第17話 行商団の子
「恩人がこんなに頼んでいるんだぞ」
「……でも」
「子ども同士で遊びたいなら、仲間たちのところへ帰るといい。人間には何も期待できないダメな生き物だ。いいか、人間というのは……」
厭世観にどっぷり漬かった年寄り臭い説教が続く。
――クレドさまはにんげんなのに、にんげんがきらいなのでしょうか
――ルピはなかまたちがだいすきなのに
そうやって、また口をへの字にぐっと結び、悲しくなったとき。
ふっと彼女は表情を消し、じわじわと警戒の色を見せた。涙が引っ込んだ青い瞳が辺りを見回す。粗末な麻袋のフードの下で耳が動いた。
「クレドさま、おしずかに、なのです」
ルピは人差し指を立てて己が唇にあて、小声で言った。
「だれかくるのですよ」
ふんふんと小さな鼻で大気の中の匂いを嗅ぐ。
風上から何か匂う。
これはまだ未熟な……クレドより少し子どもなオスのにおい。
そう重くはない、土を踏む音。
接地面の大きな、二本の足。
――おはなししていたのできづくのがおくれたのです……
ルピはその気配とクレドとの間に入った。彼女は五感も身体能力もクレドを凌ぐ。ルピ自身それを知っているので、この非力な人間を守らなければ、というままごとの延長のような思いがある。
そして、小さな人差し指で村の方向を示した。
「あっちからなのです……たぶん、にんげんのこども……おすなのですよ」
そこまで聞けば十分だった。
クレドはルピを抱えると、傍らの藪に突進し、隠れた。
イバラの蜜を採っていたマルハナバチが突然の闖入者に驚き、舞い上がる。いばらの棘が薄く、彼の顔を傷つけた。
ギャアギャアとカケスが鳴いた。
枝葉の隙間から、ざっとあたりを見回したあと、クレドは見かけによらずずっしりと重いルピを降ろした。
ルピも息を殺していたようで、地に触れると、ふうと息をついた。
「そうだ、いいことを思いついた」
クレドは今更になって気づいた。
屈んで、ルピの耳に囁く。
「急いでオオカミの姿になれ」
「おおかみになってもみつかったらころされるのでしょう? にんげんは、おおかみびともおおかみもころすのでしょう?」
「だいじょうぶ、なんとかするから!」
「せっかくへんそうしたのに」
「人間から言わせてもらうと、その『へんそう』はかえって目立つ」
「めだつ?」
「たくさんの人がじーっと見てしまいたくなる、ということだ」
「かわゆいから?」
クレドは複雑な表情で答えた。
「まあそんな感じだ。でも見つかったら殺されるから目立たない方がいい」
「かわゆかったら、ころさずにかわゆいかわゆいしてくれればよいのに」
「その通り。だが人間はそうもいかないんだ」
かわゆいというのがうれしかったらしく、ルピは抱えられたまま、尾を振った。
ぼろマントの下で手足の関節の位置がじわじわと移動する。
口吻が長く伸び、全ての骨格のバランスが変化する。
ルピは後ろ向きに抱えられたまま、仔オオカミになった。人間の五歳児くらいの大きさで、あの青みを帯びた灰色の毛は、すっかり夏毛になっている。フードを剥がすと、髪をくくっていた革紐は、たてがみ辺りにちょんと引っ掛かっていた。
「いいか、ルピ、君は私の飼い犬だということにする」
泥のついたシュミーズとドロワーズを、もたもたと脱ごうとする仔オオカミを手伝いながら、クレドは言った。
「そうすれば、多分大丈夫……」
そのとき、こまっしゃくれた声がすぐ近くから聞こえた。
「何が大丈夫だって?」
びくりとして声の方を見ると、赤銅色の髪の子どもが藪に頭を突っ込んでクレドたちを見ていた。クレドは立ち上がって相手を観察してみた。
生え替わった前歯がやたら大きく見え、無邪気な悪童といった顔立ちだ。
飾り紐の付いたシャツに革の靴を履き、村ではついぞ見ない短い編み上げ
クレドは行商人たちが連れてきた子だろう、と踏んだ。
少年は子供の馴れ馴れしさで訊ねた。
「それ、犬?」
「うん」
「なんで犬が服着てたの?」
やっと脱ぎ終わって獣らしい獣の姿になったルピは、緊張した面持ちでクレドの足元に控え、じっと少年の顔を見上げている。
「この犬が服をおもちゃにしてたんだ」
「変な犬。立ち耳だし」
「立ち耳の犬だってよくいるだろう?」
「僕はねえ、いろんなとこでたくさん犬を見てきたから知ってるよ。でもこの辺の犬はみんな毛が長くて顔までもじゃもじゃだし、耳も中折れだろ? こいつとはずいぶん違う」
知識をひけらかすのが最高に楽しい年齢、十歳かそこらに見える少年はペラペラしゃべる。
ルピが着ていた衣類を背嚢に突っ込みながら、クレドはいらいらしてきた。しかし少年はお構いなしだ。
「オオカミそっくりだね、こいつ」
「北の方の橇犬らしいんだ」
「北ってどこ? マルディカとか? それともネミル?」
少年は、北端で接する隣国の名を、どうだ自分は知っているんだとばかりに出してくる。クレドはつっけんどんにはぐらかした。
「よく知らない。もらった犬だから」
「ふーん」
クレドが今度は訊く。
「君は村に来ている行商団の子か? 去年はいなかったように思うが」
「うん。今年から父ちゃんと一緒に行商団に入れてもらったんだ」
「一人で森に来たのか」
「ここんとこ似たような村ばっかりで、退屈だから」
「クマやオオカミが出るのに危ないぞ」
「俺には幸運がついてるんだ、ナイフだって持ってるし」
「なるほど」
得意そうに大きめのナイフをちらつかせる少年に、クレドはどうでもよさそうに相槌を打った。
「あんた、イェフィム村に住んでんの?」
「……この近くに住んでいる」
「ふーん……あ、俺の名前、ラディってんだ。あんたは?」
「私はゼノという」
ルピがクレドを振り向く。聞いたことのない名にルピが驚くのも無理はない。
ゼノというのが、イェフィム村でのクレドの通り名で、もちろん本名とは違う。
もともとクレドという名も、人外であるルピとつきあうために便宜上付けた名だ。
「へえ、ゼノね。覚えとくよ」
少年はにやっと笑った。
「あんたの犬、ここら辺の犬と全然似てないけど、あんたも村の連中と違うね。言葉も、見かけも」
「王都から来たしな」
「俺もね、よく王都に行くんだ」
「へえ」
「市場の裏の暗いところで、あんたみたいな真っ黒い髪と目の女がよく売られてるよ、顔はもっと平たいけど」
「……」
「
「知らん」
クレドの目つきが険しくなった。少年はまだ続ける。
「ゼノってもしかして、ソルシエル? それかショクバイ? だったら、その犬も、魔犬とか、オオカミとか……人狼だったりして」
「そんなわけないだろう。私は魔法なんか使えないし、この犬はただの犬だ」
子供の無邪気さを悪用した薄気味悪さを、クレドはこの少年に感じた。ラディも、クレドがそう感じていることをわかっているようで、どこか冷めた目をしている。
「……そっか」
「では、私は行くところがあるから失礼」
こんなに不快な子どもに出会ったのは初めてだ。クレドはルピについてくるよう短く指示すると足早にその場を離れた。村へと続く小道をラディも走ってついてくる。
「村に行くんだろ? 何買うの」
「どうでもいいだろう」
「父ちゃんたち、明日の朝にはここを立つって言ってたから、今のうちに買っときなよ」
「……」
「俺、値切るの手伝ってやるからさ」
「お構いなく」
素っ気ないクレドに、ルピは困ったような顔をしてとことことついてきていた。
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