#3 相反 Ⅱ
それはまるで苦行のような昼食だ。
僕の隣にはやたらと距離を寄せてくるシェリルがいて、正面にはシェリルの彼氏であるジェイ。僕でも、この状況が彼らの間に軋轢を生みかねないということくらいは理解できる。だがジェイは僕に対して特に文句を言う様子もなく、談笑に勤しんでいる。謎だ。
そしてシェリルに肘が当たって食事しづらい。何だって僕はこんな状況に身を置かなければならないのだろうか。
重々承知している。それもこれも、学食に来なければ済んだ話だ。
吹き抜けから階下を見下ろせる特等席に、僕とシェリル、クロエ、ジェイが座る。作戦会議――というよりは、相談に近いかもしれない。僕以外の三人は携帯端末の画面を覗き込みながら、やれ刈り上げだの、マッシュルームカットだのと騒いでいる。傍から写真を見てはいるが、違いはまるで分からない。
「ロラン、この髪型でどう?」
「髪型の違いで日常生活に支障が出ることはありませんから、キングストンさんに一任します」
シェリルは僕が答えるや否や、間髪入れずに「やった」と口にした。いったい何に対する喜びだろう。しかし僕が問いかける間もなく、今度はシェリルのリュックから男性服の雑誌が出てきた。恐らく若者向けだろう。
「ねぇジェイ。ロランはどういう系が似合うと思う?」
「似合う服か。このぼさぼさ頭と眼鏡をどうにかしないと、いまいち思いつかねえな」
「じゃあ放課後、髪切った後でのお楽しみ」
シェリルはいやに上機嫌だ。こういうときは大体碌なことにならない。鼻歌混じりに雑誌を仕舞い、いかにもトラブルの前兆といった様子である。
「――ところでさ、何でディー氏はシェリルとくっつきたくないの?」
クロエが
「危険だからですよ。ドラゴンとしての不安定さは自分でも理解しています」
「お揃いのピアスまでしてるのに、ドライなんだね」
やはり聞かれていたか。それもそうか、シェリルがあれだけ騒いだのだ。近くにいたクロエが知らないはずがない。
「このピアスは保険なんですよ。キングストンさんが魔力を注いだら、僕は気絶する。そういう魔道具です。万が一、僕が暴走した時のためですので、恋愛感情と何ら関係はありません」
「ほんとに?」
クロエはなかなかに疑り深い。僕がこんなことで嘘をつくメリットはないのに、何をそんなに確認したがるのだろう。
「ええ。すべて真です」
すると彼女は頷きながらミートボールを口に放り込んだ。マイペースに咀嚼し飲み込むと、ベリーソースを口許につけたまま口角を上げた。
「ディー氏って、
「僕は十分に鏡を見ているつもりです」
僕はこれでも一応、毎日鏡の前で身だしなみを整えている。それに――
「鏡を見た方が良いのはクロエの方でしょう」
僕のジェスチャーに気づいたクロエは指でベリーソースを拭き取った。それでも彼女は譲らない。
「ありがとう。だけど、やっぱりディー氏はちゃんと『鏡』を見た方がいいよ」
クロエは目を瞑って背もたれに体重をかけ、大袈裟に指を振る。
「先人は言った。他人は自分を映す鏡だと。ディー氏には、どういう風にシェリルが映っているのかな?」
クロエのウインクに合わせて、隣に座ったシェリルが、僕の脇腹を肘でつつく。
僕にはその意味が分からない。
***
「ありがちな変化」と僕の髪型をカテゴライズしたのは、男性のファッションに詳しいと噂のジェイだ。
散髪が終わり店の前でシェリルと待っていると、合流した彼は開口一番にそう言った。ジェイはしばらく顔を覆って突っ立っていたが、どうやら僕に似合う服とやらを考え付いたようだ。こっちだ、と手招きをした。僕らは彼の後ろについて進む。
「どう!? ロランすごいかっこいいでしょ! ぼさぼさの赤毛が、やっとふわふわの赤毛に……長かったー!」
「シェリルの言ってた意味が分かったよ。とんでもない変化だね」
シェリルは彼女の親友であるクロエを激しく揺する。往来のある道であまり騒いでほしくないものだ。さっきからすれ違う人の視線が痛い。
「ディー氏。まだ長めだけど、だいぶさっぱりしたね。顔が見える。これは性格を加味しても人気出そう」
「でしょ! 根暗だし空気読めないけど、それを余裕で補える。ほんとサイコー」
先程から、僕の性格に対する否定的意見が耳につく。自信などとうの昔に喪失しているが、それでも響くものがある。
「僕の性格はそれほどに重大な欠陥を有しているということでしょうか」
耳ざといシェリルは、ヒールで方向転換してこちらを見た。
「何それ、答えづらいんだけど」
「そうですか。では肯定、重大な欠陥を有すると解釈します」
するとシェリルは何が気に入らなかったのか、頬を膨らませたと思うと僕の背後に回った。直後、衝撃と共に、背中に重くのしかかるものがある。
「ねー本当にそれでいいの?」
「何がですか? それと重いです。降りてください」
「重くない」
僕の文句なんてまるで気にする様子はなく、シェリルは首に回した手を緩めない。周囲の目が気になるし、ジェイの彼女なのに僕とくっついていてよいのかという疑問もある。しかもクロエにまで笑われている。今日は何故こんなにも散々なのだろう。
「キングストンさん、お付き合いしている男性の手前、僕なんかと密着するのは問題があるように思われます」
「あ?」
その時素っ頓狂な声を上げたのは、先頭を歩いていたジェイだ。
「どうされましたか?」
「いや……俺、随分前に振られたぞ。シェリルがあのクズに絡まれて、ハーグナウアーがドラゴンになった事件の、多分二日後」
初耳だ。そんなこと一度たりとも聞いたことがない。それならばシェリルを負ぶっているという僕のこの行為は、特に問題がないということになる。それならば僕がシェリルと付き合ったとしても、二股などという不道徳なことにはならない。
――いや、そうじゃない。いくらシェリルにパートナーがいないとして、僕が付き合ってよい理由にはならない。こうして密着するのも、気のない相手である僕がしていいことじゃない。僕はあくまで一度堕ちたドラゴンであり、また暴走する危険がある。シェリルと離れて彼女の幸せを願うことが、僕にできる最善だ。
「ちょっと、危ないんだけど! いきなり放さないでよ!」
「ああ……申し訳ありません」
気づいたら僕は手を放していたようで、シェリルは靴底を強かに打って着地する。だが僕の脳内を巡る疑念は、一向に上書きされてくれない。
「……何故、ジェイを振る必要があるんですか?」
質問というよりかは、ほとんど呟きだ。自分でも口に出した理由が分からない。それでもシェリルとジェイは律義に答える。
「あたしは、ドラゴンに成ったロランが今まで以上に孤立しているのを見て、これじゃ駄目だって思ったの。それでジェイを振った」
「俺も異論は無かった。あの場でシェリルを助けたのは、ハーグナウアーだったからな」
「それであたしはロランに告白したの。まだ返事は貰えてないけどね」
シェリルの言葉もジェイの言葉も淀みがない。
僕は、彼らにどう返せばいいのだろう。シェリルの傍はひどく居心地が良かった。けれど、そんな利己的な理由で付き合っていいはずがない。そんな資格、僕にはない。
「ディー氏、お似合いじゃん。シェリルと付き合っちゃいなよ」
クロエに賛同されようと、誰に何と言われようと駄目なものは駄目だ。僕と付き合うことがどれほどの危険を孕んでいるのか、それを知ったうえでシェリルに甘えることなんて許されない。
「僕はシェリルとは付き合いません。共に外出するのもこれっきりです。その方が安全ですから」
「あたしたちにはピアスまであるのに? 対策は十分にできてるよね?」
「いえ、不十分です。僕が距離を置くのが最も有効な手段です」
「はぁ。ほんとばか」
三人が同時に溜息をついて、最後にシェリルが雑言を付け足す。馬鹿とは何事だ。堕ちたドラゴンが危険なんて、皆分かり切っているだろうに。
「まあいいや。ロランがあたしと付き合っても良いって思えるように頑張るから。それにもうお店着いたし」
シェリルがジェイの背中を叩くと、彼は茶髪を掻きむしってこちらを見た。
「――来いよ、ハーグナウアー。プライド度外視で、お前に似合う『今時なストリートファッション』を見繕ってやるよ」
そうして無機質な飾りつけの店に入店し、はや十分。シェリルとクロエは早々に飽きてしまったようで、女性服を見に行った。男性服のフロアに残されたのは僕とジェイだけである。
もう既に二回は試着をした。けれど、彼はシェリルから何を言われているのか、「一週間分を見繕う」と言って服を物色し続ける。今度の試着は三回目の組み合わせだ。
「ダメージジーンズというズボンが存在することは承知しています。ですが、僕がダメージジーンズを着用する必要性を感じません」
「だあああ! ハーグナウアー、黙って試着しろ! お前のセンスはこの時代で通用するもんじゃねえんだよ!」
ジェイはシェリルに負けず劣らず騒がしい。何をそんなに怒っているのだろうか。
「分かりました。ダメージジーンズについてはもう何も問いません。ですがもう五点、疑問があります。まず一点。ベルトが長く、Tシャツの裾から約六インチはみ出してしまいます。もっと短いものの方が良いのではないでしょうか。二点目。この靴ですが、左右の紐の色が――」
「だから! 今のティーンエイジャーにとって全部普通のことなんだよ!」
ジェイは僕を試着室に押し込もうとする。しかしまだ疑問点は解消されていない。
「しかし服の機能性に対する懸念も――」
「つべこべ言わず早く着替えろ! まだTシャツしか着替えてねえんだから!」
仕方がない。ここは僕が折れて大人しく着ればよいのだ。今回を含め、あと五セット。彼が任務を完了するまで付き合うしかない。
閉じられたカーテンの向こう、ジェイが言葉を発する。
「なあ、ハーグナウアーはどうしてシェリルと付き合いたくないんだ? ピアスの話を聞いて、俺はお前らが一緒にいても平気なんじゃないかと思ってる」
「先程も申し上げました通り、それでは不十分だと考えます」
「あんなにシェリルが頑張ってるのに、まだ足りないのか?」
カーテンを開けると、正面で椅子に座ったジェイが僕を見上げる。
「ええ、不十分です。ですので僕は付き合えな――」
その瞬間、ジェイが勢いよく立ち上がった。
「お前、頭がおかしいんじゃないか?」
息が、詰まる。
ジェイが怒る理由が分からない。唐突で、理不尽な激昂。あの日、母が見せたものと同じ、同級生たちが見せたものと同じ、怒り。理不尽が――
「ハーグナウアー、黙ってないで何か言えよ」
落ち着け。暴れてはいけない。この建物にはシェリルがいる。
「おかしいのかどうか。僕にはわかりませんが、あなたがそう思うのならおかしいのかもしれません」
「違うだろ。思ってもいないことを口に出すな」
ジェイは静かに僕の言葉を否定した。
「何で自分が恵まれていることに気づかねえんだよ。ハーグナウアーはシェリルのことを大事に想ったことは無いのか?」
「無いことはありません」
微塵も無かったら、僕は命を賭していない。シェリルに降りかかった理不尽が、他人事なのに許せなかった。その衝動が万人に対して生まれるものじゃないということは、自分でも理解している。
「なら何でシェリルに相応しい人間になろうと思わないんだ? なんにも気を遣ってないみたいな服を着て、ぼさぼさの頭で、ずっと下向いて授業以外では碌に人と話さない。シェリルに話しかけられてもすぐに逃げる。あいつのことを思うなら、んなこと出来るはずがねえんだよ!」
少し経ってジェイの言葉の意味が脳に浸み込んでくると、沸々と得体の知れない感情が湧き上がってくる。
正直、ありきたりな謝罪の言葉を並べて平謝りしてもいい。それで彼を手詰まりにさせればいいだけの話だ。僕が耐えれば済むのだ。他人に向かって憤慨することに慣れない僕だから、それが一番簡単であることはよく理解している。
「出来ないことはありません」
「その態度が気に入らないって言ってんだよ。俺だってシェリルのことを諦めたくなかった。でもシェリルがお前と一緒に居るべきたと、決断したんだ。ならお前が幸せにしてや――」
「そんなこと、許されるはずがないだろ!」
気づくと僕は叫んでいた。魔力が呼応して空気が熱く灼ける。抑え込まなければいけない。これは彼にぶつけていい感情じゃない。
でも、もう頭が回らない。
「僕が傍に居れば幸せにできるんですか? 僕はそう思えない。きっと僕が居ない方がずっと良い。僕なんかシェリルに相応しくない。見ての通り、もう人間じゃないんです。幸せにするなんて無理があるでしょう」
ああ、言ってしまった。
それは全部、どうしようもなく本心だ。
幸せなんてものは、その場その場でどうとでもなる。いくらでも代替可能なものなのだ。態々危険を冒してまで僕が担う必要はどこにもない。寧ろ、担うべきではないのだ。シェリルが幸せと感じられなくなる可能性があるのなら、早めに見切りをつけてもらうのがいい。代わりの幸せなんてその気になればすぐに見つかるのだから。ちっぽけな恩へのお返しなんてものに躍起にならないで、別の誰かを探せばいいのだ。
ジェイが息を吐き出した音で、ぼやけた視界が晴れる。僕は大人げなくジェイに当たり散らしてしまったのだ。
「……申し訳ありませんでした」
「いや、俺こそすまない」
ジェイは体を投げ出すように椅子に腰掛け、沈黙する。そしてしばらくすると、徐に口を開いた。
「だけどな、ハーグナウアー。俺はお前がシェリルと付き合うべきだと思う」
「だから明日着る服も決めちまおうぜ」と苦笑いをして、ジェイは手を差し出した。
反射的に握ってしまった手は、恐らく生まれて初めての盟友の手だったのだろう。
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