星の智慧

○午後四時半。ハルが投宿している「ムーン・イン・オーガスト」の一階。カウンターに座ったハルとリリーが話している。微妙な時間帯のせいで他に客はいない。


リリー:あんた漫画家だそうね。

ハル:はい。

リリー:うちの孫もコミックが好きでね、あたしには何だかわからないけどよく読んでるよ。

ハル:いつか英語で出版したいと思います。

リリー:アメリカには遊びに来たの?

ハル:旅行記の漫画を描くために出版社のお金で来てるんですよ。

リリー:こんな田舎の旅行記なんか、読む人がいるのかね。

ハル:日本人はアメリカには興味津々ですからね。主に音楽祭を取材するんです。

リリー:あの祭りのことかい、あたしは嫌いだよ。

ハル:やはり大人数だと地元の方々は大変ですからね。

リリー:そうじゃなくて、内容が気に入らないの。今となっては村中大騒ぎしてるけどね、まるで偶像崇拝じゃないか。


リリーはハルがクリスチャンではない可能性があることに突然気がつき、気まずそうに彼を見る。


リリー:気を悪くしたらすまなかったね。

ハル:いえ、大丈夫です。

リリー:昔はああじゃなかったんだよ。今や誰も教会に行きもしないし、牧師はロバートと喧嘩して出て行った。

ハル:ロバート?

リリー:ホワイトウォーター・ホテルの痩せた男だよ。白髪で目が青い…祭りの委員もやってるから、見物に行けば運営に居るはずだよ。

ハル:ああ、さっき司会をしているのを見ましたよ。

リリー:ホテルはあいつが経営してるんだ。音楽祭を受け入れるって決めたのはロバートだよ。

ハル:それはいつ頃です?

リリー:二十四年前かねえ。ロバートが軍をやめてからだから。あの人は四十歳過ぎまでは結構偉いさんだったんだけどね。交通事故に遭ってから塞ぎ込むようになっちゃって、親が亡くなった時に退役してホテルを継いだのよ。

ハル:音楽はお好きだったんですか。

リリー:さあね、いきなり帰ってきたからわかんないよ。でも、その頃ホワイトウォーターの観光業っていうのはどん底だったのね。田舎の湖でボートと釣りなんて、今時流行らないからね。あたしも宿を畳んで引っ越そうかと思ってたくらいで。そんな時に彼らが来た。

ハル:彼らって?

リリー:「星の智慧」とか言ってた。ホワイトウォーターには大人数が泊まれるホテルも、レストランも、音楽にふさわしいような自然もあるからぜひ場所を貸してほしいってロバートに交渉して、彼は受け入れた。

ハル:実際のところ観光客は増えたんですか?

リリー:増えたよ。夏至と冬至に必ず大規模なフェスティバルがあるし、月に一回は金持ちが集会をするからね。

ハル:お金持ちが多いんですか。

リリー:経営者の団体みたいなもので、会員になると商売の時に助け合うってロバートは言ってたね。うちの隣のハリソンの嫁がロバートの次に入会した。そうしたら株だかで随分儲かってね、みんながこぞって星の智慧に入ったんだ。

ハル:会員は村にどのくらい?

リリー:半分くらいじゃないかね。祭りの客は会員の店で買い物したがるし確かに儲かるよ、でもあたしはごめんだ。ロバートと仲が悪いからね。あれは昔から信用ならない男だったよ、軍に入ってからますます悪くなった。

ハル:なるほど。僕の田舎もそういう団体に目をつけられたことがありましたよ。どこでもある話なんですね。

リリー:あの、星の智慧が神だと言ってる女の子はあんたの恋人かい?

ハル:この前知り合ったばかりですよ、気は合いますが。

リリー:あの子もあんたもいい子そうだから忠告しておくよ。祭りが終わったらあいつらとは連絡を取るんじゃない。きっぱり手を切って忘れるんだ。

ハル:わかりました。ナイラにも言っておきます。でも、どうして?

リリー:あたしは怖いんだよ。前に来た学生さんは夜中に出て行ったきり帰ってこなかった。

ハル:失踪ですか?

リリー:あまり大声でしない方がいい話さ。あんた、今晩は何か食べる?

ハル:ええ。ウミヤツメってあります?

リリー:もちろん。

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