第12話『ユリス・エーメ』

 いつも通り、哨戒と測量を終えてアテーナイの滑走路へと降り立つ。この滑走路も連日、絶え間なく何百という機体を上げては降ろしているため、刃物で切られた傷のような黒い跡がアスファルトを覆い尽くしている。接地して滑走している時も、滑るような感じになってしまっている。おそらく、滑走距離も大きく増えていることだろう。


 だが、この滑走路は大型の機体を同時に何機も運用することが前提であるため、広く長い。おかげで、滑走路を覆う黒が5割を超えても滑走路端を超過することはない。


 エンジン出力を抑え、機体を左右に蛇行させて滑走路の正中線を確認しながら、管制塔の指示に従い格納庫を目指す。


 格納庫前にたどり着いて風防を開けた時、強い風が吹き抜けていった。腕で目を覆うように機体から降りて顔を上げると、目の前にあの少尉が立っていた。


「やあ、トウヤ。久しぶりだね」


 ユリス・エーメ。このギガント・マキアー作戦が始まる前の大宴会から逃れて一人過ごしていた葛城に話しかけ、共に星空を見上げた男。


 あれ以来、葛城は彼のことを忘れていた。何分、司令部偵察機は神速を尊び、もっぱら単独で行動する。ましてやフランチェ空軍、他国の軍の戦闘機のパイロットだ。国家も人種も所属も職域も全然違う。関わりがないのが当然だろう。


「ああ……少尉。そう、だな」


 二人は当たり前のようにガルガンドーラ語で会話を交わす。とは言え、葛城の話す言葉は短かった。葛城は自分と、後席以外の人間に特別な意識を持ったことがない。だから、話すべき言葉を持っていなかったし、好意的に話しかけられることは稀だった。


「また会えて嬉しいよ。僕はちょうど昨日こっちに移ってね。でも、もうすぐできる前線基地にすぐ移動さ」


 ここ数日間、彼のように前線基地に移動するために荷物と物資をまとめてアテーナイに降り立つ連中が多かった。いよいよ、ギガント・マキアー作戦が第二段階に入るという証だ。


「短い間だけど、よろしくしてくれよ。そうだ、今度ゼロの話をしてくれないかな?みんなの注目の的なんだぜ、ゼロは」


 そうだ、彼はこの零式を絶賛していた。そして恐らく惚れている。


 ユリスがペラペラと話し、葛城が短い言葉を返していると、整備士と会話をしていた伊吹がその会話を終えて、二人の元へと飛行帽を脇に抱えて歩いてきた。


『おい、葛城。機付長に補助翼の反応について報告しておいたぞ。夕方にでも来て確認しておけ……そちらの少尉は?』

『ああ……フランチェのユリス・エーメ少尉だ。アルゴーで会った』


 伊吹と葛城が山城語で会話している隙に、ユリスは伊吹の飛行服の肩章を確認していた。そして踵を揃え、右手をまっすぐに右眉の前にまで持っていって敬礼をしてハキハキとしたガルガンドーラ語で言った。


「中尉、お初にお目にかかります。フランチェ空軍第3航空団第5戦闘航空隊アルエット所属のユリス・エーメ少尉です。お見知り置きを」


 葛城よりも頭半個分高いところから見下ろされているというのに、伊吹は物怖じせず、凍てついた氷のような目を変えることなく、ユリスを見据えて言う。


「山城帝国海軍航空隊第153飛行隊所属、伊吹優里花中尉です。……本当にこれと、外国空軍パイロットとのパイプが……?」


 伊吹が葛城を指差しながら本当に驚いたように言うせいで、ユリスは思わず吹き出してしまった。


「いえ、自分が一方的に話しかけただけですよ。ですが、彼から邪険にされたことはないです」


 ユリスがにこやかに言うと、伊吹は驚いたような顔をすぐに引っ込め、葛城の方を向いて、何か勝手に一人で納得したかのような嫌らしい笑みを浮かべる。


「なるほど。この葛城が……それならば、司令に報告して叙勲の準備をしなければ。そう思いません? 少尉」


 伊吹は、わざとらしい身振り手振りを加えながら大げさにユリスに語りかけた。ユリスは、おかしさが堪らないといった風に笑い転げる。


「トウヤ、君は一体君の上官になんだと思われているんだい?」


 ユリスが息も絶え絶えに言う。その様子に、思わず葛城は伊吹の飛行服の襟首を掴んでユリスに背を向けさせた。


「どうした、少尉殿?」


 襟首を掴まれているというのに、伊吹は余裕綽々に、挑戦的で面白がるかのような目で葛城を見据える。


『どういうつもりだ、伊吹』

『どういうつもりもなにも、私は素直に貴様の快挙を心から祝福しているだけだぞ。それと、私の名前を言う時中尉殿と付けろ。少尉』


 伊吹は、最後の言葉をやけにねっとりと、強調するように言った。葛城は舌打ちをして、伊吹の襟首を放した。


『いいか、俺とユリスはそういう仲では断じてない! お前の好奇心で場を乱すな!』


 葛城は山城語で伊吹を怒鳴りつける。唐突に大声を張り上げる葛城を、零式を点検していた整備士たちが迷惑そうな目で睨みつけた。それに気づいた葛城は、眉を顰めて顔を背ける。


『とにかく、お前は、どっかに行ってろ』


 今度は自制を効かせて葛城が言った瞬間、伊吹の表情が変わった。一瞬でまるで研ぎ澄まされた氷の刃かのような表情に移り変わる。そして、呼気が凍りついているかのような冷徹な声で伊吹が言った。


『お前……?』


『ああ、どうか、この場を外して、頂けませんか! ……中尉殿!』


 葛城が伊吹から顔を背けながら言うと、伊吹は満足げな顔をして、手を振りながらその場から去ろうとした。


「じゃあ、後は二人で仲良くやっておいてくれ」


 ユリスは去りゆく伊吹の背を見て苦笑し、葛城は目を背けてため息をついていた。


「いやあ、君の上官は面白い人だね」

「何がだ、あの機械女。普段喋らないくせにこんな時だけしゃしゃりでてきやがって……」


 葛城は伊吹の背中に向かって小さく悪態をついて、ユリスの方に視線を戻した。


「で、なんだ? 零式のことについて聞きたいのか?」


 葛城の方から切り出すと、ユリスは目の色を変えて飛びついてきた。


「ああ。でもいいのかい? これからいろいろ報告とかあるんじゃないか?忙しいならまた今度でもいいのだけど」

「ああ、いい。どうせあの女が全てやってる」

「なら士官クラブに行こう。あそこならゆっくりできる」


 そう言って、ユリスは葛城に向かって付いてくるように右手でジェスチャーをして歩き始める。葛城は後頭部をかきながらそれに付いていった。


 × × ×


「ゼロについて聞きたいことはいっぱいあるんだ」


 そう言って僕は切り出す。


「まずあのエンジンなんだけど──」


 そう言って当たり障りのないことから始めようとする。ヒューミント、人から情報を聞き出す手段としては初歩の初歩だろう。なんてことはない。ただの世間話と大して変わることはない。


「ああ、出力は千……四百馬力で──水メタノール噴射装置が付いている。これが──」


 ああ、知っている。ハ122は稲丸重工業が開発した木星エンジンの派生型で、公称出力は1400馬力。だけれども、実力は1600馬力であることをフランチェ情報外務局は既にあらゆる資料、暗号通信の解読、関係者からの聞き込みといった諜報手段で把握している。


「上昇限度はだいたい1万くらいで──」


 ハ122の性能から推測するに、ゼロの上昇限度は高度1万1千メートルほどと考えられる。これは、情報外務局が収集した情報やゼロと遭遇したパイロットが持ち帰った証拠から、一流の研究機関が計算の果てに上げたレポートに記載されている。


「上昇力は……」


 ああ、知っているさそんなこと。僕がどこにいると思っているんだ。情報外務局を舐めるな。


「旋回性能はどんな感じなんだ? 操縦桿を引いた時の反応とか──」


 なんでそんな遠回りをするんだ。そんなことじゃない。そんなことじゃないんだ。僕の知りたいことは。


「結構、素直だ。目安で──」


 もっと直球に聞け。お前は何を見ているんだ。何を感じているんだ。あのコックピットで、誰よりも高いあの頂で。僕が君を見上げている時、君は何を思っているんだ。


「ありがとう。とっても有意義な話を聞くことができたよ」

「ああ……こんなことでいいならな」


 僕はそう言って彼に微笑む。彼は、無愛想なその顔を背けて、ぎこちない挨拶をすると、そのまま立ち去った。僕は彼に挨拶を返し、彼が出て行ったのを確認してから士官クラブの椅子の背もたれにだらりともたれかけた。


 ああ、なんでだ。どうしてあんな簡単なことが聞けなかったのだろう。職業を、職務を言い訳にして、変に遠回りして、結局聞けずじまいだ。


 本当は、怖いのだろうか。あの青の果て、頂の世界に手が届くのが、その世界を知ってしまうのが。


 こんなにも焦がれているというのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る