#3 祝え、呪え Ⅰ

 呪いは、誰かの願いだ。願いの善し悪しを決めるものは立場のみ。

 私の願いは――恐らく悪の側にある。フィーリクスもリリャも、アルマスも、誰も賛同してくれない。つまりそういうことだ。私だけが正義だと思っている。

 これが私の望んだ安穏だ。アルマスは人里離れた場所で静かに暮らし、フィーリクスもリリャも命を脅かされることはない。かつて街を救った英雄は英雄のままで、アルマスは何一つ瑕疵のない善人であり続ける。

「アルマスは堕ちて暴れる」――姉の妄言は現実にならない。それが最も平和な英雄譚なのだ。

 けれど、私の願いは叶うのだろうか?

『大丈夫、気にしないで。二人が僕を除け者にするなら、僕も好きなようにやるから』

 去り際、弟は妖しく笑って言った。涙するでもなく、真剣な顔になるわけでもない。いつもの泣き虫な弟とは様子がまるで違っていた。

 もしかすると――

「――ねえキエロ。ペンの音がうるさいんだけど。どうしたの?」

 棘のある言葉に引き戻される。隣の席の同僚クッカはひどく不満気だ。おおかた、終わりの見えない作業に嫌気が差しているのだろう。彼女はよくこうして当たり散らしてくるのだ。

 手元を見ると――私もそれなりに不満気だ。手紙には力強く迫力のある文字が並んでいる。

 徐々に寒さを増すこの頃。デパートの建設がひと段落したので、この会社は次の顧客を探しはじめた。「アパートでも別荘でも、サナトリウムでも。建築ならわが社へ!」彼女は封蝋を叩きつけるように押す。

「一体何通書けばいいのかしら。こんなに送ったら、街がもうひとつ出来上がりそうよ」

「クッカ、所長に怒られるわ」

「その本人が笑っているんだから、構わないでしょう?」

 その通りね、とあしらって作業に戻ったはずなのに、クッカはまた喋りだす。

「そうだ聞いてよ!」

 彼女は黙って作業ができないらしい。事件か迷信か不倫か、何の話を始めるのだろう。

「この前の噂話の続きよ。キエロも興味あると思うんだけど」

「人もトナカイも、失踪の理由は山の幸って話?」

「確かにそんな話をしたけれど、山の幸なんか関係ないわよ。もっと真面目な話」

 クッカの口から真面目なんて言葉を聞くことになるとは思いもしなかった。今日の噂話は、いつもと違って聞く価値があるのかもしれない。

「失踪の原因は呪いじゃないかって言われていたけれど、実際に調べてみるとごく一般的な魔法犯罪だって。通りすがった人を森に誘い込むような魔法らしいわ」

 例の失踪事件の話か。森へ向かった人々が帰ってこないのは毎年のことだが、今年は事情が違うらしい。この平和な街で事故以外のことは滅多に起こらないのに。

「その噂話はどこから?」

「違う違う、事実よ。新聞に書いてあったの。呪いも怖いけれど、犯罪だといわれるとより身近に感じていやだわ」

「そうね。こうなると、子どもたちの送り迎えをしたほうがいいのかも」

 物騒だから早く捕まってほしいわ、とクッカは大げさに悪態をつく。私も、犯人が見つかるまで気は抜けない。何せ、新聞で報じられるくらいのことだ。どんな事件か詳しくは知らないけれど、しばらくは森に近づかない方がいい。好奇心旺盛で愛嬌のあるリリャなら尚のこと、事件に巻き込まれてしまいそうだ。

 話は終わりかと思いきや、クッカは切れ目なく語り続ける。そんなに妙な事件なのだろうか。聞いている限り、私にはただの誘拐事件に思える。

「でね、私知らなかったんだけれど、呪いは普通の魔法と同じように痕跡が残るらしいのね。痕跡の特徴がちょっと違うだけなんだって。今回の事件は、鑑定の結果、学校で習うような普通の魔法だったって話」

「痕跡が残る……?」

 おかしい。私の知っている呪い――呪術とは違う。学校で習うような簡単な魔法とは起源が異なるから、呪術として分類されているのだ。彼女の言うような痕跡は、呪いを使ったらまず残らない。しかも、新聞記事で呪いに言及する必要性はあるのだろうか。噂が出回っていたから? それとも何か意図があって呪術である可能性を否定している?

「ねえクッカ。それ、どこの新聞に書いてあったの」

「もちろん、キエロの弟くんが勤めているところのよ」

 一番聞きたくなかった回答だ。偶然にしては要素が揃いすぎている。

 弟は魔法全般に詳しい。呪術も例外ではない。私も多少の心得はあるが、すべてアルマスの受け売りだ。

 それに新聞。アルマスは社会部で記者をやっている。街の話題、事件、事故をニュースにするのが仕事。魔法絡みの出来事となれば、アルマスが関わらないことはまずないだろう。

 大切な弟をやたらと疑いたくはない。けれど、あまりにも事件の中心に近すぎる。そんな気がする。

「それはいつの記事? 私も読みたい」

「昨日の朝刊だけれど……。珍しいわね、キエロがこういう話に興味を持つなんて」

「ええ、そうね。そうかもしれないわ」

 文字が不安に震えるのを抑える。考えすぎなのだろう。けれど疑念が拭えない。

 どうにかして、アルマスが関わっていない証拠を見つけなければいけない。それが、姉としての責務だ。

  



 ***


 ただいま、の声で現実に引き戻される。フィーリクスだ。時計を見れば、とっくに仕事を終えて帰ってくる時間になっていた。娘のリリャは大慌てで部屋から飛び出してくる。

「おかえり、おとうさん!」

「リリャ、今日もいい子にしていたか?」

 ソファにいる私の真横では急にハンガーが消え――すぐに背広と鞄が現れた。フィーリクスお得意の魔法だ。リビングにやってきた彼の左目は金色に光っている。空間を曲げるような大魔法をこんな風に何気なく使ってみせるのは、彼以外にいないだろう。

「おとうさん! 目みせて!」

 リリャはフィーリクスのズボンを思い切り引っ張ってしゃがませた。小さな手で彼の顔を挟み込んで、真正面から左目を凝視している。

「わかった、ちょっとだけだぞ。五秒だけ金色にしておくからな」

 いち、に、とフィーリクスが数えだすと、「あと五秒!」とリリャが叫んだ。いつもの光景だ。

「きれい。わたし、おとうさんの目、すきだよ」

「お父さんもリリャのおめめが好きだ。お母さん譲りの綺麗な青色だな」

「そんなにみないで!」

 抱き上げられ口説かれたリリャは、急にうろたえた。年頃の女の子らしい反応だ。七歳ともなれば、見つめられて恥ずかしがるくらいのことはする。それが面白かったのか、フィーリクスはごく短い髭を押し当てて、盛大に拒否された。二人がじゃれつきながらソファに飛び込むので、衝撃で座面が跳ねる。

「おかえりなさい」

「ただいま。キエロの瞳も好きだ」

 私の持っている新聞がよれるのもお構いなしだ。彼は頬に口づけをしてくる。嬉しいけれど――今日は乗り気じゃない。するといつもと違う私の反応を悟ったのか、幾分か実直そうな顔になった。

「リリャ、さっそく夕飯にしてしまおうか。宿題は終わったか?」

 流れるようにダイニングに移動し、彼はリリャを椅子の上におろす。慣れた手つきでパンを配り、牛乳を注いでいく。

「今日のお夕飯はサーモンスープロヒケイットよ。人参を多めにしたわ」

「やった! にんじんだいすき!」

「リリャ、後でお父さんの人参分けてあげような」

 平然と娘に押し付けようとしている様子に、つい笑いが漏れる。ほんの少し、心が穏やかになった。

「――それで、お父さんは何かけの人参を食べられたのかしら」

「やめてくれよ。二かけは食べたぞ」

「えらいわ、フィーリクス。つい最近まで一かけが限界だったのに」

 リリャを寝かせた後、彼は私をリビングまで引っ張っていった。強引にソファに座らされる。

「そうやって揶揄うということは、何か心配事があるんだろう?」

 知り合ってから十年も経てば、分かりやすい私のことだ、すぐに想像がつくのだろう。フィーリクスは隣に腰掛けて手を握ってきた。握り返すと、彼は黙ってもたれかかってくる。

「今日、私の職場で話していたの」

 恐ろしくなって脇へやった新聞を、改めて手繰り寄せる。

「いろいろな噂話があったらしいの。連続失踪事件は、例えば呪いの仕業だとか」

「その噂は俺も聞いたことがある」

 フィーリクスが意外なことを言う。彼も私と同じであまり噂話を好まない。しかも彼はサクサの人間だ。カレヴァ人の輪から弾かれている節もある。尚更、噂なんて滅多に耳に入ってこないだろう。そんな彼が知っているのだから、余程この街で有名な話なのだ。

「発電所の従業員も一人失踪したんだ。『あの潔癖な男が単身で森に入るはずがない』というので、呪いの話が上がったようだ」

 フィーリクスの職場でも同じような噂が流れているらしい。新聞に書かれている事件の内容と似ている。

「私が知っている噂話もおおむね一緒。森に行くはずもない人が、何故か森で失踪しているって。それが呪いのせいなんじゃないかと」

「なるほど。だから、呪術の心得があるキエロは、気になって調べていたと」

「まあ……そういうことよ」

 新聞の紙面をランプで照らす。見出しには「森で十三人が失踪 魔法犯罪か」と書かれている。私が指でなぞると、フィーリクスは鼻先がつくくらい接近した。すぐに諦めて新聞紙から顔を離す。左目は淡い金色だ。

「一般魔法と同様……呪術は魔法が使われた場所に使用者の魔力が残る。……残留魔素を鑑定し、一般魔法であることが確認された。一見おかしなところは無いな」

「普通はそう思うわよね」

 犯人は捜査中――至って平凡な書き方だ。フィーリクスのように、大体の人はただの犯罪だと考えるだろう。

 けれどこの記述は、昔アルマスに教えてもらったことと食い違っている。

「呪術は、使用者の痕跡が残らないはずなのよ」

 フィーリクスは私の顔を見て、紙面をもう一度凝視する。書いてあるのは私の言葉と真反対。彼は何度か視線を往復させて、やっと口を開いた。

「……何だって?」

 フィーリクスは「カレヴァ語だから読み間違えたか?」などと呟きながら、また思考の海へ戻る。無理もない。

「呪術を使っても、使用者の魔力は残らない。使用者の魔力に反応する『場』が、しばらく残るだけ」

 呪術は自らの内にある魔素をほとんど必要としない。環境にある魔素を借り受けて操る術だ。

「それは……どこで得た知識なんだ?」

「呪術に関する知識は、全てアルマスに教わったの」

 フィーリクスは戸惑いを見せる。私の考えを察して、何とか否定しようとしているみたいだ。

「キエロの記憶違いということは」

「それはないわ。父とアルマスの遊びに付き合って、『場』を探して回ったことがあるの」

 やろうと思えば今でもできる。まだ両親が健在だったころ、父とアルマスはよく魔法を使って遊んでいた。何度か混ぜてもらったことがある。

「私も……最初は知識の方を疑ったわ。父とアルマスが間違えて覚えていた可能性もあるもの」

 それにしたって、言っていることが真逆なのだ。

「情報に誤りがあった、そう思うのが一番楽よ。けれど、アルマスはよく警察の取材をしている。魔法についての専門家でもある。そしてこの新聞は、アルマスが勤めているところのもの」

「弟を疑うのか?」

「疑いたくはない。でも可能性がある」

 フィーリクスは黙り込んだ。しばらくすると、大きく息をついた。

「しかし、記事には必ず複数人が関わる。虚偽の内容を載せることは、そんなに簡単じゃない」

 彼は何とかして可能性を潰したいのだろう。私だって同じだ。それでも弟の関与を否定しきれないから、今こうしてフィーリクスに相談しているのだ。

「フィーリクスが戦地に向かってからこの国に帰ってくるまでの間、アルマスは大学で呪術の研究をしていた。古い魔法の仕組みを、一端とはいえつまびらかにした。新聞社に就職すると言ったら、大学の先生たちに総出で止められたらしいわよ」

 私も、そのまま大学で研究を続けるものだとばかり思っていた。当時はかなり驚いたものだ。しかし、それが結果として新聞社での仕事に繋がっている。魔法犯罪の記事をよく書いているし、職場での発言力も盤石だ。

「――すまない。言いたいことは理解できる。確かに事件への関与を否定しきれる材料はない。だが事件に関わっているという証拠もないんだ」

 フィーリクスは顔を覆って立ち上がる。

「俺は賛同できない。あれだけ良くしてくれた親友を疑うなんて無理だ」

 彼はそばにあったコートを手に取った。

「アルマスに会いに行ってくる」

 台所にあったビールを手に取って、彼は私と目を合わせる。左の瞳は明るい黄金だ。彼が憂うように瞼を伏せると――瞬間。景色が歪み、フィーリクスは姿を消した。

 後に残る魔力の甘い香りが、私に「薄情者」と告げているように思えた。

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