第18話 これだから村人は嫌い



「この犬、目が濃い空色だね。珍しい」


 ラディはオオカミそっくりの犬を撫でようと手を伸ばしたが、クレドは不機嫌そうに制止した。


「噛まれても知らんぞ」

「この犬は大丈夫な気がする」

「どうしてそう思うんだ」

「きれいだし、明るい目をしてるから、きっといいしつけをされた犬だよ」


 クレドは複雑な顔をして、それ以上話しかけようとはしなかった。

 さすがに商人の子、めげない性質たちなのだろう。ラディはあれやこれやとうるさく話しかけてついてくる。

 あからさまにうるさそうにしながら、クレドは速足で歩く。

 ルピは、クレドの前になったり後ろになったり、離れずに歩きながら、時々歩みを止めてラディを珍しそうに見つめる。


 コモンズを抜け、今だけの日差しを楽しんでいるライ麦やオーツの畑、ウマゴヤシの茂る牧草地を通り過ぎる。

 ヤギは今見当たらない。岩のごつごつした山裾に放牧されているのだ。今は、崖に順応していない羊や馬、牛が放されている。ただいま仕事中、という表情の犬が責任感たっぷりにあたりを眺めていたが、クレドたちの姿を認めると、火がついたように吠え始めた。

 柵を直していた牛飼いたちは手を休めて、クレドを見る。これまでもこの不気味なよそ者はたまに村に降りてきて、食料品やぼろ布などを物々交換で手に入れに来ていた。しかし、彼には犬は吠えなかった。どちらかと言えば犬たちは彼を気味悪がって、息をひそめて通り過ぎるのをじっと眺めている体だった。そこがまた、農夫たちがクレドを不吉に思う原因になっている。

 ところが今日のこの吠えっぷりはどうだ。きっとなにかが違うのだ。

 そこで彼らは、この背だけひょろっと伸びたガキが、ちょっといいおべべを着た小さなガキと、犬のようなものを連れているのに気づく。

 この街の雰囲気をぷんぷんさせた子どもは行商団が連れてきていたのを見ている。問題は犬の方だった。

 農夫たちは優秀な犬は財産だと考えており、他人の犬には一通り目を留めるのが常だ。ところが、それがオオカミそっくりで、悪魔と繋がりがあるのではという噂のあるよそ者が連れているとくれば、一言申したくもなる。

 

「おい、お前」

「はい」

「そいつ、オオカミの仔じゃねえだろうな?」

「いいえ、犬ですよ」

「どう見てもオオカミだろ。潰して帽子かなんかにすんのか」

「いえ、犬です」


 慇懃かつぶっきらぼうにクレドが答えるのを遮って、ラディが口を出す。


「これ、北のほうの珍しい橇犬なんだって」

「へえ、なんて種類だ?」

「もらった犬だからわからないんだって」

「ふーん……オスか」


 ラディはクレドを見た。


「ゼノ、どっち?」

「メス」


 クレド、もといこの場においてはゼノがめんどくさそうに答える。農夫はルピをじろじろ眺めた。


「脚がしっかりしてるし、かなりでかくなるな、こいつは」

「そうですか」

「いい犬なら、うちの犬をかからせてもいい」


 クレドは胃が口から飛び出すような不快感を覚えて、足元にちょこんと座り首のあたりを後肢で掻いているルピを抱きかかえた。


「この犬は癲癇てんかん持ちだから、繁殖には向きません」

「ああ、それで。はねもんだからタダでもらえたんだな」


 クレドは苦虫をつぶしたような顔になった。これだから村人と話のは嫌いなのだ。

 ルピは頭を右に左にころんころんと傾げたあと、自分を抱えているクレドのおとがいをちょっと嗅いだ。もしいつもの姿ならば、繁殖とはなにか、癲癇とはなんのことかとひとしきり騒いでいたに違いない。


「急ぐので、失礼します」


 ルピを抱えたままクレドが大股に歩きだす。ラディもついてくる。そして、なにかを伺う目つきで、ふざけたことを言う。


「ゼノ、あのおじさんの犬、結構よさそうだったよ。いい話じゃない? こいつとあの犬の仔なら、高く売れるよ」

「うるさい」


 不機嫌なクレドを、可笑しそうにラディは見上げた。


 村の広場では、街から来た行商人たちがめいめいに馬車をそのまま店に設え、あるいは天幕を張って、田舎の人間を魅了する雑貨や衣類、金物、テラコッタを売っている。村人たちは、彼らが持ってきた釉薬が掛かった花模様の壺や、見事な細工のある錫や銀の食器、絹の反物は憧れの目を向ける。獣皮革、羊毛、チーズやバターと物々交換して、岩塩、鉈や鋸で削って使う固形糖、小麦やワインを手に入れる者も多いが、クレドの目にはあまり割りに合う取引には見えなかった。

 クレドも錫の細工物を売っている男に赤い琥珀を売った。「釣り銭の都合もあるから困る」とぶつくさ言われながらも銀貨ではなく銅貨での支払いを求め、なんとかクレドは買い物の資金を調達した。銀貨だとのちのち農家の連中から食料を分けてもらうとき、釣り銭が出ない可能性が高いのだ。いずれにせよ、足元を見られた額で買い叩かれたのだろうが、これが相場だと思うしかない。

 いつも日の当たりにくい村の広場の北側に、革細工を並べる商人の夫婦がいる。細君がにこにこと靴を売りさばき、隣では髭だらけの夫君が、在庫の靴底に甲を縫いつけ、鋲を打っている。成長期のクレドは毎年、ここで靴を買っていた。簡単な革細工程度ならこの村でも作られているが、多層圧着した革底を持つ軽い靴は街へ行くか、彼らからしか入手できない。


「おーい、トゥーハさーん、お客さんだよ」


 ラディがぱたぱたと駆け寄って、靴屋に声をかける。その後ろには、この辺では珍しい長身の少年が歩いてくる。灰色の犬を抱きかかえ、その顔にはイラつきが見て取れる。


「いらっしゃい、おや、あんたかい」

「お久しぶりです」

「一年ぶりだねえ。元気だった?」

「ええ、まあ」

「あんた、また背が伸びたんじゃない?」

「……かもしれません」

「じゃあ靴も買い替えなきゃね。前買ったのは、確か13アイルだったね。そろそろ指先がつっかえてるだろ」

「はい」

 

 不愛想に挨拶しながら、クレドは商人たちの記憶力のよさに感服していた。その足元で、ルピは大人しく座り、おそらく彼女なりに精一杯犬らしくしている。ラディは客を連れてきてやったぞと言わんばかりのしたり顔で、黙々と靴を縫う靴屋のおやじに話しかけていた。


「足に合わない靴は万病の元だよ。14アイルでもいい頃だね、その背丈じゃ」

「……その寸法のは、まだありますか」

「ああ、あるよ。あと二足ね」


 トゥーハと呼ばれた女は、背後の大きな箱をごそごそと探り出した。そして、上に積み重なっていた靴の重みでぺしゃんこになったブーツを二足引っ張り出し、片方を高く上げて見せた。


「あんたの足はちょっと甲が薄めだから、こっちかな」


 二足試し履きをしてみても、彼女の見立て通りだった。早速履いてきた靴は下取りに出す。

 帰りは新しい靴できっと擦れてまめができるだろうと思いながら、クレドは歯切れ悪く訊ねた。


「あの、……子ども用の靴はありますか」


「子ども用って? あんた弟か妹いたっけ?」


「親戚の子のです」


 クレドは背嚢の中からぐしゃぐしゃの糸を取り出した。

 一本一本丁寧にほぐしていくと、それぞれの端が草や木の実の汁で緑、黄、茶、赤茶 黒と染められている。それをクレドは縦にきっちりと伸ばして並べた。

 ルピの足を測ってきた、あの糸だった。


「これがあしうらの長さ、最大幅、甲の長さ、足囲。このくらいの子どもの靴があれば、見せてください」


 靴屋は困った顔をして、やたらと細かい要求を始める少年を遮った。


「この大きさってことは、まだ小さい子だね?」


「はい」


「小さい子どもの靴は持ってきてないんだよ」


「……一足も?」


「そう、一足も。こういうとこじゃ子どもの靴は売れないんだよ。子どもの足はどんどん大きくなるから、その辺で手に入る木靴でいいってみんな思ってるしねえ」


「古靴でもいいんですが」


「うちらは古靴は扱ってないんだよ」


 クレドはがっかりした。子ども用の古靴でもあれば、それを土台にどうにかしようという気にもなるが、土台から入手できないとなると少々手に余る。ルピの方は、もともと靴に興味はないので、しゃらっとしたものだ。舌を突き出して大あくびしている。


「まあ、ないものは仕方ないさね。軟膏とか精油、持ってきてる?」


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