第23話 嗣子


 二時間ののち、ラディアンは衣服を整え、石英の間を出た。

 ラディアンは呟いた。


――とっとと死ね、くそジジイが。


 白いシャツの下には、力を与えると称して老人に傷だらけにされた体がある。枯れ切っているくせに、いや、枯れてるからこそ、こういういたぶり方をするのだろう。そしてしばらく弄り回した後で、ぶつぶつと何やら詠唱のようなことをしながらひねこびたところから射精し、傷口に塗りたくられる。時には飲むことを強制される。そしてことが終われば、彼はこの老人にひれ伏して、この上ない名誉であると感謝し、次回の奉仕も誓わなければならない。

 身の毛のよだつことようなひとときだ。

 朽ち木と猿のミイラを足して二で割ったような老人に、少年であるとはいえ健康な彼が物理的に反抗することは難しいことではなかった。しかし、母と家令に、あの老人には絶対に歯向かうなと言い含められている。代々王家に仕えてきたソルシエルの家系に生まれた以上、家督を継ぐ者として避けられない儀式であるというのだ。

 あの老人は導師メイジと呼ばれ、王家の庶子を幼少時から幽閉して継がせていると聞く。導師は表舞台には立たないが、この国ができたころから王家に仕え、魔術師ソルシエル予見者ヴィジオネル預言者プロフェテ召喚術士エヴォークの「力」を分け与えてより強力な術者に仕立て上げる役割を持つという。異常な長寿を誇り、森羅万象の霊力を集め、選ばれた人間に与えることができると信じられているのだ。

 くだらないとラディアンは思っているのだが、父も、祖父も、高祖父も、このヴェライル家の当主は幼いころ、あの老人とその先任者たちに奉仕してきた。


 ラディアンは、父のことは覚えていない。母に訊ねると、気違い女に殺された、と口を歪めて吐き捨てられた。彼は聡い子どもで、不思議と幼いころから噂話の断片を組み立てて真相にいたることが得意だった。

 そして彼が得た情報はこうだ。


 父は高家の出である母との間に生まれたラディアンではなく、どことも知れぬ異民族の奴隷女に生ませた異母兄を嗣子としたかったらしい。異母兄はラディアンよりも四つ年長、黒い目と黒い髪を持っていたという。その奴隷女は、触媒として比類ない才能を持っていたため、父はその血を引く息子が欲しかったのだろう。

 父が異母兄を嗣子にしたかった、ということは、異母兄もあれを……あのくそジジイとあれをしていたにちがいない。奴隷女はそんな異母兄を連れて逃亡し、行方は杳として知れない。

 ラディアンは父の命を奪ったというその奴隷女を責める気にはなれなかった。かえって異母兄が羨ましくてならない。いっそ自分の母も自分を連れてこの家を出てくれないかと思うこともあったが、母がこの暮らしを捨て、追われながら暮らしていけるような女ではないことは、誰の目にも明らかだった。

 父が死に、異母兄が消えて息子がこの家の嗣子となったとき、母はラディアンを抱きしめて喜んだ。自分の存在により、母にヴェライル家での地位が保証されるならそれでもいいか、とそのころは思ったものだ。今は、伯父が高齢をおして後見人となり采配を振るっているが、彼は家督を継ぐために必要な異能が発現しなかったかわりにまともな神経を持ち合わせており、ラディアンには優しかった。しかし、家令や母とは折り合いが悪く、この甥っ子の成人と共にこの家を離れて隠居するつもりで、その日を待ちわびている様子でもあった。


 そんなある日、彼は自分と同じ血を持つ者の動向を感じ取る力があることに気が付いた。血さえ繋がっていれば千里眼と言ってもいい。

 常人は、彼の母が宝石商の店へ行くと言って情人と会っていることも、伯父が伯母の墓の前でしょんぼりと座り込んでいることも気がつかないらしい。

 一般に、これまでの経験や状況で近しい人間のの行動を推し量ることは可能だ。しかし、ラディアンのそれは「推理」の範囲を超えていた。

 ところが、その能力は周囲の期待よりもはるかに卑近で限定的なものだったので、一族皆が落胆した。導師……あの老人がラディアンのその能力を「犬の力」と呼んだほどだ。

 そして、「犬の力を活かして」、あの奴隷女と異母兄を探すように厳命された。なぜそうまでして、探さなければならないのか尋ねると、導師はにやっと笑ってこう言った。


「あの子にはこの世のものではない力がある。魔術や召還などでは追い付かないような、異なる世界のものと思しき力が」

「そうですか……」

「それにあの子は。ああ、あの切れ長の目の美しさよ……。雀斑が浮き出るこのあたりの人間の肌とは違い、肌理が細かで、その上に黒髪が流れるさまは得も言われぬ」


 ラディアンは鳥肌が立った。

 とにもかくにもそういった経緯で、ラディアンは言われたまま偽の親を金で雇って行商団に紛れ込み、これまで手を尽くして探された町や村よりもはるか遠くの村々を旅してきたのだ。この二年間は家にいるよりも馬車に揺られていることの方が多かった。

 そして、見つけてしまった。

 ゼノと名乗る、異母兄と思しき成人直前の少年を。

 あのくそジジイが言うほどには美しくもなく、背丈だけひょろっと伸びて貧相なやつだったが。


 石英の間を出て肖像画の並ぶ廊下で、家令は主である少年を待っていた。


「ラディアン様、おいたわしゅうございます。さあ、帰って傷が残らぬよう手当いたしましょう。隠者様は瘡蓋をお喜びにはなりませんので」


 ラディアンは、自分がどういう仕打ちを子の館の主から受けていたか知っているくせに平然としているこの男が憎くてたまらない。

 この醜悪な匂いを漂わせた自分から、さりげなく顔を背けるのもわかっている。

 しかも、母と堂々と通じているのも気にくわない。実直で気の利く家令として振舞うのだけでも不快なのに、おっとりした伯父を差し置いて、ラディアンの後見人面をしているのが実に不快だった。

 自分が成人したらさっさと殺してやろう、とラディアンは思っている。彼は無表情に言った。


「先にいって馬車を回してこい」



 イェフィム村では短い夏が終わろうとしていた。

 陽が沈みかけて、西の空は橙に染まり、東は紺青へ変わっていく。

 クレドはデッキに座ってそれをぼんやり眺めていた。

 去年も同じ時期にこうして座って、空を眺めていたのだが、今は何とも違って見える。

 背後から、ルピが鍋を掻き回す音がする。今夜はシカの臓物と干しているキノコを一緒に煮込むと言っていた。香りづけにラムソンを入れるそうだ。


 昼過ぎに、ルピがアカシカの仔を捕まえてきた。かなりの大物だ。藪にしゃがんでいたところを簡単に捕まえられたとルピは言うが、その柔らかい手足には青い内出血をこしらえていた。

 血抜きをし、内臓をしっかり洗うルピは五歳児とは思えない手つきだった。その間皮を剝ぐよう言いつけられたクレドは、ナイフで赤茶色の皮を剥いだ。ルピは子鹿の消化管をごしごしとしごいて洗いながら、その皮で何を作るか、楽し気に悩んでいる。

 今の時期の動物の皮はぼろぼろと毛が抜けるのでなめすしかない。一番簡単なのは、近くの小川にしばらく浸けてから毛を引き抜き、塩と植物油をなじませて何日もかけて揉んでいくやり方だ。油は針葉樹の実から抽出するにしても、問題は塩だった。ここでは塩は貴重品だ。

 古代人は皮の鞣しに塩ではなく尿を使っていた、という知識が頭をかすめたが、手袋だの帽子だの言っていたルピの顔を思い出すと、クレドは即その方法を却下した。

 塩はまだあるとはいえ、ルピが冬に向けて野草の根やキノコの塩漬け、干し肉、干し魚を作りたいと言うので、今年はやたらと塩が必要だった。

 しばらくいい天気が続きそうだ。近いうちにまた村へ下りて、買い物をせねばならない。


 ルピが大きな声を張り上げる。


「クレドさまー! ごはんができたのですよー! おいしいのですよー!」


 クレドはルピと揃いの布靴を履いた足で、小屋へ入ろうとドアを開けた。

 そのとき耳元で小さく声が聞こえたように思った。


――ミツ……ケタ


「あ?」


 ルピの声ではない。しわがれた老人の声のように聞こえた。

 魂の奥から氷柱が刺さるように陰惨な、呪わしい声だった。


――見つかった? ここが?

――見つかったのか?


 耳を澄ます。

 もう何も聞こえなかった。ちょうど木々を揺らして風が通り過ぎて行った、その音を何かの具合で聞き間違えたのかもしれない、と思いたかった。

 顔を強張らせ、戸口で立ちすくんでいるクレドにルピが声をかけた。

 

「どうしたのですか、クレドさま」

「……」

「ぐあいがわるいのですか」


 近寄ってきて心配そうに見上げるルピに、クレドはやっと返事をした。


「いや、大丈夫だ」

「ごはんはたべられるのですか」

「うん、……いただくよ」


 食卓でクレドの顔色が悪いのを見て、ルピは思慮深げに言った。


「クレドさま、おかおがしろいのですよ。げんきがないのです。びょうきだったらはやくねんねしたほうがよいのですよ」

「……病気じゃないが……嫌なことを思い出してしまって」

「だいじょうぶなのです。もういやなことはないのですよ。いやなことがまたあったら、ルピがたすけるのです」


 クレドは心から言った。


「ありがとう、ルピ」

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