第6話
帰り道、俺はとあるところに寄り道していた。
高校の最寄駅から東京方面の各停で二駅のところに、神崎という駅がある。
階段の手すりは塗装が剥げたまま放置され、至る所で錆が剥き出しになっているような古びた駅だ。
だからこそ、初めてこの駅に降り立った人は街の新しさとのギャップに驚くだろうと思う。
駅を出ると、新興住宅地がズラッと並ぶ。
全ての家が新築というわけではないが、それでも区画によってはほぼ九割がここ二、三年に新たに建てられたものか、もしくは建て替えられたものだ。
ちなみに俺がこの駅に寄り道したのは、食べたいものがあるとか、買いたいものがあるとか、そういった目的があったからではない。
駅から少し離れたところに集合墓地がある。俺は、そこに用があってきた。
「おう、にいちゃん。今日もか?」
柄杓の入ったバケツに水を汲んでいたところで、顔に皺をたたえた白髪頭のおじさんに声をかけられる。
「ああ、おじさん。久しぶり」
「久しぶりってほどじゃねぇだろ。この前はー、ええっと──」
「一週間前、ですかね」
「おっ、そうか。もう、そんなに経っていたか。いやぁ、年寄りになったもんで時間感覚がおかしくてな」
この暑い中、帽子も被らずにいるこのおじさんは、墓地の常連さんだ。
「いやいや、まだまだでしょ。年寄りはこんなクソ暑い中、出歩きませんって」
「いーや、分かんないぞ。俺は水筒を持ち歩いとらん。案外先は短いかもしれん」
「どーだか。給水所の一つや二つ、管理棟に行けばあるし」
「ガハハ、それはそうだ。こりゃ、また一本取られたな」
やられた、とおじさんは頭頂部の少し寂しくなったところを掻きながら笑う。
「ただ、水筒くらい持ってきた方がいいですよ。これからもっと暑くなるんだし」
「はい、はい。わがっとる、わがっとる」
うん、うんと頷きながら納得したフリをするも、このおっさんが水筒を持ってこないのは過去二、三年の間に実証済みだ。
もうしばらくしたら、保冷の水筒と予備の紙コップくらいは持ち歩いた方がいいかもしれない。
「んで、今日もお参りか?」
「ええ、お参りです」
キュッと、水道の蛇口を閉める。満杯ではないものの、重たい。
「んじゃ、失礼」
「おう、また今度」
おじさんは、手を振りながら俺のことを見送ってくれた。
俺も手を振り返すと、バケツ片手に迷路のように入り組んだ墓地の奥へと入って行った。
*
「来たよ、父さん」
水で清められた墓石の前で、手を合わせる。
この墓に入っているのは、父さんだけだ。
父さんが死んで初めて知ったのだが、ここの墓に入るのは生前から決めていたらしい。
だが別に、父さんは親戚と別段仲が悪かったわけではない。
父さんの墓から少し目線を上げると、四、五階建ての大きな施設がある。神崎総合病院──、父さんが生前勤めていた病院だ。
生前に聞いたことだが、父さんはあの病院の院長を務めていたこともあるらしい。
ただ、色々と制約が厳しくてすぐに辞めてしまったそうだ。
恐らく、ボランティア派遣とかのたびに院長が病院を留守にするのを、何よりも父さん本人が問題視したのだろう。
父さんは、あの病院が何よりも大好きだった。だからこそ、この地を選んだのだろう。
墓石の前には、古びた肩紐付きの水筒が線香や花束の代わりにお供えされている。この水筒は、父さんの大切な遺品だ。
水筒の中身の水を入れ替えてから、俺はもう一度手を合わせる。
この水筒片手に駆け回る、ボランティア派遣医としての父さんの姿を思い出しながら──。
「それじゃ、また来るから」
俺は、墓地を後にした。
*
「おう、にいちゃん。帰りか?」
バケツを戻しに来た道を戻ると、いつものおじさんが手を振ってきた。
「これを戻したら、ですけどね」
「ならいい。ホレ」
おじさんが缶のジュースをヒョイっと投げる。
「こんなに暑いんだ、何か飲まないと倒れるぞ」
「⋯⋯こっちのセリフだっての」
そう釘を刺すように言うも、このおじさんは、この手の話になると急に耳が遠くなるらしい。
「それよりにいちゃん、今日はちと遅かったじゃねえか。どしたんだ?」
「ん、ああ。ちょっと手伝いがあって」
苦笑いしながら言うと、おじさんは少し不思議そうな表情をした。
「手伝い? ⋯⋯先公にでも、なんか頼まれちったんか?」
「先公って、まったくいつの時代だってーの。一人で学校の花壇の手入れしていたヤツがいて、手伝ってたら少し遅くなって」
「へぇ、お前にしちゃあ⋯⋯、アレだな」
──珍しいことでもあったもんだ。
そう言いたげに、おじさんが顎に手を当てながら頷く。⋯⋯失礼な。
「もしかして⋯⋯なんだが、相手は女か?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
まったく、このオヤジは。すぐゲスい話に持ち込もうとする。
「答えないってことは、アタリか?」
「あーはい、そーですよー。んじゃまた来週」
「お、おいっ、ちょっと待て! もっと聞かせろってんだ!」
クルリと回れ右すると、墓地の出口目指して猛ダッシュ。待てと言われて誰が待つものか。
それにしても──。昼に見たあの花壇、一人で手入れしていたなんてな。やはり、信じられそうもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます