#1 方略 Ⅱ

 それは僕が彼女とショッピングモールをふらついている時だった。


 僕と彼女は幼馴染と言うべきか、知り合ってからは随分と長いこと経っている。ただし親しいかと言われればそうではなかった。

 僕は総合学校一年生――いや就学前からか、とにかくどうしようもない奴で、周囲との諍いはもはや日常茶飯事となっていた。

 勿論殴りかかるとかそんな短絡的な方法で騒ぎを起こすわけではない。家庭環境のこともあり、僕は幼い頃から言い争いというものに無類の強さを誇っていた。間違っていると思えば、論理学やその他種々の研究成果に則って大人でも容赦なく言い負かす。可愛くない子どもだ。故に厄介だった。そもそも人間は理詰めで動く生き物ではないのにそれを押し付けてしまったのだから、そこから生まれる軋轢は計り知れない。耐荷重量を完全に超過している。彼らには悪いことをした。

 しかも内気で積極的に人と関わろうとしない僕だ。もともと仲が良いわけでもない人に食って掛かるのだから関係は余計軋む。

 ――今ではそう推察するに至り、教室の隅で理不尽に耐えるか火の粉を避けてフェードアウトするかの毎日である。

 が、勿論悟るまでに相応の時間は掛かっている。

 僕が丸くなった原因は明快だ。口論とも呼べないような喧嘩を彼女と繰り広げたためである。

 彼女は強かった。

 例えば三段論法というのは「AイコールBかつ、BイコールCであるならAイコールCとなる」というお馴染みの論法だ。現実的ではないし場合によってはとんでもない誤りを呼んでくるが、それでも長い歴史を持つくらいには便利さもある。

 だが彼女にかかれば論法なんて何の意味もなく、人類の歩んできた数十世紀は簡単に覆る。先に挙げた古典的な例に則ってみれば、たとえAがBでなかろうと、BがCでなかろうと、もはやAがCでなかったとしても彼女の前ではすべてAに等しくなる。DもEも、Zも、また別の何かでも、彼女が一言「Aだ」と宣言すればそれは等しくAになる。

 何度も彼女と話した。だが一度たりとも話が通じることはなかった。大体彼女の意にそぐわないことが出てくると「でもAなの」という、とんでもなく飛躍していてとんでもなく強固な論理が説かれる。

 しかし彼女が嫌われることはない。どれだけ荒唐無稽な事を言おうと、常に友に囲まれ誰からも期待されている。

 つまり、彼女は良くできた人間なのだ。

 最初は気に入らなかった。ことあるごとに突っかかったり突っかかってきたりを繰り返し、穏やかな会話などしたことがなかった。良い印象など抱くはずもない。それに正直、好き勝手騒ぐのに周囲に受け入れられている彼女が少し妬ましかった。

 ただそうして不器用なりに言葉を交わす、もとい投げつけあううちに僕は気づいた。

 彼女の言葉は只ひたすらに理不尽だ。そして理不尽であるけれども二転三転はしない。結論は同じ状況下においては常に一つに定まっていた。一度Aと言ったら必ずAであり続けるのだ。好みだのなんだのはやたらと遷移するくせに、人として根底にあるものは驚異的な恒常性を誇っていた。なんのことはない。彼女の中には彼女なりの論理や真理が存在していて、その通りでいるだけなのだ。

 当たり前だった。強く主張するだけの僕が認められるはずもない。

 そして彼女の行動原理について幾許いくばくかの知識を得た九歳頃、僕は試行した。言い争いにおいて彼女の理論を用いてみたのだ。結果は明白だった。彼女の法に則って説明すれば、彼女はそれが正しいと認めてくれた。

 まだ羞恥心の育ちきっていないその頃の僕は、初めて僕自身が認められたような錯覚をしてつい口走ってしまった。

 ――僕も自分の言葉で話せるようになったら、君みたいになれるかな?

 彼女は力強くサムズアップしながら「なれるよ、きっと」と言った。

 華麗に背を向けて歩み去る彼女の姿は、今でも僕の中に大切な記憶として残っている。

 そうして僕は気づいたわけだ。勿論人の性質なんて簡単に変えられるものでもないから、多少ぶつかり合いのようなものは経験した。それでも彼女が手伝ってくれたおかげで自分から折れることを知ったし、どうしても譲れないことは自分の言葉で伝えられるよう努力した。すると皆刺々しい視線を向けてくることはなくなった。たどたどしくも穏やかな会話を交わす事ができるようにもなった。

 それが総合学校の五年生くらいまでのこと。

 しかし残念ながら、人生とはサイン波もかくやという上下を繰り返すものなのだ。

 次に僕を襲ったのは妬みだった。はじまりは六年生になるかならないかくらいの時期だ。

 結論から言おう。彼女は、僕と談笑するには美人過ぎた。前髪が長くて気の利いた言葉選びのできないあからさまに根暗で嫌な奴と話すには、彼女の全てが華やかすぎたのだ。大体の人間に思春期が訪れた頃、今まで保たれてきた均衡は崩れた。図書館で見つけた本曰く、少年少女の中に多少なりとも生の理に従い始める者が出てきたということである。同級生たちは色恋に目覚め始めたのだ。

 彼女が僕に挨拶をすると教室の各所から殺気立った目が向けられる。彼女が僕に話しかければ二言も交わさないうちに「ねえこっち来てよ」と彼女が連れ去られ、ついでに僕も呼び出される。僕のほうはレストルームで「何調子乗ってんだよ」なる理不尽ワードから始まる説法を三分ほど拝聴し、仮釈放される毎日であった。自分から話しかけるなんてとんでもない。口の中の血の味が分からなくなるぐらい凍死目前に至るのは二度と御免だ。冬場に、いくら街の外よりは暖かいからといって冷水責めは危険すぎる。死ななかったから良かったがあれは絶対にやってはいけない。

 そんな紆余曲折を経験し、僕はさらに高次の悟りを啓く羽目になったわけだ。

 学校での彼女との接触はリスキー。なれば避けるより他ない。彼女はきっと理由を察してくれるだろう。あれで勘がいいのだ。そうして僕は彼女と意図的に疎遠になった状態で高等学校へ進学した。

 やっと解放される、と思った。だが運命とは無慈悲なもの。彼女は僕と同じ学校へ進学してきた。何をやるにも理屈なんて知らないとか言い出しそうな性格なのに、理詰めにも対応しているらしい。

 僕らの通う高校は魔法研究に特化した特殊な学校だし、流石に彼女が尖った学問をしたいわけでもないだろうと踏んでいたのに、見事に予想は裏切られた。確かに授業の内容はよく覚えていたし、留年もしなかったから要領はいい方なのだろう。驚異的なスペックだ。そうしてめでたく同じクラスになった僕らは、気まずい雰囲気の中不干渉を貫いて暮らしていたのである。こんなことなら飛び級を蹴らなければ良かったと、その当時は後悔した。

 そして、僕の人生というのは彼女の信念とは違ってひどく恒常性に欠けるようで、ターニングポイントが訪れる。あれほどに僕が情動的になったのは恐らく後にも先にももう二度とない。

 そのとき彼女が驚愕の表情を浮かべていたのはよく覚えている。そして驚いた割にはすんなりと僕を受け入れてくれた。当然僕は拒否した。彼女が責任を取ろうとしているように見えたからだ。しかし彼女は退かない。とりあえず責任の話は置いといて、と数年ぶりの超理論をかまし、一緒に居たいと要望するようになった。彼女は変なところで優しいから、僕の不安を最大限中和しようとしてくれたのだろう。僕は何度も断った。しかし強情な彼女は駄目と言って絶対に譲らなかった。脇に置けていないじゃないか、というツッコミと、なぜ僕をという疑問に苛まれた末、僕はあえなく処理落ちした。美人と仲良くなりたいという思春期的欲求が混じった可能性もあるが、それはないと思いたい。そんなに短絡的になれるのなら僕は僕でないはずだ。つまり一連の騒動に終止符を打つために、彼女が諦めてくれそうにないので僕が折れた、というわけである。

 不本意ながら、今はそこそこの仲だ。今日も彼女と映画鑑賞、ランチ、ウインドウショッピング……だ。全く今日は何時まで続くのだろう。そんなデートの皮をかぶった交流イベントも、はや五回目だ。

 ただ五回目とはいえ相手が相手であるのでそう簡単に色めくことはできない。最近の発見だが、僕は理性による抑制が非常に上手いみたいだ。いや彼女の性格にも問題があるのだろうが。

 実のところ彼女の積極性は飛びぬけていた。一足飛びにベッドへ連れ込もうとする彼女を前に、健全な高校生らしく胸をときめかせていたかつての自分は消失してしまった。簡単に言えばあまりの押しの強さに萎えた。結局それからは――貞操の危機を覚えないでもなかったが、僕は押し倒されたという思い出だけに留まるよう努力をしている。今日も今日とて彼女の家に甘んじて連れ込まれるかどうかで相当揉めることだろう。

 そんな僕の胸中を察するなんてことは頭に無いようで、彼女はいつも通り随分と派手な服で派手な内容の恋愛映画を見ようと誘う。僕は誘いを断るいわれも権利も無いので定刻十分前に駅前に到着した。遅れてきた彼女の、毎度のことながらいかにも誘惑していますといった服装に唖然とするのはいつものことだ。そのまま映画館へと引っ張っていかれ、全く気は進まなかったが料金を無駄にするのも性分に合わない。自分でも驚異的であると思うのだが、今しがた真の無表情で流行りの役者のいちゃいちゃを鑑賞し終えたところだ。


 彼女――シェリル・キングストンはあんな恋愛映画のどこが良かったのか、ボロボロと泣きながら僕の袖を徐に掴む。

 彼女は色素の薄い金髪を右肩に流しているので必然的に僕の側にうなじが晒される。研磨剤で磨き込んだ鉄球みたいなシルバーの瞳は涙で輝き、僕を見つめた。リボンのチョーカーが脈動に合わせてわずかに変形を繰り返す。カジュアルな黒いレースのドレスは胸元を大胆に露出し、ついでに太ももも露わにする。ショートブーツは踏まれたら足の甲を貫通しそうなほど鋭利なピンヒールだ。

 彼女はいつだってド派手だ。僕の趣味がイカれていると勘違いされそうだが断じてこういった好みは持ち合わせていない。とはいえ僕も男。美人の同級生が自分に縋り付いているというこの絵面には、好みに関係なくそそられてしまうのも確かだ。

 ただしそそられるのは絵面だけ。

 流石の僕も先刻の恋愛映画よろしくな展開を期待してしまった。しかし蠱惑的こわくてきな見た目のくせして、シェリルにそんな思いはない。人の袖で涙を拭きとると、それでも足りないのか「ティッシュ」と僕に促す。自称シェリルの十倍はジョシリョクがある――ああいいやこの言い方だと語弊を生むから説明をしておくが、全人類のほとんどがおおよそシェリルの十から十五倍のジョシリョクを持っている。その相対的にジョシリョクに溢れた僕がハンカチとティッシュを取り出すと、彼女は僕の手をテーブル代わりにしながらそれらを交互に手に取った。

「ロラン、ほんとごめん」

「そう思うならゴミぐらいは自分で捨ててよ……」

 涙を拭い鼻をかんだ後のティッシュをさも当然のように僕の手の上に置く彼女。薄々勘付いてはいたものの本当に彼女の無神経さには呆れる。しかもそれは確信犯であることも儘あるのだから、なかなかの胆の据わりようだ。そんなことしたらみんなに嫌われると彼女の行いを嘆いていた女子たちを見習ってほしい。

 とにかく彼女は飾らないし、常に自然体であり続けるのがモットーであるようだ。いささか繊細さに欠けるような気がしないでもないが、それが僕の惚れ込んだところの裏返しでもあるので文句は言えない。自分の思うままに動いて周りをどんどん巻き込んでいく。明るい――とはまた違うような気もするが、そんなマイペースでさっぱりした性格と、その中にある一本通った芯が彼女を美しい女性たらしめている。そう思ってしまったあの日から僕は彼女のことが気になっている。

 と言いたいところだが、少々マイペースが過ぎる。

 ティッシュを消費しきったにも拘らず、整った鼻梁を押し付け未だずびびと豪快に鼻をかむ彼女。どうやらハンカチにまで手を出したらしい。すべてが終わった後の僕の手の中には、空袋と山のような使用済みティッシュが乗せられていた。

「シェリ、ちょ……、――まあいいけど……」

 情けないことだがもうあまりの状況の酷さに文句は出てこなかった。外から見て明らかに彼女のものではないハンカチで何の躊躇いもなくそんなことをするのはどうなのか。周りの目など一切気にしない彼女は、ひとしきり鼻水を出し終えたのか満足げな表情で山の頂にハンカチを置いた。

「はー! ほんといい映画だった! 特に主人公がヒロインを無理やり押し倒したり強引にキスしたりが超よかった!」

 酷い当てつけだ。彼女が片っ端からベッドシーンについて言及するのを無視して、目に付いたゴミ箱にティッシュを流し込む。あんまり彼女が無神経なことばかり喚き散らすので他人のふりをしたくてしょうがないし、第一だんだん気持ちが悪くなってきた。

「僕には棒読みの役者二人が転がっているだけ――痛い痛いっ……!」

 文句を言うとすぐこれだ。ハンカチと手を洗おうとしていた矢先、豊満な胸を押し付けて引き留めるものだから文句の一つぐらい言ってやろうと思ったら途轍もない勢いで捻り上げられる腕。恐ろしいほど的確な極め技は無防備な腕の靭帯を伝って執拗に肩を痛めつけ、みしみしと嫌な音を立てる。丈夫な体とはいえこんな技を食らっては彼女に平伏するより他ないではないか。いくらやめてと叫んでも彼女は一切手を緩めない。やがて僕が一つの結論に行きついて「レストルームぐらい行かせて」と悲鳴を上げると案の定彼女は手を離した。彼女の思考ルーチンについての考察はいくらか済んでいるためまだ総合学校の頃よりはましになった。だがそれにしたって勘弁願いたいものだ。

 僕が逃げ込んだのは意外にも人気のない手洗い場。喧騒からは壁の分だけ離れて、やるせなさが少しだけ和らいだ。彼女に散々汚されたハンカチを水で洗い、ついでに石鹸で揉み解すようにしてすすぐ。風圧にものを言わせてハンカチを乾かし始めると、広がった石鹸の香りの中にまだ新しい内装の香りがゆらいでいた。

 僕にとってはこれくらいが穏やかでちょうどいい休日の時間の流れ方である。最近は彼女に流されて疲弊気味だったがゆえに多少気持ちが安らぐ。きっと彼女はこの時間感覚についてこられない。きっと今も、僕のことを待てずにウインドウショッピングに勤しんでいるに違いない。

「……ロランまだー?」

 唐突にシェリルの声が響いて、バックグラウンドミュージックが一瞬静まり返った。僕は驚きのあまり思わず畳み途中のハンカチを取り落としそうになる。あれは近くのお客にしっかり聞かれているだろうなと思うと、じわっと耳が熱くなった。催促されているかのような雰囲気に耐えかねてハンカチをバックに突っ込むと、彼女の声のする方へ向かう。

 そこにあったのは普段からは想像もつかない光景だった。

 彼女は待っていた。我が道を行く彼女は人のことを待つなどしない。人も物も何でもお構いなく雑に扱う彼女が、僕を待ってくれている。

「大丈夫?」

 大丈夫だが、彼女が問いかけているのとは別のベクトルで、大丈夫じゃない。彼女が大人しく待っているなんて、天変地異の前触れか何かに違いない。しかし、やはり彼女は彼女であって、僕のことなどさほど気にせず歩き出した。

「さっきはありがとね。にしてもハンカチとティッシュを常に持ち歩いているなんてお母さんみたい」

 実に愛らしい笑顔だ。ただし内容を加味しないとすれば。彼女の中だけでなく、最早僕の心の中でも僕自身は『父』に昇華し始めている。この状況に危機感を覚えないでもないが、虚しさは父性に淘汰されつつある。彼女に文句を言う気にもなれず、僕の口から出てきたのは「次出かけるときはハンカチとティッシュを忘れないでね」という言葉だけだった。

 生返事とすっとぼけたような表情でひらりとかわした彼女は、切り替えるようにして華やかな笑顔を向ける。前方の服やアクセサリーの森に目を輝かせると、彼女は僕の腕を優しく捕まえてアパレルチェーン店巡りへと誘った。


 それを隣で見守る僕の心の中は、一割の喜びと――九割の黒だ。

 ここ数日で増大したフラストレーションはみるみるうちに僕の心をくすませていった。正直頭では贅沢な悩みが原因であるということは解っている。しかしもうどうしようもなかった。理性で抑え込むことに最近は限界を感じるようになり、破壊衝動は日に日に強くなっていく。迷惑はかけたくない。それでも彼女に永続的に認めてもらえるまたとないチャンスなのだ。承認欲求に駆られた僕は、もう少しだけ一緒に居たいと結論を先延ばし続けていた。

 ショッピングモールの広場で子供たちが遊んでいる様子。それを見て微笑む姿も。気に入ったものを見つけるたびに僕の袖を引っ張る姿も。スイーツに顔を綻ばせる姿も。

 シェリルが隣にいること。

 そのすべてが、僕にとって幸せな日常であるはずだった。

 ――だがドラゴンの本能というのは、穏やかな感情さえ何か別のものへと歪ませてしまうらしい。

 耐えられなかった。

 僕がドラゴンになってからというもの、彼女の腫れ物に触るような態度が目に付くようになった。原因を作ったことに引け目を感じてのことだろう。しかし原因は彼女にあるはずもなく、よって僕がドラゴンになることを選択したのは彼女の所為ではない。僕自身の信念に基づいた行動だ。しかも僕は大騒動の末、彼女を傷つけてしまった。

 それなのに彼女は僕を慮ってくれる。責任を一身に背負おうとしてくれる。

 僕は、彼女が彼女自身を卑下し叱責する理由になった「僕」が許せなかった。それと同時に僕の言葉を一向に聞こうとしない彼女の態度に我慢ならない怒りを覚えた。

 思い出してはいけない。抑えられなくなる。そう頭の中で何度繰り返しても、彼女のあの一言が蘇る。今この瞬間もそうだった。

 彼女は着ている服とは全く毛色の違うシンプルなシャツを掲げて、笑いかけてくれる。

「――ねえ、こんな服どう? お揃いにできそうじゃない?」

 その言葉に内臓が抉り出されるような激情が込み上げた。

「……そうかな? シェリルの趣味に合うのを選びなよ」

 絞りだした言葉は平静を装えた気がしない。どろどろとした感情が思考に介入してきて彼女の顔があの日の表情と重なる。


 駄目だ、フラッシュバックする――。


「――ねえ、どうしてもお礼がしたいんだ。これからずっと一緒に居るっていうのはどう?」

 彼女と、ワイシャツと、ジージャン。赤くなったドレス。トルソー廊下レジスター上級生。

 彼女の……笑顔? 涙! 気分が晴れやかになる阿鼻叫喚。


 ――彼女の諦めたような顔と優しい言葉。


 うまく息ができなくなり、思わずその場に崩れ落ちる。喉元を掻き毟っても窒息感は治まらず、視界には陽炎が激しく揺らめきだした。それを境に一気に記憶と現実の境目がぼやけていく。


 ――ああ、これが堕ちるってことなんだ。


 愛くるしい御機嫌は飛ぶ鳥を落とす衝撃波で、ぐちゃぐちゃに掻き雑ざった僕の血潮を眺めている。憤懣ふんまんに食べられる温かみは脳髄を奔る雷の様に甘い匂いで僕の臓器はたくさん悦ぶ。人の足音が遠ざかると耳が円やかに刺激、何も見えないのに鮮やかな床。夢見心地の手が救い上げるあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは‼」


 遠くで誰かが、心底幸せそうに笑っている。

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