20話 おいてけぼり④

 それから、瑞葉は藍と一緒に寝て貰って、衛は一階の店先で夜を明かす事にした。

 神室のターゲットとなった瑞葉は相変わらず白玉と登校している。一緒に登校する小学生達はかわいい白猫と登校するのを楽しみにしている。

――一見いつも通り、だが警戒の日々は続いていた。


「パパ、そろそろお夕飯の時間」

「お、そうだな」


 衛は店を閉めようとシャッターを降ろした。夕食のカレーを作り、食卓で振る舞うと瑞葉と風呂に入り、藍に寝かしつけを頼み、自分は一階で仮眠を取るために下に降りた。すると。


「さて、お姫様はお休みかな」


 階下に降りた衛を待っていたのは神室だった。衛は警戒心をあらわにしてバットを握った。


「ちったぁ学習しろ。このロリコン野郎」

「ふん、化け物がやってくるのは夜と決まっているだろ?」


 衛は二階に上がる階段の前に陣取り、バットを前に構えた。


「はは、また怪我したいの?」

「うるせぇ、ぶっ殺す」

「やれるもんならやってみなよ」


 衛は黙ってバットを神室めがけてスイングした。


「あっと、危ない」

「避けんなよ。死なないんだろ?」


 神室はすんでの所でバットを躱す。


「やっぱ邪魔だからあんたは切り刻んじゃおう」


 神室は衛から距離を取ろうと店の外に出た。そして衛を水流で斬り殺そうと手を振り上げた。


「そうはいかないねぇ」


 声の主はミユキだ。ミユキは二階の窓からひょっこりと顔を突き出して神室を見つめていた。そして二階から何かを投げ落とした。


「うわっ」


 それは大量のロープだった。


「なんだよこれ!」


 神室は風と水流を起こしてロープを切ろうとした。ところが。不思議な事に暴れれば暴れるほど縄が身体に巻き付いてくる。


南麽三曼多ナウマクサンマンダ勃駄喃謎伽設濘曳莎訶ボダナンメイギャシャニエイソワカ


 ミユキは一心不乱に何かを唱えている。衛は縄でぐるぐる巻きになった神室の頭にバットを突きつけて言った。


「なぁ、それがただの縄の訳ないだろ。ミユキさんが今唱えているのは龍神の真言だそうだ」


 その龍神の真言に呼応するかのように、縄は神室の肉体を締め上げる。


「ぐっ、わかった……お前の娘は諦めるからこれを離してくれ」

「やーだね。お前は信用ならん」


 衛は神室の懇願を無視すると、縄の端と端をとにかく結びまくってさらに持っていた龍神のお守りを結び目に差し込んだ。


「衛、守備はどうだい」

「ああ、もう動けないと思います」


 神室が動かないのを見て、ミユキが下に降りてきた。


「ご近所さんの目があるからとりあえず中に入れよう」


 衛とミユキは神室の体を引き摺って、『たつ屋』のショーケースの裏側まで運んだ。されるがままの神室だったが、そこまで来ると突然笑い出した。


「ご苦労だね。で、どうするつもり? 私は不老不死なんだが」

「それだよね、困った事だ」


 ミユキが神室の顔を覗き混んでそう言った。


「どうしたらお前を死なす事が出来るんだろう」

「ふん、それが分かっていればこんなに苦しまないさ」

「……そうか、やはり苦しいのだね。神室」


 ミユキはまるで赤子に語りかけるかのように、優しくゆっくりと神室に声をかけた。


「……ああ……苦しいさ……お前には分かるまい」

「どうかな。あたしは歳をとって少しはあんたの気持ちが分かるような気がしてるよ」

「適当な事を」

「この歳になると、祝い事より葬式の数が多くなる。娘も大きくなって孫まで出来た。あたしはこのまま年取って死ぬんだろうけど、あんたはその流れからずっとおいてけぼりなんだものね」


 ミユキの言葉に神室の目が大きく見開かれる。そして、一筋の涙が、神室の頬を伝った。


「分かった気でいるといい。この苦しみは私にしか分からないから」

「そうだろうね。でも、その苦しみと悲しみから、あたしはあんたを解き放ってやりたいと思っている」

「……馬鹿な事を」

「馬鹿はあんただよ。龍神の愛し子をさらってどうするんだい。そんな事してもあんたは神にはなれないよ」


 そうミユキに言われた神室は、ついと目を逸らした。


「ねぇ、神室。この事はあたしに任してはくれないかね」

「何のことだ」

「あんたの寿命の事さ。あたしの生きてる間に、きっとあんたが人間みたいに死ねる方法を探しておくから」

「ふん、そんなの……無理さ……」

「あたしが無理でもあたしの娘が、孫がきっと方法を探すよ。だから待っておいて欲しい」


 それを聞いた神室は唇を噛んで黙って聞いていた。


「もう待つのは嫌だ。おいてけぼりは嫌なんだよ……」

「うん、だから眠っておいで。そのうちに迎えに行くから」


 ミユキはそう言って再び龍神の真言を唱えた。するとみるみる縄が萎んでいき、そこに残されたのはしわしわの大きなトカゲの木乃伊のようなものだった。


「さて……今度こそ、本所の寺にあんたをしっかり預けないとね」


 ミユキは赤子を抱くかのように神室の木乃伊を抱きしめると、二階へと昇っていった。


「衛、あとかたづけ頼むね」


 残された衛は、大量の縄を片付けながら神室の悲しい運命を思っていた。

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