第16話『大空戦Ⅲ』

 整備と弾薬、燃料の補充が済むと、四機は味方の声援と脱落した他国パイロットたちから羨望の眼差しを受けながら、夕陽が照らす夏空へと飛び立った。


 リュークは、模擬戦の開始高度まで上がる前に三舵の効きを試してみた。すると今までよりも素直に、よりシャープな動きをするようになっていた。特にロールに関しては、リュークの思い描いた通りに追いてくる。これならば、思っている通りのことができそうだ。


 高度を4000まで取れば、模擬戦の開始高度となる。843の二機は西陽に背を向け、山城の二機は西陽へと向かって反対に上昇していたが、この高度にたどり着いたと同時に反転した。


 シーセイバーの風防の正面の防弾ガラスのはるか先、焼け爛れた赤い空を背に、眩く金色の輝きを放つ西陽をまるで後光であるかのように背負った二機の蒼鷹が、機体正面を暗く影の内に沈ませながらも、風防正面だけを金色に煌めかせてリュークたちを鋭く刺している。


 鷹の金色の双眸、それは今大きく見開かれ、開かれきった瞳孔から二機のシーセイバーの姿を網膜に焼き付け、捉えて離さない。狩りの前、獲物を見定めて確実に捕らえようとする猛禽類の獰猛で荒々しくて冷え切った青色の熱い炎を揺らめかす瞳がリュークを確実に捉えていることを、リュークは肌で感じた。蛇に睨まれたカエルとはこのような事を言うのだろうか、気を抜けば手足が震え出してきそうなプレッシャーがリュークにのしかかってくる。


 リュークは二機の蒼鷹の内、先頭の一機を睨みつける。仕留め損なったあの機体を今度こそは墜とすと、胸の奥で激しく燃え盛る炎を滾らせながら、スロットルを握る左手に力を込める。リュークには、あの機体がまだ空を飛んでいることが気に食わなかった。強者として、その自負とあの機体から感じるプレッシャー、滾る闘志に燃え盛る生存本能がリュークの全細胞にアレを墜とせと囁いてくる。この空を統べるのはお前だと、ただ一人頂を飛ぶことを許されるのはお前だけだと。


 蒼鷹とシーセイバーは、互いに減速せず、加速度的に距離を詰めていく。互いが進行方向真正面、このまま行けば衝突しそうでも動こうとはしない。やがて衝突目前、互いの顔が風防正面の防弾ガラスを通して見える程に近づいてようやく、蒼鷹とシーセイバーは示し合わせたかのように互いに反対の方向へと機体を滑らせた。


 四機が交差する瞬間、翼と翼が重なり合った時、それまで互いを睨み合っていた騎士の青い澄んだ双眸と若鷹の金色の猛禽類の眼が合った。騎士と若鷹、二人の空を翔ける強者が互いの姿を認める。互いが互いに強者であると認める。それはまるで中世の騎士が決闘を始める際の名乗り上げのようであった。


 四機がすれ違った瞬間、空の空気が変わった。それまでの暖かく全てを包み込むかのような穏やかな夕空は消え去り、代わりに燃え盛る闘志の炎が放つ灼熱の空気が空を支配し、空に生きる全ての者に畏怖を与える電雷にも似た強烈なプレッシャーが飛び交う。騎士と若鷹は空気の変化を真っ先に感じ取り、素早く動いた。


 シーセイバーと蒼鷹が動く。互いに左への水平旋回に移った。落陽の残照が金色に照らす紫色の空に一つの円環が描き出される。


 しかし、その円環はすぐに崩れた。蒼鷹は圧倒的な旋回性能でシーセイバーの描く円環の内へ内へと瞬く間に入り込み、シーセイバーの後背を捉えようとする。あともう少しでシーセイバーの背を完全に捉えると若鷹が思ったその時、リュークは操縦桿を左に倒して半回転し、それまでとは逆の方向へと切り返した。若鷹はそれに追いていこうと操縦桿を右に倒して切り返す。そうしたらまたシーセイバーが反対へと切り返した。




「メイナード!」


『あいよ』




 その瞬間、メイナードのシーセイバーが蒼鷹の進行方向へと機銃弾を浴びせてきた。蒼鷹はそれを回避するが、今度は蒼鷹の風防の上の方向から迫ってくるリュークのシーセイバーが若鷹の蒼鷹を狙ってくる。


 今、リュークとメイナードは、若鷹の蒼鷹と八の字を描くような機動を二対一で繰り返していた。リュークが蒼鷹を狙い、蒼鷹が切り返したところをメイナードが攻撃する、そうして蒼鷹が切り返したところをリュークがまた狙うということを繰り返し、蒼鷹が回避しきれなくなったところをどちらかが墜とすという機動だった。


 この場合、切り返すスピードが大事になってくるが、左右へ回転しやすいように両翼端付近の軽量化を徹底的にしたリュークのシーセイバーに、蒼鷹が勝てるわけもなく、若鷹の蒼鷹はじりじりと機速を失い、動きが鈍くなってきていたように見えた。


 しかし、メイナードが若鷹の蒼鷹を狙おうとした瞬間、メイナードの背後から二筋の曳光弾の雨が降ってきた。




『クソっ!』




 メイナードはすぐさまに操縦桿を手前に引き倒してそれを回避した。しかし、メイナードを撃った蒼鷹はメイナードの背後にぴったりとくっついて離れない。




『コイツ!』




 メイナードは必死に引き剥がそうとするが、蒼鷹はまるでステップを踏むかのように軽やかに追従する。




『撃ってこない!必中を狙っていやがる!』




 メイナードを狙う蒼鷹はメイナードをすぐに撃とうとはしなかった。確実に墜とせる瞬間、必殺の一瞬を黙したままに狙っていた。




「メイナード!大丈夫か⁉︎」


『俺に構っている余裕があるのか⁉︎』


「…………ッ!」




 リュークは、蒼鷹ともつれ合いながらどんどん下へと降下して離れていくメイナードのシーセイバーを風防の端に捉えながら、背後に着いた若鷹の蒼鷹の一閃を躱した。メイナードを引き剥がし、一対一の状況を作り出せたことで蒼鷹の動きはキレを増していた。




「どれくらい持つ⁉︎」


『60秒! 持つか……持たねぇか……いけ好かねえ神サマに聞いとけそんなもん!』


「くっ……」




 メイナードの余裕が無くなっている。リュークが風防上に取り付けられたバックミラーを見やると、ぴったりと目と鼻の先ほどの距離に着けてくる蒼鷹の風防が見えた。相手の表情は落陽の残照の反射で分からない。


 とにもかくにも。この機体はリュークが墜とさなければならない。だが、それで当初の予定が狂ったわけでもない。バックミラー越しに見るコックピットに座る男、それをこの空から退場させるのは自分である。その自負と自信が、ふつふつとリュークの中から湧き上がり、全身に通い、手足を動かし始めた。


 このままでは状況は動かず、埒があかないだろう。幸いにも、背後の蒼鷹をカバーしていたもう一機の蒼鷹はメイナードに着いて行って下方に離れて行っている。もし、メイナードが落とされたとしても、アレがリュークのいるところに戻ってくるまでには時間がかかるだろう。


 一対一。誰の邪魔も入らず、どんな偶然も助けてくれない、ただ純粋に機体性能とパイロットの技量だけが全てを決定づけるこの状況は、この蒼鷹のパイロットを相手取る場合、最悪の状況だ。リュークが勝てる可能性は、酷く低いだろう。


 だが、強者なのならば、この蒼穹を翔け操縦桿を握る者ならば、これほど胸が踊る状況は無い。


 いまだかつてない高揚感がリュークを包む。自然と、笑みがこぼれた。ここからはあらゆる空戦絶技、その妙技が次々と繰り出され、圧倒的な空の強者同士が寸分絶後の激闘を繰り広げるのだ。これほど楽しいことはない。


 ならば、その賽を投げるのは、リュークの役目だ。リュークは、もう一度バックミラーを見上げる。そして、蒼鷹のパイロットへと挑発するかのように笑いかけた。


 次の瞬間、リュークは左のフットペダルを思い切り蹴った。


 シーセイバーの機首が左に逸れる。それと同時に、大気に対する速度が右翼より遅くなった左翼の揚力が減少し、リュークのシーセイバーは機首を左に向けたまま左に傾く。


 リュークは、蒼鷹が距離を詰めてくるのを振り返って確認してから上半身を戻し、操縦桿を膂力一杯、思い切り手前に引き倒した。


 すると、右翼より遅い左翼が先に失速し、左翼と右翼の揚力のバランスが崩れ、リュークのシーセイバーは右翼の凄まじい勢いで持ち上がり、そのまま強烈な左横転を始めた。


 同時に、リュークに強烈なGが襲いかかる。足が巨人の手に押さえつけられたかのように動かせなくなり、背骨と脛骨が軋みを上げる。頭の中の血が全て足へと向かい、氷水を直接頭蓋の中に流し込んだかのように冷たくなり、視界の端が暗くなっていく。その苦痛に歯を食いしばって抗いながら、リュークは風防上の蒼鷹を睨み続ける。


 一瞬で天地がひっくり返り、蒼鷹の姿が風防の左端から上を通り過ぎて右前方へと過ぎていく。たった数秒にも満たないこの間、リュークはしっかりとフットペダルと操縦桿を握りしめ、蒼鷹の姿を視界の真ん中にとらえて離さないでいた。


 リュークのシーセイバーは激しい勢いで左に横転し、気づけばシーセイバーは大きく機速を失った状態で蒼鷹の左後ろにいた。上がる呼吸もそのままに、操縦桿とフットペダルを元の位置に戻したリュークはスロットルを思い切り押し込む。


 リュークのシーセイバーが加速し始める。蒼鷹を振り切り、今やその蒼鷹を風防正面に捉えたリュークは、不敵に笑いながら眼前の蒼鷹を光学照準器の円環の中心に収める。だが、先ほどの機動で大きく機速を失い、さらに蒼鷹との距離も離れてしまったため、必中の距離に詰めるまでにはまだ時間がかかりそうだった。


 リュークが距離を詰めている間、蒼鷹はピクリとも動かなかった。奇妙なほどに沈黙して、真っ直ぐ飛び、風防のガラスを不気味なほど静かに煌めかせながら、リュークを待ち受けていた。


 やがて、リュークの目の前にある光学照準器の真ん中にいる蒼鷹の両翼が枠から飛び出で、蒼鷹の風防の輝きがリュークの網膜を満たした瞬間、リュークは強い確信と共に右親指のトリガースイッチを押した。


 しかしその瞬間、電撃に打たれたような衝撃がリュークを穿つ。コンマ数秒にも満たない間、引き伸ばされた思考は世界をスローモーションにさせる。その時、リュークのシーセイバーの両翼、一番内側の機関銃から二発の曳光弾が同時に放たれた。


 引き伸ばされた世界の中で、蒼鷹のエレベーターが上に大きく動いた。蒼鷹の機首がぴんと天を向き、蒼鷹は紫がかった赤暗い空へと垂直に昇り始める。リュークもそれを追おうと操縦桿を引くが、速度を失った今、エレベーターは言うことを聞いてくれなかった。そして、次の瞬間、シーセイバーとは違う聞きなれないエンジンの駆動音が一つ消え、世界が一瞬だけ静かになる。


 蒼鷹は機速を失って、慣性によって空中に静止する。その時、シーセイバーの両翼から放たれた二筋の曳光弾の軌道は蒼鷹の機尾をかすめ、リュークは止まったままの蒼鷹を見上げながらその下を通過していった。やがて、蒼鷹は機首を天へと向けた姿勢のまま、機尾から地面へ向けて落下し始める。


 ゆっくりと落ちていく蒼鷹の機首が、緩やかに地面へと向き始めた。リュークのシーセイバーの背後で地に向けて落ちていく蒼鷹の機首が、リュークのシーセイバーの方へと、まるで振り下ろされる太刀かのような重さと冷たさをもってゆっくりと向いてくる。


 蒼鷹の機首が完全にリュークのシーセイバーの胴体に向き、風防の奥から若鷹がリュークのシーセイバーを捉えた時、リュークは死を覚悟した。このまま撃たれ、シーセイバーと共に爆散してこの空に消えるのだと。痛感した。実感した。理解した。


 リュークが目を閉じ、やがて来る痛みに耐えようと歯を噛んだ瞬間、かなり慌てた様子の無線が入ってきた。




『そこの機体! 何をしている⁉︎ 今すぐやめろッ‼︎』




 無線の最後の方の声は上ずり、悲鳴にも似ていた。この無線に驚いた若鷹は左手のスロットルのトリガーから手を離し、蒼鷹の機首をそのままリュークのシーセイバーを通り越して地面へと向けた後、スロットルを押し込んで降下し、増速して機体を立て直しながらリュークのシーセイバーから距離を取った。


 急な状況の変化に戸惑ったリュークは、興奮し、混乱した頭と上がりきった心拍を落ち着けるために大きな呼吸を繰り返しながら空を仰いだ。


 西陽は完全に沈み、僅かに残った残照が水平線を仄かに紅く照らしている。だが、リュークの頭の上にある空の色は、深く暗い、ネイビーブルーだった。


 ふと、遥か彼方。無限遠にある水平線に沈み込もうとしている黄金の炎の海の中に、黒い影が六つ見えた。三機が低空にいて、その内の二機が一機の上を取り、とても殺気立った状態でその一機を牽制、ともすれば威嚇、いや一歩間違えれば撃墜すら厭わないかのような緊張感を放っていた。他の二機は、斜陽を背にしてこちらへと向かってきていた。しかし、その内の一機はもう一機に比べてなんだか飛び方がフラフラとしている。もう一機の方に追いつくことで必死な様子だった。


 やがて、その二機がリュークの方へと近づいてくる。そのシルエットは段々と大きくなり、機影がはっきりと分かるようになった。もうすっかり見慣れた姿のあれは、ガルガンドーラのセイバーだった。


 やがて、そのセイバー二機の編隊はリュークと同じ方角に機首を向け、リュークの進路と並行の進路を辿るようにして、リュークのシーセイバーの左横で編隊の形を取ってきた。


 赤紫色の光が舐めるせいで色味が変わっても、東の空を塗りつぶすダークブルーよりは明るい群青の翼。そして、胴体に描かれたガルガンドーラのラウンデルの隣に描かれている黄金のライオン。


 世界でたった一機。そしてリュークが見間違えるはずもない、あの機体。ガルガンドーラ王室王女、セシリア・アレキサンドラ・ガルガンドーラの専用機の、吸い込まれそうなロイヤルブルーで覆われたシーセイバーMk.1だった。


 斜陽が機体の後ろの方を赤みがかった群青に染め、そこから見事な青のグラデーションを描いてダークブルーの東の空に溶け込んでいる青色の彼女の機体は、疲弊しきってフラフラなリュークをよそに、この空でただ一人だけ、人一倍無邪気な眼差しをガルガンドーラ王立海軍仕様のシーセイバーのコックピットの中のリュークへと向け、踊るかのようにヒラヒラとバンクを繰り返した。

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