第20話 ざんねんなおりこうさん
クレドが叫んでいた。
「やめろ! やめてくれ!」
それは命令ではなく哀願だった。
人間の力を優に凌ぐ力を持つルピに対するものか。
正当に制裁の権利を持つテラコッタ屋のおかみに対するものか。
もうとにかく、どっちもなのだ。
その声は村の広場に響き渡り、行商団の連中も買い物をしていた村人もクレドを見た。
今までぼそぼそと話すだけだったこのカトンボのような少年の、人前の
怒鳴った後に駆け寄って女の手からルピをひったくり抱きしめたとき、不覚にもクレドは泣きそうになった。
――たかがこんなことくらいで……
そう思ってぐっとこらえ、もしゃもしゃの毛が生えた尖った耳に囁いた。
「ルピ……やっぱりお前は留守番させておけばよかった」
ルピは尻尾をふさふさと振った。
無意識に頬ずりしたあとゆっくりと地へ下ろし、彼はルピが咥えている人形をそっと引っ張った。
「さあ、この人形は返そう」
疲れた口調でクレドは言うのだが、ルピは人形を離そうとしない。
「君たちは人のものを盗んだりしないんじゃないのか」
そう言われると、人狼の仔は悲しげな眼をし、きゅうと鳴いた。よほど欲しいのだ。
クレドはその青い瞳を見ていると胸の奥がぐっと収縮するような感覚に襲われた。非常に不快なようで、それでいてぐっと抱きしめたくなるような、言いようのない感情だ。
とりあえず、横で興味深そうにのぞき込むラディを八つ当たり風に一睨みして、クレドはテラコッタ屋のおかみに謝った。
「私の犬がご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした」
「まったくだよ!」
女は、追いついて泣き縋ってきた娘の頭を撫でながら、険しい顔をしている。
「よろしければ、この人形を買い取らせていただきたいのですが。犬のよだれも相当吸い込んでいますから」
女の腿にぴったりくっついている娘が、かぶりをふる。女は大丈夫、売りゃしないよと娘に声をかけ、それからクレドにすげなく言った。
「だめだね。それ、娘が大事にしてんだよ」
「お願いします、お支払いはしますから」
「あんた、私が夜なべしてこの子とお揃いの服着せて作った人形が、ちょっとやそっとで売れると思ってるのかい?」
「それは……」
「もう、そいつはこの子には妹みたいなもんなんだよ」
古今東西、母の愛には勝てないものということになっている。村人たちは、この不吉な雰囲気のするガキが困惑しているのを面白そうに眺めていた。
クレドは困惑して軽く頭を振ると、ルピの顎から人形を外す作業に戻った。
「ねえ、マルッカのおかみさん」
おもむろにラディが口を開いた。
「もう一つ人形あったろ? こいつじゃなくて、なんか白っぽい、地味なやつ」
「え?」
「なんかあんまり見た目の良くないやつ」
女は明らかにむっとした様子だった。
「あれはまだ飾り付けが終わってないからそう見えるんだよ!」
「エルゥだってあの人形は可愛くないって言ってたし」
マルッカ夫人は足許の愛娘を見た。娘は困った顔をしている。ラディは無頓着だ。
「あれ、売ってやったら? がっつり飾り付けてから売るより、惜しくないんじゃない?」
ラディはクレドに向き直るとあっさりと訊ねた。
「で、ゼノ、いくらまでなら出せる?」
クレドが、払ってもいいと思える金額をぼそっと呟く。ルピの靴を買うことは諦めざるを得なかったので、その予算をそこへ突っ込むこととする。
聞くとラディは金額を大声で復唱して周りに聞かせ、それから笑った。
「ゼノ、その犬可愛がりすぎだよね」
「うるさい」
「ああいう布の人形は王都の道ばたでもたまに売ってるけどさ、ゼノが言った金額の七掛けってとこだよ」
「だからなんだ」
「そんなに金持ってないのに奮発するねえ。たかが犬のおもちゃに」
こまっしゃくれた口調がぷすぷすとクレドの神経に刺さる。ルピをイヌイヌ呼ばないでもらいたかったが、彼自身が犬だと言い張ったので仕方がない。ラディは人形の製作者に人懐こい笑顔を向けた。
「おかみさん、わりといい話じゃない?」
この場の主導権はすっかりラディが握っている。
女はちょっと考える顔つきになったが、すぐにまたにべもなく断った。
「犬が食いちぎって遊ぶのに、あたしが丹精込めた人形を売ると思ってるのかい」
「食いちぎらないって。この犬、この人形に絶対泥がつかないように、ずっと高く持ち上げて走ってたよ。多分大事にするんじゃないかな」
クレドはラディの観察眼を気味悪く思った。それは、まだ十歳やそこらの子どもの持つものではない。
おそらくその思いは、村人たちがクレドに対して感じるものと通じているのだろう。
――こいつと一緒にいるのはよくない。早く離れなければ。
「ほら、なにやってんだよ。ほんとに買いたいんなら、あんたも何か言えよ」
ラディに小声で促され、慌ててクレドも言う。
「私の犬は人形を壊して遊ぶようなことはしませんし、私がさせません。絶対に大事にさせますから」
マルッカ夫人の顔は険しいままだ。
ルピがまたきゅうきゅうと鳴いた。
その声が届いたのか、人形の持ち主であるあの少女が、くいくいと母親のスカートを引っ張り、何か言う。
娘は母親と二言三言言葉を交わすと、あのテラコッタの露店の方へ駆けて行った。
しばらく女も少年たちも黙りこくる。駆け戻ってくる軽い足音に皆目を向けると、娘は飾り付けがまだぞんざいな人形を持ってきていた。ラディが「見た目の良くない」と評したのはこの人形のことだろう。
だが、ちゃんと麻縄をほぐして作った髪も、黒っぽいボタンの目も見ようによっては愛嬌がある。
作り主は傲岸にくいっと顎を上げた。
「あんた、ゼノっていうんだっけ?」
「はい」
「その犬は、うちの子が触っても大丈夫かい」
「それは……」
「この子が、その人形はダメだけど、この使ってない人形は売ってあげてもいいって言ってんだよ」
「……ありがとうございます」
「でもそのかわり、その犬をさわりたいんだとさ。大丈夫かい、その犬」
「……よく言い聞かせてみます」
クレドはルピの横に跪いた。
「ルピ、話は聞いていただろう」
「……」
「その人形は、あの子のものだ。あの子が妹みたいに可愛がってるんだ。だから返しそう。そして、もしルピがあの子になでなでされるのを我慢できたら、あっちの人形を売ってもらえるんだが、どうする」
ルピが鼻を鳴らした。あちらの人形にも少しだけ興味が湧いたらしい。しかし、今咥えているものへの未練も断ちがたく、クレドの目を見上げている。
「君たちは、人のものを盗ったりしないのが誇りなんだろう?」
くいっと首を傾げられる。クレドはさっそく言い換える。
「誇りっていうのはつまり……自分は、いい子なんだって言えることだ。ルピはいい子なんだろう? 恩返しを頑張っているときに人のものを盗ってはいけないんじゃないか?」
――ルピは、ぬすっとではないので……
――かえさなければならないのはわかっているのです
――だけどちょっとかなしいのです
ルピは俯いて地面を見ていた。あっちの人形は地味で、リボンも飾り刺繍もフリルも何にもないのだ。
「おーい、ルピ、こっち見てみな」
陽気なラディの声に、ルピとクレドは顔を上げた、
ラディが道の端のウマゴヤシを引きちぎり、丸い輪を作って件の地味な人形の頭に載せた。あっさりした黄色い小花の冠だ。
「ほーら、可愛くなった!」
こんなちょっとしたことで、ずいぶん愛らしく見える。
馬を繋ぐための杭の下に踏まれながら咲いたミヤコグサも摘まれて、人形の胸元に飾られる。
鮮やかな黄色が、人形にあどけなさを加える。
――あれも、おはなをかざるとかわゆいのです
――かわゆいもようもひらひらもないけど、ルピがつければもっともっとかわゆくなるのですよ
――しらないにんげんにさわられるのはいやなのですが、クレドさまがよこにいてくれればきっとだいじょうぶなのです
ルピは人形を咥え直すと、クレドの顔をじっと見上げ、持ち主のもとへとことこと歩き出した。クレドはラディの如才なさにとりあえずは助けられた、と思った。かといって好きにはなれないのだが。
ルピが少女に人形を返し、背中や頭を撫でられているその横で、クレドはテラコッタ屋の女将に人形の代金を払い、人形を手に入れた。
さらにいくばくかのオーツと大麦、少し虫が涌いたふすまたっぷりの小麦粉も買い込む。分厚いキャンバスも奮発し、クレドとお供のちびオオカミは帰路についた。
クレドは森に入っても、何度も誰もついてきていないことを確認した。それほど、彼にはあのラディと名乗る赤毛の少年が油断ならなく思えていた。
まだ空は明るいが、ほのぼのと夏の月が昇り始める。
一足早く闇に包まれる森の奥に戻りながら、やっと誰もいないと確信できたクレドはルピに疲れた声で話しかけた。
「ルピ、今日は私は疲れたよ」
「あぅ」
「あんなことをしでかすようならもう二度と村には連れていけないぞ」
「……くーん」
生温いお説教をした後、彼はため息とともに本日の反省をこう総括した。
「靴が人形に化けてしまった」
「あぅ」
ルピはご機嫌だった。小さな頭の中は、人形に飾る紐のきれっぱしや花のことでいっぱいらしい。これはこれで、ルピが昔もっていた人形よりもはるかに豪勢な造りなのだ。
「君は、ちょっと残念だが、おりこうさんだよ」
クレドは、オオカミの姿をしたルピを撫でた。
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