第4話『未踏域へ』

 中央海歴801年6月28日。湿気の多い、晴れた梅雨の一日。葛城桐哉と伊吹優里花は山城海軍の多摩飛行場の司令官執務室のソファに座って二人の男と相対あいたいしていた。


 葛城から見て正面右手に多摩基地司令が、正面に海軍軍令部から来た少将の男が座り、葛城の右隣に伊吹が座っていた。少将の初老の男は、ソファにどっかりと身を委ね、非常に落ち着いた態度を取っていた。対して基地司令の方は若干肩が上がり、身を固めていた。


「実はこの話はガルガンドーラから密使を通じて来た話でな」


 軍令部から来た男は吉事でも報告するかのように話す。


「それはどこかの国家の軍事施設への強行偵察任務であると?」


 ガルガンドーラ共和国から密使を通じて極秘裏に来た話であり、それはガルガンドーラが山城と秘密裏に軍事作戦を立案しようとしているということである。遠距離通信手段を用いずに密使という手段を用いたところに、何やら穏健でないものを感じる。


「なに、そんなに身構えなくても良い話だよ」


 基地司令が体を強張らせた葛城に向かって軽く笑いながら言う。


「この国は今はまだ、どことも戦争を始めるつもりはない」


 続いて少将の男が上体をソファから起こしながら言った。少将の男は上体を前のめりにして、葛城の方向に頭を突き出すと、不敵な笑みを浮かべながら言う。


「簡単な話だ──」




「──未踏域開拓の先行隊に選ばれました」

「未踏域、開拓……?」


 リューケイン飛行場の司令部の中でも日当たりの良くそこそこの広さがある一室が質素ながらも目一杯に飾り立てられ、床には赤絨毯が敷かれ、天井には飾り付きの電灯が設置され、その下に基地司令の執務室のものより上等なウォールナットの机が一つと椅子が二つ置かれている。一つの椅子は机の引き出し側にあり、もう一つはその目の前に置かれていた。

 引き出し側に座って机の上に広げられた分厚い共和国空軍のパイロット養成コースで支給される参考書とノートと格闘しているセシリアに、彼女の左斜め背後に立っていたリュークは言った。


「三ヶ月前、第4次未踏域探索に於いて得られた成果から、未踏域の全容が解明できたから連合軍を編成して、未踏域を開拓するということだそうですよ。その開拓の前途として適性生命体を排除するのが私たち先行隊の役目だと」

「そうですか……その、任期は……?」


 セシリアは、リュークに向いていた視線を机の上に落とす。リュークがセシリアを無理やりアトカ・マッカレル・ウルフに乗せたあの日にリュークに高らかに宣言したセシリアが、疲れ果てた様子の侍従らを連れて意気揚々とリューケイン飛行場に来襲、もといリュークをピンポイントで襲撃しに再びリューケイン飛行場に来たのは3週間ほど前のことである。

 突然の王族の襲来に、連絡を受けていなかったリューケイン飛行場は大混乱に陥り、海軍本部に問い合わせたところ、帰って来たのは王室専用機が一機、確かにリューケイン飛行場に向かったとの報せと、逆にリュークを名指しして一通の辞令が届けられた。

 その日のうちに飛行場内のありとあらゆる装飾品や調度品がかき集められ、ある一室が仕上げられ、その日の内にセシリアの専用室となった。それから滑走路脇でいつも通り休憩中だったリュークが青ざめた表情の基地司令のヒステリックな怒鳴り声と共に叩き起こされ、急いで夏季正装に着替えさせられてセシリアの専用室に放り込まれた。

 そして、リュークによるセシリアの個別教育が始まった。しかしセシリアが来る度にリューケイン飛行場は騒乱に包まれ、一下士官に過ぎないリュークは皇女に対しての態度を常に監視され、基地の士官たちはセシリアへの接待に気を張り詰めるため、毎回基地全体が戦場さながらの空気に包まれてしまう。そのため、リュークはセシリアがすぐ飽きるであろうということを期待して、訓練校でほとんどまともに聞いていなかった座学の詰め込みを始めた。

 だが、セシリアは飽きることを知らず、根気強く、それどころか嬉々としてリュークの努めて淡々としている授業について来た。今ではリュークの方が折れ、リュークは早くこの時間が終わるように超特急で必要な内容だけを教え込むことへと努力の矛先を変えていた。

 そんなタイミングで843飛行隊に来た未踏域開拓の前哨としての派遣は、リュークにとっては棚からぼたもち、セシリアにとってはつまらない報せであった。


「さあ、分かりません。何分、まだ未踏域の全容も分かっていないもんで。3年、長けりゃ10年を超えるかもしれません」

「そうですか……」

「派遣は1年後、それまで各国間で調整と具体的な作戦立案がなされるでしょう。派遣前までは私が姫様の専任教師をつづけることができますが、後任として訓練学校の教官一人が決まっています。それまでは私でできることはしますが、私が教えられる以上のことは後任に聞いてください。しがない戦闘機乗りよりはプロの方が良いでしょう」


 リュークは、そこまで言って、セシリアが押し黙って肩を寂しそうに落としているのを見て口をつぐみ、セシリアから目をそらして頭をかく。少し言いすぎたような気がする。

 しばらく気まずい時間が続いた。


「では……」


 セシリアが口を開いた。


「その1年の間に、飛行機を飛ばすところまで教えてもらいますね!」


 セシリアが先ほどまでの気まずい空気を吹き飛ばして、嬉々とした表情で言う。リュークは一つため息をつき、つくづく強い人だ、と思った。


「分かりました。やれるところまでやりましょう」

「ところで」

「なんでしょう?」


 セシリアがあごに手を当てて、天井を見上げながら言った。


「先の大戦で、共和国はもちろん、各国は大きな痛手を負いました。それからの戦後不景気が続いていて、12年間の間に4回行われた未踏域探索も全て成果を挙げれていません。なぜ、共和国はこのようなリスクのあることをするのでしょう?」


 17年前、ユーレイン大陸で複数の大陸と多数の国家を巻き込んだ大戦が発生した。この大戦は主戦場の名を取って、ユーレイン世界大戦と呼ばれた。

 この大戦は5年続き、死者は軍属が200万人、民間人が1100万人にも達し、国家の資源、財産、土地、人間の全てを動員した戦であったために、総力戦と呼ばれた。そして、大戦終結7年後にガルガンドーラの軍人が発表した論文の中で初めて『世界大戦』という造語が使われ、世界中に広まった。

 また、この大戦により、ユーレイン大陸に存在する国家の国土のほとんどが荒廃し、産業も壊滅し、止まらない労働者の失職に、賠償金返済のために国家が貨幣を増刷しまくったせいでインフレが加速し、ユーレイン大陸は不経済に喘いでいた。

 エリミネア大陸の戦勝国も大戦による莫大な支出と、損失に対して遅々として返済の進まない賠償金が釣り合わず、5年間の戦時経済の終結の先に待っていた大量の無職の元軍属の雇用問題、戦争被害者への給付金、地下資源の豊富なユーレイン大陸の経済不安に端を発する資源の高騰などによって不経済の煽りを受けていた。

 さらに、ロッシャ帝国で誕生した、全く新たな経済思想と全体主義を掲げる社会主義の野党によってあらゆる国家政策の打ち切りや予算の削減などが行われ、中央海北方各国は不景気と国内政治の混乱に苦しんでいた。

 そんな中での未踏域探索は、国内外の世論の大きな反発を受けながら行われた。4回の内、それぞれで大きな発見はあったものの、未踏域に植民地を築けたわけでもなく、4回もの未踏域探索を行った当時のガルガンドーラ議会与党の保守党はその後の選挙で与党を退き、今は革新派勢力が連立政権を組んでいる。

 そんな中での未踏域への出兵の話である。革新派連合政権としてはおかしな話である上に、何やらきな臭いものを感じる。


「では、今日は歴史と政治の話をするとしましょうか──」




「──共和国の目的は、未踏域の手づかずの地下資源だろうな」


 葛城は、多摩飛行場の士官室のソファに深く座って脚を組みながら、伊吹の問いにぞんざいに答えた。

 本来は、葛城のような特務士官は兵学校出の生粋の士官達から追い出されるため、士官室に入ることはできないが、葛城は多摩飛行場に配属された当日に士官室の士官全員を殴り倒して追い出してしまったためにこの士官室は事実上、葛城の縄張りとなっている。そのため、士官室は至って静かであり、葛城と伊吹の他に誰もいない。


「だが、未踏域出兵の話が今漏れると国内世論からの反発は必至だ。だから密使を使って、政府と外務省と軍の間だけで密かに調整を行いたいんだろう」

「しかし、共和国の政権は革新派の連合だ。彼らの主義とは異なるだろう?」


 ソファに浅く座り、上体を前に倒して背中を丸めてどこか遠くを見ながら、伊吹は問いを返す。


「革新派とはいえ、共和国とユーレイン周辺の不景気は好ましくない。このまま行けば大戦以前の北方の先進国間の経済体制を復活させるどころか、共倒れして弱ったところを南方の領土欲の有り余った途上国に食われて終わりだ」

「だから、その前に未踏域に南北の勢力を送り込んで南方各国の動きを牽制したいと?」

「ついでに資源の安定的な供給を図りたいところだろう。北方のユーレインは広大で資源も豊富だ。中でもロッシャ帝国は随一の金属資源が眠っていると目されている」

「だが、帝国は先の大戦の戦勝国の中でも大きな被害を受けた。そして、社会主義の台頭によって内政不安に晒されている。資源を安定的に輸出できるとは思えない」


 そう言って、葛城は一つため息をついて言った。


「だから、未踏域なんだろう。ほどよく南方の領土欲を満たせ、各国の動きを牽制することができ、国内世論の矛先を政権から背けることができる」

「…………。」

「まあ、共和国の狙いとしてはもう一つあるだろうが──」




「──政権の狙いとしては、もう一つ、国内経済の体制を変えたいのでしょう」


 リュークは、椅子に座ってセシリアに向き合いながら言う。


「未踏域探索ではなく、未踏域開拓。その前哨としての大規模出兵。ここまで本腰を入れるということは、戦時下に近い経済にしたいのでしょう」

「そうすると、どうなるのですか?」

「国内産業に軍から大量の発注が来ます。元軍属にも雇用が生まれる。そして国の強い統制の下で経済を動かすことができます。そうして経済の強引な安定化を図りたいんでしょう」

「でも、それは出兵が終われば大戦終結後のように終わるような一時的な熱なのでは?」


 日が傾いて来た。セシリアの背後にある大きな窓から紅い夕陽が入ってきて、セシリアの顔に影を作る。


「終わっても、今度は未踏域という植民地があります。国内経済からあぶれた国民を移住させ、地下資源の採掘を行わせればそれからの雇用が確保できる。ユーレイン大陸での経済不安など関係なしにこの国だけで資源を賄うことができる……」

「でも……」


 セシリアがつぶやく。リュークは一つ息を吐いて、今度はおどけたようにいう。


「ま、そんな上手くいけば良いんですけどね。未踏域には大移動で定期的に龍が来るし、原生の生命体や神々の子らもいる。開拓に十分な土地から奴らを駆逐して制圧するなんて言っても、奴らの強さは数を束ねてどうにかなるなんて話じゃない。最悪、共和国は全世界を巻き込んで破産する、なんて未来もありえる博打ですよ」

「そんな……そんなことをして、大丈夫なのでしょうか?」


 セシリアが不安そうに目を見開き、声を震わせながらリュークに聞く。

 すると、リュークは夕陽の紅で顔を染めながら、不敵で凄絶な笑みを浮かべて答えた。


「さあ。そんなこと──」




「──そんなことは関係ないという腹づもりだろうな」


 多摩飛行場の士官室の窓の外はもう、完全に暗くなってしまっている。窓の外を見やりながら、葛城は言った。


「共和国と北方が潰れたところで、遠い話だ。中央海を挟んだ先の火事など、縁もない話に過ぎない。共和国と北方が共倒れしたところで、南方で新秩序を作り、その頂点に座すのがこの国の狙いだろう。初めから未踏域開拓なんて期待していないはずだ」

「未踏域開拓には国力喧伝のために大規模な出兵を行い、失敗すれば北方を見限って新秩序の形成、成功すれば美味しいところを貰っていく算段ね……」

「まあ、そんなところだろう。初めからこの国はこの計画に対して物見遊山以上の興味は持ってないだろう。何しろ、ただでさえ未踏域からは最遠の国だ。未踏域の資源を当てにせずとも南方植民地である程度賄えている現状、輸送に負担をかけてまで美味しい土地じゃない」

「…………。」


 しばらく、士官室が静かになる。葛城は、8時を超えているのを確認すると、立ち上がった。


「こんな時間だ。俺は飯を食って寝る。お前もそろそろ食わないと食堂が閉まるぞ」

「分かっている。私は後から行く」

「そうか」


 葛城は、士官室のローズウッドの扉を開けて士官室を後にした。


「…………。」


 後に一人残った伊吹は、先ほどまでの話を整理していた。


(先の大戦から端を発する北方の不経済と、それからの脱出を目論む共和国の革新派。共和国は戦時経済に移行して雇用と産業を回したい、か。不安定化する北方の経済体制から脱出し、自国内での経済体制の確立と南方とのパワーバランスの調整が狙い。そして開拓が成功して経済が安定化すれば労働者の不満も解消され、社会主義、その他の全体主義が政権を脅かすこともなくなる。まさに博打のような計画だけど、成功すれば国内であぶれた労働者と政治家たちを遠ざけることができる。そして我が国としてはどちらに転んでも美味しいところを攫っていく算段ができていると……)


 伊吹は、長く艷やかなまつげのまぶたを重々しく閉じて、一つ大きなため息をついた。


「政権内の不和と国内問題から目を背けたいだけじゃない……」


 伊吹の呟きは、士官室の静寂の中に溶けて消えていった。


 × × ×


 リューケイン飛行場から帰る飛行機の中で、セシリアは窓の外の沈みかける夕陽を見ながら、今日リュークから聞いたことを整理していた。


(国内問題を解決できる魔法の策ではあるだろうけれど、成功するかどうかは未知数。それどころか、これまでの探索で困難であることは証明されている。戦時経済に変えたとしても、出兵が終われば消える一時だけの熱でしかない。そんなものに、すがるしか、この国の道は無いの?)


 沈み行く夕陽がとてつもなく紅い。やがてあの夕陽は水平線に隠れ、後にやって来るのは暗く長い闇だけである。


(こんな大それたことを1年間も隠し続けて、いきなり発表すれば国民からの反発は必至。この国はどうあれ、良い方向には向かわない……)


 墜ちかけた太陽が、紅く燃え盛り、その異常なまでの熱動を全世界に向けて放っていた。

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