第19話 かんでもよいでしょうか
言われて、クレドは落胆した顔のまま、木々や草花からとった精油の大瓶を渡す。
この精油を小分けし自家用は取っておいて、行く先々の薬屋に「はるか遠きイェフィムの地に、清らかな水と土壌で育った薬草の謹製精油」とか何とか言って、そこそこいい値で売りつけているからだ。行商団の中にも薬屋がいてチンキや薬草を売り買いしているが、一度通貨へ交換してから買い物をするより、物々交換のほうが割りがよかった。彼らに限らず、行商団の連中は銅貨よりこういう現物を喜ぶ。資材や商品を調達する側面が強いからだ。田舎で貨幣を稼ぐことに期待できるわけがない。
靴屋のおかみは軟膏の瓶のふたを開けて匂いを嗅いだ。
「いい匂い。あんた、まだ若いのに結構な腕してるよ。将来薬屋になるのかい?」
「わかりません。これで足りますか」
「ふーん。じゃあこれで取引ってことにさせてもらおうかね」
「ありがとうございます」
まだ子ども靴を購入するのに十分な精油はまだ持ってきていた。なのに、モノはない。
あの小うるさいラディが尋ねる。
「ゼノ、何で子供の靴なんか買うんだよ」
「何ででもいいだろう」
「もしかして弟か妹がいる? ……それか、子どもがいるの?」
「は?」
「王都に見たことあるよ。ゼノと同じくらいの歳で子どもがいるやつ」
「気色悪いことを言うな」
ぶすっと答えて、残りの精油は薬屋に買い取ってもらおうと立ち上がったそのときだった。
クレドは目の端に幼い子供が走り回っているのを捉えた。その足元に華やかな色を見て、彼は慌てて振り向いた。
ルピと年格好が近い女児だ。南方の血が入っているのか、浅黒い肌をしている。壺や甕を売っている連中が連れてきた子だった。明るい黄色の木綿と草底の粗末な、しかし軽そうな靴を履いていた。
ルピも、耳を立ててその子を見ている。しかし、クレドがその子の靴を凝視しているのと違い、ルピは彼女の抱えている人形に心を惹かれた様子だ。布で作られ、ボタンで作った目が粗末なあどけなさで虚空を見ている。くず糸の髪の毛を端切れのリボンで結んで、持ち主と揃いの簡素な服を着せられていた。
ルピは鼻声をきゅーきゅーとあげながらそわそわしだした。その人形にひとかたならぬ興味を持ったらしい。裸足が当たり前で暮らしてきたルピにとっては、靴なんかいらぬお世話で、お人形の方がずっと魅力に溢れているのだ。
ラディはその様子をずっと窺っていた。
「ちょっと君」
クレドは、人形を抱えた子どもにそそくさと近寄って声をかけた。
「なあに?」
「その靴、見せてくれないか。すぐ返すから」
「いいよ」
彼女は快諾し、片方の靴を脱いで見ず知らずの相手に渡した。
クレドは足の温もりと湿気が残る小さな靴を、目を皿のようにして検分し始めた。
底は、なにか固い草本植物で編まれている。素材は藁かなにかを叩いて柔らかくしたもののようだ。平たく編んでいるのではなく、細長く紐状に編んだものをぐるぐると平たく巻いていき、歪んだ楕円形、すなわち足裏のかたちに成形して縫い綴じている。甲や側面は粗末な麻だが、鮮やかな赤や青の余り糸で小鳥の刺繍をし、粗めに底に縫い付けてある。
軽さといい通気性といい、申し分なさそうだ。これならルピもうんと言うだろう。
クレドは靴を持ち主に返すと、その親のところへ案内してもらった。その後ろを何が面白いのか、ラディがまだついてくる。
家畜用の水場の近くに彼らは腰を据え、テラコッタを売っていた。鉄分の色が強く出た赤茶の陶器の並ぶ中、痩せた女が客の引けた合間に子どもの服を繕い、刺繍をしている。ただ破れを綴じればいいだけなのに、連続した細かい幾何学模様を並々ならぬ熱意で刺して破れ目を飾っている。必要に駆られてというより、おそらくそれは彼女の趣味なのだろう。
「母さん、お客さんだよ」
娘の声に女は顔を上げた。幾分斜視が入った目付きだった。売れ筋の客ではないと瞬時に見抜いたのか、
「え? ああ、いらっしゃい。ゆっくり見てって。割ったら、買いとってもらうから気をつけなね」
そう言いながらまた目線を手元に落とす。
「陶器ではなく、娘さんの靴について伺いたいのですが」
女はまた顔を上げ、針仕事から離れたばかりの目がぼやけるのか、右手で両の目頭を摘まんだ。
「うちの子の靴がどうしたって」
「一足、お譲りいただけませんか。子ども用の靴を探しているんですが」
クレドにとっては、売り物でないものを売ってくれというのは若干の気おくれがある。
一方で、女は売り物の造作と同様、素っ気なかった。
「うちは靴屋じゃないよ」
「承知しています。履き古しで十分です。もちろんただでとは言いません」
「履き古しなんて行商に持ち歩いたりしないよ」
「では、靴底と甲の部分の型紙は?」
「ないよ。全部私が娘の足にあてて適当に作ってるからね」
「おお、それはすごい」
少年は大きく目を見開いて、心底感服している様子を見せた。
人は褒めれば何とかなる、と母は言っていたし、森番小屋の蔵書にもそんなことが書かれた本があった。
「あの刺繍もあなたが?」
「ええ、もちろんよ。柄も私が考えて刺したの」
「あの鳥の模様? とても品がいいですね」
「もともと古くから伝わる柄だけど、ちょっと尾を長くして、冠羽も足したのさ。可愛いでしょ」
女は、どうだ、と言わんばかりに肩を
ちょこまか動く足に履いた小さな靴の小さな刺繍など、そう人が注視するものでもない。しかし確かに造作は機能性に負けず劣らず可愛らしかった。靴を見せろと言われてすぐに見せた娘の態度は、母の作った靴を誇りに思っているからだろう。
ここで、クレドは女の手元にある繕いかけの服を、素晴らしいと讃えた。最初は控えめ、教会の導師たちに許しを請う村人の態度をお手本に、やや卑屈に、そして徐々に情熱的に。
女は目を輝かせ、見せてくれと頼んでもいないお手製の縫物を並べて、あまり達者ではない自慢を始める。それを頷きながら拝聴した後に、クレドは尋ねた。
「ざっくりとでいいのであの靴の作り方を教えてもらえませんか」
女が機嫌よく、そこらの雑草を抜いてまずは麦わらの編み方を教え始めた。七目ほど編んだところで、甲高い子供の悲鳴が上がった。
悲鳴は泣き声に変わり、いくつかのいたずら小僧の囃す声、どやす声、そして駆け回る足音が聞こえる。
クレドは気にせず靴の製法を尋ねようとしたが、女は弾かれたように立ち上がり叫んだ。
「あれ、あんたが連れてた犬じゃないのかい!」
クレドは声の方を見た。
そして見るなり、いきなりバケツの水でもぶっかけられたような思いで走り出した。
ルピが村の広場を駆け回っている。鬼ごっこの鬼から逃げる体で真剣かつ楽し気だ。その口には、このテラコッタ屋の娘が抱えていた人形が咥えられていた。人形を泥で汚さないよう頭を高めに上げている。
その後ろを、棒を振りかざした悪童どもが追い、少し遅れて泣きながら、娘が走る。
「ルピっ!!」
クレドは走りながら叫んだが、興奮しきっているルピの耳には届かない。
彼はルピを追ってぎくしゃくと駆け出した。
「ルピ! 止まれ!」
この制止が利くわけがない。
不本意だ。全く不本意だ。
周りの悪童たちの声が、歯ぎしりしたいほど神経に触る。
さらに嫌な気分にしてくれたのは、いつの間にかすぐ脇、腕に触れんばかりのすぐ近くをおちょくるような笑顔で走っているラディだった。
「ゼノ、あいつあの人形相当気に入ったみたいだね」
返事をする気力もなく、クレドは一瞥をくれ、口をへの字にしただけだった。
しばらく晒し物の気分で走り回っていると、ルピは前方でふと足を止め、体全体で跳ねるように振り返って、追いかけてくる子供たちに混じっているクレドを見た。
――クレドさまがたのしそうにはしっているのです
――にんげんのこどももいっぱいで、いっしょにおいかけっこして、ルピはとてもうれしいのです
ルピは、にっと笑って人形を咥えなおした。
ルピのいた人狼の村にも人形はあったが、もっと粗末で、服や髪の毛などなかった。木の葉を綴り合せたものを人形に巻き付け、つる草で腰の位置を結んで服とし、抱っこして子守唄を歌って遊んだものだった。しかしその人形も、クレドのところへ恩返しに来るときに、恩返しをするならおもちゃにかまけずしっかりやってくるのですよ、と母親にとりあげられてしまった。おそらく今頃は弟や妹のおもちゃになっているのだ。
でも、この人形はふんわりと歯の間で柔らかい。ふわふわの服に可愛らしい靴までついていて、リボンまで結ばれている。とてもかわいいのだ。
「ルピ! ちょっと来いっ!」
――クレドさま?
――おこっているのですか?
ルピはきょとんとしたが、そのときいきなり首根っこを掴まれた。それはもう情け容赦のない力で、ルピは驚いた。
人形を離さずに、獣の娘はマズルに皺を寄せて尖った歯をぞろりと見せ、唸り声をあげた。誰が自分の首の皮を掴んでいるのか見ようとしたが、よく見えない。
どうも女のようだ。人形を返せと喚いて、引っ張ってくる。人形にこの女の匂いがついていたので、おそらく、この人形を持っていた子の母親なのだろう。
大した力ではないので簡単に振り切れる。ただ、人狼を殺したがっている種族にいきなりたてがみの皮を掴まれているのは不快だ。それが許される人間は、この世では今のところクレドだけだ。
ルピは、この女にあの人狼の物理的な力を振るおうかどうか考えていた。
――にんげんがいやなことをしたときだけ、かんでもよい
――おとうさまもおかあさまもそういっていたので……
――ルピはこのにんげんをかんでもよいでしょうか?
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