第7話

「⋯⋯はあ」


 私、神田舞は、電柱の影に隠れたままそっとため息をつく。


 手元のスマホに似た変身端末をスライドさせると、既に時刻は午後五時近くを回っていた。


「あ〜、帰りたい〜〜〜!」


 数十分間も変身なしで立ち続けたせいで、足がパンパンだ。


 その上暑さのせいで、制服はすっかり汗でびしょ濡れになってしまっている。


 事前情報によると、侵略性巨大生物インベーダーの出現が予測されている時刻はあと十数分で終わる。


 つまり、あともう少し頑張ればお役御免だ。


 あとは家に帰ってゆっくりとお風呂に浸かって、あとはベッドにダイブするだけ。


 つまり、このまま何もなければ今日も戦闘なしで終了となる。

 

「なんだか、なあ⋯⋯」


 変身端末、モノクルを胸に押し当てながら再びため息をこぼす。


 魔法少女と聞くと恐らくまず先に思い浮かべるのは、ほぼ百パーセント悪と華々しく戦うシーンだろう。


 だが実際は、こんなしょーもない出動の方が多い。


 私の経験でいうなら、八回出動して、うち一回戦闘があるかどうかだ。


 あーあ、たまには住宅街を自在に跳ね回り、怪獣相手にガツンと戦いたい。


 もちろんまだ、あのピンクのフリフリのついたコスチュームで戦うのは恥ずかしいし慣れないけど、それはそれだ。


 だけどそういえば、昨日の出動では戦うことができたんだった。


 ふと私の学校の制服を着た男子が一人いるなーと思いながら戦っていたら、まさかのザッカーだったときには驚いた。


 全身傷だらけになりながらも巨大蜘蛛に立ち向かおうとする姿は、カッコよかったなぁ。


「⋯⋯はぁ」


 思い出すだけで、温かいため息が出てしまう。


 それよりあのとき、私の正体を言い当てられて思わず逃げてしまったけど、まさかバレていたりしないよねっ?!


 バレていたら⋯⋯どうしよう。


 ずきん、と心臓が大きく跳ねる。

 どうしよう、考えただけでおなかがいたくなってきた。


 そういえば今日、ザッカーに対して変な態度取っちゃったなぁ。


 私って態度に出やすいってよく言われるし、些細なことから気づかれてなければいいけど。


 というより、昨日のことがあった後だから、余計に顔を合わせにくいんだよぉ。


「⋯⋯ううっ」


 熱くなった頬を両手でおさえる。


 目の前の喫茶店のショーウインドウには、顔が真っ赤になった少女が映っていた。


 あーもう私、さっきからなんでザッカーのことばっか考えているんだろ⋯⋯。


 そうだ、一回ジュースでも飲んで頭を冷やそう。そう考えたときだった。


『⋯⋯⋯⋯聞こえるか?⋯⋯』


 え、え、えええ、ザッカーーっ?!


 無線から雑音まじりで聞こえてきたのは、本来聞こえるはずのないザッカーの声。


 まるで思考を先読みされたかのような出来事に、一瞬頭が真っ白になる。


『木平商店街の近くの喫茶店付近にいる人⋯⋯聞こえてたら聞いてほしい』


 思わず周りを見渡す。


 ──喫茶店、商店街近く、って全て当てはまるんですけどっ?!


『⋯⋯今いる場所から北に移動し、一番目の角を右。突き当たりの商店街が見える位置まで移動してくれッ!』


「え、えええそれって私?! それにその声って、ザッカー?!!!」


 声が裏返りながら叫んでしまい、周りを歩いていた人々が一斉に私の方を振り向く。


 大慌てでモノクルを耳に当てて電話している風を装い、ペコペコと頭を下げた。


『その声⋯⋯もしかして、舞なのか!』


「う、うう⋯⋯違う⋯⋯けど、違わない⋯⋯よう⋯⋯な⋯⋯」


 どうして、どうしてこういうときだけ勘が鋭いの〜っ!


 慌てて誤魔化そうとするも、頭が回らない。


『悪い、今この場でお前の謎かけにかまっている余裕はない。

 とにかく商店街が見える位置まで走れッ、人の命が懸かってる!』


 え、えええーと、どういうこと?


 頭の中には、絵に描いたようなハテナマークが浮かんでいる。

 自分でも何がなんだかサッパリわからない。


 だけど、あのいつもクールな感じのザッカーがここまで慌てるのも珍しい。

 つまり、それだけ重大なことなのだろう。


「わ、わわわよくわからないけど、とにかくわかった!」



 無線を切ると、私は指示通り北へと走る。


 あ〜もう、終わったら全て説明してよねっ!



 *



 ──プツリ。


 無線が一方的に切られる。


 あれだけで、伝わっただろうか?


 不安に駆られながら、俺はタッチパネル上の地図を拡大する。


 するとどうやら俺の指示が伝わったらしく、魔法少女の現在位置を表した点が喫茶店の前から通りの方へと移動を始めていた。


 頭の中でざっと計算するに、この速度ならギリギリ間にあうだろう。


「このっ、返しなさいデスッ!」


「おおっと」


 アイノがマイクを取り返そうとしがみついてくるのを、力一杯に払いのける。

 アイノには悪いが、やすやすとマイクを返すわけにはいかない。


 商店街のすぐそばに空いた黒い穴は、俺の目でもはっきりとわかる速度にて今も拡大している。


 このままもし俺の命令が撤回されたら、それこそ大惨事につながりかねない。


 あとは、間に合ってくれ──。


 祈る気持ちで、俺はモニターを見つめる。


 すると突然、黒い穴が爆発的に巨大化する。

 そして監視カメラの設置されている場所までもを飲み込むように広がり、ついにカメラの画像が途切れた。


「⋯⋯来るぞッ!」


 コンソール盤に前のめりになりながら俺は叫ぶ。


 再び映像が回復すると、画面いっぱいに映っていたのは、頑丈そうな甲羅が特徴的な、大型の亀を模した怪物の姿だった。


 頭頂部には鋭く尖ったツノがついており、怪物が頭を乱暴に振り回すと、商店街のアーケードが粉々に砕け落ちていく。


 そして頑丈なトゲの生えた尻尾を甲羅から出すと、今度は逃げ遅れた人々めがけて思いっきり振り下ろした。


 くそッ、ギリギリで間に合わなかったか──?


『⋯⋯っ、重いわね、この尻尾っ!』



 無線越しに、舞の声が聞こえる。


 画面に目を移すと、昨日俺を助けてくれたピンクの魔法少女が、尻尾をだき抱えるようにして受け止めていた。


 とすると、あの魔法少女がやっぱり舞なのか──。


 混乱しつつも情報を整理すると、万が一に備えて頭を切り替える。


『今のうちに、逃げてっ!』

「は、はい! ありがとうございます!」


 舞に庇われた母親が、泣きじゃくる自分の娘を抱きながらアーケード街の出口の方へと逃げ去る。


 周りに人がいないのを確かめると、舞は尻尾を力一杯に突き飛ばした。


『ていやあああっ!』


 舞に投げ飛ばされて怪物の身体が一瞬だけ浮くと、ドスンと砂埃を上げて着地する。


 身体を一瞬でも持ち上げられたことに混乱する怪物に向けて、舞がステッキを掲げる。


『これでもくらいなさいっ!』



 すると、舞のステッキの先が光を放ち始める。


 その光は徐々に強さを増し、ついにピンク色の光線が怪物の頭めがけて放たれた。


 グオォォン、と怪物が痛そうに悲鳴を上げるも、肝心の頑丈な皮膚は貫けない。


『いっけええええ!』


 舞がさらに力を込めると、光の束はより一層激しさを増して太くなる。


 そして光線はついに頑丈な頭部を貫くと、天球に向かって大きな光の柱を突き立てた。



 *



「終わった、か」


 地面に倒れ伏した侵略性巨大生物インベーダーを見つつ、俺は小さく呟く。


「アイノ、今日はこれ以上出現する可能性はあるのか?」


「⋯⋯⋯⋯」


「おーい、アイノさーん?」


 ぼーっとしているアイノに向けて声をかけつつ、目の前で手を振ってみる。


 するとアイノは、ひゃい、と変な悲鳴を上げた。


「⋯⋯わ、ワタシとしたことが、つ、ついぼーっとしてしまいマシタ」


「おいおい、大丈夫かよ。⋯⋯それより、これで今日は終わりなんだろうな?」


「え、えーと、確認するデース」


 念を押すように問いかけると、アイノは慌てて書類を確認する。


「えーと、だ、大丈夫デス、時間は過ぎておりますノデ⋯⋯。

 今日はもう出現しないと考えて大丈夫デス」


「そうか、よかった」


 ふうっと安堵のため息を溢すと、俺は椅子にもたれかかる。


 今回の襲撃で誰も死なずに済んだ。見たところでは、負傷者もゼロだ。


 つまるところ、俺たちの完全勝利だ。


 その事実が、達成感となって少し遅れて身体を駆け巡る。


 酷使してしまった頭を冷やしつつ、俺は喜びに浸っていた。


『おめでとうございます、アイノさん。それに初めまして。どなたか存じ上げませんが』


 ピロン、という電子音とともにモニターが切り替わる。


 画面に映し出されたのは、和服に合いそうな小さな牡丹の髪飾りをつけた幼げな少女だった。


 彼女は、黒地に濃い緑の襟のついた、独特なデザインのセーラー服を着ている。


 どうやら、俺と同じ高校の生徒ではないようだ。


『はじめまして。わたくし、セント=マチス女学院魔法少女部隊所属オペレータの一ノ瀬いちのせ かえでと申します。

 以後、お見知り置きを』


 一ノ瀬と名乗る少女が、幼げな風貌からは想像もつかないような凛とした声で自己紹介する。


 恭しく頭を下げる様はどこか気品があり、まるで良家のお嬢様を相手にしているかのように気圧されてしまいそうになる。


「あ、ええと、榊 平介だ。よろしく頼む」


『では、榊さんとお呼びすることとしましょう。よろしいですね?』


「あ、ああ」


 まるで俺に対し尋問をしているかのような口調で、一ノ瀬は淡々と話を進める。


 その様に少し背筋が凍るような感覚を覚えた俺は、ふと脇にいるアイノの方へと目を向ける。


 するとアイノは、風邪でもひいたかのように顔を真っ青にして震えていた。


 それを見てやっと俺は、今さっきまで自分が何をしでかしたか気づく。


 魔法少女の本拠地に入り込んで、さらには無線をジャックして──。


「あーえっと、一ノ瀬さん。もしかして今話そうとしているのって、さっきまでのことか?」


『⋯⋯物分かりが良くて、助かります』


 一ノ瀬の声が、少しだけ暗くなる。


 そして表情からは笑みが完全に消え、俺に鋭い眼差しを向けた。


『単刀直入に申し上げましょう。貴方がしたことは、到底許されることではありません』


「⋯⋯やっぱりか?」


『ええ。とぼけても無駄です。⋯⋯ですが』


 そう言うと一ノ瀬は昔ながらの湯飲みを手に取り、糸じりに軽く手を添えながら口に近づける。


 そして静かに湯飲みを傾けて少し口に含むと一ノ瀬は、ふーっ、と可愛らしいため息をこぼした。


『ですが、貴方の行為により救われた人がいたのも事実です。


 全てを代表して、心より御礼申し上げます』


 すっ、と一ノ瀬が丁重な仕草で頭を下げる。


 そこにはもう、今さっきまでのような俺への追及の色はみられなかった。


『貴方の処遇は後ほど伝えられるでしょう。


 ですが、寛大な処遇となるよう私からも口添えいたします』


「そうか。⋯⋯ありがとう」


『いえ。感謝すべきは、私の方なので。ですが今日のことは──』


「わかってる。言いふらすようなことはしないよ」


『ええ。よろしくお願いします。⋯⋯それとアイノさん』


「は、はひっ!」


 名前を呼ばれて、アイノは素っ頓狂な声で返事する。


 見るとアイノは、俺が話をしている間にこっそりと部屋から逃げ出そうとしていたようだった。


『貴方にはあとでお話があります。その内容は⋯⋯、お分かりですよね?』


「え、そ、その〜、きょ今日はよよ用事が⋯⋯デシテ、ね?」


『⋯⋯私から逃げようとは思わない方が、身のためですよ?』


「ヒイッ、お、お許しくださいデース!!」


 そしてその日いちばんの悲鳴が、高らかに響いたのだった。

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