第5話

「──してだ」


 被害予想範囲の示された地図を、俺は指でそっとなぞる。

 どうにも、実感が湧かない。


 つまり、昨日のことは、既にある程度予知されていた──?


 考えてみればそうだ。

 確かに、昨日は全てが上手く行き過ぎていた。


 巨大蜘蛛が現れてから警報が発令されるまでの時間。


 魔法少女が駆けつけるまでにかかった時間の異常な短さ。


 警察の対応の早さに、政府職員の用意の周到さ。


 全てが予定調和だとしたら、気味が悪いほどに説明がつく。


 だが、それならどうして情報を公開しない?

 仮に昨日、俺が墓参りに行っていなかったら──?


 俺は、ぞっとした。寒気が背中を這い上がる。


 それと同時に恐怖と、そして怒りがこみ上げてくる。


 実際、侵略性巨大生物インベーダーによる死傷者は、決して少ないとは言えない。


 あの日、何かがほんの少しでも違っていたら。


 出現場所が、少しでもずれていたら。


 現れた怪物がもっと凶暴な奴だったら。


 昨日の母親が、万が一交差点の中に入っていたら──。


 もしそうだったとしたら、誰かが傷ついていたかもしれない。


 誰かが、命を落としていたかもしれない。


 いつかの俺と同じように、誰かが泣いていたかもしれない。


「どうして、だ⋯⋯?」


「⋯⋯⋯⋯?」


「どうして、情報を公開しないッ!」


 怒りまかせて、俺は声を荒らげる。


 あのとき、この情報が公開されていれば。

 昨日のあの親子は、怖い思いをせずに済んだのではないか──?


 その思いが、俺を駆り立てる。


「どんなに精度が悪くても、どんなに頼りない情報でもッ!」


 怒りのあまり俺は、アイノの胸ぐらを乱暴に掴み上げる。


 そして、感情のままに俺はアイノのことをキッと睨みつけた。


「公開してでも住民の避難を促すのが、当然の義務なんじゃねえのかッ?」


「⋯⋯っ、うぐッ⋯⋯⋯⋯」


 アイノは、首を締め上げられ苦しそうに唸る。


「人が死ぬのを、黙って見ていろッてのか?ただの傍観者になれッてのか?


 なあ。お前らは、本当に『正義』なのか?


 人を見殺しにして、それでも本当に『正義』なのか?」


「⋯⋯⋯⋯っ」


 アイノは、苦しみのあまり泣きそうになりながら俺をすっと見上げる。


 だがしかし。アイノの表情からは、俺に対する怒りは少しも感じられなかった。


 それどころか、俺に向けられた目には、何かに絶望したような無力感で満ち溢れていた。


 ──なぜだ。なぜ、そんな表情をする?


 途端に、全身の力が抜けて行く。罪悪感に押しつぶされそうになる。


 俺は辛うじて出せた声を、絞り出す。


「なぁ⋯⋯、そう、だろ⋯⋯?」


 怒鳴りつけたくても、声がすぼんでいく。


 頬を、雫が伝った。


「それは⋯⋯っ⋯⋯上官の、判断⋯⋯デス、ネ⋯⋯」


「⋯⋯嘘つけッ! このッ──」


「嘘、だったら⋯⋯。きっと、どんなに⋯⋯、よかった⋯⋯⋯⋯デス⋯⋯」


 嗚咽まじりのか細い声で、アイノは言った。


「ワタシは、決定権がないんデス⋯⋯っ!」



 *



「さっきは⋯⋯、その。すまなかった」


「イエ。⋯⋯そう思われるノ、慣れていますノデ」


 制服のリボンを整えながら、アイノは呟くように言った。


「ワタシも、現行のシステムには反対デス」


 アイノはコンソール盤上の、物置のようになっている一角に腰かける。


 足をぶらっと垂らすと、モニターの方に目を向けた。


 俺の方からは横顔しか見えないが、俺を揶揄うときの楽しげにコロコロ変わるあの表情とはまるっきり違う。


 どこか物憂げ──、いや、憂う気力さえ失ったような表情から読み取れるのは、無力感そのものだった。


「今現在、事前に襲撃を予測できない確率は、ほぼゼロと言われてイマス。


 厳密に計算したわけではないデスケド、恐らく間違いないデショウ」


「なら──」


「ナゼ、公開しないのか──。デスヨネ?」


 頷くと、アイノは壊れたように笑った。


「高確率で、空振るからデス」


「⋯⋯⋯⋯」


「現時点での技術では、予測しても襲撃がない──。そのケースがあるからデス。


 たとえ誤報でも、予報が出れば恐ラク、周囲の全ての活動がストップしマス。


 当然、学校や商店はモチロンのこと、交通機関、流通、医療など、全てのサービスが一斉にマヒするデショウ。


 それに伴う経済的損失は──、考えただけでも恐ろしいモノとなりマス。


 それに、誤報を繰り返せば、予報は無視され、意味をなさなくなりマス。


 それを恐れて──。ワタシはかつて、そう聞きマシタ」


「そうか。⋯⋯すまなかった、俺の考えが至らなかったばかりに」


「いえ、気にしないでクダサイ。コレが言い訳にならないことくらい、ワタシだってわかってるのデス」


 アイノは、溜めていた息を、ふーっと目一杯に吐き出した。


「⋯⋯ワタシに、もっと実力があれば、いいんデスケドネ」


 意味深なことを言うと、アイノは自分の両頬を思いっきり叩く。


 ペシっと、乾いたような音が鳴り響いた。


「それじゃあ、もうそろそろデス」


 そしてアイノは、いつものような楽しげな笑みを浮かべる。


 そしてヘッドホンをすると、細くて真っ白な指をタッチパネルの上に滑らせた。


「じゃあ、ここからは仕事デス。


 集中するのでしばらく話聞けなくなりますケド、許して欲しいデース」


 ──仕事、ということは。


「襲撃に関する情報が出ている。⋯⋯そういう認識で、大丈夫なんだよな?」


「ええ。そうなりマスネ」


 アイノは俺に向かって微笑むと、コンソール盤から飛び降りる。


 書類の山からバインダーを取り出すと、タッチパネル前に置かれた回転椅子に飛び乗るように腰かけた。


 先ほどまでとは違い、無理してでも明るく振る舞おうとしている彼女の様子に、俺は心が痛んだ。


「あの⋯⋯、さ」


「⋯⋯⋯⋯?」


 アイノが椅子に座ったまま、俺を不思議そうに見上げる。


「なにか、手伝えることはあるか?」


「⋯⋯⋯⋯っ!」


 俺の発言に、アイノは目を丸くした。


「⋯⋯ったく、そんな意外だったか?」


「いえ⋯⋯、是非ともお借りしたいトコなんデスケド⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯?」


 なにやら言い淀むアイノに、俺は思わず首を捻る。


「ナニもお礼、できないデス⋯⋯ヨ?」


「⋯⋯なんだ、そんなことか」


「そんなことって! コレは大切な──」


「後で、色々教えてくれればいい」


 アイノが謝る前に、俺は遮るように提案する。


「勿論、秘密は守る。その上で、色々と聞きたい。


 昨日のことや、それ以外のことも。可能な限りでで良い。


 ⋯⋯どうだ? それなら問題ないだろ」


 アイノは少し考えると、すまなそうに笑った。


「⋯⋯フフッ、ずるいデス」


「そうか?」


「ええ、とても。⋯⋯ずるいデス」


 そう言うと、アイノは金色の前髪をさっとかき上げる。


 すると決心したように、アイノは笑った。


「そんなんでいいなら、特別に手伝わせてあげマショウ」


 アイノは、俺を揶揄うときに見せたあの悪戯な笑みを浮かべながら、そう言い放つ。


「サ、ココに座るのデス」


 アイノは、部屋の片隅に雑に置かれていた回転椅子を転がして、自分の席の脇に並べる。


 そして、座面をポンポンと叩いた。


 楽しげなその仕草に、俺はなんとなく嫌な予感がしてしまう。


「⋯⋯なんか仕組んでいるとかじゃないだろうな?」


「い、いえ、今回はそんなコトしてマセン⋯⋯ヨ?」


「そんなことって、具体的には?」


「えーと、椅子のネジを緩めたり⋯⋯トカ?」


「⋯⋯してない、よな?」


「し、ししししてないデスっ!」


「本当の、本当にか?」


「本当の本当の、ほん、とうにデスッ!


 こ、こここ今回だけは、命かけてもいいデスッ!」


「⋯⋯⋯⋯はあ」


 まったく、正直なんだか、不器用なんだか。


 ただ、これからは椅子のネジを確認することとしよう。


「⋯⋯そんなワタシの目をじっと見てないで、何か言ってクダサイ」


「す、すまん」


 俺は、頭をかきながらもう一度、アイノのことを真剣に見つめる。


「最後に確認したいんだが、俺は、お前を信用してもいいんだよな?」


「⋯⋯少なくとも、約束は破りマセン」


「なるほど」


 はたしてそれが本当なのか、今の俺には判断できるものはなにもないが。


 少なくとも、あの辛そうな表情に隠された気持ちだけは信じたい。

 俺は、そう思った。


「わかった、やってやる」


 俺は、アイノの隣の席に腰かける。


 軋みの鳴るような古びた椅子だが。

 少し座面を回してみた限り、故障とかはないようだ。


「んじゃ、何をすればいい?」

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