#2 縷々 Ⅰ
ローレント・D・ハーグナウアーは、カフェがよく似合う青年だ。
私がメモの文面から店を割り出して訪ねると、彼は宣言通りテラス席で一人待っていた。天気の良い昼下がり、パラソルの下で優雅に足を組んで本を読むさまは、どこかのハイソな映画に出てきそうなほど洗練されている。その背景がお手頃な店であるがゆえに、彼の煌びやかなオーラが余計に強調されていた。
――
「だいぶ悪目立ちしていますね」
「ええ、そうでしょうね。僕は何をしたって悪目立ちするようですから、気にかけないことにしているんです。おかげですぐにわかったでしょう?」
「まあ、そりゃあ……」
彼は赤髪を色っぽくかき上げ、私を上目遣いに見る。心なしか、彼は昨日よりも穏やかな表情をしていた。
「どうぞ座って。料金は気にせず好きなものを選んでください。それともレストランの方が良かったですか? 移動することも可能ですよ」
「いえ、結構です。このままで」
レストランに行った方が美味しいものにタダでありつけそうだが、VIPの個室か何かに連れ込まれそうで怖い。私は提案を拒否し、彼の対面に座った。彼は織り込み済みといわんばかりに微笑む。もしかすると、テラス席を指定したのは気遣いからだったのかもしれない。
「ではそうしましょう。ちなみに、ここで話していることは洩れませんからご安心を」
「流石ですね」
彼にかかればなんだって思い通りらしい。
私はその艶やかな笑みが癪なので、あえてセットメニューは選ばない。キャラメルマキアートと、苺たっぷりのエクレアを選んでやった。そして彼が何を選ぶのか注意深く観察する。
「――もしやシュバリエさんは甘党ですか」
「そうですね、ドラゴンに糖分は必要不可欠なので。必然的に甘いものは好物になります」
一応偽名で呼びかけてやると、彼は意外な返答を寄越す。カフェテーブルの上には、ウエイターによって大量のスイーツが並べられていった。当然のことながら、いつもはオブジェとして飾られている卓上の花瓶は撤去される。天板が見えなくなるほどに隙なく敷き詰められた皿は狂気さえ感じるほどだ。それらが全部ドラゴンだからという名目で消費されるとは、だいぶシュールな光景である。
彼はエスプレッソコーヒーを一口飲むと、早速ホイップの稜線を崩し始める。私も彼に続くことにした。カップに口をつけたまま、まずはキャラメルマキアートの泡を味わう。
「――ところで、パスワードを飼い犬の名前と誕生日にするのは避けた方がいいですよ」
「ぶふぉ」
白い塊はほぼ直線に飛ぶ。私の口からキャラメルマキアートの泡が勢いよく発射されたのだ。
まずい。彼のチョコレートケーキに、ピスタチオの粉砕物と泡がトッピングされる――、その瞬間だ。
青紫色の火花が弾けて飛散物は全て灰になった。後にはやや焦げ臭い空気だけが残る。
「お気になさらず」
紫の瞳の輝度を下げて彼はしれっと言ってのけた。だが黙って引き下がる義理は、私にはない。
「いや、噴き出してしまったことは申し訳ないですけど、原因を作ったのはシュバリエさんですよね?」
「そうですね。その点に関しては謝罪します。ですが未報告のまま放置するのは良心が痛むもので」
「良心って……、一体何をしたんですか?」
私が恐る恐る尋ねると、彼は起伏の乏しい声で言う。
「ハッキングさせていただきましたから、色々と。そして無事調査が終わり、あなたがクリーンな人間であると証明されました。僕は
「は、っきんぐ? え、ちょっと、どういう――」
「つまりこういうことです」
彼は虚空からタブレット端末を抜き取り、その画面を私に見せた。明らかに何らかのログが並んでいる。現在進行形で行は増えていくが、これは――
「それ私の
既視感たっぷりのURL、身に覚えのありすぎる時刻。まさしく私の足取りだ。
「よくわかりましたね。聡い人は好きです」
「褒めるタイミングじゃないでしょう!」
「ちなみにこの端末からあなたの端末のロックを外すこともできますよ」
「ああもう、やめてください!」
分かっているのかそうでないのか、彼は二、三度軽く頷くと自分の端末を宙に投げて空間の亀裂に収納した。そしてさっさとスイーツの解体工事に戻る。中がパンパンに詰まったピンク色のエクレアを、どういう原理か上品に切り分けて口に運んだ。
この爺さんはかなり厄介だ。薄々勘付いていたが、まるで空気を読む気がない。あらゆることがあちらのペースで進む。
「……一体どうやってハッキングしたんですか?」
「クラウダス社とヴィデルマ社のホームページに色々仕込んでおきました。あれは僕が管理しているんですが、竜災対策軍の優秀な若手ぐらいしか検索しないんですよ。なので誰かが訪れるたびに身辺調査をさせていただいています」
まんまと釣られたわけだ。本を渡されて条件を満たすとメモが飛び出すなんて、された側は正解を引いたと確信する。そうしたら先に進むためにあの二社を調べ始めるのは必然。彼が手をこまねいていることも知らずに、自ら罠にかかるわけだ。
「それで、クリーンとかクリーンじゃないとかって、どこに閾値があるんですか?」
「特定の団体との接点の有無です。あなたのご母堂様が
言い切って、彼はエスプレッソを飲む。どうやら腹心になるだけあって、彼はアルマス・ヴァルコイネンのことが大好きなようだ。
「はぁ……、もういいです。ハッキングに関してはもう何も言いません。別に変な使い方はしないんでしょう? 類を見ないほどの愛妻家だって噂ですもんね」
「当り前でしょう。シェリル以外の女性には微塵も興味――、失礼」
私が嫌味を交えて話題を閉めると、ひどく嬉しそうな顔をして毒を吐く。おまけ程度の謝罪はついているが毛ほども繕えていない。わかっていてやっているのだろうか。
「さて、もうそろそろあなたがしたいお話をはじめましょう」
彼はそう言い、ラズベリーとチョコレートホイップがたっぷりのクロワッサンを口に突っ込む。何故このタイミングで口いっぱいに頬張るのだろうか。この爺さんは本当に話す気があるのか疑わしい。
「それは、私から話せってことですか」
彼はうんうんと首肯する。
「そうですか。――私は、アルマス・ヴァルコイネンが本当に悪者なのか、隠された歴史を暴いてその真偽を証明したいんです」
沈黙が訪れる。彼は口の中のクロワッサンを嚥下し終えた後もすぐチョコレートケーキに着手して、まるで応答する様子がない。
「特定の団体との接触の有無。さっきそう言いましたよね。『特定の団体』があなたたちの敵、私にはそう聞こえました。過去に、そして今も、その敵と暗闘をしているのではないですか?」
「……その通りです。今も影で存分にやりあっていますよ。そしてこの戦いは、二度の『大回帰』の残りかすでもあります。どうやら人々はあちらの思想に魅入られてしまうようで、僕らがどれだけ消し炭にしても湧いて出てくるんです」
「魅入られる?」
「人類の悲願なんでしょうね。いつの時代も一定の支持があるものです」
ローレント・D・ハーグナウアーははぐらかす。微笑んでケーキを口に入れるばかりだ。
「シュバリエさん、その悲願が何なのか教えてください」
「ノエ・シュバリエはそんなもの知りません」
「じゃあハーグナウアーさん。どうして――」
私がテーブルに乗り出すと、彼はそれを制止する。そして真顔になった。
「別にあなたが口外しないのなら教えても構わないのです。ただ、もしその情報がよそへ出たとき社会にどんな影響を及ぼすか、そこまで頭が回っていないのならお教えできません。少なくとも今のあなたに開示できる情報はもうない」
「じゃあ何故、私をここに呼んだんですか?」
「あなたがアルマスの優しさに報いようとするのと、僕がアルマスのためにあなたを利用するのとは、切り離された問題です。混同されては困る」
そうきたか。許されたから呼ばれたわけじゃなかったのだ。なら考えろ。私が彼に利用されるにはどこをクリアすればいい。彼から情報を得るためには、私の野望のためにはどうすればいい。
「わかりました。――私がそれに見合う人材だと納得すれば、過去を教えてくれると?」
「あなたが僕の私益に資する人間ならもちろん。じじいは長話が好きですから、幾らでも語って差し上げます」
私の返答を聞き彼はどこか上機嫌だ。彼が最後のスイーツを片付けている間、私は必死に頭を働かせる。
――人類の悲願。そう表現するくらいだ。現実となるならそれが大多数にとって良いことであるはずだ。
しかしアルマス・ヴァルコイネンやローレント・D・ハーグナウアーはそれを阻止している。つまり彼らにとってそれは叶えられてはいけない願いだということ。二人とも偏屈ではあるが自分勝手を働くようには見えなかった。それが何故、悲願の達成をやめさせる?
「人類の悲願だったとして、それを達成するのはごく一部……、とか?」
いやそれだけじゃ動機として弱い。デメリットが大きいのか?
「例えば、犠牲……?」
そんな私の独り言に彼が返事をする。
「犠牲は出ますよ。それはそれは沢山の犠牲が」
人類の悲願とやらを達成しようとすると多くの代償が必要となる。ならば確かに、それは止めなくてはならない。
だがそれならば、先の戦争の情報を開示したとして人類の悲願とやらが是とされることはあるのだろうか。私の考えが甘いだけかもしれないが、一人一人の命が重いこの時代に犠牲は容認されたりしないだろう。
「でもきっと、真実を知れば社会が犠牲を許さない。皆が歴史を知っているからこそ、食い止められることもあるはず」
「社会が犠牲を許さない……か。まあいいでしょう。もう一息ですが、及第点にということにしておきます」
彼は足を組みかえて穏やかな笑みを浮かべた。そして瞳の紫色を強める。
「こんな子がトップになったら、世界が大きく動きそうですね」
「言っときますけど、とんでもない競争倍率ですからね」
「それでも、
私が抱いていた通りの言葉を、彼はなぞる。大方私の思考でも読んでいるんだろう。ならばと決意を込めて告げる。
「――言うまでもなく」
すると彼は立ち上がる。娘でも見るかのように優しい眼差しで私を見て頭を撫でると、不敵に微笑んだ。
「では約束しましょう。僕が知りうるすべてを教えます。そしてアルマスの心を少しでも楽にしてあげてください」
彼は会計を手早く済ませてテラス席に戻ってくると、最後に一つ付け加える。
「――アルマスは休日の午後、大学図書館にいるはずですよ。傷心のお爺さんを慰めるのにちょうどいいと思います」
「それも知って――」
彼は何も言わず、優雅に一礼して歩み去った。
――私の手には、新たな手掛かりが握られている。
与えられたまたとないチャンスに想いを馳せ、私は残されたエクレアを平らげた。
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