第17話『お祭り騒ぎ』
あの狂騒とも言える大空戦が起きたあの空の下、闘いの場を与え彼らを見下ろしていた太陽ははるか西の彼方に沈み、青白い月が静かな光を投げかける下では、ドラム缶に詰め込まれた書類に火が投げかけられ、肌の色、瞳の色、髪の色、体格の全てが異なる男たちをゆらゆらと照らしていた。
5ヶ月ほども前、およそ5万人もの中央海諸国連合軍の将兵たちが降り立った長大な砂浜のウェヌス・ビーチには今、各国陸海空軍のパイロット、整備士たちがひしめき合っていた。陸軍将兵などは既に広大な前線に向けて出払い、活躍の場が少ない海軍は一部艦艇を残して輸送艦を派遣するのみに留まり、今この場にいるのはほとんどが空に生きる者たちだった。
そんな彼らが口々にするのは、昼間に彼らのちょうど頭上で繰り広げられた世紀の大模擬空戦のことだった。誰もが酒を手に、暖かく燃えるドラム缶を囲んで、自分とは大きく異なる顔を見つめながら興奮冷めやまない様子で盛り上がっていた。
その中でも、ガルガンドーラ王立海軍の843航空隊の周りには大きな人だかりができていた。
「少尉!自分はトリステン海軍のアーノルド三等兵曹です!少尉は一体どうやって自分を墜としたのですか⁉︎まったくわからないま──ウビャァッ⁉︎」
「馬鹿野郎、俺が先だアーノルド!抜け駆けするんじゃねえ!」
「少尉やめてください!ぐるぢぃ……」
半ば酩酊した様子でリュークに話しかけてきたトリステン公国海軍航空隊の三等兵曹を、彼の部隊の少尉が殴り、鉄拳制裁を加え、さらにチョークスリーパーを極めていた。
始終こんな状態だった。最後まで生き残っていた843航空隊に墜とされた者は少なくない。その全てが、自分がどのような状態で墜とされたのか、その手練手管を聞き出そうと843航空隊の周りに集まり我先にと騒いでいた。それもこれも、もう一組の生き残りの山城海軍第12航空隊が誰一人としてこの場に姿を現さなかったせいである。そのため、山城のあの部隊に墜とされた者も843のところに流れてきたというわけである。
「アーノルド君、君と君を墜とした機体との位置はどうだった?」
「自分の機体の左後ろに敵機が着いていまして、自分は左上に急旋回をしたところ、一回転したところで敵機を見失い、気づけば射撃を終えた敵機が右後ろから過ぎ去っていったのを覚えています」
「それは、たぶんね──」
リュークが手を交えて、考えられる限りの状況と動きを再現する。周りに集まった男たちは揃ってその様子に刮目し、耳を澄ましてリュークの説明を聞いていた。
パチパチと薪が爆ぜる音が涼しい海風が吹く夜の中を割る。そこに、リュークの声が混じった。
「っていうわけだと思うんだけど、どうかな?」
リュークが話終えると、一瞬周りがザワついた。
「恐らくそうではないかと……曳光弾が飛んできた向きと最後の機首の方向が同じなので」
アーノルドが言うと、周りの飛び屋どもがまた騒ぎ始める。次は自分と、我先にリュークに向かってまくし立てる。
リュークが喧しい男共の対応に手をこまねいていると、スクラムかのようにひしめき合っていた男たちの壁がいきなり割れ、リュークの目の前に一筋の道が出来た。
その真ん中をしっかりとした足取りでリュークの方へと向かってくる影が二つ。
一つは女であるかのように背の低い男、もう一つはそれよりは大きいけれどもこの場に集った男たちと比べればまだまだ背の低い男だった。そして二人とも、紺の立ち襟の燕尾服に紺の制帽という出で立ちで、何やら物々しい気配を纏い、顔は凍りついたかのように微動だにせず、表情から感情が分からない。
あの身体的特徴、服は山城海軍のものだ。しかも、なぜか式典のような特別な時にしか着ないような礼装をしている。
その山城海軍の士官の礼装に身を包んだ二人は、緊張しているとも取れる面持ちでこちらへと歩いてくる。そして、リュークの目の前で止まると、背の低い男がつばを飲み込んだ後に重々しく口を開いた。
「ガルガンドーラ海軍艦隊航空隊の、リューク・イリューシン少尉どのでありますか?」
「は、はい……?」
袖には二本線と一つの丸が着いている。リュークは思わず、中尉であることを示すその袖を二度見してしまった。なぜこの男がリュークに向かって緊張した面持ちを見せているのだろうか、リュークはやけに丁寧すぎるその男の言葉遣いも相まって混乱する。
「自分は、山城海軍航空隊、第二〇五航空隊の……天城アスカ中尉、です……」
「私は、同じく二〇五空の那珂コウゾウ特務少尉です」
リュークよりも年が上の同階級の者までこんな調子で、リュークはますます混乱する。
「えっと……何のご用で……?」
とりあえずリュークはあっけに取られた顔になんとかして笑みを浮かばせようとしてみるが、どうも上手くいかない。
すると、リュークの目の前の2人はいきなり制帽を外し、礼装でしかも砂浜だというのにとてつもない勢いで膝と頭を地面につけ、両手を頭の横に置いて完璧な土下座を同時に繰り出した。この二人の異様な行動に、周囲がざわつく。
リュークが目を丸くして二人を見下ろしていると、天城アスカが地面に額をつけたまま口を開いた。
「この度は、貴国の皇女殿下の座乗された機体に向け、我が部隊の少尉が模擬弾とはいえ機銃弾を射撃したこと、深くお詫びいたします。つきましては、如何なる処罰をも甘んじて受け入れる所存で──」
リュークは、目の前で土下座をしている男が言っていることの意味が分からなかった。
ガルガンドーラの皇女とはセシリアのことだ。そしてセシリアが乗っていた機体とはあの群青のシーセイバーだ。しかし、あのシーセイバーに機銃弾を撃ったとはどういうことだろうか。
そこまで考えた時、リュークの中で一つの答えが閃いた。
「あっ、あの時撃ってたんだ!」
思わず、リュークは手を打って大声を上げてしまった。しかし、リュークはあの時蒼鷹を追いかけることに夢中で、メイナードの方で何が起きていたのかは把握していなかった。大方、この基地にやってきたセシリアのシーセイバーをメイナードのものと勘違いして追ってしまったのだろう。
「そのことにつきましては貴国大使を通じ、こちらの政府から正式な謝罪を含め、当事者の少尉と部隊の責任者である自分がいかなる処罰をも──」
リュークは、セシリアに対して山城の少尉が模擬弾を撃ったことをそれほど大事だとは考えていなかった。それよりはあの蒼鷹に追われてよく当たらなかったと、セシリアの技術に驚いていた。
そんなこんなで気が抜けていた上に事の重大さを把握してなかったせいだろう。リュークはうっかり口を滑らせてしまった。
「ハラキリ、するのか……?」
それは純粋に興味本位のことだった。山城の文化では責任を負う時にハラキリをするという風に言われていたが、山城とは正反対の位置にあるエリミネア大陸では本当だとは思われていなかった。
しかし、リュークの言葉を聞いた瞬間、天城アスカは肩を強張らせた。隣で土下座していた那珂コウゾウも同じく固まる。
「それが、償いとしていただけるのであれば……」
震える口調で言った後、天城アスカはゆっくりと体を起こして正座の体勢になる。
「那珂さん、介錯を……」
「わかった」
すると、天城アスカは左腰に差していた軍刀を引き抜いた。白銀の刀身がドラム缶の中で揺らめく炎に舐められてゆらりと煌めく。
立ち上がった那珂コウゾウも軍刀を抜き、天城アスカの左脇に立ち、軍刀を大上段に構えた。
天城アスカが礼装のボタンを開けて腹をさらけ出し、軍刀の切っ先をその腹に向けようとしたところで、リュークは気づいた。
「おい、その二人を止めろ!」
その声と共に、リュークの周りで事態を見守っていた843の男たちが天城アスカと那珂コウゾウに飛びかかり、羽交い締めにして軍刀を取り上げる。
すると、山城の二人は暴れ、軍刀を取り戻そうともがく。
「なぜお止めになるんです⁉︎セシリア皇女殿下に向けて発砲した罪は自分がこの命をもって償いますのに!」
「馬鹿野郎!なんで山城人はなんでもかんでも死んで償おうとするんだ!そんなん求めちゃいねえよ!」
ジョージが未だに軍刀を取り返そうと暴れる天城アスカを取り押さえながら怒鳴った。
「何の騒ぎです?」
凛としてよく通る声が夜空を割いた。周囲にいた男どもが黙り、山城の二人も取り押さえられた状態で止まって静かになる。砂を力強く踏みしめる音がリズムよくリュークたちの方へと近づいてきた。
暗がりから現れたのは、ロイヤルブルーの飛行服に身を包んだ少女だった。背丈はおよそ天城アスカと同じくらいだろう。流れるような金色の髪がダークブルーの夜空に舞い、ドラム缶の中で揺らめく炎に照らし出されて遥か彼方で瞬く星のように輝いている。
「これは……セシリア殿下がなぜこのような場所に?」
傍で騒ぎを見守っていたエイベルがあごひげをいじりながら、セシリアに向かって言った。
「一段落ついたので、リュークに会いに来たのですが……一体これはなんの騒ぎですか?」
「ヤマシロのパイロットたちが、殿下の機体を追い回した謝罪に……」
リュークが立ち上がり、慌てて説明する。セシリアは、きっと引き締めた顔のまま、取り押さえられたままの天城と那珂の方を向いた。
「あの機体の……」
セシリアは、ふむと顎に手を当てる。
「正確には、あの機体のパイロットの部隊の士官だって……」
リュークは、一つ間違えれば本当に目の前の男たちが自決するかもしれないと、冷や汗をかきながらセシリアに補足をした。
「あのパイロットの部隊の士官? ……なるほど」
セシリアは、天城と那珂に見定めるような目を向けた。
「あなた、名前は?」
「アマギ……アスカ中尉、です」
天城は、まるで虚を突かれたかのように目を見開いてセシリアに答えた。
「アマギ中尉、聞きたいことがあります──」
そこから、セシリアは手を使いながら二機の戦闘機の位置関係と状況を説明しだした。それを聞いている内に、リュークはセシリアが今説明しているのはあの大空戦の最後のセシリアのシーセイバーと蒼鷹の位置関係だと気づいた。
セシリアが淡々と説明し終えると、今度はこの状況から上方から降下してくる機体を回避するにはどうすればよいか、と聞いた。
天城は取り押さえられたまま熟考し、しばらくしてから口を開いた。セシリアが天城の話に真剣な表情で相槌を打つ。天城の話を聞いていたリュークが気づいたことを口にすると、天城は反論をし、そこから二人の議論が始まった。今日、この空を支配した二人が交わす空戦理論は、初歩的で基本的でありつつも、確かな経験に裏打ちされたものだった。二人の議論が白熱してくると、セシリアが疑問点を二人に投げかけ、その度に二人は基本に返って議論を発展させた。その内に、843の面々が革新的な発想を、那珂は膨大な経験からより堅実な戦法を、他国パイロットたちがそれぞれの理論に基づくアイディアを口にするようになった。
誰かが言った空戦理論を、その場にいる空の戦士たちが共に議論し、発展させていく。その流れが何度続いただろうか。リュークは、気づけば酔いも覚め、ただただ議論に熱中していた。
元より、酒を飲んでただ盛り上がるだけの場で時間など気にしたくなかった。だから誰も時計を持ってきてはいなかったが、どれほどの時が経ったのだろうか。天頂付近にあった月は既に大きく傾いている。気づけば、議論を続けているのは既にリュークと天城と那珂とエイベル、セシリア、そして3人ほどの他国の戦闘機部隊の隊長のみになっていた。他の者は興奮しきった体を動かそうと、ビーチバレーを始めている。
議論の方も、もう話が出尽くしたようだった。さっきから話題の出が悪い。
「さて、では我々はこれで」
そう言うと、天城は立ち上がった。そして、もう一度セシリアへと謝罪の言葉を向けてビーチを後にしていった。
「隊長ー!こっちに来て下さい!数が足りないんです!」
「ジョージの奴が酔い潰れやがった!」
遠くでバレーをしている843の面々が、叫びながらエイベルを呼んでいる。その脇には仰向けで横たわる影がある。
「まったく、あいつら……」
エイベルが苦笑しながら立ち上がる。
「そのバカを早く海に放り投げろ!」
「アイ・サー!」
エイベルが大声で言うと、喜色たっぷりの返事が返ってきて、仰向けに寝ていた影が両手両足を掴まれて波打ち際に放り投げられた。直後、離れていても耳を塞ぐような絶叫が轟く。
「行ってくる。リューク、お前は一番疲れているはずなんだ。無理するなよ」
「アイ・サー」
「では殿下、失礼させていただきます」
843の面々の元へと歩いていくエイベルを、リュークは苦笑混じりに見送った。エイベルに続いて、他国の飛行隊の隊長たちもセシリアとリュークに挨拶をしてからバレーコートへと向かって行った。
「…………。」
リュークとセシリアは、しばらく遠くで大の大人がビーチバレーで子供のようにはしゃいで盛り上がっている様を無言で見つめていた。
「はぁー、ようやく一息つけます」
突然、セシリアが背中を砂に倒し、仰向けに寝転んだ。
「飛行服が汚れるよ」
「いいんです。汚れたところで、ここには元々汗まみれの飛行服を着ている人しかいないんですから、気にする必要はないです」
セシリアが言うと、リュークが慌てて自分の飛行服のジャケットを脱いで匂いを嗅ぎ始めた。
「気になるんですか?」
「そういう言い方をされると、ね」
飛行服のジャケットの隅々を嗅ぎ回るリュークを見つめるセシリアが、口の端をにぃっと歪めた。
「まあ、普段から臭いに囲まれている人にはその臭いは分からないんですけど」
リュークの顔から血の気が引き始める。
「え、俺、臭い……?」
その時、リュークは天城たちと口角泡を飛ばしていた時とは打って変わって、弱々しい子犬のような表情をしていた。
「知りませんよ。普段から人の臭いなんてわざわざ嗅ごうとしませんし」
「そ、そう……」
「それより」
セシリアが、口調を改める。リュークは黙ってセシリアの次の言葉を待った。
「さっきのアマギさんは、どうでした? 戦ってみて」
「強かった。とても」
リュークは、星空を見上げ、今日の大空戦の最後の瞬間を思い出しながら言った。
「私が来なくて、もし、続いていたら……どうなってました?」
そう言ったセシリアの口調はとてもフラットで、感情が読み取れなかった。
「負けてた」
「そうですか……」
リュークは訳もなく言ってみせた。何の拘りも、感情もそこにはなかった。
「最後、決めたと思った。完全に取った、って。でも、アイツは曲芸で回避してみせた」
リュークは、まるで星空に向けて釈明するかのように言う。
「普通、あんなことやったら死ぬ。確実に墜とされる。でも、そんなんで回避された。興奮しすぎて忘れてたんだ、空戦を」
「…………。」
リュークが見上げる先で、幾千もの星が煌々と輝き、その無数の輝きを蹴散らすかのように巨大な月が眩しいほどの光を放っている。
「スナップロールをしたのが良くなかった。あれで速度を失って、それで回避できなかった」
セシリアは星空を見上げたまま黙り込んでいる。
「でも、楽しかったよ。すごく。そして完璧に叩きのめされた。それだけは確かだ」
砂浜に打ち寄せるさざ波の海鳴りがおだやかに辺りを包み、遠くから聞こえる男たちの騒ぎ声がにぎやかに聞こえる。
「負けた……あー、完全に負けた。全っ然ダメだったな。勝てやしなかった」
リュークの投げやりな声は、ダークブルーの夜空に吸い込まれていった。
「なら、次に向けて特訓ですね。誇りある王国の騎士が、負けたままだなんて認められないですし」
セシリアは、上半身を起こして少し得意げに言った。
「無いよ。次なんて無い」
リュークの答えは、まるで拒絶するかのように冷たく、淡白だった。思わず顔を横に向けたセシリアの目には、ただ星空を見上げるリュークの感情の読み取れない横顔が映っていた。
「次なんて、もう来ない。あんなのはこの一度っきりだ。この作戦が終わったら、大戦から立ち直った世界はまた世界のパイ分けを始める。今度は、そうだな、北方と南方っていうところかな。とにかく、あの国とこうやって付き合えるのは、これが最後だ」
ついさっきまで、山城の天城アスカとの空戦を恍惚と語っていたリュークは、一転して無情なまでにキッパリと言ってのけた。
「そうですか?でも、あの国はなんだかんだと言ってしたたかだと思いますよ。もし、分かたれたとしても、きっと次はもう一度やってきます。それがずっと先になるとしても、待ち続けていればその時は来ます」
「ひどく楽観的だ。一度は中央海の覇を唱えた帝国の王族とは思えない」
「もう300年前には共和制になっていましたよ……でも、そうですね。この身分が象徴に過ぎないものでも、戦争が起きて、誰もが死んでいく、そういう風景に対して責任を感じてしまいます。でも、それでも、もし国の形が変わって、誰かが今と違う身分になったのだとしても、先に立つ人がいるのなら、人というのは前に進めるはずです」
「…………。」
爽やかな潮騒と遠くで男どもが騒ぐ声が、しんと静まり返った夜の空気に染み渡る。底の見えないほどに深い群青の星空を見上げていると、隣にあったドラム缶の中で火が爆ぜた。
セシリアもリュークと同じように空を見上げると、リュークが静かに立ち上がった。
「そんなのは夢物語だ。君には見えない世界があるんだ」
リュークは唐突にそう呟くと、そのまま砂浜を後にして兵舎の方へと歩き去っていった。
「そこまで人間って信用ならないものなんですか?」
その後ろ姿に向かって、セシリアは拗ね気味になりながら吐き捨てた。
誰にも聞き取られなかったその呟きは海にかき消され、深端の空へと風に吹かれて舞い上がり何処かへと飛び去っていった。
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