第9話

「⋯⋯詰んだか」


 ズシリ、ズシリと地面がめり込むような音を立てながら、巨大な蜘蛛が俺達の方へ向かってくる。


 俺の体は──、恐怖のためか呆れるほどに動かない。


 ──俺は、死ぬのか。父さんと同じように、俺も怪物の手で殺されるのか。


 諦めに似た絶望、そして後悔。父さんも、同じことを考えながらこの数秒間を過ごしたのだろうか。


 そう思っていた瞬間、袖がギュッと引っ張られる。

 振り向き見ると、少年が小さな手で必死に俺の袖を掴んでいた。


 ──いや、父さんとは違う。


 俺は今、何をしていたか?

 この子を放っておいて、俺は何を考えていた?


 父さんは、死ぬ直前まで立派な医者だった。

 化け物共が街を闊歩したあの日、父さんは多くの人を助けてから死んでいった。


 それに比べて、俺は何だ──?


 パシッ、と両手で頬を叩くと、俺はデカブツを睨み付ける。


 感傷に浸るなんて、墓の中でもできる。

 今はただ──、やれることをするだけだ。


「にぃ、ちゃん⋯⋯?」

「いいか、よく聞け。助けが来るまで、ここから一歩も動くな! お前だけは、俺が助けるッ!」


 車の陰から飛び出すと、俺は巨大蜘蛛の方に走り出す。


 ──大まかな作戦はこうだ。


 ある程度の重量があって、かつ今の俺のボロボロな体でも十分な重さのものを投げつける。

 今考えうる中で最適なのが、通学鞄。


「⋯⋯って、ないッ?!」


 肩にかかっていたはずの通学鞄がない。

 恐らくは──、あの巨大蜘蛛の下に落としたのだろう。


 ──おい、ちょっと待てよ。殺す気か?


 自分で言うのもアレだが、俺はただのインドア系男子だ。

 体育の成績なんかお察しのレベルだし、そもそも運動なんてまっぴらだ。


 そんな俺にもう一度突っ込めと? ⋯⋯馬鹿らしい。

 思わず俺は、自嘲的になる。


 ──ただ、やるしかないだろう?


 決心するのには、時間は掛からなかった。


「おんどりゃアァァッ!」


 巨大蜘蛛の足の隙間に狙いを定めて、俺は全ての力を出し切る勢いで加速する。

 そして、胴体の下へ潜るようにスライディングする。


 ──頼む、そのまま動かないでくれッ!


 祈りが通じたのか、間一髪のところで巨大蜘蛛の下へと滑り込めた。


 スマホの明かりを頼りに、俺は周囲を見回す。

 すると、すぐ近くで鞄の金具が反射したのが見えた。


 駆け寄ると、俺は鞄を回収する。


 後は──、抜ける。


 もう一度、今度は別の方の光へと走る。

 再び巨体の下から出ると、俺は巨大蜘蛛の胴体目掛けて通学鞄を投げつけた。


 ──グオォォォン!


 地響きのような鳴き声と共に、巨大蜘蛛は俺の方へ体を向ける。

 これで、あの子は大丈夫だろう──。


 そう思った途端、ふっと体の力が抜ける。

 気がつくと俺は、道の真ん中に座り込んでしまっていた。


 ズシリ、ズシリと近く巨体を力無く見つめながら、考える。俺は──、守れただろうか。父さんのように誰かの力になれただろうか。


 怪物が、鎌のような足を振り上げる。


 もしそうなら──、後悔はない。


 俺は、そっと目を閉じた。




 ⋯⋯あれ?


 いくら経っても、痛みすらない。

 体が吹き飛ばされたとか、そういった感覚さえない。


 俺は、恐る恐る目を開く。

 すると俺の目に飛び込んできたのは、一人の魔法少女の姿だった。


 漫画の中に出てきそうな、ピンクをベースとしたコスチュームに身を包んだ少女が、自分よりも遥かに大きな怪物の足を受け止めていたのだ。


 その様子に見とれていると、突然どこからともなく光の矢が放たれる。

 その矢は、巨大蜘蛛の腹をぐさりと貫いた。


  ──グオォォォォ!


 巨大蜘蛛が、地響きに似た断末魔を上げる。

 そしてそれは、自重に押し潰されるようにして地面に崩れ落ちていった。


 その一部始終を、俺はただ呆然と見届けていた。


 魔法少女が、白い手袋をはめた手をはたくと俺の方を振り向く。


 そしてその顔を見たとき、俺は心臓が飛び出るほど驚いた。

 その面影に、俺は見覚えがあった。その人は──、


「舞──なのか?」


 そう、俺の幼なじみの神田舞。彼女とそっくりだったのだ。


 確かに、目の前の魔法少女と舞とは違う部分が多々ある。


 例を挙げるならば、髪や瞳の色が明るい桃色であるところ、それに髪がやや長くなっており、それが後ろで一つに束ねられているところだ。


 それなのに俺は、目の前の魔法少女が舞にそっくりだと感じた。


 おおよその背の高さや、何かをやり切った時に見せるほっとした表情、それに仕草──。

 その全てが舞と似ていると、そう感じたのだ。


「──────」


 かの魔法少女は、怪物の方を一瞥すると何も言わず飛び去っていく。

 その振る舞いはまるで、俺の呟きなど耳に入っていないかのようだった。


 そして俺は──、遅れて駆けつけた警官らによって保護されたのだった。

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