邂逅

○エルウッド宅のリビング

マハーデーヴィーとサラが並んでソファに座ってアイスクリームを食べている。


サラ:いい加減ナイラも親離れさせないと、とは思うんだけど。

マハーデーヴィー:あなたが甘やかすから。

サラ:大学院は楽しいらしいし友達もたくさんいるんだから、誰かいい相手と住んでみたいとか思ってもいいのに。

マハーデーヴィー:アンブローズのことを引きずっているうちは無理でしょ。

サラ:そう、あれがかわいそうすぎたから、自立しろとはしばらく言えなくなった。

マハーデーヴィー:まさかあんな死に方なんてね。まだ若いのに家族はどんなに悲しんだことか……

サラ:それが、どうも実家から逃げてきたらしいの。ようやく安定した暮らしを始めたばかりだったみたい。

マハーデーヴィー:私と同じじゃない。未婚で妊娠して、実家からは勘当されて……サラに出会わなかったらどうなっていたことか。

サラ:お互いあの時代を生き延びてきたことは誇りに思っていいと思うの。

マハーデーヴィー:そうね、これからはずっと良くなる。


サラはテーブルの上の家族写真に目をやる。二人の母親の間で、ナイラが満面の笑みを浮かべている。


○ナイラは荷物持ちと二人の笛吹きを従えて村のメインストリートを歩いている。彼女は足首まである袖無しの黒いワンピースを着せられ、胸の下で巻いた鮮やかな飾り帯を正面に垂らし、幅広のネックレスをして黄金の二重冠(エジプトのファラオの冠)を被り、額には赤と黒で縦向きの目が描かれている。笛吹き達はより簡素な黒いワンピースを着た女性で、木製の縦笛で複雑な曲を吹いている。観光客たちは好奇心と憧れがない交ぜになった視線を向け、住民たちは彼女が通ると頭を下げる。


男性:神様、ようこそいらっしゃいました。

男の子:神様、パパがこれをどうぞって。


ナイラは小学校入学前ほどの男の子からバスケットを受け取る。


ナイラ:どうもありがとう。


ナイラは親子に微笑みかけて通り過ぎる。男性は彼女を拝み始める。ナイラはバスケットの中身をこっそりと確認する。色とりどりの野草を敷いた上に、正体不明の赤黒い液体が入った瓶が詰めてある。彼女は首を傾げてから荷物持ちにバスケットを渡すために振り返り、スケッチブックを手にした日本人の若い男性が群衆に紛れてついて来ていることに気がつく。その時、八十代程度の女性がナイラに近づいてひざまずく。


女性:燃える三眼のお方、どうぞ端女はしためが恵みを受けることをお許しくださいませ。

ナイラ:(笛吹きの片方に囁く)何をすればいいの?

笛吹き:彼女の口づけをお受けなさいませ。

ナイラ:どうぞ。

女性:ああ、ありがとうございます……


ナイラは手を差し出すが、女性はナイラの足の甲にキスをする。見上げた女性と目が合ったナイラは戸惑いを表情に出すまいと努力した後、足早に立ち去る。彼女はホテルを兼ねているパブ「ムーン・イン・オーガスト」を見つけて入る。彼女の従者達は外で待機し、おしゃべりを始める。ナイラはカウンター席に近づいてメニューを見る。オーナーである七十代前半の女性、リリー・ブレイクが注文を取りに来る。


ナイラ:スパイシーチキンサンドウィッチとアイスティーお願い。

リリー:すぐお持ちしますね。


ナイラは荷物持ちのスタッフから鞄を受け取り、財布からクレジットカードを出す。


リリー:あなたが今年の?

ナイラ:そうみたいですね。よく事情がわからないんですが。

リリー:(小声で)周りの人たちに気をつけなさいねえ。


ナイラは支払いを済ませ、外のテラス席に座る。村人たちが続々と見物に来る。ナイラは一瞬戸惑ったような顔をした後、ほとんど無表情に近い微かな笑みを浮かべる。彼女はさっきの日本人がブロックに座ってスケッチを続けていることに気がつく。


ナイラ:こんにちは、何を描いているの?


三十代前半だが実際よりもかなり若く見える日本人の男性、ハル・サンナイは顔を上げる。近くにいた老人が彼を小突く。


老人:君、話しかけていただいているぞ。


ハルの周りの人々が彼を押し出すので、彼はナイラの側に寄る。ほっそりしていて背はナイラより低く、眼鏡をかけた丸顔はなめらかで髭はない。訛りはあるが単語の選び方はかなり正確で、英語に慣れていることが伺える。


ハル:すみません、興味深い衣装だと思ったので……あなたの絵です。

ナイラ:別にいくらでも描いていいよ。見てもいい?

ハル:どうぞ。


ハルはスケッチブックを見せる。座った姿のナイラが描かれている。短時間で描いたものとしては驚異的な細かさで写実的な仕上がりだが、顔だけがぽっかりと空白になっている。


ハル:顔はもっと観察しないと描けないと思って……

ナイラ:待っていれば描いてくれる?

ハル:満足してもらえるかわからないけど。


店員が食事を持ってくるのでナイラは彼に微笑む。

ナイラ:ありがとう。


ナイラ:じゃあ、ここで一緒に食べる?

ハル:どうもありがとうございます。いただきます。


ハルはナイラの向かい側に座り、サンドウィッチを少しかじってはスケッチに戻ることを繰り返す。ナイラも食べ始める。


ナイラ:あなたも音楽祭に来たの?

ハル:そうですね、取材旅行です。あ、名前はハル・サンナイです。

ナイラ:私はナイラ・エルウッド。(小声で)あの人達によれば神なんだって。信じられる?

ハル:スピリチュアリズムみたいなものじゃないでしょうか。古代の信仰への関心は、芸術とは縁の深い分野ですし。

ナイラ:あなたもその手の話に興味がある?

ハル:話を作るときの参考になるかもしれないと思って。僕は漫画家なんです。

ナイラ:どんなのを描いているの?英語で読めるのはある?

ハル:サイトに載せているのは英訳付きだけど、翻訳してるのは僕だから正直自信ないです。英語で『From the Outer Space』っていうページです。

ナイラ:SF系?


ナイラが興味を示すと、ハルの態度が目に見えて嬉しそうになり、口調がフランクになる。


ハル:主にホラーSF。あ、趣味で描いてるのは歴史物もあるよ。


ナイラはスマートフォンで検索し、かなり熱心に読み始める。


ナイラ:この『暗黒のファラオ/ネフレン=カ』だけど、まさか私の研究対象が漫画になってるとは思わなかった。

ハル:へえ、専門家なんだ。どこか変だったりする?

ナイラ:専門家ってほどじゃないよ、院生だから。むしろ、ここまで時代考証がしっかりした漫画を描くほうがすごいよ。絵もきれいでいつまでも見ていたくなる。これは本にしないの?

ハル:Twitterにも載せてるから、どこかからオファーが来たら出版できるかもしれない。

ナイラ:ネフレン=カについては大規模な発掘がこの前あって、そろそろ結果がメディアに出るよ。テレビも来てたから、番組の放送に合わせて再公開したらいいかも。

ハル:じゃあ、ネフレン=カの信仰していた神についても何かわかったのかな?

ナイラ:それに関しては先輩の論文が発表されたばかりなんだけど、なかなか面白いよ。ネフレン=カの信じた神は彼の死とともに廃れたとされてきたんだけど、名残があるかもしれないっていう説。新しく発見された壁画の内容が、ヨーロッパの魔女カルトをはじめとした他地域の神格の描写とかなり似ている、という……

ハル:それは…ちょっと大胆な説だね。時間がある時に読んでみる。

ナイラ:でしょう?私としてはもっと慎重に進めるべきだと思う。二十世紀にニャルラトホテプ信仰が発見されたときに小説におどろおどろしく書かれた影響はまだ続いてるし、とにかくエジプトはオカルトの題材になりすぎてるからね。


ハル:そう言われると僕の漫画もその一端かもしれない。すぐにホラー要素を入れたくなる。

ナイラ:フィクションだとわかってる人は大歓迎だよ。久しぶりにいいものを読んだ。

ハル:ありがとう。ここまで語り合える人と出会えたのは初めてだから嬉しい。

ナイラ:いつまでこちらにいるの?

ハル:祭りが終わるまではホワイトウォーターにいるよ。その後アーカムとダンウィッチに行って、最後にプロヴィデンス。

ナイラ:かなり長期の旅行だね。

ハル:実は経費なのは音楽祭の取材漫画の分だけで、あとは全部自費の旅行扱いなんだ。

ナイラ:ダンウィッチの遺跡はおすすめだよ。一度行ったことがあるけど、芸術家ならインスピレーションを受けると思う。

ハル:あ、できたよ。こんな感じでいいかな?


ハルは完成した絵を見せる。薄いスケッチの上に描かれたかっちりした線画で、空白だった顔には美しい無表情が描かれている。その周りにはいくつかの顔だけのラフ画がある。


ナイラ:すごい!あなたの漫画の世界に私が現れたみたい。

ハル:色々な表情で描いてみたくなって。

ナイラ:私はもう行こうと思うんだけど、ついて来る?

ハル:迷惑じゃなければそうしたいな。面白いものが見られるかもしれない。

ナイラ:じゃあ行こう。


ナイラとハルは立ち上がり、連れ立って道を歩き出す。近くで待機していた従者達が彼女に従い、笛を吹き始める。

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