『たつ屋』に恋の猫が咲く①
「キリマンジャロブレンドに紅茶はレモン、それと本日のケーキを二つ」
「はい。翡翠、ケーキを用意して」
「分かりました、姉様」
ここは東京深川の路地裏、ひっそりと佇むカフェ『たつ屋』である。マスターは物腰柔らかで親しみやすくいつも笑みを浮かべている。
ドアを開けると、カウンターの中には色白の青いワンピースにエプロン姿の美人、そしてそれとそっくりな片眼が金色の青年が迎えてくれる。
「素敵……」
「しっ、声が大きい」
ご近所のおばさまかたは翡翠の観察に夢中である。
「お代わりくれるかね」
「三杯目ですが……」
また別の紳士は藍の淹れたコーヒーに夢中である。
だが二人はおばさまより紳士より実はずっと長生きしているのである。二人の正体は器物に宿った付喪神であるからだ。
「ふう……やっと落ち着いた」
元イタリアンシェフの衛のランチ目当ての客と、カフェタイムが過ぎてようやく来客が少なくなったところで衛は休憩を取る事にした。
「しばらく店をお願いしていいか? 藍、翡翠」
「どうぞいってらっしゃい」
疲労を感じない付喪神の二人は店主の衛を心良く送り出した。衛はすぐ上の自宅に一旦戻ると、昨日の残りの麻婆豆腐をごはんに乗せてかきこんだ。
「お疲れ様」
そう声をかけてくれたのは妻の穂乃香だ。近頃は実母のミユキの仕事を手伝っている。喧嘩も多いらしいが。
「穂乃香、耳かきして」
「えー? しょうがないなぁ」
衛が休憩時間を漫喫しているその頃、『たつ屋』に来客があった。
「おや、衛は不在か」
「ああ鍋島さん。そのうち戻ってくると思いますよ」
金色の髪をなびかせてやってきたのは猫又の鍋島である。三味線弾きをしていた鍋島は今は路上ミュージシャンをして生計を立てている。なんでも長く続けてみるもので、ある程度の蓄えのできた鍋島が伴侶を求めてやってきたのが出会いであった。
ミユキと衛の取り持ったお見合いはことごとく失敗したが、とある出会いを経て今も鍋島は時々こうして『たつ屋』を訪れている。
「おまたせです」
入り口のドアを押し開けて入って来たのは艶やかな黒髪の女子高生……に見えるまで成長した白玉だった。出世稲荷の化身、葉月を養い親とする白玉はただの猫ではあったが猫又並に人間に化ける事ができるのだ。
「いいやちっとも待ってないよ」
「私はとっても待ち遠しかったです、鍋島さん」
そしてこの二人は許嫁である。白玉が大人になるまで結婚はお預けなのであるが。
「子供達の学校の送り迎えはまだ続けてるのかい?」
「ええ、みんなかわいいですよ」
瑞葉の学校の通学についていくのが白玉の日課だった。今では通学路の名物になっている。
「そうだ、今日はプレゼントがあるんだ」
「まぁ、なあに?」
「これ、良かったらつけてくれ」
「可愛い……」
それはスカイブルーのストライプのチョーカー、いや首輪だった。
「万が一、野良猫に間違われたら大変な時代だ。それに、白玉に絶対似合うと思って」
「ありがとう!」
白玉は首輪を握りしめた。
「いやーあてられますね。はい、ぬるめのかつおだし」
藍は微笑みながら二人に飲み物を出した。猫舌に配慮した結果こうなった。
「いや、ありがたい。この世にかつおだしを出してくれる喫茶店ができるとは」
「鍋島さん喫茶店じゃなくてカフェですよ、カフェ」
白玉がしたり顔で鍋島にそう訂正していると、衛が休憩から戻ってきた。
「やあ、お二人さん。デートか」
「ああ。ここなら皆事情も分かっているし、居心地がいいからなぁ」
鍋島の見た目は二十代後半。白玉を連れて歩くのは少しまだ気が引ける。それに『たつ屋』に来る分には葉月もそううるさい事は言わなかった。
「本当は遊園地とか行きたいんだがな」
鍋島は苦笑しながらそう言った。
「遊園地! 聞いた事あります!」
「あとは水族館とか」
「すいぞく……?」
「魚が沢山見られるところだよ」
「お魚が……」
白玉の目がキラキラと輝きだした。どう見ても魚を鑑賞用ではなく食用としか考えてない顔である。
「そっ、そこ行って見たいですっ」
「……葉月殿がいいといったらな」
「母様ですか……むう……」
白玉は過保護な養い親のせいであまり遠出をした事がない。
「葉月を誘って行けばいいんじゃないか?」
衛がそう言うと、白玉は牙を剥きだしにして言い返してきた。
「デートですよっ! 母様と一緒だなんて嫌ですっ」
「……あ、そう」
衛はいつか瑞葉にもこんな風に言われる日が来るのかと切なくなった。
「だったらうちと一緒に行くか。館内で別行動したらいいんじゃないかな」
穂乃香が行方不明のうちはレジャーに行く気力もなかったし、戻って来てからはこの店の立ち上げに奔走していて、随分長いこと家族で出かけていないのだ。衛はずっとその事を気にかけていたのでついでにそう言ってみた。
「別行動……ってことは二人っきりのデートができるって事ですか!!」
がたっと椅子から立ち上がった白玉の頭からぴょこんと白い猫耳が飛び出した。
「白玉、耳」
「あっ……」
白玉はちょっと興奮しすぎたらしい。慌てて耳を引っ込めて席についた。
「土日のどっかで店しめて遠出がしたかったんだ」
「行きたい! 行きます!」
白玉は元気に手を挙げて、それからハッとした顔で鍋島を見た。
「いいよ、行こう。水族館」
鍋島はにっこり笑って白玉の頭を撫でた。
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