第3話
昼休みになると、俺は屋上に来ていた。
もうじき七月になるような時期だ。
太陽には薄い雲がかかっているものの、それでも日差しの強さが体にこたえる。
それに蒸し暑さも加わるので、外で過ごすのも一苦労である。
ただ、そのせいか、今日は俺以外に屋上に来る人はいなかった。
購買で買ったパンを頬張りつつ、ノルマの単語帳に目を通す。
覚えの悪い俺のような奴は、毎日少しずつでも進めていかないと来年の受験期には間に合わない。
なんと言っても、俺の志望は医学部だ。
そんじょそこらの英語力じゃ後々苦労するのは目に見えている。
二ページほどサラサラと確認して、間違ってたのは全てチェック。
チェックしたやつは、今日の電車でじっくりと見ることになる。
暗記系の勉強となると一晩かけて一気に詰め込むイメージの人もいるかもしれないが、俺のやり方だと昼休みは三分くらいかければ十分である。
基礎編の単語帳を二ページほど、それもざっと目を通しただけなので、実際そんなに時間がかからないのだ。
それで残った時間はどうするかというと──。
口の中のものをお茶で流し込んでから一旦校舎の中に戻る。
下の階へと続く階段の手前に、物置のようになっている小さなスペースがある。
机とか箒とか、教室の備品の予備のようなものが置かれているのだが、その中に望遠鏡が転がっているのだ。
俺が今からやるのは、望遠鏡があるかどうかの確認だ。
俺が家から持ってきたのと、天文部から分けてもらった『お下がり』のモノも含めたら、望遠鏡は三台。
鍵付きの場所に格納して置けるわけではないので、こうしてたまに確認しにくるのだ。
今回は、⋯⋯っと三台。キッチリあるな。
よし、戻るか。
一回屋上に戻って、単語帳とお茶のペットボトルを回収。
ふと下を見ると、小柄な女子生徒が一人、花壇の手入れをしていた。
遠くなのでハッキリとは見えないが、制服のデザインが普段見慣れた高等部のものでないことから察するに、中学生だろう。
中高一貫だからこその光景である。
園芸部か、果てまた生物部部長の突飛な要求に付き合わされたのか。
どちらにせよ、この暑い中ご苦労なことだ。そう心の中で呟きながら、俺は屋上を後にした。
*
「よう、榊。今日はどうするんだい?」
授業が終わり、下駄箱に向かおうとしたところで化学部部長の平林に声を掛けられた。
ちなみにコイツ、部長のくせに俺と同じ二年生である。三年がいなかったか、幽霊になったかで部長にならざるを得なかったそうだ。
「今日は行く予定ないが⋯⋯」
最近化学部の方に顔を出していないので詳しいことはわからないが、もしかして人手の必要な用事だろうか?
「ビーカーの片付けとか?」
「ん、ああ。そういうわけじゃなくて、来るんだったら薬品周りの用意でもしておこうかなって」
「⋯⋯いつもスマンな、こんな
「いや、そこのところは気にしないでくれよ。化学部は君のお陰で成り立っているところもあるからね。
特に人数の少ないようなウチの部となると、ね」
「⋯⋯『管理権』問題か」
その話を振ると、平林はうんざりしたように苦笑いした。
「そ。結構崖っぷちなんだよねぇ。
せっかく中学・高校共に新入生が入ってくれたのに、こんなところで部室を失うわけのも申し訳ないしね。部員のためにも、そこんところだけはしっかりとしないと」
「⋯⋯それもそうか」
極度の化学好きで知られる平林のことだ。部室を失って真っ先に苦しむのは平林だろう。
それでも自分のことよりもまず部員の心配をするあたり、部長としての素質があるといえる。
そんな平林だからこそ、俺も微力ながら部室の『管理権』維持に貢献しているわけだ。
「というわけで、今回も頼りにしているよ」
「頼りにしてるって言われてもな。そんなに成績が安定しているわけでもないし⋯⋯」
「そうか? いつも上の方にいる気がするが」
「いや、それはない」
「嘘つけぇ、この野郎!」
平林が、笑いながら俺の肩に鋭いチョップを入れた。
「⋯⋯痛ってぇ、ちょっとは加減しろって」
「悪りい悪りぃ、つい。まーた寝ぼけたこと言ってんなって」
「寝ぼけた──って、俺、そんな間違ったこと言っちゃいないと思うが」
実際、上には上がいるし。
なんだかんだで、定期テストの学年上位四位くらいまではいつも同じ面子だ。
俺も一回だけ学年五位に食い込んだことがあったが、あの時は本当に偶然が重なっただけだ。
「そこまで言うんだったら、見に行くか?」
「⋯⋯何を?」
「模試の順位だよ。ほら、今日の放課後発表だったじゃん」
「そういや、そうだったな」
学校の成績に入らない分、模試だとどうしても適当になってしまいがちだったが。それでも気になるものは気になる。
「行くか」
「へへっ、りょーかい」
そして俺らは、高校棟と本館の間の渡り廊下を目指すことになった。
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