第18話

 トモの会社は三十階建てのビルだ。遮るものは近くにないので、東の空を臨むには絶好の屋上がある。

「トモの会社の屋上に夜から明け方にかけて入るって、出来る?」

「フロアごとに違う会社が入っているから、部外者は無理だね。それ、どうしてもやりたいの?」

 アプリの件以外の会話をしたのは久し振りだった。

「どうしても、だね。いや、絶対にダメなら諦めるけど」

「うちの会社の社員になって社員証を持てば、二十四時間ビルには入れるよ。屋上も庭園になってるから社員証があれば鍵は開く」

「分かった。雇ってくれ」

 トモは大きく笑う。プライベートのときの笑い声だ。

「即決だな」

「俺の運命を任せられる男と俺は話してる」

「じゃあ、履歴書を送って。そしたら社長面接をして採用するから。でも、何をするのかは教えてよ。聞く権利が俺にはあるだろ?」

「大事な人が居る。その人に朝日を見せたい」

「恋人?」

「違う。そうなればいいなとは思うけど」

「そうか。それで十分だよ。シバイヌには見せたの? その人」

「偶然会ったけど、そう言えばコメントは何も貰ってないな」

 ふーん、と考えているような間。

「だとしたら、その朝日はなおさら重要だ。速達で送ってくれ」

「むしろ、今から持って行こうか?」

「スケジュールってのがあるから。郵送を受けて、調整してから面接に来て貰う方が、二度も来なくて済むからいいと思う」

「分かった。恩に着る」

 すぐに履歴書を書く。フォーマットはネットでダウンロードしたが、手書きにする。完全なる出来レースだとしても俺の本気を紙面にぶつけたい。写真はデジカメで取って印刷して貼る。

 職歴の欄に「医師(精神科)」の後に「嘘生まれの電話相談室経営」と書く。客観的に見ると、この俺に何が起きて何を感じ何を考えて決断したのか嫌でも邪推してしまう。本当にやっているのだからしょうがないし、誇りを持って仕事をしているのだけど、受け取った担当者がどんな顔をするのかどんなイメージを持つのか、笑みが零れる。

 郵便局で速達の手続きをしようとしたら、今の時間に送り先の住所までだと普通郵便で送っても早さは変わらないとのこと。もちろん速達にする。気合いの表現だ。局員の若い女の子が苦笑いをしながら処理をしてくれた。

 次の日、予定通りにトモの会社から連絡が来る。

「坂梨さんの電話で間違いないでしょうか」

 はい、と応えると、その人はおよそこれ以上事務的なしゃべり方は存在しないだろうと思える口調で、しかしそれは分かり易く丁寧でどこか暖かみがあり、俺は説明をされただけなのに胸がほかほかした状態で電話を切った。トモ、いい社員を雇いよる。直近の火曜日が社長面接と決まった。

 週末を挟んで火曜日だが、電話相談の仕事は土日が一番忙しい。いつになく盛況で、相談者と話している間は自分のやろうとしている計画のことも忘れたが、それ以外のときはやはりどこかでずっと、社員になってからの後のことを意識している。電話を待っているのでも再会を待っているのでもない自分で起こしていることの助走期間に、前回の弾き逃げが上手く行ったからなのか、こころが引っ張られ続けている。違う。前回と今回は企画意図が全然違うのだ。ゲリラピアノは「二人でひとつのことを一緒にやる」ことを目的としていた。今回も同じように一緒にやるのだが、やること自体が目的ではない。その先に行かんとしている。

 迎えた火曜日、電話相談のアプリの内容を詰める会議のとき以来の、トモの会社に入る。案内してくれた人が間違いなくこの前の電話の人だと言うのが、名前ではなくその応対で分かる。無駄な言葉も所作も一切ないのに冷たさではなく信頼を感じ、安心感がある。会社で唯一個室になっているトモの部屋に通される。では、と案内人の彼女は退室し、社長面接が俺とトモの一対一で始まる。

「こんなんでいいの?」

「いいんだよ。正に形だけって奴。俺が採用と言えば採用だし、そうじゃないと言えばそうじゃない。社長の権限って小さな会社ほど強いんだよ。でも、それを振りかざして社員が納得出来ないことばかりやっていたら当然人が離れていく。だから、彼等が納得が出来るような嘘をつくことも社長の大事な仕事なんだよ。もちろん、全て公明正大で済めばそれに越したことはないけど、なかなかそうも行かない」

「でも、今回の俺の件は完全に職権乱用だよね」

「そうだよ。だからこそ嘘が大事になる。で、ここで約束したいこととして、サカナは雇われたはいいけれど全然職場に来なくて、クビになると言うストーリーには則って貰いたいんだ。これをするデメリットとしてはサカナが二度と俺の会社で働けないと言うことがある。うちとしてはそう言う社員が居たと言う情報をわざわざ流さないから、他のI T企業に就職するときの不利にはならない。どうだろうか?」

 俺は深く頷く。

「もちろん、そのストーリーで行くよ」

「よし。じゃあ採用。この後社員証の発行とかの手続きがあるから、さっきの彼女に案内して貰って」

「了解」

 手に入れた社員証の効力を実証するために、俺は全ての手続きが終わった後、早速屋上に向かった。

 屋上の扉はカードをピッとやると開く仕組みで、出てみると多少の木々があって、ベンチがいくつか置いてあった。俺は方位磁針で東を確認して、そのベンチの内の一つを東を見るのにいい位置に動かす。厳密に管理する誰かが居なければ、多少動かしたとしてもすぐに戻されると言うことはない筈だ。俺はそこに座って、太陽を背に向こうの空を見つめる。この位置がいい。

 今日はいつもなら十六時から電話相談室を始めている曜日だが、面接と手続きとベンチの設置で家に帰ったらもう十九時だった。この時間からであっても仕事を始めた方がいいのではないか、頭を過ぎったが、それより先に野音さんを誘いたい。誘わなくてはならない。想いを込めて電話を鳴らす。

「はい」

 すぐに出てくれた。

「野音さん、あのさ、早起きは得意?」

「極めて苦手よ」

「徹夜は?」

「したことないわ」

「だったら、一万回はすれ違って来た、朝焼けとついに出会おう」

 野音さんは黙る。朝早く起きる辛さと俺の誘いとの天秤に揺れているのだろうか。

「春さんがそう言うなら、行くわ。いつ?」

「明日の朝が条件が一番いいんだけど、いきなりできついかな?」

「何時に起きればいいの?」

「日の出が五時十五分、その一時間前には現地に入りたいから、三時四十五分に玄関まで迎えに行くので、どう?」

「大分早いけど、分かったわ。そんなに早いのは生まれて初めてよ。すぐに寝るわ」

「決まりだね。俺もすぐ寝よう。じゃあ、また明日」

 電話相談は臨時休業にする。営業時間内にアプリがオフのときには「相談中」のアナウンスが流れるので電話を掛けて来た相談者には分からないが、プライベートの企画のために仕事を休むと言うのは少し良心の呵責がある。それでも、それを推してでも、やる価値があると思う。そう考えれば、新婚旅行で仕事を休んだとしても同じような気持ちにはならない筈だし、忌引きも同じだ。有給だってその使用理由を伝える必要すらない。いや、これは同僚に対しての休みの取り方の心持ちの話だ。俺が今、悪いなと思っているのは、今日相談したかった人を放置したと言うことの方だ。本当に緊急の場合は医療機関や警察に行くだろうしそっちは二十四時間体制だから何とかなると思う。違う。そう言うピンチの話ではなくて、話したいと言う気持ちをないがしろにしたと言う問題だ。そうだ。でも、それを全部飲み込んででも、俺は明日の野音さんとの時間に備えたい。申し訳ない気持ちを抱えても、大事なものを優先させる。貫通する意思が俺にはある。

「おやすみ、面談アプリ」

 小さく呟いてみたら、仕事より優先させる想いが胸の内にあることに、これは恋の葉ではなく恋の花が咲いているんだ、急に鼓動が高鳴る。食事をしても、タクシーの予約をしても、風呂に入ってもその胸の音は変わらなくて、眠れるのかな、八時前にベッドに入って自分の気持ちを吟味しようと思っていたら、思いの外、眠りはすぐそこにあった。

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