至日の神

○午後十一時。広場には黒いローブ姿の群衆が詰めかけ、ステージの奥ではオーケストラが演奏を始めている。手前には女性の胸ほどの高さの台が設置され、その前に祭服を着て儀式用のナイフを腰に帯びたロバートが立っている。広場の中央には白い石で巨大な魔法陣が描かれ、図形のところどころに生きたヤツメウナギを満たした石の鉢や木の枝を組んだ塔が置かれている。魔法陣の中心には石の玉座がステージを向く方向に向けられ、「至日の神」の衣装を着せられ黄金の二重冠を頂いたナイラが縛り付けられている。彼女は明らかにアルコールか薬物を投与されており、ほとんど抵抗を見せない。前開きの祭服を着てナイラに向き合うスーザンの足元には金属製の甕があり、泥水のような色の液体で満たされている。スーザンは液体を骨でできた碗ですくい、ナイラの口に注ぎ込む。彼女は大人しく飲み干す。スーザンは玉座の横に立ち、ナイラと同じ方向を向く。激しく叩かれる太鼓の響きに合わせ、群衆が歌いだす。


【至日の神の儀式】

合唱:にゃる・しゅたん!にゃる・がしゃんな!にゃる・しゅたん!にゃる・がしゃんな!

ロバート:万歳、至日の神、這い寄る混沌、大いなる使者!

合唱:そは燃える三眼の主、微笑みて夜を歩くもの

汝は宙より来たりし神々の使者、最も長き道を旅するもの


群衆の中にマハーデーヴィーの姿が見える。彼女はスーザンから見える位置の篝火にできるだけ近づこうと、熱狂した人々をかき分けている。頭からフードを被ったサラは妻と逆の位置で、できるだけ目立たないようにうつむいている。ハルは更に彼らとは離れた奥の方にいる。


ロバート:かお無くして千の貌を持つ者、全てでありながら無である者

合唱:父なるアザトースの玉座に侍るのは誰か?

至高の王の宮廷より遣わされるのは誰か?

ロバート:来たれ、来たれニャルラトホテプ!


木の冠を被った髪の長いアフリカ系の女性が、石の鉢を両手で持ちステージ上に進み出る。彼女は台の上に鉢を置く。ロバートは彼女の後ろに近づく。


合唱:にゃるらとほてぷ つがー しゃめっしゅ しゃめっしゅ

ロバート:異界の門を開きたまえ!

尽きせぬ力を示したまえ!

この生贄を受け取りたまえ!

合唱:いあ!


ロバートは女性の髪を強く引き、喉笛を切り裂く。抵抗も悲鳴もなく、ただ溢れ出る血を台上の鉢が受ける。マハーデーヴィーは叫びを押し殺す。


合唱:にゃる・しゅたん!にゃる・がしゃんな!にゃる・しゅたん!にゃる・がしゃんな!


二人の侍祭が女性の遺体をステージから下ろす。ロバートは血の満ちた鉢を捧げ持つ。先導役が群衆を分け、ステージから魔法陣への道を作る。彼は魔法陣の中に踏み込み、一度ナイラの足元に鉢を置くと跪く。スーザンがさっきの甕と碗を持って近づき、同じものをロバートにも飲ませる。


ロバートとスーザン:よぐ のぐ ふっぷ むげぽごる んぐふふと ふのぐ ふにるぐふり やる んぐ そす……(太古の闇より来たれ、無限の時空を越えて来たれ……)

合唱:いあ!いあ!いあ!いあ!


マハーデーヴィーはできるだけ人のいないポイント——つまり篝火の中に爆竹を放り投げる。すさまじい音が鳴り響くだけだが、それは暗闇の中で集まっている群衆を注目させ、パニックに陥れるには十分である。ハルが大声で叫ぶので、なおさら人々は混乱する。


ハル:助けて!助けて!人殺し!


注目が逸れた隙にサラは拳銃を構えて突入しようとするが、魔法陣の線を越える時、地面にあるヤツメウナギで満たされた鉢を踏んで滑り、塔の一つに体当たりして倒してしまう。フードが取れて顔が見える。侵入者に気づいたロバートは立ち上がるとナイラの横に近づき、足元から鉢を持ち上げる。サラはさっと体勢を立て直して魔法陣に踏み込み、ロバートに銃を向ける。ロバートは動きを止める。


サラ:この子を解放しろ!我々は銃を持っている!

マハーデーヴィー:爆弾も!

ロバート:私を殺したところで止められは——


ロバートは横目で、壊れた塔と鉢から地面に散乱したヤツメウナギを見る。群衆の中で一人の老人が銃を構える。彼は群衆に語りかける。


ロバート:落ち着きなさい!武器を下ろすのだ。いいか、皆落ち着いて。

スーザン:何故です。

ロバート:召喚は中止だ。見えるだろう?結界が壊れている。


スーザンはロバートの方を見て頷く。


ロバート:(サラに)わかった、解放する。その後のことは交渉しようじゃないか。


サラは頷く。ロバートは鉢を放り出すと両手を上げる。


サラ:(スーザンに)こっちに。ナイラの縄をほどいて。


スーザンは頷く。


ナイラ:母さん?

サラ:もう大丈夫だから。


スーザンはサラの方に近寄ってくる。


サラ:本当にスーザンなの?どうして?


スーザンは何の迷いもない流れるような動作で、祭服の裏から拳銃を取り出してサラの眉間に向けて発砲する。彼女は表情を変える間もなくその場で仰向けに倒れる。ナイラの額に描かれた第三の目にサラの血が飛ぶ。スーザンの片目から涙が流れる。マハーデーヴィーは悲鳴を上げる。ナイラはしばらく、何が起こっているかすらわからずにサラの体を凝視し、それから絶叫する。ロバートは真っ青になってスーザンを睨みつける。


ロバート:何をしたのかわかっているのか!

スーザン:今を逃せば、神様は行ってしまう。

ロバート:制御できなければ、力が世界中に及ぶんだぞ!

スーザン:そうね。


スーザンはにっこりと笑う。ロバートはきびすを返し、群衆を掻き分けて逃げ出す。ナイラはまだ叫び続けている。その姿が光学的に歪み、彼女の中から何かが現れる。それは生身の肉体の内側から出てくるわけではなく、むしろナイラのいる空間に生じたある種の「裂け目」の向こう側から来ると表現した方が近い。それは数十人の信者を踏み潰しながら巨大な三本足で直立し、森の中で最も高い木すらその足の半分の丈にも及ばない。集まった人々はそれを恍惚の表情で見つめている。マハーデーヴィーとサラ、ロバートはむしろ恐怖を顔に浮かべながら見上げる。それは二本の鉤爪を持ち、長々と頭部の触手をしならせる姿には奇妙にも人間を思わせる何かがあるが、顔に相当するであろう部分にあるのは深い穴で、その向こうには塗られたように真っ黒な闇がある。(「闇に吠えるもの」)


スーザン:ああ、いらっしゃった!


「闇に吠えるもの」は未だかつて人間界に存在したとは思えない響きの、美しいほどにおぞましい声を張り上げる。その声とともに、穴の中から闇が溢れ出てくる。闇は空中でばらけ、スズメバチとバッタを悪意を持って混ぜ合わせたような姿の昆虫になると地上へ降りてくる。スーザンはうっとりと虫の群れに手を差し伸べる。一匹が彼女の指先に止まり、そして巨大な顎で噛み付く。スーザンは悲鳴を上げて振り払おうとするが、一瞬にして彼女の全身は虫の集団に覆われる。無数の虫は群衆にも襲いかかり、彼らは完全にパニックに陥って四方八方に逃げようとする。マハーデーヴィーは近くにいたハルを探し出す。不思議なことに、彼の周りにはほとんど虫が寄ってきていない。


マハーデーヴィー:近くの建物はどこ?

ハル:(指差す)あっちに倉庫が。

マハーデーヴィー:行こう。


マハーデーヴィーはハルの腕を掴むと走り出す。

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