第6話

 どうして、こうなった。


 俺の肩にもたれかかるアイノを横目に、俺はため息を溢す。


「なぁ、アイノさん?」


「⋯⋯⋯⋯ふふーん♪」


 俺の問いかけなんぞ耳にもせず、アイノは鼻歌を歌いながら自分の体を俺の肩ににすりすりと擦り付ける。


「⋯⋯⋯⋯っ」


 彼女の体の柔らかさと、ひんやりとしたぬくもりが制服越しに伝わってくる。


 それらを感じるたびに、手汗とともに心臓がはち切れそうに脈打つ。


「あのー、もうそろそろ離れてくれませんかねー⋯⋯?」


 緊張のあまり、なぜか敬語になりながら俺は言う。


 すると、アイノは俺の耳に口元を近づけると、呟くような小さな声で言った。


「『手伝ってくれる』、デースヨネ?」


「⋯⋯⋯⋯っ!」


 耳に息が当たり、くすぐったさに体がぞくっとする。


「それとも、嘘だったんデスカ?」


 アイノが、小悪魔のような悪戯な笑みを浮かべる。


「もーっと、楽しんでくれて、いいんデスヨ?」


 甘ったるい声とともに、アイノが俺の制服にさすさすと頭をさすりつけてくる。


 そのたび、金色の髪が鼻先にあたり、シャンプーの爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。


「どー、デスカ?」


 ことっと首を傾げて、上目遣いで俺に問いかけてくる。


 ごくり、俺は唾を飲み込む。


 ⋯⋯これって、何をしてもいいってことか?


 思わず俺は、さらさらそうな金色の髪に目が向く。


 もしかして、それくらいなら触ってもいいってことか?


 無意識に、すっと手が動く。そして、髪の毛の上に手を乗せようとした。


 ──って、ちょっと待てッ?!


 自制心で、なんとか踏みとどまる。


「どーしたんです? ⋯⋯もしかして、躊躇ってマス?」


 まるで誘っているかのように、アイノは俺を挑発する。


 だが逆に、それのおかげで俺は冷静になった。


 ──やはりコイツは、アイノだったと。


「⋯⋯いい加減、離れてくれるか?」


「え〜〜? 手伝ってくれるって──」


「なんでもやる、とは言ってないだろ」


「⋯⋯くっ」


 アイノは、くやしげに口を尖らせる。


 どうやら、俺の言い分に反論することはできなかったようだ。


「それじゃあ、今すぐ俺から離れろ」


「⋯⋯ちぇー」


 しぶしぶと、俺に寄りかかっていた体を離す。


「それで、これが俺にさせたかった仕事、とは言わないだろうな?」


 記憶が正しければ、今さっき人手不足を匂わせるような発言をしていた。


 となれば──、他にも何かやることがあるはずだ。


「椅子のせ──」


「背もたれならそこにあるだろ? それ以外で頼む」


「ちぇー。は〜あ。せっかく心地いいクッションを手に入れたと思ったのに」


 アイノは不満げに言うと、コンソール上の書類の山を雑にひっくり返す。


「なら、そうデスネ⋯⋯。


 書類関係はワタシがやんないと筆跡でバレるし、無線を任せると、この部屋に部外者を入れたことがバレて後で怒られちゃいマス⋯⋯」


 前髪をサッと持ち上げながら、アイノはうーんと悩む。


「ソーデスネ、なら監視カメラの方を任せマショウ」


「いいのか? てっきり、一番部外者に見せたらいけない気がするが」


 ──主に、プライバシー的な問題で。


 誰だって、人様に日常生活を監視されたくはないだろう。


「ま、バレなきゃ大丈夫デス。

 だって、ザッ⋯⋯いえ、榊サンだって、監視カメラがこんなにあること、知らなかったデスヨネ?」


「ん、まあ、知らなかったな」


 たしかに普通に生きてりゃ、知る由もないだろうな。


 うんうんと頷いてみせる。


「というより、今なんか言いかけたか?」


「⋯⋯いえ、別ニ?」


 さっと目をそらすと、アイノは誤魔化すように説明を続ける。


 その点については今は特に突っ込んで聞く気もなかったので、そのまま説明を続けさせた。


「なら、大丈夫デス。誰が見てたって、分かりゃしないデース!」


 フフンと笑うと、アイノは俺が触れるようにタッチパネルの前を空ける。


 その隙間へと椅子ごと移動すると、アイノはパネルを指差しながら使い方を説明してくれる。


「えーと、ここをタッチすると次のカメラに移ります。んで、戻りたい時はコッチ。


 カメラの位置は地図上にマークされマス。分かんなかったら、後できいてクダサイ」


 言われた通りにタップすると、たしかに画像が切り替わる。


 このくらいだったら、初見でも問題なく扱えそうだ。


「それじゃあ、ワタシは別のことやってマスから、何かあったら呼んでクダサーイ」


 書類をバインダーに挟むと、「適当にやっといて」という感じで手を振ってくる。


 大丈夫か、そんなゆるゆるで。

 心の中で思いっきり突っ込む。


 だが、俺の「能力」から考えてもここは最適だろう。

 万が一にも怪物の出てくる穴を見つけたら、真っ先に動くことができる。


 そうすれば、被害は最小限で済むだろう。


「⋯⋯よしっ」


 俺は気合を入れると、監視カメラを次々と確認していく。


 *



「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 黙々と切り替える作業をすること、既に五分。


 さっきからずっとカメラを切り替えているが、一向に終わりが見えない。


「なあ、確認したいんだが、一体カメラ何台あるんだ?」


「そーですね。その範囲だと⋯⋯、大体五百台くらいデスカネ?」


「ご、五百?!」


 思わず頭を抱える。

 いや、そんな数聞いてないぞ!?


 一秒間に一個監視カメラを切り替えるとして、一周するのにかかる時間は、およそ七・八分ほどだ。


 それだけかかると、別のカメラを見ている間に他の場所での出現を見逃しかねない。


 とりあえず、まだ見ていない残りのエリアの監視を急ごう。


「ちょっと聞きたいんだが、この範囲を見渡せるような位置のカメラってないか?」


 タッチパネル上の地図上に指で円を描くと、アイノがそれを覗き込む。


「あー、それだったらここデスネ」


「ん、助かる」


 切り替えてくれた画像をもとに、死角となる位置を割り出す。


 今までの経験上、地面にめり込むような位置に穴が発生したことはない。


 だとすれば、地面まで見れる位置まで近寄る必要はないはずだ。


 なら、まずはここか。


「じゃあ、このあたりは?」


「これデスネ」


 画面が切り替わり、商店街の一角が映し出される。


 看板によると、どうやら「木平きだいら商店街」という名前のようだ。


 割と活気のある商店街のようで、主婦層や子供などが多く賑わっている。


 見たところ、特に異常はなさそうだ。


「じゃあ──」


 言いかけて、止まる。


 少し先の道に入ったところ。よく見ると、黒い円形の影の一部が見えた。


 ──見間違い⋯⋯じゃないよな?


 思わず、二度見、いや三度見してしまう。


「この道を、商店街の通りから見るような角度のはあるか?」


「んー、ちょっと待って欲しいデース⋯⋯」


 地図を拡大すると、アイノは鼻歌まじりで目的のカメラを探す。


「あ、ありマシタ」


 画面が切り替わる。


 車の行き来はできそうなレベルの広さの道のど真ん中に、子供の背丈と同じくらいの直径の穴がぽっかりと空いていた。


 人の行き来はまばらとは言えど、危険であることには変わりはない。


「確認だが、この付近に魔法少女はいるか?」


「えーと、イマスネ」


 タッチパネルを操作すると、壁面のモニターに色のついた点がプロットされた地図が浮かび上がる。


 一番ちかいのは⋯⋯っと。


 件の通りを交差点三つ分進んで、曲がったさらに先にある喫茶店の前。

 これが、最短だ。


 ──くそッ、遠いな。


「なあ。ここにいる魔法少女を、この通りが見える位置へと移動させることはできるか?」


「⋯⋯どうしてデス?」

「⋯⋯⋯⋯」


 説明を求められるも、言い淀む。


 果たして「能力」のことを説明したところで、納得してくれるだろうか?


 説得する時間でタイムオーバーするくらいなら、いっそ⋯⋯。


「マイク、借りるぞ!」


「あっ?!」


 俺はアイノの前に置かれたマイクを、半ば強引にひったくる。


「木平商店街の近くの喫茶店付近にいる人、聞こえてたら聞いてほしい。


 今いる場所から北に移動し、一番目の角を右。突き当たりの商店街が見える位置まで移動してくれッ!」


『⋯⋯え、えええそれって私?!』


 無線から、驚いた声が返ってくる。


『それにその声って、ザッカー?!!!』


「その声⋯⋯。もしかして、舞なのか?!」


『う、うう⋯⋯違う⋯⋯けど、違わない⋯⋯よう⋯⋯な⋯⋯』


 ⋯⋯どういうことだ?


 頭の中でパニックを起こす。


 だが、そうしている間にも穴は順調に大きくなっていく。


「悪い、今この場でお前の謎かけにかまっている余裕はない。


とにかく商店街が見える位置まで走れッ、人の命が懸かってる!」


『わ、わわわよくわからないけど、とにかくわかった!』



 プツッ、と無線が切れる。


 後は──、祈るしかない。


 黒い球体状の穴が、段々と大きく膨らんでいく。

 どうか⋯⋯、間に合ってくれッ!

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