第11話 めしあがれ

――うーん……だめだ


 初夏の風が薫る中でなんでこんな鬱屈した作業をしなければならないのか。

 流行遅れのジャケットの袖に継ごうとしている布は、村の祭りで燃やされることになっていたかかしの服だった。自分が普段着ているシャツよりずいぶん状態のよい服が着せられていたので、祭りの前夜にこっそりと脱がせて代わりに麻袋に穴を開けたものを被せてきた。そうやって持ち帰ったそれを、適当に裁ってかがって袖口に足す。ただそれだけの作業だが、クレドは裁縫が苦手だった。料理のほうがまだましだ。

 大変な苦労をしてやっと仕上がったジャケットは、洒落者なら「これを着て外を歩くくらいなら死んだほうがまし」と言い出しそうな出来だった。しかしクレドは最善を尽くした。これ以上の完成度は今は望めない。

 彼は投げやりに修繕が終わったジャケットを置くと、デッキの上にごろんと寝ころぶ。

 夏に向かってどんどん色鮮やかになっていく空が、真っ黒い瞳に鏡面のように映った。

 青い空を黒いカラスが飛ぶ。平和だ。

 小屋の中からは、幼児の細い喉から出てくる声で奇妙な歌が聞こえてくる。料理をするときはいつも歌う。「ごはんがおいしくできるうた」とのことで、すでにクレドは歌詞を書き留め済みだった。

 歌とともに、木の床の上をとととと……とルピが裸足で動き回っている音がする。

 

――靴を買ってやりたいな、重い木靴じゃなくて、軽い革靴を……

――私の靴ももう限界だし、ついでだし


 どの季節、どの天候でも彼らは裸足で平気とのことだが、あの細かい傷を見ると参ってしまう。

 相手は半分はオオカミなのだから犬と同じに放っておけばいいのに、どうも甘くなる。ルピはそのうち帰ってしまうのだから、とぶっきらぼうに接しているつもりなのに、何かこう、ふにゃっとなってしまうのだ。

 これではまたあのときの二の舞になる。

 まずいとは思っているのだが、あの丸っこい小さなかかとを見ると憐憫の情が勝ってしまう。だから最近、クレドは黒く長い髪の根元に指を突っ込んで、オオカミのように唸りながらわしゃわしゃ掻き回す。この国の人間のようにふんわりした柔らかな髪ではなく、堅くて重いのでぐしゃぐしゃにしてもすぐに元に戻る。革紐で括っていても、いつの間にかするんと緩んでしまう。

 クレドの父はこの髪を、蛇がずるずる這うような醜さ、と言っていた。

 彼は父の神経質そうな顔立ちには似た。しかし、父のオリーブ色の目やハシバミ色の髪ではなく、母親からつりあがった切れ長の目と真っ黒な瞳、髪を継いだ。

 目の奥でに毒虫が蠢いている、だの、呪う気か、だの言って、父はクレドを近寄らせようとせず、視線を向けられるのさえ嫌った。しかし、父は、同じ髪と目を持った母に対しては何も言わなかった。クレドは、父は母を魔女として恐れていたのかもしれない、と思っている。

 クレドには優しい母であったが、不可解なところだらけの女だった。

 人殺しとして流れ流れて辿り着いたこの森の中の小屋に、たとえ盗んだにせよ、なぜこれだけの書物を揃えられたのか。クレドは母が重い書物を運んでいるのを見たことがない。

 母が書き遺した奇書は何を示しているのか、死んだ途端なぜ、プリズムで分解された光の粒のようになって虚空に溶けて消えていったのか、息子であるクレドにもわからない。

 ともあれ、父の恐れは正当なものだったろう。実際、母は父を殺したのだから。

 母が父を殺した理由をクレドは忘れようと努めてきた。

 母も彼の記憶からそれが消え去ることを強く願っていた。


 もう日は南中のころを迎えている。

 バターと牛乳、それからパンが焼けるようないい匂いが漂っていた。

 小屋の扉が開き、ルピがぴょこんと顔を出した。


「クレドさま、おひるごはんなのですよ」

「うん、今行く」


 テーブルには、キャセロールにバノックのような生地を被せて焼いたパイがどんと鎮座し、なかなかに壮観だった。おとといの収穫、花期を迎えてトウの立ちかけたクレソンもさっと茹でられて鉢に盛られている。

 クレドは椅子に座り、しみじみ、おさんどんのいる生活に感謝する。

 差し向かいでルピが目をきらきらさせている。

 とりわけ用の大きな木の匙で、パン種入りの生地をパリっと割り、大きな一切れを皿に載せて、その下にあるきのこと肉のクリーム煮をその上にたっぷりよそう。クレソンもたっぷりだ。

 そして、よだれが垂れそうになって慌てて鼻まで届く舌でぐるんと口の周りを舐め回し、皿をクレドの前へ置く。


「めしあがれ、なのです」

「ありがとう」


 次にルピは自分の分もよそった。クレソンはちょっぴりにしているが、クレドに言われて少し足す。

 それから、クレドの差し向かいでごそごそと膝で硬い丸椅子に上がり、座り直す。


「主、願わくはわれらを祝し、また主の御惠によりて……」

「いただきます!」


 クレドは食前の祈りを軽く捧げるが、そこに何の意味も見出してはいない。

 ルピはルピで、食料となるために落命した生き物すべてへの短い感謝の言葉を口にする。人の姿をとった肉食獣がそうしている姿は、神への祈りよりもクレドを神妙な気分にさせる。


「さあ、きょうのパイはおいしいのですよ!」

「ああ、頑張ったな」


 顔にパイ皮の屑やクリーム煮の汁をくっつけながら、瞬く間にルピは食べてしまった。そしてテーブルに身を乗り出して、かぶりつくようにクレドを見ている。

 ルピの食べっぷりを見ながらやっと一匙を口に運ぼうとしていたクレドは、鼻息荒く凝視しているルピに居心地の悪さを覚えた。


「足りなかったのなら、少し分けようか」

「いいえ!」

「じゃあなんでそんなに見てるんだ」

「ルピは、クレドさまがおいしがるかどうかがみたいのです」

「そんなにじろじろ見られてると食べにくい」

「だいじょうぶなのですよ」

「んー……そんなことよりそれは何だ?」


 クレドはルピの皿を指差した。そこにはクレソンが残っている。


「ちゃんと食べろ」


 ルピはテーブルの上にのりだしていた身を椅子の上に戻し、ちょっと不承不承の顔つきで皿に残った汁に絡めながらクレソンを食べた。少し癖のある匂いが嫌なのらしいが、ちゃんと食べるところはきっと人狼たちの躾がよいのだろう。クレドもパイを口に運んだ。

 小麦粉で濃度をつけた牛乳で煮たきのこは牧草地に生えるハラタケを干したもので、安心して食べられるお馴染みの食材だった。

 そして、小さく刻んだウサギの肉と思しきものが入っている。ウサギは淡白で癖がないものだが、この肉はコクがあり美味だった。今まではルピが持ってきた干し肉や燻製肉がよく食卓に上っていたが、新鮮な肉の登場は初めてだ。


「クレドさま、おいしいでしょう?」

「うん、旨い」

「ルピがつかまえて、かわをとっておりょうりしたのですよ」

「……へえ、そりゃすごい。さすがおおかみむすめだ」

「さすがなのでしょう!」


 ルピは尖った耳と鼻をぴくぴくさせた。とてもうれしいのだ。

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