#4 身侭 Ⅳ
ジェイはどこか横暴だ。一方それが救いでもある。
「今朝はシェリルと思いっきり喧嘩してたよな。話そうぜ。俺、お前の話聞くよ?」
実のところ話したくはない。シェリルに言わせてみれば「隠し事ばっかり」というやつだ。だが僕の内面や嗜好に興味のある人間なんているはずもなく、余計なことをべらべらと喋ったところで相手に無駄な手間を取らせるだけだ。
「僕はジェイの学力が非常に心配です。それ以外に特筆すべきことはありません」
「いやいやハーグナウアー、待て。ある。絶対あるだろ。話を逸らすなよ。つか辛辣だなおい」
ジェイはやたらと首を横に振る。それで少し考えこむと、今度は指を鳴らした。
「じゃあこうしよう。弁証なんたらの時間だ」
「そこまで思い出したのなら弁証法と言いましょう」
するとジェイは眉間に深く皺を刻んで、濁った返事をする。
「あ? 細かいとこばっか気にしてると禿げるぞ」
「禿げません。ドラゴンの体細胞は魔力的に変質が妨げられていることが明らかになっ――」
「はいはいわかった、それはもういい。で? 話すのか? 話さないのか?」
シェリルよろしく、ジェイは僕の話を中断させた。彼らは似た者同士だから僕の言いたいことを遮ることが多い。しかも何より、弁証法というからには僕を丸め込む気満々だろう。
「
やたらと長い溜息を吐いたジェイは、腕を組んで唸る。
「お前みたいな頭の固い奴の人間関係には、嘘も詭弁も足りてないと思うぞ。だいたい愛だの恋だのって、遍く世界の真実ってわけじゃないだろ? 勘違いと身勝手の塊について、ハーグナウアーは難しく考えすぎなんだよ。その……蓋然性ってのはよくわからんけど」
「ジェイにしてはまともなことを言いますね」
「お前ほんと辛辣な」
確かに、他人を悪く言うことなんて今までほとんどしてこなかった。それなのに、彼には本音を伝えてもいいような気がして、ついつい口から零れる。
「僕の本質なんてその程度ですよ。性根がひねくれていることには自信があります」
「嫌な自信だな。でも俺としては、壁作られるよりずっと良い」
ジェイがあまりにも奇特な人間で、いささか心配になる。これだけ無遠慮なことばかり並べられても、その方が良いと言うのだ。本来なら僕など、取るに足りない同学年の生徒に過ぎなかっただろうに。
得難き友、というものなのかもしれない。
「わかりました、ジェイの人柄に免じてお付き合いしましょう。弁証法を用いて何をするつもりですか?」
「確かめる。ハーグナウアーが本当に、心の底からシェリルと離れたいと思っているのか」
ジェイもやはりシェリルの味方をするらしい。ドラゴンである僕から距離を置くべきなのは、妥当性を持った論のはずだ。けれどシェリルといい、クロエといい――そしてジェイも、僕の提案を否定したがるのだ。
さっきまでの気まぐれが冷めていく。話に付き合うなんて言わなければよかった。けれど約束は約束だ。
「僕はシェリルと離れたい。それが最も安全だからです。……掘り下げるなら、どうぞお好きなように。自分の発言を反故にすることは好みません」
ジェイは僕の背中を叩く。何故か分からず彼を見ていたが、「良い奴だな」と言われただけ。まるで意味不明だ。
「じゃあ最初に。もし一緒に居ても身の安全が確保できるとしたら、お前はシェリルと一緒に居たいか? シェリルと付き合うか?」
「ええ。僕が危害を加える心配がなく、またシェリルが本心から望んでいるなら。僕も共に在りたい。空想も甚だしいですがね。どちらの前提も機能していない」
紛うことなく、僕の願望だ。シェリルに肯定してもらえるのは気持ちがいいし、許されるなら傍にいてほしい。
けれど現実は、堕ちたドラゴンの突飛な妄想が叶う場所じゃない。
僕は暴れる。性懲りもなく、些細なきっかけで、何度でも。子どもの癇癪のような頻度と動機で、天災のような力を振るうだろう。
それにシェリルは、僕がドラゴンに成ったことに責任を感じているに過ぎない。僕に対して優しいのは、彼女の努力あってのことだ。世にいう恋や愛はそこに介在しない。
「一緒に居たいけど駄目ってか。お前面倒くさいな」
「周知の事実でしょうに」
ジェイは肩をすくめて相槌を打つ。雑な肯定だ。かと思えば、彼はすぐに姿勢を正してこちらを向く。
「なら聞くけど、魔道具のピアスはどうした? あれはハーグナウアーを気絶させられるって話だよな。そんなに信頼できない道具ってことか?」
「いえ、僕の浅はかな推測ですが、このピアスにつぎ込まれた技術は確かなものだと思われます。性能は伝えられた通りでしょう。その場合、一定の効果は期待できます。シェリルが適切に扱えば、僕が堕ちても彼女が実害を被ることはない」
ロストテクノロジーの塊ともいうべき魔法や魔道具に、遥か昔の技術書。アルマスさんは理解をしたうえで扱っている。ならば、僕とシェリルが付けている魔道具の性能は、不確定要素として疑うようなものではない。
僕の回答に耳を傾けていたジェイは、少しの間黙り込んだ。その様子は、問いが見つからないというよりは、躊躇っているかのようだ。
「なら、何でシェリルの傍にいるのは危険なんだ? 理由としてはいまいち弱いんじゃないか?」
「万が一、ということがありえます。シェリルが魔道具を使えず、僕に攻撃される。この場合などがそうです。判明しているリスクに対応しない手はない」
「そうだな、確かに言う通りだ。でもお前が言う万が一ってやつは、シェリルにとってみれば織り込み済みのことじゃないのか?」
ジェイは目を閉じたまま、組んだ腕を指で叩きつづけている。何か苛立ちを感じる要素でもあったのだろうか。
とはいえ僕の考えは変わらない。シェリルは思慮深いから、魔道具が万能でないことなど理解しているだろう。その上で覚悟もしているかもしれない。けれどどんなに想定を繰り返したところで、それは机上の空論だ。シェリルが受ける損害が、覚悟でまかなえる域なのか否か。現段階で判断できることは何もない。だとすれば、僕がシェリルから離れて、彼女が巻き込まれるような位置にいないこと。それが一番だ。
「シェリルが完全にリスクを考慮できているとは、到底思えません。冷静になればシェリル自身も、僕と付き合うことが合理的でないと判断するでしょう。であれば僕はリスクを回避するためにも――」
「ところでお前は、シェリルが望んでいるならって言ったよな。他人の思いを尊重する気はあるってことだろ?」
急に話が飛ぶ。何か意図があってのことだろうか。
「ええ。シェリルの自由意志を損なう権利は、僕にはありません」
すかさず、ジェイが指摘を挟んできた。
「だったら、全部覚悟したうえで、シェリルがお前と一緒に居ることを望んでいたら……どうするんだ? シェリルは馬鹿じゃない。想定外のことが起きることだって、想定済みだと思うぞ。それでもシェリルの考えは合理的ではありませんって言って否定するのか? 矛盾してんだろ」
ありえない。仮にシェリルがリスクを甘んじて受け入れるとしても、まず前提から間違っている。シェリルがそんなことを、心から望むはずがない。
「ですが現状シェリルは冷静とは言い難く」
「お前がドラゴンに成ってからの半年の間、シェリルはずっと冷静じゃなかったって言いたいのか? じゃあ平常時っていったい何を指すんだ?」
「それは……」
分かっている。シェリルは毎日欠かすことなく、しつこいくらいにアプローチしてくれた。正気を失って暴れた時も、エイナルと喧嘩をした時だって、率先して僕を助けようと行動してくれた。気の迷いと称するにはあまりに強固な決断だと、理解している。
けれど僕はシェリルと一緒には居られない。僕の傍でシェリルが幸せと感じるはずがない。たかだか一度喧嘩に割り込んだ程度で僕に縛り付けられなくてはならないなんて、シェリルにとってみればとんでもなく理不尽だ。
「ガキみたいな駄々こねて何が面白い。理屈オタクのお前が言葉に詰まってる時点で、そんなもん無茶苦茶に決まってんだ。お前の本心はどうした?」
本心なんて、告白したところでどうにもならない。
「何で黙ってんだ。最後まで付き合えよ。それとも逃げるのか?」
「分かりました、お話します。前にも一度言いましたが、僕と居てもシェリルが幸せと思えるはずがない。であれば最善の手は、僕が離れること」
その瞬間、ジェイが僕の座る椅子を蹴り飛ばす。倒れるほどではないが、かなりの衝撃が座面に伝わってきた。
「お前がシェリルの幸せを定義してどうすんだよ。お前はシェリルなのか? 違うよな。シェリルがどう思っているかなんて、俺にも、お前にも、決められることじゃねえだろ」
ジェイはこちらに手を伸ばしてくる。咄嗟のことだが、避けるのは簡単だ。けれど体が動かなかった。
「シェリルはな、お前がドラゴンに成ったとき、すぐに俺を振ったんだよ。『彼、サイコーにカッコよかった。あんな風に人を助けられるようになりたい。もっと彼のことを知りたい』ってな。理由はお前への憧れだってよ。最悪の別れ言葉だろ。助けに入れなかった俺への嫌味かよ。ふざけんな」
「ジェイ……?」
胸倉を掴まれて、ジェイの怒りに戸惑う。けれど抵抗なんてできない。
「でも俺は、近くで見てたから納得もしたよ。納得しないわけにはいかなかったんだよ。殺し合いレベルの喧嘩で、お前だって、ドラゴンに成れなければ死んでたかもしれない。こんなん諦めるしかねえだろ。しかもそれだけじゃない。そのうちシェリルは、お前の好きなところを報告してくるようになった。顔も好きになっただの、声が良いだの、頭が良いところも好きだの、笑うと可愛いだの、終いには『どうしても放っとけないところも好き』だとよ。俺にもう脈はないってか、クソが。何にせよ、シェリルが義務感だけでお前の相手してたら、俺やクロエにそんな話はしないだろ。お前はいいかげん分かれ。つかなんで俺が代弁してんだよこの馬鹿野郎!」
一気にまくし立てられた主張は、どれも僕が知らないものだ。こんなものを突き付けられてしまっては、シェリルの幸せがどうの、なんて間違っても言えない。
声の残響が消えて我に返ったらしいジェイは、ゆっくりと視線を外して呟いた。
「すまん、流石にやりすぎた」
「いえ、解放していただければ、それで充分です」
「いやマジで悪い。明らかに言いすぎだった」
ジェイは焦った様子で僕の襟から手を離すと、座り直して深く溜息を吐く。何をそんなに憂いているのか分からないが、ジェイに感謝こそすれ恨みはしない。
「ジェイ……シェリルの言葉は、お世辞ではなかったと、解釈していいんですね」
「当り前だろ。良かったな、お前は最高に取り返しのつかない馬鹿ではなかったみたいだ」
「はい。危うく
お互い笑い合って、それで恥ずかしさは洗い流されたような気がした。本音を伝えること、それは案外大切なことなのかもしれない。
シェリルにも、全てを話せるだろうか。
「ジェイ、聞いていただけますか。僕は……今までの自らの発言や思考を鑑みるに、シェリルを遠ざけておきたいと願っているのは明白です。どんな理由であれ、シェリルがいなくなるのが怖いので」
「シェリルは勝手にいなくなったりしないぞ」
「でも母さ――」
不意に口をついて出た答えには、自分でも呆れる。
僕の中で一番整理のついていない部分だ。結局シェリルの言う通り、今の今まで引きずっていた不安なのだ。
「それがハーグナウアーの本音なんだよな。ごめん、これについてはクロエに聞いた。初等部の頃――七歳くらいだったか、両親が離婚したって話。友達も沢山いたのに、めっきり人と話さなくなったって。詮索する形になって本当にすまない」
「お気になさらず。真実ですから。頭では最初から分かっていました。冷静でないのは、シェリルじゃなくて僕だ」
やっと、自分の感情の根源にあるものを、認められそうだ。向き合うなら今なんだ。
「……僕の母さんは、悪い人じゃないのですが、少々ヒステリックでして。どういうわけか父が離婚に踏み切りました。母に褒められるまま利口に振舞っているつもりだったので、僕は去り際の母の台詞に耐えられなかった。けれど財産もあるので父を諦めきれていないらしく、今でも度々顔を出すんです。僕への口出しも、恐らくは父を見返すための手段の一つ。押しつけがましいでしょう?」
ジェイは黙って相槌を打つ。こんなことを話しても迷惑なだけだが、ジェイは遮るでも同意するでもない。だからなのか、吐露するつもりは微塵もないのに、蓄積した思いが漏れていった。
「シェリルの強引さが、ふとした瞬間に母と被るんです。シェリルは幾度となく修羅場に遭遇して、それでも尚、僕を諦めないのに。そんな人が、僕と居ると幸せになれないなんて言い残して去っていくはずがないのに。馬鹿ですね」
「それなら、シェリルに配慮してもらえばいいんじゃないか? あいつがかなり強引なのは、まあ間違いないし」
ジェイが恐る恐ると言った様子で提案する。
けれどもう、今の僕には関係なさそうだ。
「いえ、もう必要ありません。シェリルを、信じられる気がしますから。シェリルとなら困難を乗り越えられるなんて、とんだ欺瞞ですが、今なら真実だと思い込める。恐らく、この勘違いはほとんど永続的なものです。身勝手にそう思っておきます」
ジェイはまた僕の背中を叩き、子どものように笑い声を上げた。
「そうか。ハーグナウアー、整理はついたか?」
「はい。ジェイのおかげで」
今度は、僕から握手を求めることにしよう。ジェイは一瞬止まって目を見開き、それから握り返す。意外だとでも言いたいのだろうか。可笑しくて、我慢できず吹き出しそうだ。
「ジェイが真摯に考えてくれていたことが分かりました。ありがとう」
「いいんだ。シェリルとハーグナウアーの役に立ちたかったからな。それと敬語は要らない。もう充分友達だろ?」
「うん」
「じゃあロランと呼んでも?」
「もちろん構わない」
ジェイは満足げにサムズアップをする。友達、何年ぶりだろう。いつの間にか、誰かと親しくならないことが当たり前になっていた。何もかも、シェリルとの出会いが連れてきてくれたものだ。
そのとき、ジェイが唐突にとぼけた顔になる。
「そういえば……いつの間にか、俺のことジェイって呼んでるよな」
とても気まずい。
「気に障った?」
「いや、別に。ただ、ロランが人を愛称で呼んでるのを聞いたことないから」
「まあ、呼ばないかな。愛称では」
素朴な疑問のように無邪気に問いかけられると、逆に答えに窮する。ジェイは妙なところで鋭い。いや、有耶無耶にしようとした僕のせいか。
「うーん、だよな。俺の名前……知ってるか?」
率直に言って、全く分からない。一度でも見たなら覚えているはずだが、そもそも他人の名前に興味がなくて、目にしたこと自体がないかもしれない。愛称がジェイであることからすると、名前の頭文字くらいは推測できるが――
「ジェイ、デン、だったっけ」
「残念。そいつはロランのクラスにいる奴だ。じゃあ改めて、ヨエル・ヴィルタネン。この地域独特の読み方だし分かんねえよな。まあよろしく」
よりにもよって散々な間違え方だ。非礼にもほどがある。
「ヨエル、本当に申し訳ない。ロラン・D・アグノエル。こちらこそよろしく」
それでも、ジェイは人が良いのでまるで怒らない。どころか何が楽しいのか、大笑いと言っても差し支えないほど肩を震わせていた。
逃げたい。これは逃げたくなる。
「で、シェリルと話せそうか?」
「うん。シェリル本人の口から、どう思っているのか聞いてみる」
「それがいい。頑張れよ」
送り出すようにジェイは僕の背中を押した。随分と力が強くてつんのめる。不思議と悪い気はしない。
「クロエに案内してもらえ。ついでに話したいこともあるってさ。エントランスで待ってるはずだから」
ジェイは真っすぐ前を指さした。お陰様で、もう恐れはない。
「ありがとう。行ってくる」
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