第12話 きもちわるい
クレドの食が進んでいるのを見て、ルピは満足していた。
やはり人間も、おいしいものはおいしいと思うようだ。
母はやめておけと言ったが、この瘦せっぽちの人間にもこういう滋味に溢れるよい肉を食べさせるべきなのだ。しかも、そこら中にたくさんいて獲るのは簡単となれば申し分ない。
クレドが訊ねた。
「これ、皮はどうした?」
「カラスがもっていってしまいました」
「
「ちいさすぎてたぶんだめなのですよ」
「じゃあ尻尾は?」
「しっぽ?」
「遠い国ではお守りにするそうだ」
「しっぽならあるのですよ、でもカリカリにして、ルピがおやつにたべるのです」
「あんな毛まみれのを?」
「いいえ、けはなくてほそながくてみみずみたいな……」
「は? ミミズ?」
ふいっとルピは視線を逸らし、上目遣いにクレドを見て、再び遠慮がちにそっぽを向いた。何かを隠したいときの犬にそっくりだ。
クレドは彼の前の皿に視線を落とした。食後の皿は、もちろん空になっている。
「ルピ」
「はい」
「これは、私は勝手にウサギの肉だと思っていた」
「……」
「何の肉だったんだ」
「……う……うさ……」
言い張ろうとしているが詰まっている。どうしても嘘が吐けないのは、ルピの性分なのか、人狼たちの生得の資質なのかわからない。
「尻尾が細長い?」
「……」
「尻尾に毛がない?」
「……」
「ルピ、怒らないから言ってみろ」
上目遣いに、小さな声でルピは言った。
「のねずみなのです」
クレドは額に手を遣り、薄い瞼を閉じた。鼻梁に薄く皺が寄る。
ルピの眉間にも皺が寄った。
「でも! おいしかったのでしょう?!」
「ああ、旨かったさ」
「おいしければよいでしょう?」
「……そういう問題ではなくて」
干したシカ肉に続く胃袋の蹂躙に、クレドは呻いた。
この娘は後出しでとんでもない情報を出してくる。
ルピの方は、人間の不可解さに焦っている。
嫌がるかもしれない食材を黙って食べさせたのはまずかったかもしれないが、美味でお腹が膨れるならそれはよいことではないのか。
ルピはテーブルにばんと手をついて粗末な丸椅子の上に立った。テーブルの振動に一瞬皿や匙が浮いた。
「にんげんはリスやマーモットならたべるではありませんか!」
リスやマーモットなら時おり村の者が狩って食べている。王都でも好事家の食卓に上ることがある。
しかし野ネズミはない。いくら彼が合理主義者ぶっていても、ネズミはやはり嫌なのだ。
この世界の人間なら、ネズミが媒介する伝染病の爆発的流行により、路傍いたるところに死体が転がっていたことは記憶に新しい。その恐怖から得た教訓として、ネズミだけは勘弁、という共通意識がある。
「ルピはおいしいものをたべさせたかったのですよ!」
クレドは席を立ってルピに背を向けた。怒らないからと言った以上、まともな男は怒ってはならないのだ。
「ちょっと風に当たってくる」
ネズミを食わされた少年は小屋を出て歩いた。
ここで嘔吐するとルピが傷つく。鋭い嗅覚ですぐにばれるにせよ、少し離れたところがいいだろう。
――ルピに食わされるものは何でも、先に確認しないと……
けもの道の緩やかな斜面を村のほうへ下って行くと、右手に小さな陽だまりがある。
よく動物が日向ぼっこをしている場所で、老いた倒木が苔むして、その陰に麦粒ほどの小さなキノコがびっしりと生え、背の低いキンポウゲが咲いている。空を覆っていたものが斃れ、陽が当たる喜びを謳歌しているようだ。
その有毒植物の上に場所を定め、クレドは吐くこととした。
体を折り曲げたときに、ふと手を置いた倒木に目を遣る。
分厚く生えた苔の上に小さな足跡が凹んでいる。新しい、裸足の小さな足跡だ。
クレドは、ぐっと口を引き結んだ。
――私に食べさせたくて、朝早くからあの子はネズミを捕ってたんだな。
クレドはそういう、誰かが自分のためだけに何かしてくれる、またはしてくれたという事象には弱い。
自分の中で、甘さだとか弱さだとかが顔を覗かせて、さっそくルピの弁護を始める。
生息域も食性も同様のげっ歯類は食べてもネズミだけはちょっと、というのは確かに理に適っていない。母の書き記した記録が正しければ、あの伝染病の病原体を人間社会にばらまいたのはイエネズミでこそあれ、もともとはげっ歯類が共通に持っているもので、ネズミを忌避するならマーモットもリスもウサギもそれなりに嫌悪されるべきではないのか。じゃあそうしよう、と言ってもウサギもリスもこれまで食べてきたのだから今更の感がある。
マーモットもリスもウサギも美味だからよいのだ、というならば。
――旨かったんだよなあ
確かに旨かったのだ。ルピの料理の腕のおかげかもしれないが、ノネズミの肉はコクはあるのに変なクセも臭いもなく、歯触りもよかった。
しばらく生理的嫌悪と、時を超えている合理性と、それから舌に残る感覚を自分の中で闘わせたあとに、クレドは大きな溜息を吐いた。
――鼠毒(鼠咬症)と病原体には気をつけさせよう。
そうやって整理をつける。
体調を崩したら、ルピに看病させよう。多分見ているこちらが疲れるくらい、無駄に一生懸命やってくれるだろう。
そして、少しばかり反省した。
――ルピに食わせてもらっておきながら、私の態度はよろしくなかった気がする。
――私は来年、法規的には成人で、相手は幼児だぞ。
クレドはあまり表情が豊かではなく、その見かけ通りに、彼が愛らしいと認めた動物以外の物事には冷ややかだった。そんな不遜な彼でも、自分にも非があったと思ったらそこは素直に認める。頑なに非を認めない人間は醜い。その醜さがぞっとするほど嫌なのだ。
非を認めたからと言ってそこで終わりでも負けでもない。強かに状況を建て直せばいいだけの話なのに。
――帰ろう。
ルピは、昼食の片づけを終えて、クレドが袖丈伸ばしに苦心していたジャケットをテーブルの上に広げていた。
「下手くそ」という言葉が具現化したような出来栄えだ。攣れた縫い目を小さな手で布になじませようとしたが、それで何とかなるようなものではなかった。ルピはまた頭をころんころんと傾げた。
――ルピもおさいほうはへたなのですが、こんなにへたではないとおもうのですよ。
――クレドさまはルピよりずっとおおきいのに、ですねえ。
針箱を見ると、まだ糸の通った針がピンクッションに刺さっている。下手くそほど糸を長く使いたがる現象そのものなのだが、これはルピには幸運だった。一番苦手な糸通しの作業がいらないならば百人力だ。
ルピは小さなハサミを取り出して、縫い目の糸をぷつんと切り、攣れや撚れを直してノットし、開いてしまった隙間を縫い始めた。
――これで、クレドさまはのねずみのことはきっとわすれてルピをほめるのですよ!
クレドが縫ったものよりは随分まともに仕上がった。しかし、ジャケットに農夫のシャツの端切れを接ぐということに問題がありすぎて、みっともなさと貧相さはどうしようもない。
ピンクッションに針を刺し、針箱を片付けようとしたルピは、ふとテーブルの脇に奇妙なものがいるのに気が付いた。
それはテーブルの端にいた。
ルピの握りこぶしで言えば二つ分くらいだろうか。
真っ黒な炭の粉の塊のように見えたが、輪郭が不明瞭で、その周りのものが歪んで揺らめいている。まるで陽炎を纏っているようだ。
――これは、なんなのでしょうねえ?
分厚い柔らかな耳を前へ向け、人狼の仔はじっと見ている。
すると、その靄の塊は一息つくようにゆっくり震えた。
振動が収まると、二つ並んだの小さな裂け目が現れる。
裂け目はゆっくりと開いた。
黒い塊の中で、同じ色の瞳がぬめるように光っている。
ルピは椅子から飛び降り、うう、と唸った。
その得体の知れないものは、ふわっと宙に浮いた。
――きもちわるい!
その気味の悪いものを、ルピは思いきり平手で叩いた。
手応えは意外と軽く、コウモリ程度の感触だった。
あの、山ほどあった金物や食品を一人で背負ってくることのできる身体能力で殴られるとひとたまりもない。
謎の生き物は、どこかへ吹っ飛んでいった。
「ぎゃっ!!」
小屋の外で短く、少年の悲鳴が響いた。
デッキへ運んでいた薪の山が崩れる音。
ルピが慌てて外へ出てみると、クレドが大量の鼻血を出して散らばった薪の中に倒れていた。
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