13話 遠い手

 いたずらっ子のように笑った葉月が姿を消した後、衛と瑞葉はその場に取り残された。


「ねー、つまりどういう事?」


 瑞葉がポカンとした顔で聞いてきた。衛はどう答えたものか、と思案して瑞葉にも分かりやすいように説明する。


「白玉は鍋島さんのお嫁さんになる約束をしたという事かな?」

「えー、白玉はまだ子供だよ?」

「大きくなったらって事だよ」

「そうかー。じゃあ蓮くんと瑞葉も結婚しよーっと」


 瑞葉は納得してくれたのはいいが、聞き捨てならない台詞を吐いた。思わず声を上げそうになるのをぐっと堪えた。ここで変な事を言ったら瑞葉との信頼関係が崩れかねない。


「瑞葉、結婚は大人にならないと出来ないから瑞葉も大人になるまで待とうな」

「うん、わかったー」


 衛は蓮君がどんな男の子なのか聞きたいのを我慢しながら、家路へと着いた。


「おかえり、お二人さん」


 家に帰ると、ミユキが不機嫌そうに出迎えてくれた。


「ミユキさん……怒ってます……?」


 恐る恐る、衛がお伺いを立てると、ミユキは噛みつくように返答した。


「怒ってないよ! まぁ事故みたいなもんだしね。それに一応鍋島も金は払うって言ってるんだし」

「それじゃあ……」

「ただね! 成婚の後に支払うって……それじゃ、あたしゃ生きてるかどうかも分からないじゃないか……!!」


 単価十万円の仕事は支払いが随分先になるみたいだ。ピリピリしたオーラを放つミユキから逃れて、『たつ屋』の店頭に衛は逃げ出した。


「にゃー」

「お?」

『どうも、こんにちは』


 そこに居たのは白玉の実の母猫だった。


『白玉の嫁入り先が決まったとか』

「あ……はい」

『子供の大きくなるのは早いですね……思えば私が一番最初の子を孕んだのも丁度一歳の頃でした』

「寂しいですか?」

『いえ、白玉はもう私の手を離れていますし』


 そう言いながらも白猫は寂しそうだ。


「白玉の結婚式には呼びますよ」

『まぁ……そしたら長生きしないと……猫又になってしまうわね』


 衛の言葉にふふふ、と笑って白猫は立ち去っていった。


「お嫁にかぁ……」


 いつまでもお嫁に行かないのも困るけれど、そんな日が来たら衛は泣いてしまうだろう。きっと穂乃香がそれを見て笑うだろうな、と衛は考えて。隣に今はいない妻の事を思い返していた。




 ――翌日、いつものように朝食の準備をしていた衛だったが、瑞葉がなかなか階下に降りてこないので様子を見に行った。


「瑞葉―、もうご飯できるよー」

「ううーん」


 瑞葉は布団を被ったまま答えた。


「どうした……わ、お前熱くないか?」

「ふう……」


 抱き上げた瑞葉の身体はほかほかと温かかった。衛が体温計を当てて測ると、38度の熱が出ていた。


「ありゃ~、こりゃ学校は休みだな。パパ、連絡しておくからな」

「うん……」


 苦しげに瑞穂は頷いた。衛が電話をしようとしていると、ミユキが様子を聞いてきた。


「瑞葉はどうしたんだい?」

「熱があるみたいで、学校は休ませます」

「そうかい。気温差でやられたかね、それともあやかしの気に当てられたか」

「怖い事言わないで下さいよ。あとで病院に連れて行きます」


 さっと朝食をすませて、瑞葉を小児科に連れて行くとただの風邪だろうという事だった。


「たっぷり水分とって、早く元気になろうな」


 ぐったりとしている瑞葉をおんぶしながら、衛はそうはげました。


「じゃあパパ、店開くからな。大人しく寝ているんだぞ」

「はーい……」


 衛は瑞葉を寝かせると、店のシャッターを開けた。そして仕込んでいたコロッケを揚げる。


「いい色ですね。衛さん」

「藍」


 決して美味しそう、と言わない所が付喪神らしい。


「瑞葉ちゃん、熱を出したとか……私には分からない感覚ですけどきっと辛いのでしょうね」

「まあね、でも子供なんてすぐ熱を出すもんだ」

「そうなんですか」

「ああ、もっと小さい時はしょっちゅう熱を出してたよ」


 衛は瑞葉がまだ保育園だった頃を思い出していた。遊園地に行く日に熱を出して大泣きした事もあったっけ……。


「へえ……一応、翡翠が様子を見てますから安心して下さいね」

「そりゃ助かるよ」

「それじゃ、私はお掃除してきますから」


 そう言って藍は去って行った。衛は油から黄金色に色づいたコロッケを上げた。付喪神達は居候ながら自分の出来る家事を率先してやってくれている。


「家の中に家政婦と保育士がいるようなもんか……贅沢だな」


 普通に考えれば暮らしやすい毎日なのだが、衛はどうしても穂乃香がここに居ないのがひっかかる。穂乃香がいなければ、やはり本当の幸せとは言えないのだ。


「わぁ!?」


 衛が揚げ物を店頭に並べ終わった時、翡翠の慌てた声が二階から聞こえた。


「翡翠―? どうした!?」

「お、お化けが……」


 自分もお化けみたいなものなのに、と衛が少し呆れながら二階に上がると腰を抜かした翡翠と眠る瑞葉が居た。


「なにもいないじゃないか」

「いや、そこから手が出てきて……」


 翡翠は壁を指さして、腰を抜かしている。するとふっと瑞葉が目を覚ました。


「りんご……」

「りんご? これか?」


 瑞葉の頭の上にはりんごが転がっていた。


「ああ……良かった……これ、ママがくれたの。パパ剥いてきて?」

「あ、ああ……」


 衛はそのリンゴを受け取って、台所で剥いてすり下ろしてやった。


「母もね、熱が出た時こうしてくれたわ」


 いつだったか、瑞葉が熱を出した夜に穂乃香がそういいながらりんごをすっていたのを衛は思い出した。


「まさか、な」


 衛は一階に居たし、もし穂乃香が来たのなら気が付かない訳がない。もし、翡翠の言うようにお化けで出たとしても……そこまで考えて衛は首を振った。もしお化けならなぜ真っ先に自分に会いに来て来てくれないのか。


「ほれ、すりりんご」

「わー、パパありがとう」


 瑞葉は喜んでりんごを食べて眠った。そして目を覚ました時には嘘のように熱が引いていた。


「明日は学校いけるね!」

「ああ。ところであのりんごどこから持って来たんだ?」

「え? えーと、お仏壇の所にあったんじゃないかな」


 瑞葉は自分が熱の時に言ったうわごとには気づいていなかった。衛はもしかしたらやっぱり衛には分からない方法で、穂乃香がりんごを持って来たんじゃないのかと考えた。

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