27話 別の顔

 暑い日が続いている。特に冷房のあまり効かない店先は結構な熱さで、衛は少しでも涼を取ろうと打ち水をしていた。


「あの、もし」

「ひゃっ!?」


 そんな衛の背後から気配なく声をかけているものがいた。衛は驚いて、すっとんきょうな声を出してしまった。


「あ、ごめんなさい」

「おや、誰かと思ったら鞠さんじゃないですか」


 衛が振り合えると、そこにいたのは深川モダン館の座敷童、鞠であった。この夏日の中、振り袖の着物が悪目立ちしている。


「どうしたんです」

「仕事の依頼です。ミユキさんは居ますか」


 衛はそれを聞いて心の中でガッツポーズをした。正直この間の大繁盛はいい売り上げになったのだ。


「それじゃあ、中へどうぞ」


 衛は愛想良く鞠を居間へと案内した。


「ミユキさん、座敷童の鞠さんがおいでですよ」

「おやおや、なんだい仕事かい」

「そうみたいです」


 衛は、鞠とミユキに冷たい麦茶を出すとその場にちゃっかり居座った。臨時収入があったらちょっといい扇風機が欲しいななどと考えながら。


「それで、今度はどうしたんだい」

「はい。実は私の依頼じゃないのです。でもミユキさんくらいしか相談出来る相手が居なくて」

「ほう?」

「私の住み着いている深川モダン館のガイドのお爺さんの知人が近頃げっそりと痩せてうわごとを吐くようになったんです」

「そりゃ、ボケか病気じゃないのかね」


 相変わらずミユキの舌鋒は鋭い。鞠はくすりと笑うと静かに首を振った。


「それがある日を境に急にだそうです」

「ほう」

「ガイドさん達の噂話でその人が住んでいる所も分かってます。どうか様子だけでも見て貰えませんか。おじいさんたちが心配しててかわいそうなんです」


 鞠はそうミユキにお願いをした。


「ふーん、老人ってのは金を貯め込んでるもんだしねぇ……よっしゃ、様子を見てきて貰おう。衛!」

「ふぇっ!?」

「あんた、あたしに付いてきな」


 ミユキは鞠の依頼を受けると返事すると同時に衛に声をかけた。またも衛を引きずり込む気らしい。


「それじゃ、どうなったかあとで知らせるから今日はお帰り」

「はい、よろしくお願いします」


 鞠は礼儀正しく何度も頭を下げて去って行った。




「で、なーんでこのクソ暑いのにスーツなんですか」


 無理矢理担ぎ出されてぶうたれているのは衛である。瑞葉の入学式以来のスーツに袖を通し、流れる汗をハンカチで拭っている。


「前かけ姿じゃさまになんないだろ。いいかいあたしの言った通りにするんだよ」

「ふあい……」


 ミユキと衛はとある一軒の家の前に来ると、インターホンを鳴らした。しばらくして返答があった。


「はい、森口です」

「あー森口さん、福祉課の方から来ました、|井川(・・)と申します。地域の見守りの一環でお伺いしました」

「あー、大丈夫です……」

「ちょっとお顔だけでも見せて貰えませんかね」


 衛がそういうと、ちょっとの間の後にカチャリと鍵が開いて老人が顔を出した。その顔色は土気色で肩で息をしていた。とても大丈夫そうには見えない。


「ちょっと失礼しますよ」


 細く開けたドアをミユキがあっという間にこじ開けて中へするりと入った。


「な、なんだ。あんた警察呼ぶぞ!」

「そりゃけっこうだけどね。あんたそのままだと死ぬよ」

「な、な、な……」


 老人が絶句した途端、けたたましい声が家中に響いた。


『ワンワンワンワン!!』

「ひっ!」


 老人は怯えて頭を抱える。衛は声の発生源――老人の背中をじっと見た。


「森口さん、だっけ。あんた背中になに飼ってるんだい」

「こっこれは……」

「いいよ、衛。ひんむいちゃいな」


 衛はミユキに言われるがままに老人の着ていたジャージを剥いだ。


「うわっ……これ……出来物?」

 

 窪みのある巨大なできものが背中一面に出来ていた。ごぼりごぼりと黄色がかった膿を吐き出し、赤黒く腫れている。


「こりゃ人面瘡ってやつさ。衛、何か食べ物持ってるかい」

「飴くらいしか……」

「ここの口みたいな所につっこんでごらん」


 衛は恐る恐る飴を出来物に近づけると、べろりと舌のようなものが出てきて飴をかっさらっていった。


「うわあ!」

「やっぱりね」


 ミユキはうずくまる老人の前にしゃがみこんで問いかけた。


「あんた、これを取って欲しいかい?」

「とっ、取れるのか!? 医者に行っても駄目だったんだ」

「ああ、あたし達は拝み屋だからね。こういう化け物退治が専門なんだよ」

「な……なんだって?」


 驚く老人を前にミユキは二本指を突きだした。


「成功報酬で二十万。これ以上はびた一文まからないよ。払わなかったらまた出来物をはっ付けてやる」


 あまりの展開にパクパクと口を開いたり閉じたりしていた老人だったが、しばらくすると観念したように小さな声で答えた。


「……頼む、このままじゃ俺は死んじまう……」

「よし、決まりだ。衛、漢方屋に行ってこの紙を見せておいで」

「はっはい」


 衛はミユキから紙を受け取り漢方屋に向かった。それを見届けたミユキは立ち上がった。


「さて、この家に酒はあるかい」

「そこに……日本酒と焼酎が……」

「ふん、ちょっと貰うよ」


 ミユキは台所にあった焼酎を手に老人の所に戻った。


「ふーん、いい焼酎じゃないか。さ、背中出しな」


 手にした焼酎を人面瘡に注ぐミユキ。焼酎は出来物にまるで生き物のようにぐびぐびと飲み干された。


『へへへ、こりゃありがたいご馳走だねぇ』

「どうだいいい気分になったかい」

『ああ。もっとおくれ』

「さあどうぞ」


 人面瘡は心なしか赤くなって上機嫌になった。ミユキは酒瓶を手に人面瘡に語りかける。


「なあ、あんたこんな老人に取憑いてどうするつもりなんだい」

『ははは! そんなの当然こいつを取り殺してやるに決まってるじゃないか』

「そうか。こいつはそんなに嫌なヤツなのかい」

『当然さ、こいつは公園に毒を撒いて犬猫を殺しやがったんだ。何匹もな』

「ふーん」


 ミユキが目で老人の顔を見ると、老人はぶるっと身震いをした。


「本当なのかい?」

「ああ……動物の声や匂いが嫌いで、公園に……」

『ワンワンワンワン!!』

「ひゃあ! 助けてくれ!」

「あんた、人面瘡は取ってやるけどね、これはあんたを死ぬほど恨んでるやつがいるって事なんだよ。肝に命じなね」


 ミユキは冷たい声で老人に言い放った。ちょうどそこに衛が買い物を済ませて帰ってきた。


「ミユキさん、これです」

「ご苦労様。いいかい爺さん。これは貝母っていって人面瘡が大嫌いなものさ」


 そういってミユキは人面瘡の口をこじ開けると粉を放り込んだ。


『ぎいいいやああああ』


 断末魔の声を残して、人面瘡は静かになった。


「ほい、二十万」

「本当に消えた……ああ払います、払います」


 老人は部屋の奥にとてとてと駆けていき、すぐに二十万を持ってきた。


「さ、次は無いからね。人の恨みを買わないように慎重に暮らすんだね」

「はっ、はい」


 へこへこと頭を下げる老人を残してミユキと衛はその場を後にした。


「はー、おっそろしい妖怪でしたね!」

「そうかい、あたしゃやっぱ人間の方がよっぽど恐ろしいと思うけどね」

「? ミユキさん、どうかしました? あ、なんで焼酎持ってるんです?」

「これはチップだってさ」


 ミユキはチャプンと焼酎の瓶を揺らして先を歩いていった。後にはどうも納得のいってない顔の衛が残された。

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