始めた。これは来た道か、本当に戻っているのか。その疑念は更なる恐怖に変わり、幻影を生んだ。何か見えないものが見えた気がすると、聞こえないものが聞こえた気がすると言い出す者が増え出した。小隊長はこの事態に危機感を感じて、足を急いだのだが、ある日、ついに一人が食われた。それを見た他の者たちが次々にパニックを起こし、223小隊から統制という二文字が消えた。辺り一面を木々が多い、障害物と死角だらけの暗い空間でまた一人、また一人と食われていった。
そうしてどれだけの時間が経ったのか、223小隊は小隊長とニグー、ニンウムという二人の若者だけになっていた。
『行け、この道をまっすぐ行けば帰れる!』
そして、これが彼ら二人が最後に聞いた小隊長の声だった。
彼らは走った。小隊長の言葉を信じ、律儀に守って。追ってくる獣を撃ち、木の根に転びそうにながらも一日ほど走り続けた。いつの間にか獣の姿はなくなり、手には弾が切れた小銃が握られていた。
しかし、彼らは森を抜けてはいなかった。ニグーとニンウムは森の中で呆然と立ち尽くした。そんな中、ニンウムが何かを見つけた。
それは、コンクリートでできた壁だった。しかし、その壁はひどくツタに覆われていて、ニンウムが気付けたのが信じられないほどだった。
二人はその壁を伝って歩いてみた。二人はこの壁が味方の前線基地だと考えていた。しかし、ようやく扉を見つけた時、彼らはその考えをすぐに捨てた。
扉が一人でに開いたのだった。世界のどこにもそのような扉は見たことも聞いたことも無かった。
中は明かりが点いていた。しかし、ガス灯でも、アーク灯でも、電球のものではない、白く強い見たこともないランプが天井に付いていた。
中は全体的にコンクリートがむき出しの殺風景な作りで、人が住むような建物のようには考えられなかった。
彼らは、人気のないこの建物の奥へと進んでいった。外はまるでここが地面だと言わんばかりにツタが生い茂っていたが、中は意外と綺麗だった。というより、生気を感じなかった。
いかにも急ごしらえだと言うかのような、壁紙も装飾も施されていない、コンクリート剥き出しの壁に、窓のない廊下。ここはおおよそ、人が住んだり活動するために設計されたとは思えなかった。そして何より、空気が死んでいる。ただ殺風景だというわけではない。誰か人が活動していた、そんな気配すらも感じなかった。
しばらく進むと、階段が二人の目の前に現れた。これもただ、同じように飾り気のない、ただ階段として使えれば良いとでも言うかのような簡素な作りだった。
二人は吸い込まれるようにその階段を降りていった。何階分、降りたのだろう。二人の目の前には重々しい隔壁が立ちはだかっていた。それは艦艇のあちこちにあるような、隔壁と同じような形をしていた。二人は隔壁のハンドルを回し、気密を解いてその扉を開けた。
その瞬間、空気が変わった。それまでの何もない、死んだような停滞の空気とは違う、陰惨で、張り詰めていて、血生臭くもある嫌な臭いだった。その隔壁の先は赤い非常灯のみが点いていて、暗く、まるで今さっきまで激しい戦闘があったかのような空気をしていた。
二人は、小銃を持つ手に力を込め、慎重に隔壁の先へと足を踏み入れた。それまでとは違い、ここは今さっきまで誰かがいて、戦っていたような感じがする。ふとすればこの薄暗い空間で、すぐそばに誰かが立っていて、次の瞬間にはその銃剣が喉を貫いている。そんな想像を引き立ててしまうほど、ここは張り詰めていた。
幸い、通路は一本道だった。さっきの隔壁を抜けてそのまままっすぐ進んでいると、通路の先が行き止まりになっていた。しかし、二人はそのまままっすぐ歩いていく。行き止まりまで来ると、壁が一人でに空いた。この施設の入り口と同じ、一人でに開く謎の扉である。
その先には光が満ちていた。そして、僅かに風が吹いていた。静かで、張り詰めた空気であるのは変わらない。だが、そこには生気が満ちていた。生きている、何者かの息吹が吹いていた。
扉の先は崩れて大穴が空いた部屋だった。二人の足元には大小様々の瓦礫が転がっており、部屋の中にあるガラス窓のついた机のようなものはことごとく割れ、ホコリが積もっている。だが、空にホコリは舞っていなかった。それどころか、澄み切っていた。
そして何より、ビル何十階分も階段を降りてきたというのに、その部屋の大穴からは陽の光が射していた。
その穴の向こうには、大きな空間が広がっていた。コンクリートでできたドームの真ん中に一基の巨大な砲が、ドームの真上に空いた大穴に向けて砲身を屹立させていた。その砲を囲むように、沢山の龍たちが寝ている。その姿はまるで、何か聖遺物を崇めて拝む巡礼者のようだった。
長く放置されていたのだろう、コンクリートでできたドームの床は下草があちこちから生えている。それは砲も同じで、かつて人が操り、人が整備し、何者かを殺めたであろう巨大な砲は、何も知らない、若々しく青い無邪気な草たちの遊び場となっていた。
廃墟と化したこの軍事施設と、信じられないほどに巨大な砲を囲んで崇める大量の龍、そして天井に空いた大穴から差した昼の陽光がそれらを柔らかく照らしていて、ここだけ時が止まった、幻想的な風景のようになっていた。
ここはある意味、神殿だった。停滞と、安らぎと、平穏に満たされた、本当に神が憩うためだけの神殿。人に知られず、何者にも悟られずに静かにいられる隠れ家、そんな感じがした。
ニグーとニンウムはその幻想的な光景に圧倒されていた。思わずニグーが後ずさる。ニグーが何かにつまずき、転びそうになった。思わず、脇にあった何かを掴もうとして、スイッチのようなものに触れた。
その瞬間、ニグーの体に電撃で撃たれたかのような衝撃が疾る。
『この一撃に、人類を、世界の未来を託します』
これは誰かの叫び、いや、願い。大量の情報がニグーの脳内に流れ込んでくる。誰かの笑顔、泣き顔、叫び、慟哭、嘆き、苦痛、そして憧れ。それはすべて、かつてこの場所に立っていた名も知らぬ誰かの見た景色だった。その誰かはニグーが触れたスイッチを、最後に触ったらしい。だが、それはただスイッチを触った程度のものではない。あらゆる思い、願い、希望の全てがその手にかかっていた。
その誰かはスイッチを動かして事切れたらしい。
ニグーは、その瞬間に自分が何を託されたか理解した。この場所が何か、この地で過去に何が起きたのか、どこへ向かって、何をすべきなのか。その全てを、かつてこの場所で事切れた誰か、いやそれ以上の者たちから託された。
ニンウムは、ニグーより早い段階でそれに気づいていた。二人は向かい合って、頷きあう。互いに、自分の使命を理解していた。
二人は瓦礫とホコリに塗れた部屋を後にする。向かうべきは北へ。彼の国を目指す。二人がこの場所で出会った運命、託された過去と願いを携えて、辿り着く者を待つために。
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