14話 深川宿の深川めし

「穂乃香は帰ってくるんですかね」

「ああ? なんだいいきなり」


 その日の夜、風呂上がりにふと衛は晩酌をしているミユキに聞いてみた。


「一本貰いますよ」


 衛は珍しく飲みたい気持ちになって、冷蔵庫から発泡酒をちょうだいした。


「ミユキさんは……穂乃香の居場所を本当に知らないんですか」

「それを聞いてどうするんだい。私は知らないよ。最初に言っただろ」


 珍しく、ミユキの歯切れは悪い。いつもならはねつけるように返されて終わりなのに。衛は少しだけ抵抗してみる事にした。


「……知っているんですか」

「……しつこいね」

「どうして穂乃香は帰ってこないのでしょう」

「さあねぇ、帰れない理由があるんだろ」


 衛はそこまで聞いて、発泡酒を一口飲んだ。


「では、いつかは帰ってくるんですね」


 ミユキは衛のその確信めいた口ぶりにしまった、という顔をした。ミユキは明らかになにかを知っている。けれどそれを衛に伝える気はないようだ。しかし、ミユキの口ぶりから確実にいつか帰る、という確信が持てた。


「余計な事言うんじゃ無いよ」

「はいはい」


 それだけで、これから彼女の帰りを待つ気力が沸いてきた。




「えっ、近くって門前仲町? ああ、うん」


 翌日、突然かかってきた電話に衛は驚いていた。


「近くだけど、こっちも店が……ああ、うん」


 電話の相手はかつてのイタリアンの店の同僚、佐伯だ。突然、近くに寄ったからと連絡を寄越してきたのだ。衛はポリポリと頬を掻くと、藍を呼んだ。


「すまないけど一時間ばかり店番をお願い出来ないか?」

「ええ、構いませんけど。お買い物ですか?」

「いや、知り合いが近くに来たので飯がてら話をしてくる」


 衛は藍に店番を任せて駅に向かった。


「おおーい、久し振り」

「佐伯、またずいぶん久し振りだな」

「やあ、奥さん見つかったか?」


 色黒でがっしりした体型の佐伯は、見た目通りの体育会系でさっぱりした性格ながら無神経な所がある。


「いいや、まだだ」

「その口ぶりだと、諦めてないみたいだな」

「ああ」


 昨晩ミユキと話していなかったら、佐伯と会う気にはならなかったかもしれない。こうなる事は半分分かっていたから。


「あー、腹減った。氷川、飯まだだろ」

「うん。どっかでうどんかなんかどうだ」

「うどんかー、せっかくはるばる来たんだし名物でも食べたいんだが」

「そんな、名物なんて……」


 そこまで言って、はたと衛は思い出した。そういえばそんなものがあったような。


「ああ、深川飯だ」

「深川飯?」

「うん、俺も食べた事ないんだがな、ほらそこの八幡様の所に」


 衛が指さした先には『深川宿』という看板があった。深川めしというのぼりも。


「あそこでいいか?」

「ああ」


 二人でのれんをくぐると、落ち着いた和風の店内が迎えてくれた。


「どうしようか」


 佐伯がメニューを広げて迷っている。というのも深川飯には炊き込みご飯タイプのと本来の形であるぶっかけ飯のタイプがあるからだ。


「俺も食べるの初めてだし、この『辰巳好み』ってセットにしよう」

「おおそうだな」


 二人でセットを注文して、お茶をすする。


「どうして急に訪ねてきたりしたんだ?」

「うーん、どうにかしてお前に戻ってきて貰えないかと思ってな」

「……」

「実は店が傾きかけてるんだ。俺一人ならどうにでもなるが……オーナーの顔を見てたらなんとも……」


 衛は考えた。家事は食事以外付喪神がやってくれるし、ミユキもいる。川崎の店まで通いで働く事も不可能ではないのだが……。


「ごめん、まだ穂乃香も見つかってないし、子供をほうっては置けないよ」

「そうか、いやそんな気はしたんだ。さ、食おう」


 供された、『辰巳セット』はあさりの炊き込みご飯の浜松風、それからあさりの味噌汁をかけたぶっかけの二種のセットだ。


「ほっ、このあさり国産だな。身が厚い」

 ぷりぷりのあさりの炊き込みご飯は貝の旨味がご飯に染み渡っていて上品な味わいだった。ぶっかけの方は味噌の味の染みたあさりとネギの香りともに啜るワイルドな味だ。


「ふうー」


 デザートのくずきりも頂いて、二人は満足げに口を拭った。


「どうだ、ちょっとうち寄らないか。コーヒーくらい出すよ」

「ああ」


 衛は佐伯を連れて、『たつ屋』へと向かった。


「衛さん、お帰りなさい」

「はい、ただいま」


 衛の姿を見つけて、藍が声をかけた。佐伯は衛と藍を見比べて、焦った声を出した。


「氷川、あの子はなんだっ」

「え? 店番だけど……」

「すんごいカワイイじゃないか。お前まさか……」

「え、あ、まぁ親戚みたいなもので……」


 人型の藍が他人にどう見えるかを忘れていた衛はそんな事を言いながら適当にごまかした。実態が皿であるのを知っていると忘れがちである。


「さあ、コーヒー」


 衛はまだ訝しげな顔をしている佐伯にコーヒーを出した。


「ああ、ありがとう」


 その時、佐伯の肩に何かが乗っているのを衛は見つけた。


「佐伯、虫が付いてる」


 衛がそれを払おうと手を挙げると、とんでもない大音量のしわがれた声が聞こえた。


『やめんかーーーー』

「!?!?」


 衛がびくっとして手を止めた。佐伯は何があったのか分からない様子できょとんとしている。


『まったく最近の人間は礼儀がなっとらん!』


 衛が佐伯の肩に乗っている小さなものを目をこらして見ると、小さな青ざめたやせっぽちの老人であった。衛はそれこそ虫を捕まえるかのようにしてそれをつまむと、台所のコップを伏せて閉じ込めた。


「虫、とれたか?」

「ああ」


 佐伯はコーヒーを飲み終わると、気が変わったら連絡してくれと言い残して去って行った。


「ミユキさーん!」


 衛は佐伯の姿が見えなくなると、弾丸のようにミユキを探した。


「なんだい」


 二階で内職をしていたミユキは老眼鏡をくいと上げてめんどくさそうに衛を見た。


「なんか変な物を捕まえました!」


 衛にせかされて、階下に降りたミユキはコップの中の老人を見てこう衛に言った。


「これは貧乏神だね」

「……貧乏……」

「せっかくなら福の神を拾ってくればいいのに」

「ええーっ、どうしましょう」


 衛は貧乏神に祟られないかそわそわしだした。別に裕福でもないのに、こんなものを拾ってしまうなんてとことんついていない男である。


「貧乏神も神様だ、ちゃんとお祀りすればいいんだよ」


 ミユキは別段慌てる風でもなく、ご飯と味噌を焼いて折敷に並べると小さな貧乏神を乗せた。


『やあやあ、ここの女主人は気が利くのう』


 小さな老人はそれをぱくぱくと平らげると、ではと言って裏口から去って行った。


「な、簡単だろ」

「ミユキさん……ありがとうございます……」


 尊敬のまなざしでミユキを見る衛。ミユキは居心地悪そうにこう付け加えた。


「まぁ、うちにも貧乏神がついているからね」

「え?」

「あたしの部屋の押し入れにでっかいのがいるよ。だから『たつ屋』は繁盛しないのさ」


 なんと、衛の経営努力をミユキは鼻で笑う訳である。


「なんで追い出さないんですか?」

「貧乏神がいると、貧乏以外の厄災が近寄らないからねぇ……売れない総菜屋でもやってりゃそっちに取憑くし、害もないからね」


 どこに貧乏神を警備員代わりにする者がいるだろう。ははは、と笑うミユキを衛は初めて恐ろしいと思った。

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