名前は要らない
真花
第1話
嘘と真実は何によって隔てられているのだろう。
携帯が鳴ったのでテレビを消す。見れば、トモだ。
「お、サカナ、出たな。アプリの調子はどうだい?」
「全く問題なく使えてるよ。宣伝をしてくれたお陰なのか、電話もそれなりに掛かってくるし、決済の方も問題なく機能してる」
「高校からの友人の頼みだからとディスカウントしたとは言え、こっちもプロだからな、手抜きはしないよ」
「百万円は高かったと思う」
トモが大声で笑う。昔から変わらない笑い方だが、他の人が居るときには決してやらない。
「それでも相場より安いんだって。運営費込み、それもずっとってのは、うちからしたらドル箱を一つ捨てるようなものだからね。初期費用としては割高に感じるかも知れないけど、長く使えば使う程、元が取れる」
「差し当たっては、アプリの開発費用に充てたお金を回収するのが目標だよ」
うん、とトモの頷く声。
「しかしお前も考えたよな。嘘しか言わない電話相談、って、マジウケる」
「いいアイデアだろ?」
「内容に責任を取らされることが全くないと言うところがスゴい。まさに逆転の発想だよ。通常は電話相談とか専門家に聞くとかってのは、どれだけ正確な情報かを競うわけじゃん? なのにその真逆を行くって言うね」
ちらりと時計を見る。十五時四十五分。あと十五分で始業だ。まだ大丈夫。
「でもさ、サカナは精神科医を辞めて今の仕事を始めた訳じゃん」
「そうだけど?」
「ガチで対面の面談で、人の人生左右するような判断をしてた訳じゃん。いや、どうして辞めたのかなって思うと、恐らく人と面談することが嫌になった訳じゃないと言うことだけは、分かる訳よ」
「そこが嫌ならこの仕事はしないわな」
言いながら話題が触れようとしている場所に身構える、声がこわばる。
「そうそう。元ゴリゴリのプロの面談師が、その身分を隠して嘘っこ電話相談をしてる、これ自体が面白い。まあ、辞めた本当の理由はまた話したくなったらいつでも聞くから」
抜身の刀を見せたかと思ったら、ひょいと納刀する。トモの悪い癖なのか、生存戦略なのか分からないけど、何度されても刀は刀なので反射的に構える。俺の中のまだ柔らかい部分に触れられる予感に身を竦めてしまう。多分俺には、その刀に即座に反応して先制攻撃を仕掛けるような短絡さもない代わりに、その状況でも明鏡止水であり続ける程の胆力もない。もしかしたらトモは、そうやって反応する俺を見て、二人の関係が繋がっているということを確認しているのかも知れない。
「それでさ、アプリ内に広告を入れるの、気持ちは決まった?」
「あー、悪い。やっぱり入れたくないわ」
「そっか。じゃあ、広告の話はなくするわ。いや、入れた方がお互いにとって利益が生まれると思っただけでさ」
「うん。トモが話してくれた最初のときからそれは理解している。さすが社長って思ったよ。お互い、高校出て十年以上経つと、何かしらに詳しくなってるものだね」
「サカナ、違うよ。二つ違う。一つは俺達は卒後十四年経っている。この四年は大きいから、まとめない方がいい。もう一つは、俺等が何かしらに強くなっているのは、時間がくれたものではないよ。時間は確かに使ったけど、努力したり楽しんだりしている内に身に付けていった、手垢のある能力だよ」
トモが一息に言う反論の説得力が、自分達を持ち上げているからかも知れないが、強烈にあって、俺は唸った。時計は五十分を超えている。そろそろ切らなくはならない。でもこの感嘆を伝えたかった。
「俺達の今は昔の俺達ががんばったから、あるってことだよな」
「ストライク。だから今がんばることが明日に効く。当然と言えば当然だけどね」
「トモのこの四年は大躍進だからな。独立して、社長になって」
「まだまだ全然道中さ。サカナこそ、新しい仕事になった重要な一年目が、この四年に含まれる訳じゃん」
「そうだね。その新しい一歩をする時間がもう迫ってるから、またな」
「おう。何かアプリので新たにこうしたいとかあったらいつでも言ってくれ」
電話を置く。
窓の外を見れば青い空がどこまでも広がっている。今日もこの同じ空の下の誰かから電話が掛かって来る筈だ。トモの言うように責任の全くない相談電話、と言うことではないと思っている。俺が語る内容が嘘と言うことを予め宣言しているので確かに、内容に対しての責任は存在しない。でも、知らない同士の初めまして電話であってもそこには二人が居て、言葉とその間にあるものでコンタクトを取っている。むしろ、内容が嘘だからこそ、コミュニケーションではなくて、存在同士のやり取りが生まれるんじゃないだろうか。俺が電話相談を嘘にしたのにはそう言う考えと言うか、想いがある。それは精神科医をしている中で、専門的な内容のやり取りをしているにも関わらず、コンタクトが発生していると感じたことを下地にしている。ならば、コンタクトに必要なのは言葉の内容ではないのではないか。仮説が生まれる。そして、人をよくすると言うことは、治療的な意味じゃなくて癒しとしての意味ならば、コンタクトこそが必要なんじゃないのか。仮説が育つ。検証がしたくなる。これが俺が今の仕事を始めた陽性の理由だ。でも、トモを始め誰にもこの話はしたことがない。恥ずかしいとかじゃない。仮説が検証済みでないからでもない。自分でも理由の分からない、言い辛さがあって、俺の口に決してこの話を上らせない。
十六時。定時だ、アプリを起動して、「待機モード」にする。
早いときにはすぐに鳴る。鳴らないときは終わりの時間まで鳴らない。誰にも姿の見られる心配のない自宅での仕事だから、待っている間は「中断可能」で「寝てしまわない」ものをやる。本や漫画、ネットサーフィンが主だが、嘘のアイデアを練ることも多い。待ち仕事の人は概ね同じようなものだろう。仕事に関係ない暇つぶしか、仕事に関係のあるものか、をしていると思う。
でも今日はそのどちらでもない。
自分自身のための思考や、こころの整理と言うのは仕事に関係なくもないが、暇つぶしでは決してない。トモが一旦抜いた刃を見て俺のこころが全面的に反応してしまっている。相手に正面切って言えない内容を、自分では何度も反駁してきたその内容を、もう一度なぞらずには居られない。
この仕事を始めた陰性の理由はイコールで前の仕事を辞めた理由と結ばれる。これは小夜にだけは話したが、やはりそれ以外の誰にも言えない。表向きは「別のことをしたくなった」と曖昧で漠然としたことを胸を張って言った。「次にやることは言えません」と添えて。俺にとってそれは秘密にするための方便であって、嘘ではない。資格を取り、一通り自分で仕事ができるようになったのに、なんてもったいない。引き留めで言われるまでもなく自分でもそう思う。次に来る患者は前の患者とは絶対に別の個人で、それぞれにストーリーがあって、だからいつまでも新しい治療体験をすることが出来る。それも分かってる。飽きた訳でも、飽和した訳でもない。そこじゃない。人間関係も上手く行っていた。でもどうしてか、あそこにもう行きたくないと思ってしまった。別の病院に就職すればいいのかと言えば、きっとそうじゃないと思う。人間が集団で居ると言うことに、昔は馴染めていたのに、いつの間にか水の中で自分だけ油性になったかのように、苦しくなってしまった。何度も考えた。幾つも手段を講じた。それでも一切が変わってしまったかのように、俺は集団が息苦しくて、そこから出ることを決めた。自分がそうなった仕組みが知りたい。直す方法が知りたい。普通に人間の中に居たい。なのに変性した俺は元に戻る方法を見付けられない。
意図的にため息をつく。アプリは待機のままだ。
世界が俺を拒否しているのか、俺が世界を拒否しているのか。証明は簡単で、俺は他者とのコンタクトを取ることが出来る。だから、問題は俺側にあるのだ。だったら、面白いと思うところだけをやればいい。
「俺はそうして、陽性と陰性の理由が揃ったことで、このサービスをやっている」
呟いた声が携帯電話に吸い込まれて行くように見えた。世界中と繋がる電波に乗って、俺の意志よ届け。念を世界に拡散させるように覗いた窓の外は変わらず、青い。
念が届いた。携帯電話が鳴る。
「はい、こちら『嘘生まれの電話相談室』担当のハルです。どうしましたか?」
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