死者と生者
マハーデーヴィー達がナイラを追って現れる。
ハル:やっぱりここだった。
マハーデーヴィー:ナイラ!
マハーデーヴィーはナイラに駆け寄って抱きしめる。彼女の目は虚ろだが周囲の人々を認識しているようではある。
ナイラ:お母さん?
マハーデーヴィー:良かった、本当に良かった、戻ってきて。
ロバート:神よ、どうかお許しを。私の過ちでした。
ナイラ:私は人を殺した!
ハル:君のせいじゃない。
マハーデーヴィー:あなただけじゃない。
ナイラ:これからどうすればいいの?
母娘はサラの遺体に視線を向ける。
マハーデーヴィー:私の娘は戻ってきた。家に帰りましょう。
ナイラ:だめ、まだ災いが残っている。
ハル:確かに。虫が消えたわけじゃないみたいだ。
ナイラ:あの存在だった時に理解した。儀式が門を開いた以上、あれは向こうから出てきて際限なく広がる。
ロバート:その通りでございます、あなた様は滅びの神でもありますゆえ。
マハーデーヴィー:娘に何を言うの!
ナイラ:お母さん、私は思い出した。自分がどこから来た何者なのか、誰の子なのか。
マハーデーヴィー:そして、私達の娘であることにも変わりはない。
ナイラ:その記憶もちゃんとある。でも、他に覚えていることが多すぎる……
ハル:(ロバートに)儀式を終わらせる方法はあるのか?
ロバート:ある。神ご自身がいらっしゃる今なら簡単にできる。
ナイラ:(ロバートに)ちょっとこっちに。
ナイラとロバートは少し離れたところで話し合う。
ナイラ:父に呼びかけて何もかもなかったことにしたい。どうすれば?
ロバート:あなた様ご自身が神官として父なるアザトースに呼びかけ、生贄を捧げます。祭文は私が知っています。
ナイラ:あの時もそうだった。
ロバート:私が役目を務めましょう。
ナイラ:そんなことは許さない。これ以上誰も死なせない。
ロバート:しかし、他に誰が?
ナイラは黙り込む。今や彼女自身のものとなった記憶がフラッシュバックする。
暗黒の男:生まれてくるのはそなたの娘でありながら私そのもの。いずれ我が元に戻ってくるその日まで、この地に生きることそのものが我が意思である。
ナイラは夜空を見上げる。
ロバート:ずっとお仕えしたいと願ってきました。今がその時です。
ナイラ:わかりました。献身を受け取りましょう。
ロバート:光栄です。
ナイラ:儀式の先導はあなたが。
ロバート:お任せください。
ナイラは他の二人に駆け寄る。ロバートは後から続く。
ナイラ:ロバートさんが儀式のやり直し方を教えてくれたから、もう大丈夫。
ハル:僕は何をすれば?
ナイラ:ハル、あなたは祭壇においてニャルラトホテプと契約した。私は覚えている。あなたも?
ハル:(はにかむ)確かに覚えてるよ。
ナイラ:ずっと一緒にいてくれる?
ハル:あの夜に誓った通り。
ナイラはハルの手を取って彼の唇にキスをする。ハルは不安げに彼女を見る。ナイラはその黒い瞳でハルを見つめると、決心したようにぱっと手を離す。ロバートとナイラは横たわるサラの頭側に立ち、足側やや右に立つハルやマハーデーヴィーと向き合う。
ロバート:お二人にお願いがあります。今から儀式を行いますが、信じがたいことが起きても予定の範囲内ですから心配しないで。
ハル:もう十分起きたよ。
ハルとロバートは顔を見合わせて苦笑する。ロバートは膝をついて天を仰ぎ、人間の発音とは思えない言語を大声で唱え始める。ナイラは彼の後ろに立つ。
ロバート:いあ、すろどぐ あざとーす むぐゔるぐとなー ぐないいー(大いなるアザトース、恐ろしき父)
ハル:いあ!
ロバート:うへろぐ あーふ ふんぐるい ふたぐん よぐ そす うがふなぐる!(彼の宮廷なる外宇宙にて夢見るままに居たる王よ!)
全員:いあ!
ナイラ:嫡子なる皇太子ニャルラトホテプが汝に懇願す!かの死せる女は我が母なり!かの生ける女は汝の妻なり!なれば死者を生者に再び与えたまえ!
ロバートは身に着けていたナイフを後ろ手でナイラに渡す。彼女の左手は彼の体で隠れているので、他の二人に動きは見えない。
ロバート:いぐないい!いぐないい!いあ あざとーす ふたぐん!あい!あい!あい!
全員:いあ!
ロバート:人の子の血を生贄として受け取りたまえ!
ナイラはナイフを握った左手を掲げる。刃が月明かりにきらめく。彼女の頭上の夜空に渦のようなピンク色の光が現れ、ちょうど二つの空間の間に穴が空いて繋がったように見える。
マハーデーヴィー:やめなさい!
マハーデーヴィーはとっさに娘に駆け寄ろうとするが、ハルが素早く彼女を羽交い締めにする。ハル自身も愕然としているが、彼の手は緩まない。二人の目が、押しとどめるように右手を上げているナイラの目と合う。
ハル:こんなことさせないでくれ。
ナイラ:許して。
ロバート:儀式を続けてください。私は自ら身を捧げたのです。
マハーデーヴィー:ナイラ、お願いだから元に戻って。私と一緒に帰るのよ。
ナイラ:どこに居ても絶対に帰ってくるから、あの家で二人で待っていて。
ナイラは微笑む。
ナイラ:私は永遠に二人の娘だから。
ナイラは短刀を振り上げて叫ぶ。
ナイラ:にゃるらとほてぷ つがー しゃめっしゅ しゃめっしゅ あざとーす ふたぐん!いあ!
ナイラ、ハルとロバート:いあ!
ナイラはナイフを一閃し、頚動脈を切断する——しかしロバートのではなく、ナイラ自身の。鮮血が噴き出し、ロバートは血を浴びて絶望的な表情をする。横たわるサラの白い頰にも血が飛び散る。
ロバート:神よ!
ナイラは後ろ向きに倒れる。その瞬間、夜空の渦から凄まじい明るさの光が地上に向かって延び、ナイラを包む。彼女は仰向けに横たわるかたちで空中に浮き上がる。そして光によって闇が消えるように、彼女の体も、虫の群れも一瞬にして黒い煙となり、空間の中に消え去る。憑き物が落ちたようにハルはマハーデーヴィーを離し、大声で叫び始める。マハーデーヴィーはその場でくずおれる。彼女の黒い目(その目は紛れもなくナイラに受け継がれたものである)から涙が滴ったその時、雫は重力に反して上に向かい、再び元に戻る。時間がより急速に遡り始める。今までの出来事の風景が逆回転して巻き戻る。しかしそのシーンにナイラが映るたび、彼女の姿は煙となってかき消える。そして場面は、マハーデーヴィーが自宅のリビングのソファに座っているところまで戻る。
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