血
○前シーンの一時間後。ナイラが数人の付き添いと一緒にホテルの玄関からロビーに入ってくる。
従業員:おかえりなさいませ。お食事はお部屋にお持ちしましょうか?
ナイラ:いえ、後で自分で買いに行きます。
特に前触れもなくナイラの鼻から血が滴る。彼女はとっさに衣装を汚さないようにと身を乗り出すので、大理石の床にかなりの量が流れる。
ナイラ:おっと……ティッシュありませんか。
従業員は彼女の言葉を完全に無視し、床に膝をつくと血の滴りを直接舐め取る。ナイラは声も出ずぞっとした顔をすると、鼻血を流したままその場から走り去る。彼女はエレベーターホールに駆け込み、ボタンを連打し、血を指で拭うとさっき居たロビーの方を見る。他の従業員達が続々と群がってきている。音を立ててエレベーターのドアが開き、中にロバートがいる。
ロバート:お着替えはどうなさいましたか。
ナイラ:スタッフ達を何とかしてください。
ロバート:いかがいたしましたか?
ナイラ:私の血を舐めました。あの場の全員がです。
ロバート:血を?
ナイラはエレベーターに入ると自分でボタンを押す。ドアが閉まる。
ナイラ:はい、床から直接。
ロバート:ご不快に思われましたことをお詫び申し上げます。おそれいりますが救護室にご案内いたしましょう、手当てをしなければ。
ナイラ:結構です、血は止まりましたから部屋で片付けます。
ドアが開く。ナイラはロバートの視界から外れるまでは落ち着いて歩くふりをするが、死角に入った途端駆け出し、自分の部屋に飛び込む。ナイラは洗面台で血を洗い流す。鏡にスーザンが映り、彼女は驚いて振り返る。
スーザン:ナイラちゃん、どうしたの?そんなに血がついて。
ナイラ:叔母さん、もう帰りたい。
スーザン:まだ明日の祭りが残っているじゃない。
ナイラ:ホテルの人が気持ち悪いことを……叔母さんは仕事だろうから一人で帰る。
スーザン:そんなの駄目よ。許されない。
ナイラはスーザンの鬼気迫った表情に気づく。
スーザン:みんなあなたを心待ちにしているのよ。二十四年間待ち続けてきたの。
ナイラ:何言ってるの?
スーザン:明日、その時が来たらわかる。あなたはこの世で最も高貴な存在に戻るの。
ナイラは表情を強張らせるとスーザンの言葉を完全に無視し、リュックサックを背負う。
ナイラ:ちょっと散歩してくる。
ナイラはドアから出て行く。スーザンは室内の電話を取る。
スーザン:もしもし?ロバートに伝えて。神は出て行ってしまった。すぐに連れ戻して。
○「ムーン・オン・オーガスト」の二階。自分の部屋で休んでいたハルは、外の騒ぎに気づき窓から見下ろす。走って逃げるナイラをかなりの人数のホテルの従業員と町民が追いかけているのが見える。
ハル:(日本語)何だよあれ。
ホテルマンがナイラを羽交い締めにする。ナイラはホテルマンの脛を蹴飛ばす。彼は叫んで手を離し、ナイラは走り出す。町民の一人が足を掛けて転ばせる。ナイラは上手に受け身を取って起き上がろうとするが、数人が彼女を押さえつける。
ナイラ:助けて!助けてよ!助けて!(タミル語で)お母さん!お母さん!助けて!
ナイラは普段とは全く違う、ほとんど獣じみた声で叫び始める。野次馬の何人かが耳を塞いでうずくまる。ロバートは懐から小さな箱に入った注射器を取り出し、ナイラの腕に無理矢理刺す。素人が抵抗する相手に注射しているのでかなり出血し、ロバートの手袋が赤く染まる。ナイラは呻きながら激しく痙攣し、やがて失神する。二人の男が彼女を持ち上げて運んでいく。
ハル:(日本語)やばいことになった。
○マハーデーヴィーとサラは寝室で寝ている。マハーデーヴィーは叫び声を上げて飛び起きる。彼女は枕元のスマートフォンを掴んで航空券の予約サイトを調べ始める。
サラ:どうしたの?
マハーデーヴィー:お願いサラ、信じて。ナイラが危険なの。ウィスコンシンに行ってくる。
サラ:危険って?
マハーデーヴィー:わからないけどとにかく危険なのよ!
サラ:スーザンには連絡したの?
マハーデーヴィー:返事がないけれど夜だし仕方ない。
二人は見つめ合う。サラは頷く。
サラ:わかった、一緒に行こう。今からでも飛行機は取れる?
マハーデーヴィー:あなたも来るの?
サラ:私の娘が危ないと妻に言われたのに座して待つとでも?こういう時のためのお金よ、何事も無ければ家族旅行にすればいい。
マハーデーヴィー:信じるの?自分でもおかしな考えだと思うんだけど。
サラ:あなたを信じなければ、今まで生きられなかった。
マハーデーヴィー:私も。
サラ:飛行機はいつ出るの?
マハーデーヴィー:午前十一時。
サラ:支度してくるからチケットを取って。駄目だったら車で行くから。
サラは部屋を出て行く。マハーデーヴィーは検索を再開する。
○レンタカーショップ。マハーデーヴィーとサラは緑のセダンのトランクに自分たちのリュックを放り込む。サラが運転席に、マハーデーヴィーは助手席に乗り、車は午後四時の国道を走り出す。
サラ:スーザンはまだ返事をしない。本当にまずいことになっているのかも。
○ホテルの一室。ベッドに寝かされたナイラは薄く目を開ける。ロバートと数人の男女が話し合っている声が聞こえる。彼女は起きようとするがホテルの従業員に手足と口を押さえられる。
若い男性:目が覚めたようです。
ロバート:今から薬を入れて間に合うか?
中年女性:まだ時間はあります。召喚までに化粧を直して衣装も換えないと。
ロバート:それなら眠らせろ。
ナイラは抵抗しようとする。ロバートは枕元まで来て彼女に話しかける。
ロバート:神よ、ついにこの時がまいりました。かりそめの化身を捨て、真のお力を顕す時でございます。
ナイラは敵意を込めた目でロバートを睨みつける。彼はナイラの手首に再び注射針を突き刺す。意識を失う寸前、彼女の耳に旧知の声が聞こえる。
スーザン:この日を待ち続けていた。
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