第3話

「──はぁ」


 放課後。


 選択授業の関係で六限がなかった俺は、迷わず生物準備室──、もとい第二生物部部室に入り浸っていた。


 部屋の中央に置かれた木製の実験台に座る俺。


 向かい側に座るやや大人びた雰囲気の先輩は、部長の黒原莉奈れいなだ。


 俺は、とりあえず一息つこうと頬杖をつく。


 すると部長が、手入れの行き届いていない長い髪を弄りながら、少しイラついた様子で俺を一瞥した。


「⋯⋯なによ」

「⋯⋯⋯」


 ──気まずい。


 なにせ部室には、俺と部長の二人きり──。


 訂正、二人と他たくさん。

 それも単位でいうと「匹」か「頭」、つまるところ動物だ。


 壁際に並べられた机の上には、ケージが所狭しと並んでいる。


 内訳は、マウスかラットだと思われる小動物の入ったケージが二、三個。

 加えて、カエルの入った縦長の飼育箱が一個。

 そして、ヤモリの入った小さめの虫かごか一つ。

 それら爬虫類の餌として、ミルワームの大量に入った蓋付き水槽が一つ。


 なお、万一これらの動物の画像を調べる際にはグロ注意である。

 ミルワームは特に。


 さらに、これらケージコレクションを背にした壁には、時計の掛かった柱を挟むようにして冷蔵庫と恒温機が設置されている。


 当然、冷蔵庫の中身も普通の家のそれとは違う。


 例えば、培地。


 微生物を飼育するための住処のようなものだと考えてくれれば概ね正しい。

 当然、冷蔵庫の中で実際に微生物が飼育されていることもある。


 後は──、レバー。

 恒温機の中で飼育されているプラナリアの餌である。


 そして何故かジュース類。

 ただの飲み物である。


 あの冷蔵庫の中に自分の飲み物を共存させようとする根性がたくましい──。


 そう、最初のうちは俺もそう思っていた。


 だが慣れとは恐ろしいものである。


 最近ではあの中から取り出された液体を飲料として扱うのに、俺も気にしなくなっている。


 ──嘘だと思うか?


 なら言おう。


 俺と部長が向かい合わせに座る実験台には、二つの紙コップが置かれている。


 そこに注がれているオレンジジュースは、あの冷蔵庫に保管されていたものだ。


 ちなみに窓際には水槽が二個ほど並んでおり、見た目・手入れの簡単さといい、あらゆる点において我が部の癒し枠となっている。


 ふと気になって目をやると、水槽の中をグッピーの群れが気持ちよさそうに泳いでいた。


 ──本ッ当に、気持ちよさそうに。


 自由の象徴を鳥や魚に例えるのは月並みかもしれないが、今日ばかりは使いたい。


 ──魚って、いいなと。


 あと四十分弱もすれば、約束の時間だ。


 昼のことがあってからは、自由気ままに泳ぐ魚にさえ憎々しさを覚える。


「ったく、色々ありすぎだろ⋯⋯」


「⋯⋯その話、もう三度目」


 俺の呟きに、部長は至極面倒極まりなさそうに答える。


「⋯⋯す、」

「そこで『すみません』とかいったら、五回目。⋯⋯いい加減キレるわよ?」


 部長は、ボサボサの長い前髪をうざったそうに持ち上げると、欠伸まじりにピペットを手に取る。


 そして、シャーレの中に浮く白いゴミみたいな微生物を別のシャーレに移していった。


「いい加減、話したらどう? そんな辛気臭い顔をするよりかは、何十倍もマシだと思うけど」

「⋯⋯⋯」


 いつもなら、部長に話してでもすっきりしてしまった方がいいと思う。

 だが、今回は内容が内容だ。


「無理ってこと?」


 そうだ、とも言えず俺は目を伏せる。

 すると部長は、どこか納得した様子で言った。


「⋯⋯なら、強制はしないわ」

「す⋯⋯、い、いや、ありがとう、ございます」

「⋯⋯ん」


 部長は小さく返事をすると、再びピペットを手に取る。


 そして、シャーレの中へと慎重に入れると、ピンク色の微生物を避けるようにして白い微生物を救い上げた。


「⋯⋯というか、この子、初めてだっけ?」


「何度か見てますけど⋯⋯、なんでです?」


「いや、真剣だな⋯⋯って」


 すると、ピペットを持ったままの手を唇に当てて、うーんと考える。


「あ、もしかしての説明、まだ?」


「ええと⋯⋯、まあ」


 さっきから色々突っ込みたいフレーズが聞こえている気がしたが、とりあえずは無視した。


「折角だし、説明したいが⋯⋯。今、隣が閉まっているからまた今度で」


 隣、というのは生物実験室──、もとい第一生物部部室だ。


 おそらく、説明のために双眼実体顕微鏡を持ち出したいのだろう。


「了解です、また今度」


「⋯⋯ん」


 それだけ言うと、再び誰も話さなくなる。


 そして、部屋は動物の動く音と水槽のポンプの駆動音しかしなくなった。


 ふと壁掛けの時計を見上げると、あと十五分。


 あと十五分で、約束の時間だ。


 どうするか──。決めるには時間が足りなすぎる。


「⋯⋯何か用事があるの?」


「え、えっと⋯⋯」


 部長の核心をつくような質問に、俺は一瞬動揺する。


 それが顔に出ていたのだろうか、部長はため息まじりに説明を加えた。


「どうして分かるのかって?

 簡単よ。さっきから時計を何度も見ていたじゃない」


「⋯⋯そんな見てましたか?」


「見てたわよ。⋯⋯もしかして、無意識で?」


「え、はい。まったく、意識してませんでした」


「そりゃ、面白いことで」


 皮肉たっぷりに、部長は微笑む。


「ぜひとも研究させてほしいわ、その無意識とやらを。⋯⋯同意書、書ける?」


「⋯⋯お断りします」


「そう。⋯⋯残念ね」


 そう言いながらも、さほど残念そうには見えない。


 恐らく、俺のことをからかっているつもりなのだろう。


「んで、行かないの?」


「その⋯⋯、迷ってて」


「そ」


 短く返事をするも、部長は納得いかないといった様子で首を傾げる。


「あ、あの」


「⋯⋯⋯⋯?」


 部長は、顔だけを俺の方に向ける。


「もし、もし、目の前に未知の何かが転がっていて。

 それを知るためには自分の大切なものを失わければならないとき。部長なら、どうしますか?」


「大切なもの、ってどのくらい?」


「どのくらい、というと?」


「程度よ、程度。お金くらいだったら、私なら容赦ようしゃ無く突撃するわ」


 自分の知的欲求のために財力をすり減らしていく部長。


 確かに、なんとなく想像できてしまう。


 そもそも、飼育用品のなかにも部長の私物もあるらしいと聞く。


 確かに容赦はなさそうだ。


「んで、どの程度なの?」


「そうですね⋯⋯。友人、いや」


 少し考えてから、答える。


「下手すれば、家族も」


 少しオーバーかもしれない。

 だが、魔法少女自体に政府が絡んでいる以上、ないとは言えないだろう。


 だからこそ、あえて訊いてみた。


「そうね⋯⋯。私には『友達』なんてものがいないから、いいアドバイスはできないけど」


 部長は、ピペットを実験台に置くと椅子に深く座り直す。


「そうね、躊躇うわ」


 やっぱり⋯⋯か。

 この件は、踏み込まない方がいいのか──?


「だけどね」


 そして、部長は俺の目をしっかりと見据える。


「だけどね、多分知ろうとするわ」

「⋯⋯⋯⋯⋯」


 どうして?

 心の中で部長に問いかける。


「知らずに怖がるなんて、嫌だもの。

 知らないことで何かを傷つけるのも、もっと嫌じゃない?」


「そ、それは⋯⋯」


「それに。その言い方だと、なにかを『失う』と決まったわけじゃないんでしょ?」


「⋯⋯⋯⋯」


「図星ね」


 ふふっ、と部長は笑ってみせる。


 ⋯⋯さすが部長だ。お見通しか。


「なら、失わないようにする方法を探すわ。

 それがたとえ、不可能に等しいものであってもね」


 そうだ。別にまだ、何かを失うと決まったわけではない。


 知ってしまったらきっと、何かは変わってしまう。

 だが、それに恐れていたら先へは進めない。


「鍵は、やっとくから」


 先輩のそれだけの言葉が、背中を押してくれているような気がして。

 俺は、先輩に頭を下げた。


「それじゃあ、失礼します」

「⋯⋯ん」


 先輩は、いつものように手だけを振って答える。

 それを一瞥すると、俺は部室を出た。

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