第7話 おんがえしはすばらしい


 人狼の娘ははだしでとことことデッキへのスロープを上り、背負ってきた大荷物を降ろした。金属や木ががしゃんと触れ合う音がした。

 腰に結わえたやかんや油缶なども全部置き、身軽になった彼女は、ぐっすり眠っている小屋の主を足元に見降ろした。

そして頭の横にしゃがみ込む。


「こんにちはー」


 やはり、クレドは起きる様子がない。

 獣人の仔は幼児らしくふくふくした手で、彼の長い黒髪についた木の屑をとってやった。

 

――クレドさまは、やせているのですねえ

――おかおのいろも、なまっちろいのですねえ


 彼女は傍らのやかんの蓋を取り、中に手を突っ込んだ。掴みだされたのは、大人の掌大の黒っぽく硬そうなものだ。樹皮に似ている。

 彼女は眠っているクレドの上に馬乗りになると、その口の隙間にそれを迷いなくぐっと突っ込んだ。

 

 それはもう、素晴らしい効果だ。


 切れ長の目が、瞳の上下にまで白目をむき出して大きく開かれた。クレドは目を覚まし吐くほどの大きな咳をした。 

 更に、口の中のものを慌てて取り出すと、それを握ったまま、体をエビのように丸めて呼吸が止まるほどの勢いで咳き込む。

 彼に乗っかっていた人狼の仔は振り落とされてしまった。しかしそんなことは気にしない。

 

「何をするんだ」

 

 咳の下で苦しそうに少年は言った。さらに誰何する。


「誰だ……ごほごほっ……このクソガキが」


 よれっと身を起こす彼に、彼女は楽しそうに言った。


「くそがきなんていってはいけないのですよ、うんこのこどもということなのですよ?」


 咳が少し収まって、クレドは相手を見た。

 青光りして波打つ灰色の豊かな髪。

 白っぽい耳毛がふさふさした分厚い耳。

 光溢れる空の色の瞳。

 後ろでバサバサしているのは太くて丈夫な尾。


 彼女は得意そうに顎をあげていた。


「でも、わたしはうんこのこどもではありません、おおかみむすめなのですよ」


 彼は喉の粘膜の損傷に咳ばらいを連発しながら、やっと尋ねた。


「まさか、君……ぐふん……君は、げふっ」

「はい」

「……ルピ?」

「はいっ! おぼえていたのですねえ、クレドさま!」


 ルピはにっと笑うと、ぴょんぴょんと跳ね回った。だいぶ目立たなくなっているが、右脚にある環状の傷跡が見えた。


「でも、ほんとうのなまえは、き……」

「やめろ、知りたくない!」


 つい声を張って、またクレドは咳き込んだ。


「何しに来た」

「クレドさまをたすけにきたのですよ。ルピがきたから、もうあんしんなのです」

「安心って何が」

「ルピはかしこくて、なんでもできるのですよ? わるいひともわるいけものもルピがこうやっておいはらうのです、がうー!」

 

 ルピは指をがぎっと曲げた両手を胸の前に構えて、オオカミ流にすごんで見せた。

 不覚にもクレドは可愛いと思ってしまったが、やはり許してはならない一線がある。幼児相手でもそこを許せば、自分だけの居場所が崩れてしまう。


「人の姿をしたものは、ここには絶対に入れないと言っただろう! 私は人が嫌いなんだ!」

「ルピはひとではありません」

「人の姿をして、人の言葉を使うのがいると、私が落ち着かないんだ!」


 ルピはやれやれという顔をした。


「クレドさまはおぼえていないのですか」

「何を」

「たべものをもってきてほしいと、このあいだのおわかれのときいったではありませんか」

「……あ」

「だから、ルピはきました! ここにすんでおさんどんをするのですよ」

「えっ」

「おさんどんは、おおかみのおててではなくて、このおててじゃないとできないのですよ」


 ルピは小さな掌をひらひらさせた。


「でっ……でも、君の親御さんたちは」

「おかあさまはいもうととおとうとをうんだのでいそがしいのです」

「だったらなおさら家のことを手伝わないとダメなんじゃないのか」

「おうちにかえってクレドさまのことをはなすと、ふゆのあいだ、むれのみんなでいっぱいいっぱいおどうぐやたべものをあつめてくれたのですよ。おうちをでてくるときもみんなでおはなをふらせて、みおくってくれたのです」

「えっ」

「おんがえしをするのは、とてもすばらしいことなのですよ!!」


 よく見ると、ルピの髪にはオニノゲシの萎れた花がいくつも絡まっていた。

 どうも、ルピの種族にとっては、恩を受けたときは返すということがとてつもない誉れなのらしい。だから、ルピはこれほどまでに得意げなのだ。出征するときのパレードみたいなものなのかもしれない。


「いや、あの……これとかみんな、くれるってやつなのか?」


 クレドは山のように大きな布包みを細長い指で差した。


「もちろんなのですよ!」


 ルピはそういうと、教会の壁画の除幕式のように重々しく、包みをほどいた。

 途端に、布に包まれてぎりぎりの秩序を保っていた牛乳缶や木の皿、何やらわからない紙包みや布包み、その他こまごましたものが激しい音を立てて崩れ、思わずクレドは体を縮めた。

 褒めてほしそうにこちらを見ているルピに、クレドは言った。


「あ、ああ……ありがとう」

「すごくよいでしょう?」

「ああ……よいですね」


 つい口調が移ってしまう。


「クレドさまはおなべがひとつでおさらもひとつなので、ルピからこれをもらうとよいのですよ」

「あの、……うん、本当にありがとう」

「どういたしましてなのです」

「あとは、もうおうちに帰っていいから……ご家族にクレドがありがとうって言っていたと伝えてくれ」

「それはダメです!」


 ルピは何を言うんだとばかりに眉間に皺を寄せた。


「おんがえしは、これくらいではすまないのですよ!」

「えっ」

「いまから、ごはんをつくるのです」


 ルピは、クレドの手に握られている、さきほど彼の口に突っ込んだ固いものを指さした。


「クレドさまはそれをたべてまっているとよいのですよ」

「なんだこれ」

「シカのほしにくなのです。おーいしーいのですよー?」


 日用品の山の中からひょいっと大なべを抱え上げると、ルピはデッキから飛び降りた。

 

「スープをつくるのです!」


 冬ここにいたときには何もかもを雪が覆い、水場の所在など知らなかったはずだが、匂いでわかるのか、ルピはさっさと小屋の裏へ回る。

 その後ろ姿を、ごじごじと鹿の干し肉を噛みながらクレドは見送った。


――ものを食いながら考えると、考えが鈍るな……


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